第10話 「式神を譲渡せよ」と迫るイケメンは、NTRというよりM&Aの顔をしていた。
土御門家の本邸。
門をくぐった瞬間、俺は違和感に足を止めた。
「……静かすぎる」
虫の声もしない。風の音もしない。
庭に張り巡らされていた数百枚の防御結界――その全てが、破壊された形跡もなく、「機能停止」させられていた。
家政婦さんや弟子たちが、庭のあちこちで糸が切れたように眠らされている。
「全員、生きてる。……神経系を一瞬で遮断されたみたい」
タマモがスマホのライトで倒れている弟子を照らす。
いつものギャル口調だが、その瞳孔は針のように鋭く収縮していた。
「――ご名答。さすがは伝説の九尾、解析速度が速い」
月明かりの下、本邸の瓦屋根の上に一人の男が立っていた。
音もなく地面に降り立ったのは、黒いスーツに身を包んだ長身の男だった。
整った顔立ちに、銀縁の眼鏡。手にはタブレット端末。
一見するとIT企業の役員だが、その全身から立ち昇る霊気は、洗練されすぎていて異質だ。
「初めまして、土御門晴人くん。ボクの名は篝火キョウヤ。フリーランスの呪術執行官だ」
キョウヤは眼鏡の位置を直しながら、淡々と言った。
「単刀直入に言おう。ボクは今日、『買収(M&A)』の提案に来た」
「……買収、だと?」
「そうだ。経営破綻寸前の土御門家を、我がクライアントが救済する。借金の全額肩代わり、屋敷の修繕、そして妹・美月さんの海外留学を含む将来の保証。……悪くない条件だろう?」
提示された条件は、今の俺が喉から手が出るほど欲しいものばかりだった。
だが、裏がないはずがない。
「対価はなんだ」
「簡単さ。土御門家が保有する『管理権限』の譲渡。そして――」
キョウヤの視線が、タマモに向けられた。
「最大資産である特級呪物、『金毛白面九尾の狐』の所有権移転だ」
「……は?」
「君のような旧式な術者では、彼女のスペックを1%も活かせていない。ボクなら最新の術式回路を組み込み、制御可能な『戦略兵器』として最適化できる」
キョウヤはタマモを「彼女」ではなく「モノ」を見る目で査定していた。
資産価値。スペック。最適化。
その言葉の端々から、絶対的な冷徹さが滲み出ている。
「ふざけるな!」
俺は即答した。
「タマモは兵器でも資産でもない! こいつは……俺の相棒だ!」
俺の言葉に、タマモが少しだけ目を見開いた。
キョウヤは「やれやれ」と溜め息をつく。
「感情論か。非効率だな。……交渉決裂とみなす」
キョウヤがタブレットを指で弾いた。
パチンッ。
その乾いた音が、合図だった。
庭の闇の中から、無数の赤い光が起動する。
ガシャッ、ウィィン……。
現れたのは、全身に基板のような文様が刻まれた、狼型の式神たち。
「『人造式神』・タイプ4。……実力行使(TOB)で奪わせてもらうよ」
「晴人、下がってて!」
タマモが前に出る。
彼女が尾を振るうたびに、狐火が散弾銃のように放たれ、キメラたちを爆破していく。
圧倒的だ。個体の戦闘力ではタマモが遥かに上回っている。
だが、キョウヤは動じない。タブレットから目を離さず、呟く。
「攻撃パターン、記録完了。……『セキュリティホール』特定」
キョウヤが視線を上げた。
見ているのは、タマモではなく――俺だ。
「サーバー(主人)が脆弱すぎる」
キョウヤが指先を俺に向けた。
それだけで、俺の周囲の空間が歪んだ。
「――ッ!?」
俺は咄嗟に防御結界を展開しようとした。
だが、印を結ぶ指が動かない。声が出ない。
金縛り? 違う、これは――術式の乗っ取り(ハッキング)だ!
「君の防御術式は古い。穴だらけだよ」
ドンッ!!
