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ヘカッテと旅の透明人間  作者: ねこじゃ・じぇねこ


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2.旅の透明人間

 ヘカッテがちゃんと魔法を練習する気になったのは、迷宮をさまよう怪物の話を聞いたからです。

 というのも、ヘカッテのお家はこの天然の迷宮のはずれにあり、図書館に行くにも近くの町に行くにも迷宮を通らなくてはならないからです。

 それに、迷宮を探索する必要もありました。迷宮のあちらこちらにある月のつららという鍾乳石のような結晶から、月のしずくという神秘的な力を持つ水を毎日採取しなくてはならないからです。

 この月のしずくは、ヘカッテの魔力の源でもありました。それに、歌うお花メンテが綺麗に咲くための大事な栄養でもあったので、こればかりはサボるわけにはいかなかったのです。そして、毎日のその小さな冒険を阻むのが、迷宮をさまようありとあらゆる怪物たちでした。


 教科書の魔法も、図書館の本による知識も、全て覚えてしまったヘカッテでしたが、ひょっとすると怪物たちには、もっともっと秘密があるかもしれない。

 そう思うと急に怖くなりました。何故なら、どんなに偉大な魔法使いであっても、恐ろしい怪物との戦いに敗れてこの世を去ってしまうことがあるからです。

 知らない事がいざ目の前で起きたとき、身を守ってくれるのは魔法です。だからこそ、練習が必要なんだとヘカッテは理解していたのです。


 さて、そんなヘカッテですが、うんと気のすむまで魔法の練習をしてから、今日も月のしずくを求めて迷宮へと歩みだしました。鳥かごに入ったメンテの淡い光をランタン代わりにして、カロンのふわふわの手を繋ぎ、大きなリュックを背負って、月のしずくのとれそうなつららを探してさまよいました。

 大きなリュックに入っているのは小瓶です。しずくを貯めておく綺麗なその小瓶が揺れて、ヘカッテが歩むたびにリュックの中で小さく音を鳴らしています。そして、その音に慣れてしまうよりも先に、月のつららはヘカッテたちの前に現れるのでした。


 いつもと同じように月のつららに近づくと、ヘカッテはさっそくぽたりと落ちるしずくを小瓶の中に受け取りました。

 けれど、これで終わりではありません。一日のうち、一つのつららから採れるしずくの量は決まっています。ある程度、しずくを誰かに取られてしまうと、つららの光が弱まり、しずくが落ちなくなってしまうせいです。だから、後から来る人の為にも、ヘカッテはいくつかのつららを巡ることにしていたのです。

 そうして、三つか、四つほど月のつららを巡った時の事でした。あと少しで小瓶がいっぱいになるという頃合い、やっとたどり着いた次なる月のつららの根元に、旅人の格好をした人物が一人、寄り掛かっているのを見つけました。

 ヘカッテはびっくりして近づいて行きました。そして、その顔をまじまじと見ようとして、さらにびっくりしてしまいました。なんとその人物には顔がなかったのです。顔どころか首もありません。首から下も空洞です。けれど、帽子も、コートも、衣服も、手袋も、靴下も、靴も、誰かが身に付けているようだったのです。


「……透明人間?」


 ヘカッテがぼんやりと呟くと、その人物の帽子が揺れました。どうやら顔を上げたようです。恐らく目があるだろう場所がヘカッテの方に向くと、声が聞こえてきました。


「おや……すみませんね。いま退きますので」


 そう言って旅人風の透明人間は立ち上がりました。声の調子とその背丈から、恐らく男性であるということは分かりました。けれど、どんな顔をしているのかまでは分かりません。幸いなことに、危害を加えてくるような様子は全くありませんでした。乱暴な人ではないようです。それに、事情も抱えているようでした。


「よいしょ、よいしょ」


 声をだしながら歩む彼は、足を引きずっているようでした。ケガをしてしまったのでしょうか。その状態は全く分からないものの、ヘカッテは彼にたずねました。


「ねえ、お兄さんも月のつららに用があったんじゃないの?」


 すると、彼は真っ直ぐヘカッテを見つめました。帽子が軽く揺れます。どうやら頷いているようでした。


「怪物から逃げている途中で怪我をしてしまってね。けれど、コップをなくしてしまって困っていたんだ。素手ですくってみたのですが、どうやら口に含む前に輝きをなくしてしまうらしい。直接口に含めないとダメみたいなんです」

「だったら……」


 と、ヘカッテはリュックから少し大きなコップを取り出しました。いつもはカロンが使っているコップです。


「このコップを貸してあげる」


 その言葉にカロンは頭をかきました。けれど、文句は言いません。なぜなら、そのコップもまた本来はヘカッテのものだったからです。

 ヘカッテは透明人間にコップを差し出しました。透明人間は手袋をはめた手でそれを受け取ると、コップをまじまじと見つめました。どんな表情をしているのかは分かりませんが、どうやら喜んでいるようでした。


「ありがたいです。では、さっそく」


 コップで月のしずくを受け止めると、透明人間はすぐにそれを飲んでしまいました。すると、光り輝く月のしずくが透明な体を通って下へと流れていくのが見えました。そして、服で隠れたお腹のあたりでピカッと光ったかと思うと、すぐに消えてしまいました。


