第2話 最強の結界も、Wi-Fiの電波には勝てない
築三百年、重要文化財指定寸前の土御門家本邸。
その離れにある俺の部屋――六畳一間の和室は、今、異様な空気に包まれていた。
「マジ無理。終わってる。ここ平安京?」
畳の上でゴロゴロと転がりながら、金髪のギャルが呻いている。
俺が召喚してしまった最強の式神、タマモだ。
彼女は仰向けになり、天井に向かってスマホを掲げて絶望的な声を上げた。
「アンテナ1本なんやけど! ねぇ、この屋敷の結界どうなってんの? 5G弾いてへん?」
「……邪悪な気を弾くための結界だからな。高周波も多少は減衰するのかもしれん」
俺は冷静に答えつつ、彼女の手元を観察した。
彼女が持っているスマホ。よく見ると、時折ノイズが走り、一瞬だけ「木の葉」の輪郭が透けて見える。
やはり、高度な変化の術だ。彼女自身の妖力で「スマホという機能」を再現しているのだ。
(恐ろしい燃費の悪さだ。普通の妖怪なら5分でガス欠になるぞ……)
俺は頭を抱えた。
あれから数時間。気絶した父や長老たちは「ショックで寝込む」と言い残し、事後処理を俺に丸投げした。
結果、この災害級の式神の管理責任者は、俺一人だ。
「おい、タマモ」
「あ?」
「態度を改めろ。仮にも契約したんだ。主に対して――」
「てかさー」
俺の説教を遮り、タマモが上半身を起こす。
「腹減った。コンビニ行こ」
「……は?」
「タピオカ飲みたい。あと唐揚げ棒。この家、お供え物の乾パンしかないとかマゾなん?」
「深夜だぞ! それに俺は明日も学校が……」
「じゃ、ウチ一人で行ってくるし。財布貸して」
タマモが立ち上がり、無造作に襖を開けて廊下へ出ようとした。
その瞬間だ。
バチィィィッ!!!
「いったぁ!?」
「ぐあああっ!?」
俺とタマモの右腕に、同時に電流のような衝撃が走った。
タマモがその場にしゃがみ込み、俺も畳に突っ伏す。
腕の契約紋が、高熱を持って赤く発光している。
「な、なになに!? ACアダプタ漏電した!?」
「ち、違う……これは……『霊力パスのショート』だ……」
俺は脂汗を流しながら、痛む腕を押さえた。
「本来、式神契約は主人が上で、式神が下だ。霊力は上から下へ流れる。だが……お前の場合、式神の霊力がデカすぎて、パイプが詰まってるんだ」
ダムの水をストローで吸おうとしているようなものだ。
負荷がかかりすぎている。
「そのせいで、俺とお前が一定距離――おそらく半径5メートル以上離れると、パスが引きちぎられて激痛が走る」
「はあ!? ナニそれ、ウチら付き合いたてのカップルかよ! 重い! 設定が重い!」
「俺だって好きでこんな設定にしたわけじゃない! お前が規格外すぎるんだ!」
タマモは涙目で俺を睨みつけると、スマホをポケットに突っ込んだ。
「じゃあ付いてきてや。コンビニ」
「だ、だから俺は寝たいと……」
「痛いの嫌なんやけど? 早くしてくんない?」
タマモの背後から、ゆらりと殺気立った『尻尾』が一本だけ出現する。
俺は即座に立ち上がった。
「……着替える。あと、その格好じゃ目立ちすぎる」
深夜2時の住宅街。
俺は歩きながら、手早く印を結んだ。
「急々如律令――『認識阻害』」
薄い霧のような結界が、俺とタマモを包み込む。
これで通行人からは「ただの地味な通行人」に見えるはずだ。タマモの派手な金髪も、多少は目立たなくなる。
「うわ、なにこれ地味。フィルターかかったみたい」
「お前のその格好で深夜徘徊したら、即補導されるんだよ。陰陽師は目立たないのが鉄則だ」
「陰キャの処世術すごーい」
