08
急いで幼稚園に駆け込むと、園庭に響き渡る千夜の怒鳴り声が聞こえてきた。
「なんでお兄がお迎えにきてくれないの!」
母さんが必死に宥めているが、千夜はぷいっと顔を背けて地面を蹴っている。
「千代、ごめん! 待たせたな」
俺が顔を出すと、千夜は一瞬だけ俺を見たが、すぐにまた「ふんっ!」とそっぽを向いた。
母さんは申し訳なさそうに肩をすくめる。
「大地、ごめんね。急に無理言って。」
「お姉ちゃん遅い!楽しくない!」
千代の様に駄々をこねるている男の子がもう1人いた。
母さんはそのまま仕事に戻り、俺は機嫌の悪い千代を連れて帰り道を歩き始めた。
何を話しかけても返事がない。
参ったな、どうやって機嫌を取ろうか。
「……お兄、だっこ」
不意に、小さな声がした。
立ち止まって千夜を抱き上げる。
俺の首にぎゅっとしがみつき、そのまま声を上げて泣き出してしまった。
「お兄、千夜のこと嫌いになったから来てくれないの……?」
「そんなわけないだろ。大好きだよ、千代」
必死に声をかけるが、涙は止まらない。
住宅街のど真ん中で大泣きされ、通りすがりの人たちの視線が痛い。
「誘拐犯だと思われないだろうな」とオロオロしていると、思いもよらない人物から声をかけられた。
「……上原君?」
「え!? 白鷺先輩!」
そこに立っていたのは、白鷺先輩だった。
学校でのいつもの俺への冷たい視線はどこへやら、心配そうな瞳でこちらを見つめていた。
「その子は?」
「あ、はい。俺の妹です。……すみません、今ちょっと機嫌が悪くて」
「……そうみたいね。ごめんなさい私も急いでいるから」
そういうと彼女は、早足で夕闇の中に消えていった。
「俺たちも帰ろう」
そうして千代を抱っこしたまま自宅へ帰った。
ちなみに夜ご飯にハンバーグを作たら機嫌を少し直してくれた。
時は流れ週末の放課後。
多目的ホールでは、各クラスの体育祭実行委員を集めた説明会が開かれていた。
会場には独特のけだるい空気が漂っている。
部活を休んできてるイライラしている人、やる気のない生徒が大半を占める中、俺は生徒会席の末席で、自分が作った資料を配っていた。
(……よし、スライドの動作も問題なし)
白鷺先輩は、あえてこの場にはいない。
なんでもいるとみんな説明に集中しないかららしい
「それでは、説明会を開始します――」
烏羽会長の凛とした声で会がスタートした。
白鷺さんに手直してしてもらった俺のスライドが巨大なスクリーンに映し出される。
図解やアニメーションを駆使した資料は好評なようで、実行委員たちの目にもわずかに興味の光が宿った。
だが、時計の針が17時20分を回り、会が終盤に差し掛かった時。
一番後ろの席でずっとスマホを弄っていた男子生徒が、不敵な笑みを浮かべて手を挙げた。
「質問いいっすか? その……横にいる男、何なんすか? 生徒会の新メンバー?」
ニヤニヤしながら俺を指差す。
会場中の視線が俺に突き刺さる。
それは明らかに敵意を孕んだ、品定めするような視線だった。
「彼は体育祭期間中の特別スタッフとして、お手伝いをお願いしている上原君です」
鳥羽会長が毅然と答えるが、男子生徒は引き下がらない。
「納得いかないんすよね。実行委員に頼めばいい話を、なんでそいつがやってんの? 」
「放課後、皆さんは部活動に専念されていますよね。ですが、上原君には家庭の事情があり、部活動に所属していません。その時間を割いて、私たちのサポートをしてくれているんです」
会長の説明に、会場がザワつき始める。
「うちで部活入んないってできんの?」
「家庭の事情?」
「生徒会の使い走りってことじゃん」
心無い言葉が小声で飛び交う中、
男子生徒はさらに声を張り上げた。
「家庭の事情って何だよ。そもそも学校のルールを守れない奴を、生徒会が優遇していいんすか?」
俺たちが反論しないと彼は意気揚々と続ける
「……いいっすよね。そうやって先生たちに媚び売って、放課後遊びながら内申点稼ぎ。さすが『いい子ちゃん』たちの集まりだわ」
男子生徒の吐き捨てるような言葉が、静まり返ったホールに冷たく響いた。
周囲の実行委員たちも彼を止めようとしない。
結局俺の存在に興味があるんだろう。
ただ部活には早く戻りたいからか
「さっさと終わらせろよ」という険悪な空気を助長させている。
ふと隣を見ると、鳩ヶ谷先輩の様子が明らかに異常だった。
いつもはおちゃらけている彼女の瞳から完全にハイライトが消え、底冷えするような視線をその男子生徒へ固定している。
それは食堂で俺を助けてくれた時と同じ雰囲気。
(……先輩がキレる!)
