18話 イキヌクための1の方法
「やったー! 体育だー!」
「体育にうつつを抜かしてる場合じゃねぇだろ。受験までもう1,2か月しかないんだぞ?」
「時には“息抜く”のもたいせつだよー!」
「はぁ、胃が痛い。律帆はどうなんだ? 第1希望さすがに決まってるんだよな?」
「そうね」
「ん? どうした、なんかボーっとして。お前も受験が迫ってること忘れるなよ?」
「たぶん大丈夫、なんかいける気がするわ」
「どういう自信だよ・・・・・・」
「すごく頭がすっきりする。これが普通の人の感覚なのかしらね」
「なに言ってんだよ」
「ほら、藍。早く着替えに行くわよ」
「はぁーい!」
「全く。女子は頭の中がスイーツで出来てるのか? ぽわぽわしやがって・・・・・・」
体育の授業、今日は持久走で1キロ走ることになっている。持久走は無理ない程度にという事で、途中でしんどくなったら辞めていい。昔はしんどくても走らされていたが、これも時代の流れだろうか。
「はぁっ、はぁっ、もうむりぃ・・・・・・!」
息を切らす藍。必死に走ってはいるのだが、周りにどんどん抜かれていく。「歩いた方が速いんじゃないか?」と周りが口々に言っている。
そんななか、律帆は一定のリズムを刻んで走り続けていた。持久走開始からすぐに本気で走り始めた藍とは違い、最後まで同じペースで走り続けている。いつもと変わらない光景、しかし律帆の脳内は全く異なる。
それは、無。ただペースを保って走り続けている、律帆は意識して走っている。
・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
「少しタイムは縮んだかしら」
「すごいよ、1キロ走り切るなんて!」
「足には自信があるのよね」
「俺は全くダメだ。誕生日会の準備で疲れたのが祟ったか?」
「男の子のくせに言い訳とはー。見苦しいぞー!」
「ふふ、それだけ準備してくれてたってことでしょ。私嬉しい」
「お、おお」
「なんか律帆ちゃんが可愛いこと言ってる!」
最近のうつむきがちな律帆の姿はどこへやら、自信にあふれたしたり顔を見せる。
「なんか今日の律帆は調子よさげだな、誕生日会をした甲斐があったぜ」
「うんうん! 今日の律帆ちゃんは元気そうでいい感じ! あ、別にいつもが元気じゃないってわけじゃないけどね?」
「わかってる、自分でもよくわかってるわ。今日の私はどこか違う」
そう言って、授業終了のチャイムと共に1人で足早に教室へと向かう。
「誕生日会じゃなくて、多分あの薬のおかげでね」
律帆は既に、あの薬が何なのかを知っていた。
今朝、目覚めたときに律帆は世界が変わったように錯覚した、頭の中が整然とした部屋のようにすっきりしていたためだ。
・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
朝のこと、律帆は目覚めてすぐになにか異変が起こったことに気づく。
なに、これ。
いや、別に何もおかしくない。世界はいつも通り、私の部屋の中で、時計は7時を指していて、窓辺ではホコリが光を受けて舞っているように見える。
ただ、なぜかは分からないが次に何をすべきかがしっかりと理解できる。
起きたんだから、まずは顔を洗ってうがいをしよう。思った通りに体が動く。
洗面台の前で、今日は体育があったことを思い出す。いつもなら、今している作業を止めてでもすぐに体操服を準備するのだが、今日は違う。ある程度身だしなみを整えてから、体操服を準備する。
私、覚えてる。すごい、なんで?
いつもだったら、なにか思い出しても1分と経たずに忘れてしまうのに、今日はなぜだか頭が働いているような気がする。
昨日、誕生日会で楽しんだからかな。感情を久しぶりに動かしたおかげで少しは真人間に近づけたのかな。
そう思った矢先、目の前の薬が目に入る。
あ、そういえば昨日はこれを飲んで。
CAZMEL、PTPシートにはそう書かれてある。
調べてみると、結果はすぐに出た。
キャスメル?
名前は聞いたことがある、確か頭をよくする薬。でも禁止された薬のはず、もしかして、昨日私にぶつかった人がポケットに忍ばせたの?
