12 体育祭(始)
ついにその日がやってきた。
生徒会として「お手伝い」ができる最後の日――体育祭当日だ。
空は雲一つない快晴。
グラウンドからは、早朝練習に励む応援団の太鼓の音がかすかに響いてくる。
俺たちは、一般生徒よりも一時間早く登校し、備品の搬入やライン引きなどの最終準備に追われることになる。
「おはようございます……」
生徒会室の扉を開けると、既に準備万端な先輩達の姿があった。
全員が、普段の制服ではなく、胸元に『運営・STAFF』と刻印された、お揃いの鮮やかなブルーのTシャツに身を包んでいた。
「あ、上原君。おはよう」
「おはようございます、会長。……あれ、菊池さんは?」
視線を落とすと、机に突っ伏して微動だにしない菊池さんの姿があった。
「……むにゃ。……あと、五分……」
「彼女、朝がものすごく弱いのよ。今はそっとしておいてあげて」
烏羽会長が苦笑いしながら教えてくれる。
あの冷静な菊池さんの意外な弱点に、少しだけ口角が上がった。
時計を見ると、準備開始まであと10分。
俺も早く着替えて合流しなければ。
「俺、教室で着替えてきます。10分後、下駄箱の前で待ってます」
そう言って部屋を飛び出そうとした時、背後から会長に呼び止められた。
「ちょっと待って、上原君。忘れ物よ」
振り返ると、会長の手には、彼女たちが着ているのと同じ『運営チームTシャツ』が握られていた。
「え……? でも、それは運営メンバー専用の……」
俺は戸惑って足を止めた。
正式な生徒会役員でもない俺が、その特別なシャツを着るなんて許されるはずがない。
「生徒会の役員じゃない俺が、それを着るわけにはいかないですよ」
そう断ろうとした俺を、今度は鶴見先輩と鳩ヶ谷先輩が挟み撃ちにするように声を上げた。
「何言ってるの? 上原君はもう、立派な生徒
会メンバーでしょ?」
「そうだよ! ね、大ちゃん。これ着て、後でみんなでお揃いの写真撮ろうよ!」
二人の屈託のない笑顔と、当たり前のように自分を「仲間」として扱ってくれる言葉。
胸の奥が熱くなり、視界が少しだけ潤みそうになるのを必死に堪えた。
「華ちゃんも、そう思うでしょ?」
鶴見先輩に話を振られた白鷺先輩を見る。
彼女は俺と目を合わせると、じーっと見つけながらいつもの、凛とした声で言った。
「…………早くそれに着替えてきなさい。準備に遅れるわよ」
少しぶっきらぼうな言い方。
でもそんな言葉でも嬉しかった。
「――っ、はい! ありがとうございます!」
手渡されたTシャツは、まだ袋から出したばかりの、パリッとした感触がした。
支給されたブルーのTシャツに袖を通し、校庭へと踏み出す。
赦ない日差しが肌を突き刺した。
予報によれば、今日の最高気温は30℃を超える真夏日になるそうだ。
先輩方と合流して設営作業を開始
30分もすると一般生徒も集まり始め、会場は今か今かと開会を待ち侘びる熱気に包まれていた。
午前9時30分。
鳥羽生徒会長による開会宣言と共に、体育祭の幕が上がった。
俺の役割は、競技ごとに用具を出し入れしたり、細々とした片付けを行ったりする運営の補助。
生徒会のメンバーは基本的に運営に専念。
だが俺はあくまで「期間限定のお手伝い」という身分。
そのため、クラスの一員として競技にも参加しなければなはない。
(……運営だけでも結構ハードなのに、これに競技も加わるのか)
そんな俺の懸念をよそに、クラスの連中は容赦なかった。
「上原、お前体格いいんだから頼むわ!」
と押し付けられたのは、なんと学年別リレー。
いつメンの4人(佐々木、遠藤、金井)でメンバーを組むことになった。
運悪くじゃんけんで負け俺がアンカーを務めることになった。
「おい、アンカーって一番目立つじゃねーか……」
「じゃんけんは絶対だぞ!文句あんのか」
笑い合う友人たちを恨めしく思いながらも、招集場所へと向かう。
学年別リレーはこの体育祭の目玉競技の一つ。
トラックの周囲を埋め尽くす全校生徒の視線。
ふと本部の運営テントに目をやると、お揃いのブルーのTシャツを着た生徒会の面々がこちらを見ていた。
鳩ヶ谷先輩はぶんぶんと手を振り、鶴見先輩も笑顔でガッツポーズを作っている。
白鷺先輩もこちらを見ているが腕を組んだままだ。
(……やるしかないか)
運営の仕事で既に足は少し重いけれど、このTシャツを着せてもらった以上、無様な走りは見せれない。
「位置について――」
スターターピストルの音が、突き抜けるような青空に高く響き渡った。
二年生は全部で五クラス。スポーツ強豪校ということもあり、どのクラスも一走目からレベルの高い争いを繰り広げている。
俺たちのチームは、一走の佐々木と二走の金井が粘りを見せ、四位という位置で三走の遠藤へとバトンを繋いだ。
(……抜けるのか、これ?)