「どうだった?」


 ヘカッテがたずねると、透明人間は小さく息をついてから答えました。


「生き返ったようです。あなたに本当に出会えてよかった」


 ホッとした様子の彼に、ヘカッテもまたホッとしました。そこへ、ずっとおとなしくしていたカロンが、そっとたずねました。


「どこかに行く予定なのかね?」


 すると、透明人間はじっとカロンを見つめました。答える代わりにしばし、カロンを見つめ、手袋のはまった手で恐らく頭部のあたりをかいてから、苦笑交じりに言いました。


「いやあ、おどろいた。君はぬいぐるみだね。ぬいぐるみが喋るということは、お嬢さんは魔女さんなのかな」

「そうよ。ヘカッテっていうの」

「私はカロンだ。鳥かごの中で光っているお花はメンテという」


 渋い声でカロンが続くと、鳥かごの中のメンテも挨拶をするように竪琴のような音でポロロンと歌いました。そんな彼らの挨拶を受け、透明人間は帽子を脱ぎ、丁寧にお辞儀をしてみせました。


「はじめまして、ヘカッテ、カロン、それにメンテ。僕はラダマント。ご覧の通り、透明な体を持つ旅人です。助けてくれて本当にありがとう。行き倒れるところでした」

「いったい何に襲われたの? モノ探しの怪物かしら」


 モノ探しの怪物とは、この迷宮のあちらこちらをうろついている恐ろしい怪物のことです。

 迷宮はさまざまな生き物を迷わせます。それに、失くし物もたくさんあります。迷ってしまった人や、落としてしまったモノを探す人もまた、道に迷ってしまいます。

 そうした人達が気づいたらなってしまうのがこの怪物なのです。そして、何かを探している人の前に現れるのもこの怪物です。恐ろしいことに、怪物は人をぱくりと食べてしまうので、迷宮を歩む者ならば真っ先に警戒する相手でした。

 ですが、ラダマントは首を横に振りました。


「いや、恐らくあれは違う怪物でしたね。おそらくナナシの怪物というやつでしょう」


 ヘカッテは首を傾げました。そんな名前の怪物なんて知らなかったからです。迷宮をさまようようになってからだいぶ経ちますが、ウワサを聞いたことすらありません。だから、少々の疑いを胸に、ヘカッテは彼に訊ねたのでした。


「ラダマントさん。それってどんな怪物? ラダマントさんの国にいるの?」

「いえいえ、迷宮のあちらこちらにいる怪物ですよ。目は大きくて、ぎょろぎょろしていて、煙のような体を持っているのです。気づいたら背後に立っていて、旅をする者を襲ってしまう。ですが、月のつららの光を嫌うので、こうして避難していたのです」


 ラダマントの答えに、ヘカッテはますます不思議に思いました。そんな怪物、見たことも聞いたこともなかったからです。けれど、ラダマントが嘘をついているようにも思えませんでした。それに、だいぶ困っているらしいことも分かりました。


「太陽がのぼる時刻までには暗闇ホタルたちの国に行きたいのに困ったものです」


 生憎、その目的地の事も知りません。少なくとも図書館にあった迷宮の地図には載っていない国でした。そこで、ヘカッテは少し理解しました。きっとこのラダマントという人は、空想の世界で生きている人なのだと。

 けれど、そういう人であっても安易にからかってはいけないとヘカッテは分かっていました。それに、困っている人を助けることも、立派な魔女になる修行の一つになります。だから、ヘカッテはラダマントに言ったのでした。


「それなら、私がついて行ってあげようか。私の魔法でナナシの怪物からも守ってあげる」


 ヘカッテには自信がありました。鳥かごのメンテも、お兄さん代わりのカロンも一緒でしたし、何より、たくさん魔法が使えるようになっていたからです。だから、万が一、このラダマントというお兄さんがただ変わっている人のふりをした悪い人であったとしても大丈夫だという自信があったのです。

 そう、ヘカッテが不安に思っていることは、それだけでした。暗闇ホタルたちの国という知らない場所も、ナナシの怪物という知らない存在も、何も怖くなかったのです。これもまた、たくさん勉強をし、たくさん練習をした結果身に付いた自信によるものだったのでしょう。

 そんなヘカッテを、カロンもメンテも少し心配しました。けれど、特に異を唱える事もなく、おとなしくしていました。


 一方、ラダマントはたいへん喜びました。どうやら本当に困っていて、本当に怯えていたようです。透明人間という特殊な体を持ってはいましたが、武器も持たず、魔法も使えなかったので、怪物の事は非常に怖かったのです。


「ありがとう、小さな魔女さん。とても助かります」


 手袋のはまった手で何度も何度も握手をして、ラダマントは言いました。


「では、さっそく行きましょう。暗闇ホタルの国はこちらです」


 そう言って、ラダマントが指し示す道は、ヘカッテがよく知る迷宮の道でした。端々に設置された鏡が外からの月の光を反射しあい、結晶を輝かせています。その先を歩いてたどり着く町やお店、お家や施設なんかも、ヘカッテはよく知っていました。暗闇ホタルの国は近くにはないということも知っていました。ですが、何も言わずに、ヘカッテは足をひきずりながら先を歩くラダマントについて行ったのでした。

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