2.逃げ出した先。田舎町レーム
◇◇◇
「いらっしゃい、いらっしゃい」
「レーム名物、酔いどれ狸饅頭だよー」
「はは、それ言ってるのお前だけだろ!」
「まあ美味いのは確かだ。二つくれ」
「まいど!」
リクティア王国、田舎町レーム。
俺は今、王都から離れた土地で暮らしている。
魔物襲撃もなく、魔物も弱い地域だ。
あれから4年が経過し、14歳になった俺は性根逞しく生きていた。
髪の毛を深く覆う赤のバンダナタオル、大きな瓶底メガネは割とよく似合ってると思う。
無事全て完売した。
商品が入っていたケースを片付け、店に向かう。
売上金の確認をして、腰のポーチにしまう。
あの男は俺を探す事をやめてくれただろうか。
いい加減、放っておいて欲しい。
脳内である場面が再生される。
マリアそっくりの、紫がかった銀髪と、紫目。
虚ろな顔で王太子に寄り添う「マリア」と呼ばれた女。
よく似てるけど、断言する。
あれはマリアじゃない。
俺だ。
この世界の俺が、アーノルド・リクティアと共に国家転覆を図る悪女。
マリア・エドワルドだとはいえ。
俺はレームの大通りをゆっくりと歩く。
王太子は死んだマリアの代わりに、ノエル(俺)をマリアにした。
あの男の側にいるのは嫌だ。
マリアの名を汚すのも嫌だ。
男の俺が、傾国の悪女だなんてのもごめんだ。
あいつは俺を通してマリアを見ているだけだ。
マリアの死を認めようとしない、弱い男。
「…」
いや、そいつの言いなりになる俺は更に弱いのか…。
落ち込みかけるが、何とかもちこたえる。
ゲームの内容を変えてしまう事にはなるけど、悪女マリアがいないって事は、この世界にとって良い事だろう。
だから、俺は平民としてやってくぞ。
あれから背は伸び、筋肉もついてきた。
例え今見つかったとしてもマリアにするとか、そんな気は起こらないだろう。
「いって!」
「よ。相変わらずヒョロヒョロだな」
通りすがりのオッサンにケツを叩かれた。
そういうの、もうダメなんだぞ。
昭和から発売されてるロングセラータイトルのパクリ乙ゲーだからか?
「くっそ…」
腹立たしいが、いちいち相手にしてたらキリがない。
とにかく。
警戒はまだ続けた方が良いだろう。
ようやくレームに慣れてきたのに、また違う場所なんてごめんだ。
と言うか、いつまでこんな生活を送ればいいんだろう。
思わず乾いた笑みが浮かんだ。
「戻りましたー」
古びた酒場に入る。
「お疲れ。帰ったばかりで悪いけど、手伝ってくれない?」
「はい!」
荷物を戻して手を洗い、少し身支度する。
ここ、「酔いどれ狸亭」は気の良い主人と女将で営まれている酒場だ。
2ヶ月前、間違ってレーム行きの馬車に乗った時は焦った。
でも存外良い土地だし、素性の知らない俺を、この夫婦は雇ってくれた。
今はスラム近くの屋根裏の部屋だって借りれてる。夢のようだ。
だからできる事は何でも手伝って、少しでも恩を返したい。
毎日深夜近くまで働き家に帰る。
少し寝て、明日も早くから仕事だ。
大変だけど、周りもそんなもんだ。
疲れるけど穏やかな日々。
幸せだ。
深夜。
どこからか怒声が聞こえてくる。
仕事を終えての帰宅中は、少しだけ憂鬱だ。
この辺家賃は安いけど治安が良くないんだよな。
雑多な建物。
貧困層の住人が密集して住んでいて、町並みはお世辞にもキレイとは言えない。
ゴミや騒音は四方八方だが、所々異臭もする。
…レームの町ってこんなに汚かったっけ?
ゲームでは貴族も住んでたし、治安も悪くなかったはず。
それに周りの環境だって魔物は弱めだし、俺でも何とか怯ませる事ができる。
街並みは全体的に薄汚れているし、
町のマップもかなり違う。
…まあドット絵とリアルの差、みたいなものか?
魔物が弱いのはありがたいから良いけど。
ふぅ、と息を吐き、再び歩き出す。
『……!』
一瞬だけ、子供の小さな悲鳴が聞こえた。
ばっと声がした方へ振り向く。
気のせい?
いや、気のせいじゃない。
まさか…酔っ払いが子供に手を出してる?
「どうしよう…」
大方面倒事だろうし、無視した方が良い。
でも、怒声も微かに聞こえてくるし気になる。
「お前は!本当に!役立たずだな!」
好奇心に抗えず、俺は現場を遠巻きに眺める。
冒険者だか、傭兵上がりっぽい大男が子供を蹴っていた。
まるで死んだような目をしている子供は、生きているようだが、抵抗せず蹴られるままだった。
周りの大人達も酒を飲みながら捲し立てたり、見て見ぬ振りだ。
…どうして誰も止めないんだ?
異常な光景に思わず歩みを進めると、近くの男が引き止める。
「坊主、やめな。あいつはカタギじゃない。逆恨みでもされたら面倒だぞ」
「でも」
大男は酒を飲みながら子供を蹴り付け、気が済んだのか、終いに千鳥足でその場を去っていった。
少し静けさを取り戻した夜のスラム。
路上で飲んだり、寝たりする大人はあちこちにいるのだが、残された子供に手を貸す者は誰もいない。
「あの子もこの辺じゃ有名な悪ガキだ。自業自得でもあるんじゃ、ほっておきなさい」
歯のかけたスラムの老人は去っていく。
「…」
人気が減ってきても、動かないあの子が気になって、俺は遠くからずっと様子を見ていた。
あの死んだような目に見覚えがある。
昔の俺だ。
社畜だった頃の、じゃない。
貴族だった頃だ。
魔力の才能がないって、だんだん周囲もわかってきたときかな。
親の興味がひいていったのが手に取るようにわかった。
無能感。
絶望感。
孤独感。
あの子はまだ、4、5歳位だろうか。
…不憫だなあ。
弱い者が死ぬなんて、この世界じゃ日常茶飯事だ。
珍しい事じゃない。
ここに来るまでの生活を思い出す。
寒さや空腹、魔物に怯え眠れない夜を過ごした。
人や魔物から逃げ回ったり、ノエルと俺の知識がなければヤバかった事は何度もある。
死にかけた事もある。
今生きてる事だって奇跡のようなものだ。
この先どうなるかもわからない。
生活はギリギリで、働けなくなったら終わりだろう。
他人に同情してる余裕、俺にはないんだ。
「…」
他人の家の軒先で、木箱の上で頬杖ついてた俺は眉間に眉を寄せた。
周りに人がいない事を確認し、近づく。
側で見るとボロ雑巾みたいだ。
「…なあ、死んでんのか」
「なんか言えよ」
汚くて、触りたくないので声だけかけた。
返事がなかったら帰ろう。
腫れ上がった頬。
乾燥して水っけのない唇が微かに動いた。
「ころして」
「…」