第14話 妹が帰還したら、この家で一番「怒らせてはいけない存在」だと判明した。
土曜日の朝。
俺とタマモ、そして母・サクラコは、半壊したリビング(ブルーシート張り)で朝食をとっていた。
「NO! 納豆はもっとリズミカルに混ぜるのよハルト! NYでは700回混ぜるのがトレンドよ!」
「朝からうるさいな母さん……。腕が疲れるんだよ」
「マミー、この卵焼きケチャップかけてええ?」
「オーケー! タマモちゃんは味覚がティーンね!」
騒がしい朝だ。
だが、その喧騒は、玄関の方から響いてきた「ある音」によってピタリと止んだ。
カツ、カツ、カツ……。
瓦礫を踏みしめる、冷たく、規則正しい足音。
「……ただいま戻りました」
現れたのは、制服姿の妹・美月だった。
手にはボストンバッグ。屋敷が半壊した日から数日間、友人の家に厄介になっていたのだ。
彼女は入り口で立ち止まり、ブルーシートだらけのリビングと、昨日の母の暴走でピンクに塗られた柱、そして鎮座する派手な母親を見渡した。
「……」
無言。
美月の表情筋が完全に死んでいる。
俺は冷や汗を流しながら立ち上がった。
「お、おかえり美月。その、色々あってだな……」
「オーウ! ミヅキ~! ママよ~! 会いたかったわマイ・エンジェル!」
サクラコが空気を読まずに抱擁しようと飛び込んだ。
だが。
スッ。
美月は最小限の動きでそれを回避した。
サクラコが空を切り、ピンク色の柱に激突する。
「アウチッ!?」
「……お母さん。土足で上がらないでください。ここは日本です」
美月の声は、絶対零度だった。
あの「鉄の女」生徒会長・麗華ですら可愛く見えるほどの、完全なる拒絶と威圧感。
「ミ、ミヅキちゃん? 反抗期? ママ傷ついちゃうわよ?」
「傷ついているのはこの家の家計と、私の精神衛生です」
美月はバッグを置くと、無造作に懐から「通帳」と「電卓」を取り出し、テーブルに叩きつけた。
バンッ!!
「……説明してもらいましょうか。私が留守の間に、カードの請求額が『300万』増えているのは何故ですか?」
「ひっ」
サクラコが縮こまった。
そう、我が家の真の支配者は、家計を管理する美月なのだ。俺は稼ぐ係だが、美月はそれを配分する「財務大臣」である。
「そ、それはねミヅキ! 投資よ! 自分への投資!」
「メキシコの泥人形(50万)が投資ですか? あの呪物は即刻メルカリに出品します」
「NOォォォ! ミゲルは友達よ!」
「友達なら自分で稼いで食費を入れさせてください」
美月のマシンガン論破が止まらない。
俺とタマモは部屋の隅で正座し、震えていた。
「晴人、美月っち怖くね? ラスボスやん」
「シッ! 目を合わせるな。飛び火するぞ」
だが、甘かった。
美月の冷徹な視線が、俺たちに向けられた。
「……お兄ちゃん。タマモちゃん」
「は、はいッ!」
「うぇい!」
「『うぇい』じゃありません。……お兄ちゃん、お母さんが帰ってきたからって気が緩んでませんか? 修繕費の工面はどうなってるんですか?」
「あ、いや、クラファンとか……」
「クラファンの入金は来月末です。今月の支払いはどうするんですか? 腎臓売りますか?」
「ブラックジョークに聞こえない!」
美月はため息をつき、一枚のチラシを俺たちの前に差し出した。
「……近所の商店街で、福引大会があります」
「福引?」
「特賞は『現金10万円』と『高級松阪牛10キロ』、そして『温泉旅行券』です。……取ってきなさい」
それは提案ではなく、勅命だった。
「お母さんの無駄遣いの補填と、今夜のおかず。これを確保するまで、晩御飯抜きです」
「い、イエッサー!」
***
数十分後。商店街。
俺、タマモ、サクラコの「土御門家問題児トリオ」は、福引会場の列に並んでいた。
「ちぇー、なんで大妖怪がガラガラ回さなアカンねん」
「文句言うなタマモ。美月を怒らせたら、この家で生きていけないぞ」
「ミヅキ、昔はあんなに可愛かったのに……誰に似たのかしら」
「間違いなく母さんだよ! 気の強さが遺伝してるんだよ!」
列が進み、俺たちの番が回ってきた。
係のおっちゃんが笑顔で迎える。
「はい、いらっしゃい! 補助券5枚で一回だよ!」
「フフン、任せて。私のLA仕込みの強運を見せてあげるわ!」
サクラコが自信満々にガラガラを回す。
コロン。
――白玉。
「オーマイガーッ!! ICASよ!」
「ただの確率だ下がってろ!」
次は俺だ。陰陽師として、吉凶を占う感覚で回す!
