第1話 森の主
風による木々のざわめき。川の流れ。鳥のさえずり。
森からは様々な音が聴こえる。
木々の間に日の光が差しこむと不思議と暖かい雰囲気に包まれる。
そんな森の中に、1人の少年が佇んでいる。
「あれ、ここは……」
気が付くと、僕は全く知らない場所にいた。
今までの記憶が思い出せない。どうしてここにいるのだろう。
周りに人の気配は感じない。
ただ、見覚えのあるような植物や小動物たちが存在するだけ。
「どうしよう……」
何をどうすれば良いのかわからない。
頭が働かず、ボーっと立ち尽くしていると
「ここで何をしている」
警戒と威嚇の意を含んだ声が聞こえた。
振り向くとそこには、大きな角を持つ雄鹿のような何かが居た。
凄まじいオーラと威厳を感じる風貌であった。
「あの……えっと……気づいたらここにいて……」
僕は身の危険を感じながらも自分の現状を説明した。
彼は黙ったまま話を聞いてくれた。
「記憶がないのか。人間、お前……名は?」
しばらく沈黙が続いた。
今気づいたのだが、目の前にいる存在と話が通じている。
恐怖に慄きつつも、さっきの質問に答えた。
「わからない……です」
僕は名前も答えられない自分自身の愚かさに肩をすくめた。
僕が落ち込んでいる様子を見て、彼はため息をつきつつ、どう対処するか悩んでいるようだった。
「ついて来い」
考え込んだ後、そう言って歩き始めた。
しばらくの間、お互い無言で歩き続けた。
時間が経つにつれ、緊張感が高まっていった。
一体どこに連れていかれるのだろう。
彼が歩くのをやめた。そこには壊れた城のようなものがあった。
さらには何だか神聖な空気感を感じた。
おそらく神殿があったのだろう。
建物自体は崩壊していおり、ツタやコケなど緑に包まれている。
だが荘厳な雰囲気は今もなお健在している。
「そこにいろ」
彼はそう言うと僕を1人にした。
言われた通りに待っていると、小さな光が飛んできた。
「うわあ! 人間がいるぞ! 子供だ! 子供がいる!」
複数の光は僕の周囲を飛び回った。
よく見ると透き通った綺麗な羽がついている。
「妖精……?」
緑色系統の光の正体は森の妖精だった。
僕には見えていないと思ったのか、変顔をしたり挑発をしたりしている。
「あれえ? 僕たちが見えるの? 人間のくせに」
何やら不服そうな様子だ。
普通の人間は見えないのだろうか。
こんなにも愛らしい姿を。
「人間、妖精たちが見えるのか?」
彼が丁度戻ってきたようだ。
妖精が見えることにとても驚いている様子だった。
「妖精ってこの可愛い子たちのことですよね? 普通は見えないものなんですか?」
妖精たちは彼の近くに行き、また元気に飛び回った。
雄鹿のような動物と妖精が戯れている様子にとても癒された。
すごく可愛い。ほのぼのする。
「わあ! 変な人間! 僕たちのこと可愛いって!」
妖精たちは、不服そうな態度が一転して嬉しそうにしている。
「ええ! 僕は格好良いって言われたい~」
まるで小さな子供のように彼の周りではしゃいでいた。
あまりのはしゃぎっぷりに、彼が困惑しているのがよくわかった。
すると倒壊している神殿の奥からとても綺麗な女性が出てきた。
「ふふ、面白い人間ですね」
今度はその女性の周りを妖精たちが飛び回り始めた。
または彼女は雄鹿のような何かを撫でながら、こっちを見つめた。
「は、はじめまして……あの、あなたは……?」
極度の緊張と、美しさに見とれていたために声がうわずった。
「おい人間! 失礼だぞ!」
彼が思いきり唸った。
何か気に入らない態度をとってしまったらしい。
「良いのです。落ち着きなさい、シェーン」
女性は彼を、シェーンをなだめた。
それからゆっくりと話し始めた。
「私はこの森の精霊です。名を、アンナと申します」
優しく落ち着いた雰囲気で、声を聞くだけで心が安らいだ。
すると横からシェーンが再び威圧してきた。
「このお方はただの精霊ではない。この森を治めておられる精霊女王のアンナ様だ。言動に気を付けろ」
まるで大切な人を護る騎士のようだ。
その姿は獰猛なようで、勇ましくもあった。
素直に格好良いと思った。
「シェーン」
アンナ様は強い口調で名を呼んだ。
彼はふてくされたようにそっぽを向いた。
「ごめんなさい。この子は少し意地っ張りなところがあって……」
彼女は呆れたように笑い、話を再開した。
「この子はケルヌンノス。この森に棲む動物たちの王です。名前はシェーン」
ケルヌンノスってケルト神話の……?
あれ……ケルト神話ってなんだ……?
「あなたの名は……わからないのでしたね。今までの記憶も無いのだとか」
悲しそうな顔をして見つめられた。
正直、何も覚えていないので名前がわからなくても、マイナスな感情になることは無かった。
だから別に平気だ。多分。
「良ければ私が名を授けましょう。名前が無いと不便ですものね」
驚いた。なんと精霊様が僕に名前を付けてくれるらしい。
貰えるなら有難く頂戴しようと、そう思ったとき、シェーンが叫んだ。
「アンナ様! 人間に名を授けるなど……! それは加護を与えるのと同じことです!」
何やら怒りをあらわにしている。
加護ってラノベとかゲームとかにある……?
うん? ラノベ……ゲーム……?
「わかっていますよ、シェーン。良いのです。妖精たちが見えるこの子ならきっと大丈夫です」
何か複雑な事情があるのだろうか。
アンナ様は落ち着いた様子でシェーンに説得を試みている。
「しかし! くそっ……人間! 有難く受け取れ!」
納得はしていないだろうが、怒りを必死に抑えながら、名付けについて了承してくれた。
「もう、厳しいんだから……」
アンナ様がシェーンに背を向けてこちらに近づいて来る。
少しプリプリしている様子が可愛い。これって失礼に値するのかな。
なんて考えていると、あっという間に僕の正面に。
そして僕の頭に手を置いた。
「それではあなたに名を授けます。あなたの名は、ルーク。これからはルークと名乗りなさい」
暖かい光に包まれる感覚がする。自分自身からみどりの光が放たれた。
どこか懐かしい匂いに包まれた気がした。
そして僕に名前が付いた。
僕の名は、ルーク。
「ルーク、この森は子供が1人で過ごすにはあまりにも危険です。ですので、シェーン。あなたがルークと一緒に過ごしなさい」
この森、危険なんだ……。
忘れていた緊張感が再び走る。
「はい、アンナ様――はい!? 私がこの人間とですか?」
シェーンは驚きのあまり飛び跳ねていた。
目玉が飛び出そうなほど目を見開いている。
「そうです。それからルークです。よろしく頼みますよ」
笑顔の威圧。綺麗な顔立ちだからこそ、かなり強い。
さすがのシェーンもアンナ様には歯向かうことはできないようだ。
「ええ……そんな……」
シェーンが沈んでいるのをよそに、僕に挨拶をして神殿の奥へと帰っていった。
妖精たちもシェーンをからかいながら、アンナ様のところへ向かった。
しばらく考え込んでいたシェーンだったが、意を決したように
「はあ……おいルーク、行くぞ。ついて来い」
シェーンの後ろについていくのは2回目だったが、明らかに1回目のときより元気が無かった。
そんなに僕といるの嫌なのかな……。
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