第42話
ヴィルアルは、穏やかに訊いてくれたけれど、その言葉の端には、有無をいわさない確固たる意志があった。そして、まなみもここで引き下がってしまったら、グリラスたちを助けに行けないことは痛いほどわかっていた。
まなみは唇をかみしめながら、こう答えた。
「わかりました。やります」
どきどきしながらも、まなみはヴィルアルが、泉に魔法をかけるのを見守った。彼は、古代からうけつがれてきたエルフの言葉で魔法の呪文を唱えた。すると泉の水面は、激しく揺れ出し、さざ波が起きた。水面の水はぶるぶるっと震えると、一瞬宙へとぱっと飛び散った。そして再び泉の中へと落ちていった。
「さあ、これで泉に魔法がかかった。わたしはこの泉に、まなみが恐ろしいと思ってるものを映し出すように、魔法をかけたから、君の画力と勇気は思う存分試されると思うよ。準備はいいかな?」
ヴィルアルは、まなみを落ち着かせるために、まなみの肩に手をかけた。きれいな白い手は、思ったよりもどっしりしていて、まなみの心に安心感と勇気を与えた。
「はい、大丈夫です」
「なら、泉を見てごらん」
まなみは、深呼吸を一つすると、エルフの泉の中をのぞきこんだ。泉の水は澄んでいて、清らかだったが、見ているうちに泉の底の方から黒いものが浮かび上がってきた。なんだろうと思っているうちに、それはあの銀色の毛並みのオオカミだった。オオカミは、歯をむき出しにして、今にも、まなみに飛びかかりそうな勢いだった。
『怖い……』
オオカミを前にして、またひるみそうになったまなみだったが、さらわれてしまったグリラスのことを思い出し、気持ちをぐぐっと固めると、色鉛筆を手にとり、ざっとオオカミの体を描き出した。
ぎょろりとした黄色の目、ぴんととがった耳、口からむき出しの鋭い歯、それらを描きながら、まなみはぞくぞくっとした。目の前には、憎しみをこめた目で、こちらをうかがっているオオカミがいて、まなみは、色鉛筆を握りしめながらも、オオカミに襲われないように、間をとりながら、緊張した面持ちで、描いていく。オオカミは、まなみの周りをぐるぐると回りながら、少しずつ近づいてくる。それは襲いかかる瞬間を今か今かと待っているように見えた。
『でも大丈夫』
まなみは、自分が描いた強そうなこのオオカミが、絵の中から出てきて自分を守ってくれることを信じながら、最後に美しい銀色の毛並みを描きこんだ。すると絵の中のオオカミ
が、突如ぴくりと動きだし、まなみに茶目っ気たっぷりにウィンクをしてきた。まなみが、びっくりして目をしばたたいているうちに、絵の中から大きなオオカミが突然飛び出し、まなみの前に現れた。わっと思っているうちに、そのオオカミは、本物のオオカミに歯をむきだし、まなみを守るようにオオカミとまなみの間に立ちはだかった。
ガルルルッ
二匹のオオカミは威かくしあいながら、にらみ合った。いつ相手に襲いかかろうか、二匹は相手の動きをとらえながら、お互いに近づいていく。
まなみが、どきどきの緊張感の中で、色鉛筆を握りしめていると、突然本物のオオカミが、スケッチブックのオオカミに踊りかかった。二匹は大きな口を開け、がぶりとお互いの体にかみついた。スケッチブックのオオカミは痛そうに顔をゆがめたが、次の瞬間くるりとオオカミの後ろをとり、しっぽに思いきりかみついた。
キャイン
犬のような声をあげて、本物のオオカミは自分のしっぽをかばった。
そのあとも二匹のもつれるような戦いは繰り広げられ、まなみは一進一退する様子に、はらはらしながらも見守っていた。そしてスケッチブックのオオカミが、本物のオオカミの首筋をとらえるとオオカミは身動きがとれなくなり、スケッチブックのオオカミにとどめをさされると思ったのか、目をつぶってその時を待った。しかしスケッチブックのオオカミは、足をどかし、そのオオカミを逃がしてやった。オオカミは、慌てて立ち上がり、こちらを訝しげに見つめた。そして次の瞬間には、そのオオカミの姿は、煙のように消えていた。その代わり、まなみのそばには、犬のように従順そうなオオカミが一匹残っていた。まなみが、ありがとうの意味をこめて、頭をなでるとオオカミはうれしそうに一鳴きするのと同時に、あっというまに消えてしまった。
まなみはびっくりして、ヴィルアルにたずねた。
「なぜ二匹とも消えたの」
そばで様子を見ていたヴィルアルは、満足そうな笑みを浮かべながらこう答えた。
「本物は倒されると、自然と元いた場所に戻るようになってるんだ。それから描かれたオオカミも使命を果たすと元の絵に戻るようになっている」
見ると、スケッチブックの中には、さっきのオオカミが描かれていた。オオカミは得意そうな表情を浮かべていた。まなみはその絵を手でなぞったが、何も起きなかった。
「それから、一度描かれた絵は、もう本物にはならないからね」
ヴィルアルにそう告げられ、まなみは少し寂しい気持ちになった。
「えっ。じゃあ、このオオカミと、もう会えないの?」
「まあ、そういうことだね。それはそうと、まなみはうまくやったね。さあ、どんどん描いて魔法の訓練をしないと」
ヴィルアルは、さっきのオオカミみたいにウィンクを一つすると、まなみは、今は急いでいることを思い出した。