見えないハンマーで殴られたような衝撃。
俺の身体はゴム毬のように吹き飛び、庭石に背中を強打した。
――背骨が、悲鳴を上げた。
「がはっ……!?」
「晴人ッ!?」
俺が血を吐いて崩れ落ちると同時に、タマモの動きがガクンと鈍った。
主人のダメージによる霊力供給の乱れ。
その一瞬の隙を、キメラたちは見逃さない。
数体の獣がタマモに飛びかかり、その四肢に噛み付いて電流を流し込む。
「くっ……離せ、駄犬ども!」
「無駄だよ。そのキメラは『対妖狐用』の阻害コードを帯びている」
キョウヤが、倒れた俺の元へ歩み寄る。
革靴が、俺の手を踏みつけた。グリ、と骨が軋む。
「動くな九尾。君が抵抗すれば、この脆いサーバーを破壊する」
キョウヤが俺の首筋に指を添える。
タマモが動きを止めた。
悔しそうに唇を噛み、拳を握りしめている。
「……汚いマネしやがって」
「効率的と言ってくれたまえ。さあ、契約解除の時間だ」
キョウヤは懐から、禍々しい輝きを放つ「黒い水晶」を取り出した。
強制封印具だ。あれを使われれば、タマモは俺との契約を上書きされ、彼に支配されてしまう。
「や、やめ……ろ……タマモ……逃げ……」
俺は口から泡立つ血を吐きながら、必死に絞り出した。
だが、声にならない。視界が霞む。
それでも、タマモなら――俺を見捨てれば、この程度の包囲網は突破できるはずだ。
だが、タマモは逃げなかった。
「……わかった」
彼女は抵抗をやめ、キメラたちに押さえつけられたまま、俺を見た。
いつものふざけたギャルの顔じゃない。
泣きそうな、でも決意を固めた顔だった。
「晴人に手を出さないなら……ウチがアンタの言いなりになってやる」
「タマモォォォォォッ!!」
「賢明な判断だ。資産価値を損なわずに済む」
キョウヤが満足げに黒い水晶をタマモに向けた。
俺は無力だ。
自分の弱さのせいで、大事な相棒が、モノとして扱われようとしている。
金や効率だけで、俺たちの関係を踏みにじろうとしている。
こんな理不尽があってたまるか。
俺の中で、何かが弾けた。
(……俺は、土御門の当主だ)
当主の役目とはなんだ?
家を守ることか? 被害を出さないことか?
違う。
式神と共に生き、式神と共に死ぬことだ。
俺は血の滲む唇で、禁忌の「命令」を紡ごうとした。
それを口にすれば、俺は陰陽師としての「正道」を踏み外す。
制御できない力を解き放ち、屋敷も、何もかも破壊するかもしれない。
それでも。
タマモを奪われるよりはマシだ。
「……タマモ」
俺の低い声に、タマモが反応する。
俺は、彼女の目を真っ直ぐに見た。
「聞け。……俺を守るな」
キョウヤが「あ?」と眉をひそめる。
「命ずる! 制御……解除ッ!!」
俺は絶叫した。
「この屋敷ごと、ぶっ壊せェェェェッ!!」
言った瞬間、強烈な吐き気がした。
やってしまった。一線を越えてしまった。
だが、もう止まれない。
「なにっ!?」
キョウヤが驚愕する。
人質の安全を度外視した、狂気の命令。
タマモが、目を見開いた。
一瞬、悲しげに俺を見た気がした。
「バカなご主人様」と、呆れるように。
「……りょ(了解)。……しゃーないな」
ドクンッ!!
タマモの中心から、黄金の光が爆発した。
拘束していたキメラたちが、熱波で瞬時に溶解する。
「あーあ、知らんで? ……ウチ、本気出したら『加減』とかできへんけど」
タマモの身体が光に包まれ、巨大な変化が始まる。
ギャルの皮を脱ぎ捨てた、本気の大妖怪の顕現。
それは、救世主の登場などではない。
俺たちが「世界」を敵に回す、終わりの始まりだった。




