1.異世界転生に気付く
「いてて…」
全身に軽い痛みを堪えてベッドから起き上がると、鏡の前にはボサボサの銀髪、紫目の麗しい男児がそこにいた。
誰だこいつ…!?めちゃくちゃビビるが、頭の中に色々と記憶が蘇ってくる。
「あっ…!」
崖から転落した馬車に同乗していたのに、生きている。
そうだ。マリアが庇ってくれたから。
最後の光景は、身を挺して俺を抱きしめる彼女の姿。
廊下に続く扉をそっと開けて、見渡すと黒衣の人ばかり。
そうだ…。今日はマリアの葬式。
王太子の側妃に内定していた姉の死に、屋敷中が暗い空気に包まれていた。
着替えて屋敷内を歩く。
ヒソヒソと囁く周りの目が冷たい。
「逆だったら良かったのに」と陰口が聞こえる。
…何だこいつら。
ノエルだってケガしてんだぞ。
言っていいことと、悪い事があるだろ。
キッと睨み返すと、使用人達が驚いた表情になって余計ヒソヒソ話をするのが不快だ。
ぱん!
部屋に入ると、俺とよく似た顔の母から勢いよく頬を叩かれた。
「何故マリアを助けなかったの!?あなたが死ねば良かったのに!」
「…!」
俺は呆然とした。
「まったく、その通りだ」
「本当に役立たず…」
父と、父に似た兄が睨んでいる。
「……」
いたたまれない雰囲気の中、俺は頭を一度下げる。
「姉さん」
棺の中で横たわるマリアの姿は死してなお美しかった。
血の気のなくなった頬に指先を這わすと、自然涙がこぼれ落ちる。
何故僕を生かしたのですか、あなたが助かるべきだったのに。と悲しい気持ちになった。
背後が慌ただしくなる気配を感じる。
「王太子様の到着だ、下がりなさい」
厳しい口調の父に、顔を上げるとアーノルド•リクティア王太子が従者を引き連れてやってきた。
青年の整った顔は暗く、泣き腫らした目は充血していた。
マリアの棺の前で、男は力無く項垂れる。
「マリア…!そんな…!」
王太子はボロボロと涙を溢した。
周囲の者もつられて泣いている。
父と母もだ。
マリアはエドワルド伯爵家の希望だった。
身分差がありながらも王太子から見初められ、側妃に内定した。
美しく優しいマリアは皆から好かれていた。
僕(俺)も大好きだった。
…しかし、何故俺はノエルになってるんだ?
頭痛がする。
退室したいが、王太子がいる手前、迂闊に下がれない。
王太子がマリアの体を棺から抱き起こし、周囲がざわつく。
死んだマリアの胸元に顔を埋め、しばらく泣いていた王太子が顔をゆっくりと上げた。
「私は信じない…ぞ」
怖い顔で口元を引き結んでいた王太子が横にいた俺に気がついた。
凝視されてしまい、非常に居心地が悪い。
思わず目をふいっと逸らす。
「マリア…?」
どこか焦点の合わない王太子はマリアの亡骸から手を離す。
遺体はそのまま棺に吸い込まれていく。
「マリアっ!!」
立ち上がった王太子が俺に抱きついてきた。
周りの大人達の空気がいっそうざわつく。
「は?え、あの」
「マリアは死んでいなかった!」
うわあああ!とかマリアああ!とか耳元で叫ばれるし、力が強くて痛い!と言うか怖い!
「やめて、離して…」
「王子!」
「お気を確かに!」
従者によって引き戻された王太子は「嫌だ!やめろー!」と叫びながら去っていった。
大の男にしがみつかれボロボロになった俺は、王太子の狂気じみた目を思い出し身震いがする。
無言のまま部屋に戻り、身なりを整えていると、扉が開いた。
嬉々とした父の顔。
様子が変だ。
父は俺の前でそんな顔はしない。
「ノエル、喜べ」
「…は?」
「王太子様の従者見習いとして王都に行くのだ」
「そんな、僕はまだ10歳です。学院入学も控えています…あ…」
口答えが気に食わなかったのだろう。
父の顔が鬼の形相になる。
グッと襟首を掴まえられた。
「王太子様直々のご命令だぞ!立場を弁えろ!」
そのまま屋敷から外へ引き摺り出される。
せっかく整えた身なりがまたぐちゃぐちゃになった。
王家の紋が入った馬車の前では王太子が和かな表情で立っていた。
先程まで取り乱していた人物とは思えないほど落ち着いている。
「先ほどは、すまなかった」
王太子は俺の前に立つ。
見上げると、男の瞳の中に俺が写った。
「…君は本当にマリアに似ている…。ノエルと言ったね?これからよろしく」
「さあどうぞ」
王太子自ら手を引き、馬車の中へ案内される。
馬車の扉は閉まり、動き出す。
「…???」
急転すぎて頭が追いつかない。
ニコニコと笑みを浮かべ、茶菓子をすすめる王太子にたじろぎながら頭を整理する。
えっと、俺は誰?
