14 王子様との遭遇
「――というわけで、正式に生徒会に入ることになったんだ。これからはお迎え行けなくなる日が増えると思う。……ごめん、母さん」
帰宅後、夕食の片付けをしている母さんに切り出した。
母さんも仕事で忙しく、家事や千代の面倒を分担しなければならない。
それを分かっているのに、俺は自分の「やりたいこと」を優先してしまったのだ。
「……そう、わかったわ。大地、ようやくやりたいことが見つかったみたいね」
母さんは手を止め、穏やかな、けれどどこか誇らしげな笑顔を俺に向けた。
「母さんも仕事、もっと踏ん張るから。大地は全力で生徒会を頑張りなさい。……ね、千代?」
母さんが、リビングでテレビを見ていた千代に声をかける。
「ママー、なーに?」
トコトコと歩いてきた千代の頭を撫でながら、母さんは優しく語りかけた。
「あのね、お兄ちゃんね、学校で大事なお仕事をすることになったの。だから、今までみたいに千代をお迎えに行けなくなっちゃう日があるんだけど……いいかな?」
その言葉を聞いた瞬間、千代の表情が強張った。
大きな瞳がいっぱいに潤み、今にも溢れ出しそうな涙を必死に堪えている。
「……いいよ。おにーちゃん、がんばって」
絞り出すような小さな声。
その表情は、口にしている言葉とは正反対のものだった。
千代のそんな顔を見て、胸が締め付けられるように痛んだ。
亡くなった父さんの代わりに家族を支えるって誓ったはずだ。
母さんの負担を減らし、千代に寂しい思いをさせない、それが俺の役割だったはずなのに。
(生徒会の先輩たちの力になりたい。でも、俺は家族の代わりにはなれない……)
部屋に戻り、ベッドに横たわっても千代の泣きそうな顔が脳裏から離れない。
(――来週相談してみよう)
俺はスマホの画面に表示された「生徒会グループ」の通知を見つめながら、静かに目を閉じた。
週明けの月曜日。
いつもなら「遊びに行きたい」と駄々をこねるはずの千代が、今朝は驚くほど静かだった。
お迎えに行けなくなることがショックだったのか。
それとも幼いながらに俺に気を遣っているのか。
寂しい思いをさせている自覚があるだけに、俺の胸は朝から重かった。
校門付近まで来ると、いつものように『王子様』を囲む集団が目に入った。
(……今日から、俺はあの人たちと肩を並べるのか)
どこか他人事のように考えていると、集団の中心から凛とした声が響く。
「上原君、おはよう」
白鷺先輩が俺に気づき、挨拶を投げかけてくる。
その瞬間、周囲を囲んでいたファンたちの視線が一斉に俺に突き刺さった。
これまでは冷ややかな視線とは異なり、
今では得体の知れない期待と嫉妬が混ざり合ったような、より強い熱を帯びている。
「白鷺先輩、おはようございます!」
俺は短く返事をし、逃げるように彼女の隣を通り過ぎた。
後ろから俺のことを何か噂している声が聞こえたが、始業時刻もあり急いで教室に向かった。
体育祭直後のテスト期間。
どの部活も活動休止になるが、学園祭を控えた生徒会に休みはない。
放課後、俺はいつメンとの別れを惜しみながら、生徒会室へと向かった。
「改めて上原大地君、生徒会へようこそー!」
放課後、俺はテスト勉強のために図書室へ向かういつメンを見送り、一人で生徒会室の扉を開けた。
「改めて、上原大地君。生徒会へようこそ――っ!」
入室した瞬間に響いたのは、烏羽会長の弾んだ声と、先輩たち全員による温かい拍手だった。
机の上には「お祝いだから」と、どこから用意したのか色とりどりのお菓子が並べられている。
テスト期間に入り、ピリついた空気が漂う校内の喧騒とは真逆の、穏やかでどこか浮き足立ったような空間。
今日から俺は「生徒会」になるのだと、改めて実感が湧いてくる。
ひとしきり歓迎の洗礼を受けた後、俺たちはお菓子をつまみながら、今後の仕事内容についての説明に入った。