トップのクラスは圧倒的だ。
十メートル近い差が開いている。
「厳しいな……」
独り言が漏れる。俺は屈伸をしながら、呼吸を整えた。
やがて、コーナーを回って遠藤の姿が見えてきた。
彼は顔を真っ赤にしながら順位を一つ上げ、三位で俺の待つバトンゾーンへと飛び込んでくる。
「頼むわ、大地……っ!」
「任せとけ!」
俺は並走しながら、遠藤からバトンをしっかりと受け取った。
その瞬間、全身のギアが跳ね上がる。
すでに運営の仕事で身体は悲鳴を上げていた。
一歩踏み出すごとに足は重く、肺は焼けるように熱い。
けれど、思考の隅で不意に一つの言葉がよぎった。
(――……今日で、最後なんだ)
今日が終われば、俺の「お手伝い」としての時間は幕を閉じる。
コーナーを曲がり、ゴールまでの直線コース。
朦朧とする意識の中で、本部テントの方から割れんばかりの声が届いた。
「大くん! 頑張って!!」
「いけるよ、上原君! そのまま行け――っ!!」
鳩ヶ谷先輩と鶴見先輩の、身を乗り出すような絶叫。
そして、その隣で。
白鷺先輩が、拳を握りしめて俺を真っ直ぐに見つめているのが見えた。
がむしゃらに腕を振り、震える足で地面を蹴った。
一人、また一人と抜き去る。
ゴールテープの目前。
トップを走る三年の背中に手を伸ばすようにして、俺は最後の力を振り絞った。
――スパンッ!
胸元に走る、テープの感触。
一位でゴールを駆け抜けた瞬間、俺の視界は白く染まった。
「……っ、はぁ、はぁ……っ!!」
倒れ込むようにして土の上に尻餅をつく。
すぐにクラスメイトたちが駆け寄ってきて、俺の背中を叩いた。
応援団の歓声が、地鳴りのように耳の奥で響いている。
「やったな! 俺たち一位だぞ!」
「……はは、最後死ぬかと思ったけど、なんとかなったな」
クラスメイトたちの熱狂的な出迎えを受けながら、俺たちはようやく自陣の席へと戻ってきた。
「四人とも、めちゃくちゃかっこよかったよ!」
「上原、あんな絶望的な位置からよく抜き去ったな!」
「先輩、すごかったです!」
赤組の先輩や後輩たちが次々と声をかけてくれる。
そんな喧騒の中で、俺は一人、見覚えのある顔を見つけた。
「……さすが、先輩ですね。おめでとうございます」
そこに立っていたのは、桐原青葉だった。
中学時代の可愛い後輩。
けれど、下駄箱で一件以降彼女とは一度もまともに話せていなかった。
「……ありがとう、青葉」
俺がぎこちなく笑いかけると、彼女は一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべ、それきり俯いてしまった。
かつての彼女なら、一番に駆け寄ってきて「先輩、最高でした!」と笑ってくれたはずなのに。
(……気まずいな)
沈黙が痛い。そんな俺たちの空気を察したのか、遠藤がひらひらと手を振って会話に加わった。
「青葉も応援来てくれたのか、ありがとな。こいつ、最近昼休みにバスケしてくれるようになったんだよ。今度一緒にど?」
遠藤がそういうと、青葉は絞り出した様にいった。
「でももう『バスケには興味ない』って……?」
「いやー……気が変わってちょっとなまたやり始めたんだよ」
そう笑いながら言うと、満面の笑みで笑いかけてくる。
「なら!またバスケやってくれるんですか!」
「部活に入るとは考えてないけどお遊び程度でよければ」
今にも泣きそうだった彼女の顔はどこはやら。
満面の笑みで嬉しそうに喜んでいた。
「私次の競技あるんでこれで!遠藤先輩バスケやる日連絡くださーい!」
そう言って彼女は嬉しそうに帰って行った。
「おーい! 大ちゃん、そこにいた!」
不意に、後ろから聞き慣れた明るい声がした。
振り向くと、本部から駆けつけてきたのであろう鳩ヶ谷先輩と、少し遅れて、息を弾ませた白鷺先輩が立っていた。
「リレー最高だったよ! もう、うちの役員全員で立ち上がって応援しちゃったんだから!」
「……上原君」
白鷺先輩が、まっすぐこちらを潤んだ見つめてている。
「……白鷺先輩。見ててくれたんですか?」
「ええ、もちろん。……不器用だけど、必死な走りだったわ。」
彼女はそこで言葉を切り、俺の胸元に手を伸ばした。
指先が、俺が着ているブルーの『Tシャツ』に軽く触れる。
「……そのシャツを貸して、正解だったみたいね。……よく頑張ったわ、上原君」
絞り出すような、けれど心からの賞賛。
全校生徒から「王子様」と称えられる彼女が、今、俺一人だけに向けて見せたその表情。
(……この場所にいられて、本当によかった)
青空の下、俺は心地よい疲労感と共に、自分の中に確かな「居場所」があることを実感していた。




