伝説の花婿
――カリ、カリ。カリカリ。
扉の向こうから、骨が何かをひっかくような音がする。猫か? いや、違う。うちにそんなのいない。
……レンだ。
俺がそっと扉を開けると、そこには、無言で片手の指を扉に立てたまま、こちらをじっと見上げるレンがいた。金色の瞳が、まっすぐに俺を見ている。
「……見てた?」
こくん、と頷く。
「全部?」
ふるふる。
背中に冷たい汗がつたう。モナがぴくっと体を固くしたのが伝わってくる。
どこから見られたかわからない分、どう立ち回れば正解かわからない。
いやいっそ正直でいよう
「……やきもち?」
レンは、少しだけ首を傾げたあと、“骨の指先をそっと自分の胸に当てて”、問い返すように目を細めた。
ああもう、これはやばいやつだ。
「色々考えてるところ悪いけど、ノックのつもりだと思うよ」
今ばかりは、セラが救世主に見える。
「浮気者には違いないけどね」
やはりダメだ、こいつは埋めよう。
「で、どうするんだい?」
「どうするとは」
「呆れたな、人だって生まれてから伸ばしてた髪を切るのは大事なんだぞ」
「確か14歳で一度切るんだけか」
「そういう風習もあるが、獣人のそれは違うぞ」
「負けたケジメだろ」
「違う!!君はそんなんだから、勘違い女子を量産するのだよ」
「身に覚えがない」
「私を筆頭に、ルナもレンもだ。今まさにモナまで」
ルナは首を振っている。適当だな。
自分を頭数に入れて俺の罪悪感を増やそうとするとは、とんでもないやつだ。
レンは、何か書いてるな。
【セトはハーレム作る】
「おい セラ」
「呼び捨てとは私を娶る気になったかい」
「だまらっしゃい。何を教えてるんですか?」
「事実だろ。獣人の立て髪切っておいて、結婚しないとは言語道断」
「ん?」
「さては、本気で知らないな?」
セラが腕を組み、顎を突き出してくる。
レンはまだ金色の瞳で俺を見てるし、ルナは後ろで肩をすくめてる。……モナだけが、もじもじと視線を泳がせていた。
「俺がモナと、けっ……こん……?」
言いながら、声が小さくなる。
モナが急に立ち上がって、
「違う! ちがっ……そういうのじゃ、ないもん!」
と声を上げた。尻尾がばしばしと揺れている。
「ち、ちがうよ!? 髪を切ったのは……負けたからで、
でも……でも、私が、勝手にあげただけで……!だから……」
……ああ、ダメだ。これは決定打だ。完全に婚姻フラグだ。
切るまではまだセーフ?だが抱きしめてしまった。
「獣人の“立て髪”は、家の誇りそのものだ。まして、あの銀髪……一族の象徴でもある。それを人間に“切らせた”ということはな」
セラが、ちょっとだけ真面目な顔になる。
「――正式に求婚を受け入れたのと、同義だよ。熱い抱擁で返事までしてる」
……誰か教えてくれよ、そういうの。
「でも、本人は否定してるぞ」
「乙女心は否定と肯定のあいだにあるものさ」
「いいから一回黙っててくれ」
モナは、耳を真っ赤にしてうずくまっている。レンは紙に何か書いている。ルナがそれを覗き込み、「あーあ」と言った。
俺も覗き込む。
【セト 二人とも愛せば浮気じゃない】
とんでもないこと言ってやがる。
もうだめだ、逃げ道がねぇ。
セラが軽口で締めくくろうとする。だが、レンがまた紙を見せてきた。
【セト ハーレム作る】
「もおぉう。セラが余計な言葉を教えたから」
「自業自得だろ」
静かな空気が流れる。
「俺は……」思わず口を開いたが、言葉が出てこない。
それを遮るように、レンがそっとモナの手を取った。ルナも小さく頷く。
セラがぽんと俺の肩を叩いた。逃げ場などなかった。
「……覚悟を決めな。優しさってのは、時に残酷なんだぜ?伝説の花婿さん」
さて、今回のエピソードで大切なことが一つありましたね。
はい、テストに出ますよ。
髪を切る+抱きしめる=伝説の花婿
この数式、覚えておいてください。