「大くんにはまず『庶務』として、書類作成やデータ入力をメインにお願いしたいな。あとは備品の管理とか、私たち全員のサポートもね」
鳩ヶ谷先輩が資料を広げて説明してくれる。
これまでのお手伝い期間でやってきたことの延長線上ではあるが、これからは責任も伴う「役職」としての仕事だ。
そして、俺が一番不安に思っていた『家族の件』についても、会長が改めて口を開いてくれた。
「家の事情がある時は、無理に顔を出さなくていいわよ。仕事がある日も、用事に合わせて早めに上がって構わないわ」
先輩たちが次々と優しい言葉をかけてくれる。
改めてこの生徒会に入ってよかった、そんなことを思った。
「……その分、いる間にきっちり集中して終わらせなさいよ。あなたの能力なら、十分可能でしょうから」
白鷺先輩だけは少しツンとした物言いだったが、そこには確かな信頼と気遣いが込められていた。
「はい! 本当にありがとうございます!」
そうして俺は、先輩たちのご厚意に甘えて初日の仕事を早めに切り上げさせてもらうことになった。
向かった先は、妹の千代が通う幼稚園だ。
最近お迎えに行けていなかった分、今日はとびきり甘やかしてやろう。
そんなことを考えながら、俺は少し足早に道を歩く。
「あれ、大地? 今日はお仕事、いいの?」
幼稚園の門をくぐると、驚いた顔の母さんと目が合った。
あんなに寂しそうな顔をしていた千代に、サプライズをしたくて、俺は先輩たちの厚意に甘えて早めに仕事を切り上げさせてもらったのだ。
「ああ。先輩たちが許可をくれたんだ」
母さんとそんな言葉を交わしていると、足元に一人の男の子がトコトコと歩み寄ってきた。
「千代ちゃんのお兄ちゃん? ……今日はお迎え、お兄ちゃんなの?」
俺は彼に見覚えがあった。たくま君だ。
彼は保護者の迎えがいつも遅く、千代と一緒に遅くまで残っていることが多い子だった。
「お兄ー! 本当に来てくれたの!?」
部屋の隅でおもちゃを片付けていた千代が、俺に気づいて弾けるような笑顔で駆け寄ってくる。
俺は千代を抱き上げ、その小さな頭をゆっくりと撫でた。
「お迎え、遅くなってごめんな。今日は一緒に帰ろう」
「うんっ!」
千代は俺の腕の中で、誇らしげに、そして何より嬉しそうに笑った。
だが、そんな俺たちの姿を見つめるたくま君の瞳には、喜んでいる千代とは対照的に、隠しきれない寂しさが影を落としていた。
「……いいな。お兄ちゃん。」
ポツリと、たくま君がこぼしたその呟きが、俺の胸に刺さった。
この子もきっと、ずっと待っているんだ。自分を迎えに来て、優しく頭を撫でてくれる誰かを。
その時、幼稚園の入り口から、バタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。
「――たくま! ごめんなさい、遅くなったわ……っ!」
響いたのは、凛としていながらも、焦燥感のある聞き覚えのある声。
振り返るとそこには、肩を上下させ、必死な表情をした白鷺先輩が立っていた。
「……え、白鷺……先輩?」
俺の声に、先輩の肩がビクリと跳ねた。
学校で見せる孤高の『王子様』としての面影はどこにもない。
そこには、この小さな男の子の姉であろうとしている、一人の少女の姿があった。
「う、上原、君……? どうして、あなたがここに……」
驚愕に目を見開く先輩。
先輩は一瞬、目を見開いたが、すぐにたくま君の方へと駆け寄った。
「ごめん、たくま。帰りましょう。今日はあなたの好きな……」
「やだ! 帰らない! お姉ちゃんといてもつまんない! 」
たくま君は先輩の手を振り払い、母さんの背中に隠れるようにしてしがみついた。
それを見た先輩の表情は、生徒会で俺を冷たくあしらっていた時よりもずっと、痛々しく、脆いものだった。