前から私に“その傾向はある”と思っていたけど、おそらく私は。だとして、なんで昨日の人は私にこれを・・・・・・?
私ですら知らなかった私のことを、知っている“他人”がいるということ。
すごく気持ち悪かった。
だけど、この薬は確か副作用が。そう、だから麻薬や覚せい剤と並んで禁止対象になったはず。
・・・・・・いや、違うな。
そうよ、こんなに効果的な薬が禁止されるなんておかしい。きっと、大多数の人、普通の人にとって都合が悪いから禁止されたのよ。
この薬は効く人と効かない人がいると聞いたことがある。頭を上手く使えてない人、わたしのような人だ。では、なぜこの薬が禁止されたのかを考えてみる。私はすぐにこの薬についてもっと知りたいと思った。
CAZMEL 天才、キャスメル 規制 なぜ。
私みたいなダメ人間でも普通の生活が送れているなら、それはつまりこの薬がなくてもなんとかなるくらい優秀ってこと。ハンディキャップを埋めるだけの頭があるという事、そんな人がこの薬を使えば、とても優秀な人間になれる。
だから、規制したんじゃないの? そんなの、不公平じゃない。
でも今の私は違う。私は今、この薬のおかげで誰よりも優れた存在。
だから、この残り7錠、時間にして4日間。この間になんとかして流通ルートを押さえなきゃ・・・・・・。
そうして、律帆はキャスメル錠剤をポケットの中に握りしめ、学校へ向かったのだった。
この薬で、律帆の生活は一変した。
マンホールが、ただのマンホールにしか見えない。
というのも、律帆にはある癖があった。マンホールの四方もしくは三方に取り付けられたネジと中心点を結んだ直線を踏まない、という癖だ。
その他にも、ブロックがはまっている道は必ず同時に2つのブロックしか踏んではいけない、階段は最初に1段、次からは2段飛ばしで縁の黒い部分をつま先で踏んで登る等など。たくさんのルールがあった。そしてなぜかこのルールを守らなくては気持ちが悪く、踏み外したりした場合には少し戻って、最初からやり直さなくては気が済まなかった。
何故かはわからない、が、そうしなければならないという謎の強迫観念に知らず知らずのうちに苛まれていたのだ。
しかし、今日はそうではない。階段は、ただの階段。道も、ただの道だ。
「普通の人って、つまんないのね」
その後の体育でも、普段との違いを感じた。
校庭を走るときは、音楽を頭の中で流してそのリズムにあわせて走っている。だから、時には体力が余っているのに遅くなったり、逆に体力がないのに全力で走ったりする。その他にも校庭の何か所かにある小さな地面のへこみにつま先をフィットさせるというルールも、今日はなかった。
体育もつつがなく終わり、給食の時間、またもや異変が訪れた。
頭が痛い、無性にイライラする。
調べなくとも分かる。薬の効果が切れたんだ・・・・・・。
すぐにポケットの薬を1錠取り出し、牛乳で流し込む。
「あれ? 律帆ちゃんそれなんのおくすり?」
「頭痛薬よ。ちょっと話しかけないでもらえる? 今氣が立ってるから」
「お、お大事にね?」
無責任に同情するのが一番腹立つ。こっちがどんな症状かも知らないくせに、あたかもよく分かってますというふうに気を遣ってる“ように見せてる”のが嫌。藍は悪い子じゃないし、私に誕生日会をしてくれるくらいだから味方なのはわかってる。けど、時に言動とあの顔が私をイラつかせる。
だめだ、イライラしてるからか給食の味が全くしない。早く効いてよ!