ノエル•エドワルド…だけど、そうじゃない。
家でゲームをしてて、それから記憶がない。
気がつくとノエルで…。
いや、ずっとノエルだし…。
うーん…わけがわからん。
「フルール(王都)に行くのは初めてかな?」
「あ…いえ。学院の下見の時に、一度だけ」
「そうか。…学院はとても良い場所だが、君は私の側で教育を受けてもらう。マリアもこの春からその予定だったし、部屋も用意してある。きっと気にいると思う」
「はあ…?」
俺を見てるようで見てない目に違和感を覚える。
「…寒くないか?」
「いえ」
馬車の中は温度管理もバッチリで、快適だ。
「来なさい」
断りきれず、しぶしぶ横に座る。
王太子は優しい顔。
そしてずっと俺から目を離さない。
髪をそっと撫でられる。
「君が生きててくれて、本当に良かった」
「…!」
何故か涙が流れた。
俺とは無関係な感情が溢れてきた。
『嬉しい』と。
ああ、そうだ。
僕は誰かにそう言ってもらいたかった。
誰でも良い。
生きてる事を肯定してほしかった。
「お、王太子様…」
潤んだ視界の先に映るのは、王太子の顔。
王太子の頬が、少し色づいているのは気のせいだろうか。
「愛してる」
ギュッと体を抱き寄せられる。
瞼を閉じると様々な感情が押し寄せた。
自分の存在を認めてくれた純粋な嬉しさ。
所詮マリアの代わりなのだという虚しさ。
諦め。
悲しみ。
自罰意識。
「君が私の一番だ」
「…」
ゆっくり瞼が開く。
王太子の温もりが肌に伝わってきた。
そして同時に湧き上がる嫌悪感全開「俺」の気持ち。
霧がかった意識が少しクリアになった気がした。
「…クソ男」
「は?」
咄嗟に出た呟きが、男に聞こえてなくて良かった。
いや、聞こえたのか。
まあどちらでも良いや。
「どうかしたのか?」
雰囲気が変わった俺に、少したじろぐ王太子。
俺は観察するように彼を見た。
こいつ…アーノルドには正妃がいて、既に男児もいる。
22歳の成人男性が、初対面の10歳男児にこの距離感。
…おかしくないか?
先程まで一瞬こいつに抱いた感情は、絶対に気の迷いだ。
「…お妃様はお元気ですか?」
作り笑いを浮かべ、俺はアーノルドの体を押し戻す。
「カトリーヌか?アランの世話で大変そうだが問題ない」
「アラン…」
聞いた事がある名前だ。
アラン…。
「…?」
アラン•リクティア王子って確かゲームにいたよな…。
〜♪
脳内でゲームのオープニングソングが流れてくる。
「うっ」
何かを思い出しそうで気持ちが悪い。
「大丈夫か?止まれ!」
馬車が止まり、橋の下に向けおえおえする。
胃液ばかりで何も出なかった。
「アラン•リクティア…」
彼はゲームキャラだ。
間違いない。
彼の父親は暴虐王『アーノルド•リクティア』。
そして、傍にいた悪女の名は確か、確か…『傾国のマリア』。
王に侍りつく毒々しい表情の女。
紫がかった銀髪。紫の瞳。
マリアによく似てるが、違う。
マリアじゃない。
「…!」
ゲームのシナリオが頭に入り込んでくる。
は!?
なにこれ!?
まるで走馬灯のようだ。
心臓がバクバクする。
体から血の気が引く。
「落ち着いたか?冷えるから戻りなさい」
「ひっ」
俺は伸びてきた手をかわす。
「?」
アーノルドは少し困ったように顔を傾ける。
「…」
心臓はとてもバクバクしていた。
怖い。
優しそうな見てくれは信用できない。
俺はこの男と共に数年後、この国を潰す。
ーーこいつと王都へ!?嫌だ!!
「どうした?」
アーノルドが近づいて来る。
体は自然と後ずさる。
アーノルドは再び手を差し伸べる。
「マリア?」
「…!」
反射的に手を強く撥ね付け、体が、脳が拒絶する。
「あ」
体勢を崩してしまい、俺は背後の川へドボンした。
頭上で取り乱す声が聞こえて来るが徐々に聞こえなくなる。
俺はそのまま川下に流されて行った。