タマモは解放感に浸りながら、夜道をスキップしている。
俺は彼女から5メートル以上離れないよう、付かず離れずの距離を保つ。
情けない。大妖怪の飼い主というより、ただの散歩の付き添いだ。
コンビニに入ると、タマモは水を得た魚のように棚を荒らし始めた。
「うわ、新作のグミ出てる! これマジ美味いんやでー」
「おい、カゴに入れすぎだ。俺の所持金には限度が……」
「あ、ホットスナックもいっとく? 唐揚げ棒2本ね」
俺の小言は完全に無視された。
レジに向かおうとした、その時だ。
ゾワリ。
雑誌コーナーの隅から、粘着質な気配を感じた。
(……浮遊霊か)
深夜のコンビニは、霊が集まりやすい。蛍光灯の光と、人間の欲望が渦巻く場所だからだ。
雑誌棚の影に、スーツ姿の中年男性の霊がへばりついている。
目つきが虚ろで、立ち読みする女性客の背中をジロジロと見ている。窃視の執着が霊体化した「低級霊」だ。
「……おい、タマモ。後ろだ」
俺は小声で警告し、懐から除霊用の呪符を取り出そうとした。
低級とはいえ、放置すれば客に憑依する可能性がある。ここは俺が手早く処理を――。
「ん? 何?」
タマモが振り返る。
そこには、口を半開きにして涎を垂らす、醜悪な霊の顔があった。
「あー……」
タマモは、悲鳴を上げることもなく、ポテチの袋を持ったまま言った。
「キモ。なに見てんの?」
彼女はスマホを取り出すと、インカメラを起動した。
そして、あろうことか霊を背後にフレームインさせ、ピースサインを作る。
「はいチーズ☆」
カシャッ!!
強烈なフラッシュが店内で焚かれた。
その瞬間。
『ギャアアアアッ! 眩シイッ! 浄化サレルゥゥッ!』
霊が断末魔を上げ、光の粒子となって霧散した。
一瞬だった。呪文も、印も結んでいない。ただ写真を撮っただけだ。
「は……?」
俺は呆気にとられた。
今、何が起きた?
ただのスマホのフラッシュで除霊できるわけがない。なら、今の現象は――。
(……まさか、カメラのレンズを『鏡』に見立てたのか?)
俺の脳内で、陰陽道の理屈が組み上がる。
古来より、鏡は魔を退ける神具だ。
そしてフラッシュの強烈な光は、陰の気を払う「太陽光(陽の気)」の模倣。
さらに、彼女が使った画像加工アプリの「美白・修正機能」が、現実改変の術式として作用し、霊の「穢れ」ごと修正したのか!?
「あーあ、消えちゃった。インスタのストーリーに上げたかったのにー」
「お前……今の、計算してやったのか?」
「え? 陰キャな霊ってさ、キラキラした光とか『陽キャの波動』に弱いっしょ? 物理で殴るより、こっちのほうが効くんやでー」
タマモは画面を確認しながらケラケラと笑った。
陽キャの波動。
そんなふざけた言葉で片付けているが、やっていることは「最新ガジェットを媒介にした、高等な即興呪術」だ。
(こいつ……現代文明を、完全に自分の術式に取り込んでやがる……!)
俺は戦慄した。
千年前の妖怪が、俺たち現代の陰陽師よりも深く、現代社会に適応している。
これが「最強」たる所以か。
「あ、箸いりませーん。直で食うんで」
店員に愛想よく答えるタマモの横顔を見ながら、俺は大きく溜め息をついた。
財布の中身は軽くなったが、少しだけ、本当に少しだけだが、頼もしいと思ってしまった自分が悔しい。
「……帰ったら、Wi-Fiの設定してやるよ」
「マジ!? 晴人、最高! 愛してる!」
調子のいい奴だ。
こうして俺たちは、唐揚げ棒の油の匂いを漂わせながら、夜道を帰った。
だが俺はまだ知らない。
明日、彼女が「学校にもついていく」と言い出した時に起きる、さらなる地獄を。