薬はなんとかすぐに効いた。初めて最後まで授業を寝ずに受け、学校から帰ってすぐに、律帆はバイトに向かった。
バイトでも上々だった。まずミスをしない、ドリンクを用意するだけでも、普段は脳内にある10個のチェックリストを確認する必要があるが、今日はそれを意識せずとも次はこれをして、次はこれをするという事が矢継ぎ早に浮かんでくる。他の人はなぜこんなにもたくさんのことをすぐにできるのだろうかといつも思っていたが、それがようやくわかった気がした。
最終的に、いつも3時間で12回ほどミスをするところ、今日は1つで済んだ。別に褒められたりはしなかったけど、それでも気分は最高に良かった。いつも仕事中のミスの1つ1つを引きずりながら毎日を過ごしていたけれど、薬さえあればそんなことにはならないという事を知った。
“普通の人は、薬がなくてもこんななんだ”
怒りがわいてきた。みんなはこんなにも素晴らしい脳をしているのに、なぜ犯罪を犯すのか、戦争をするのか、人を傷つけるのか。でも、すぐに分かった、恵まれているからなのだと。
普通の場合、自分の欲しいものは誰かから奪えば手に入る。金も、男も、権力も。でも、私たちは違う、普通の暮らしを欲する。だから自分で工夫して、切磋琢磨して何とか普通の人間になろうとする。だから、普通の人も普通じゃない人も、同じ欲望にまみれた人間だけど、きっと私たちは方向性が違うんだ。
そう、私は普通の暮らしを死に物狂いで手に入れないといけないんだ。
バイトが終わって、私は自転車にまたがり夜の街に繰り出した。理由は簡単、例の人を探すため。
きっとどこかにいるはず、ネットの規制は厳しいから、ネットに情報は出さずに現実で活動してるはずなんだ。
バイトが終わったのが夜の10時、疲れも忘れてひたすら自転車をこいだ。
私には、こんなことしか出来ない。1日探し続けても見つからないかも、いや、多分見つからない。だけど! 努力しないと、自分に辟易するのはまっぴらだ! 一生懸命努力して、幸せになってこそ本当の幸せ、それで幸せが得られないとしても、私は過去に後悔せず生きていける!
これが無駄な努力だとしても、私はあきらめない。視野の狭い私にはこれしかない。薬で私の生活が変わると分かったなら、それに向かって突き進め、これは偉大な第一歩だ。
これが、この生きづらい世の中で、わたしが“生き抜く”ための、たった1つの方法。
・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
深夜にも関わらず、たくさんの車が走っている。色んな人がいるんだなと思った。
結局、その日は見つからなかった。時刻は午前6時、10時にバイトが終わってから8時間、宛もなく彷徨っていたけど、どれだけ探してもなんの手がかりも見つからなかった。
まぁ、それも当然だろう。深夜にひたすら自転車を走らせていただけなのだから、心当たりもありゃしない。
静まり返った家に戻ったとき、お母さんが玄関に立っていた。
「どこに、行ってたの・・・・・・っ!」
「ちょっと、サイクリングに行ってただけ」
「どれだけ心配したと思って・・・・・・っ!」
「心配って、私はもう中学3年生。もう大人なんだから、自分の安全くらい自分で守れる年よ」
「中学生は、まだ子どもっ! 自分の中では、大人に見えても、全く大人じゃないっ」
「大人よっ! もう自分だけで暮らしていけるだけのお金もあるし、それだけの知識もある!」
それに、違法薬物だって手に入るくらい人生経験も豊富だし。
「15歳は、まだ大人じゃないの・・・・・・っ!」
「さっきからなんなの!? 私は努力したの! 幸せになるために努力は必要だから努力したの! 逆に努力しかないのよ! 棚から牡丹餅なんてね、ないの! ふと雷に打たれて死ぬことはあっても、そのショックで突然頭がよくなったり絵がうまくなったり、文才になることだってプロサッカー選手になることだってありえないの! 人が“優秀”になれるための努力もしちゃいけないの!? そんなの間違ってる!」
「なんの話・・・・・・っ?」
「なんで、なんで努力しないと幸せは手に入らないのに、その努力さえ拒むのっ!?」
「努力は確かに大切、だけど、他の人に迷惑や心配をかける努力は、だめっ!」
「・・・・・・分かった、夜に出るのはダメなんでしょ。なら、それ以外の方法で努力するまでよ」
「まだ話は・・・・・・」
律帆は聞く耳を持たず、すぐさまお風呂に入った。湯船のお湯が冷えていた。
お湯炊きで温めなおしてから入る。疲れが溶けていく。
「ふぅ、いいお湯だわ」
ゆっくりしていたいけれど、残された時間は残り3日、5錠。
どうやって薬を手に入れるか、律帆はお風呂に浸かりながらそれだけを考えていた。