コロン。
――白玉(ハズレ・うまい棒)。
「くそっ! 俺の運勢は大凶か!」
「情けないわねー。貸してみ、ウチがやったる」
タマモが前に出た。
彼女は袖をまくり、黄金の瞳を一瞬だけ光らせた。
(……おい、術使う気か!?)
(バレへんって。ちょっと『確率変動』させるだけや)
タマモがガラガラに手をかける。
微弱な妖力が注入され、内部の玉の配置が書き換わる。
これぞ、SSR確定演出。
「うらァッ!」
ガラガラガラッ……コロン!
出たのは――輝く金色の玉!
「カランカランカラーン! おめでとうございまーす! 特賞、松阪牛10キロでーす!!」
「しゃあ! 見たか!」
「でかしたタマモ! これで美月に許してもらえる!」
「ブラボー! 今夜はすき焼きパーティーね!」
俺たちが手を取り合って喜んだ、その時だった。
「……騒がしいですね。商店街の入り口まで声が聞こえていましたよ」
背後から、聞き覚えのある声。
振り返ると、そこには割烹着を着て、買い物かごを持った西園寺麗華が立っていた。
そしてその隣には――。
「えっ、西園寺先輩? ……と、美月?」
腕組みをした美月が立っていた。
「ゲッ、美月!?」
「なんでここに……というか、なんで会長と一緒に?」
俺が驚くと、美月は呆れたようにため息をついた。
「西園寺先輩とは図書委員会のボランティア中でした。……で、どうやら『任務』は達成したようですね?」
美月の視線が、タマモが抱えている「松阪牛の目録」に向けられる。
驚きはない。あたかも「取ってきて当然」と言わんばかりの圧力だ。
「……でかした、と言いたいところですが。お兄ちゃん、まさかイカサマしてませんよね?」
「し、してない! 純粋な運だ!」
「……まあ、いいでしょう。今夜はすき焼きですね」
美月はふっと表情を緩めた。
家に帰ってきて初めて見せる、年相応の少女の笑顔だった。
「やった! 許された!」
俺たちが安堵する中、隣の麗華がボソリと呟いた。
「……あの、私の分のお肉は……」
「あら、委員長ちゃんも食べたいの? ウェルカムよ!」
サクラコが麗華の肩を組む。
「えっ、いいんですか!?」
「ええ。その代わり、美月に内緒でママのカード限度額を上げる裏技教えてくれない?」
「それは犯罪ですお母様!!」
***
その夜。
半壊した屋敷に、すき焼きの匂いが充満していた。
俺、タマモ、サクラコ、美月、そしてなぜか当たり前のように混ざっている麗華。
5人で鍋を囲む。
「肉うめぇぇぇ!」
「もっと野菜も食べなさいタマモちゃん」
「ママ、高い肉ばっかり狙わないで」
「あら西園寺さん、いい食べっぷりね」
喧騒。
借金はある。家はない。敵もいる。
でも、不思議と「不幸」ではなかった。
美月が、ふと俺に小声で話しかけてきた。
「……お兄ちゃん」
「ん?」
「……お母さんが帰ってきて、少しだけ家が明るくなったね」
美月は少し照れくさそうに、卵を溶いていた。
「……まあな。うるさいけど」
「うん。うるさいけど」
兄妹で苦笑し合う。
この「最強の妹」がいる限り、土御門家はギリギリで崩壊せずに済みそうだ。
だが、その平穏な食卓を、テレビのニュース速報が切り裂いた。
『――緊急ニュースです。都内各地で、通信障害と共に「謎の黒い霧」が発生しており……』
全員の手が止まる。
タマモの顔から笑顔が消え、獣の目に変わる。
サクラコがサングラスをかけ直す。
「……来たわね」
すき焼きの湯気の向こうで、新たな戦いの気配が立ち昇っていた。