こんな大人数の前で啖呵をきったら、彼女の印象が下がってしまう。
「は? あんた、今なんて――」
「待ってください」
沸騰寸前だった鳩ヶ谷先輩の言葉を遮り、俺は一歩前へ出た。
俺個人が何を言われようと構わない。
モブキャラとしての自覚はあるし、陰口なんて聞き慣れている。
だが、この人たちが頑張っている姿を見てきたからこそ黙ってはいられなかった。
「――今の言葉、訂正してください。先輩たちが放課後『遊んでいる』なんて、そんなわけないでしょう」
「は? お前、急に熱くなって何なの?」
男子生徒が鼻で笑う。
だが、俺は一歩も引かなかった。
「先輩たちは、皆さんが部活を終えて帰宅した後も、閉門時間ギリギリまで残って作業をしています。皆さんが一生懸命部活で汗を流しているのと同じように、先輩たちもこの学校のため、皆さんのために身を粉にして働いているんです。今の発言は、その努力を愚弄するものです。謝ってください」
俺の静かな、けれど確かな怒りを孕んだ声に、ホールが水を打ったように静まり返った。
男子生徒は一瞬怯んだように見えたが、すぐに顔を赤くして毒づいた。
「キモ……何マジになってんの。……あぁ、わかった。お前がここにいる理由も、結局は白鷺や烏羽に近づきたいからだろ? 女目当ての癖に、正義の味方ぶってんじゃねーよ」
その言葉を聞いた瞬間、不思議なほど頭がスッと冷えていくのを感じた。
この男はなにか勘違いをしているらしい。
生徒会を手伝っている理由を、先輩達に『近づきたいから』だと思っているんだろう。
「……え、違いますよ?」
拍子抜けするほどあっさりとした俺の返答に、男子生徒は「は?」と口を半開きにした。
「嘘つくなよ! だったら、なんのメリットもないのに、なんでわざわざこいつらを手伝うんだよ!?」
俺は心底不思議に思って、首を傾げた。
「メリット? ……困っている人が目の前にいたら、助けるのは当たり前じゃないですか?」
「――っ」
俺の答えは、あまりに短く、あまりに純粋だった。
菊池さんが困っていて俺に声をかけた。
だから手を貸した。
それ以上に複雑な理由なんて、どこを探しても見当たらない。
「…………」
男子生徒は何かを言い返そうと口をパクパクさせたが、結局、言葉にならずに視線を逸らした。
冷やかし半分だった周囲の生徒たちも、俺のあまりに「真っ当すぎる」返答に、気まずそうに顔を見合わせている。
そんな重苦しい沈黙を切り裂いたのは、パンッ! という威勢のいい手拍子だった。
「はいはい、そこまで!教室の施錠閉門時間になっちゃうからね。体育祭、みんなで最高の思い出にしようよ!」
ムードメーカーの鶴見先輩が、太陽のような笑顔で割って入った。
彼女はさりげなく烏羽会長にウィンクを送る。
「……そうね。今日のところは解散。」
会長の凛とした号令により、ようやく説明会は幕を閉じた。
潮が引くように生徒たちが去っていく中、俺はドッと押し寄せた緊張感に、その場にへたり込みそうになった。




