8 僕は常識を知らない
ハーディンは時間が空いたら会いに来てくれることになった。会うたびに何か言いたそうな割に、切り出してこないから困っている。そんな状況でも会うことができれば嬉しいから、やっぱり僕は彼が好きなんだろう。
今日は月に一度の棚卸日だから、ノジョウさんが来ていた。先輩は用事があると言って急いで帰ってしまったから、お茶を飲んでほっと一息ついている。
「最近はどうだね。たまには外に遊びに出ても良いんだよ。宿舎代は天引きされているから、給料は好きに使っていい」
「ありがとうございます。まだ二回だけですが、酒場に行ってみたんです。お酒って美味しいんですね」
二回目は先輩と一緒に行った。前にいた給仕の彼は僕のことを覚えていてくれて、飲み過ぎるなよと忠告してくれた。先輩は可愛い給仕の女の子が気に入って、一生懸命アプローチしていた。
「君はいける口だったのか。仕事に支障なければ宿舎で飲んでも構わない」
ノジョウさんはそう言って、行きつけの酒屋を教えてくれた。さらさらと地図を書きながら、ほかに困っていることはないか聞いてくれる。
困ったこと……。
「ノジョウさん、愛人って何をするのが普通なんでしょう」
「突然何を言い出すんだ。陛下とうまくいっていないのか?」
驚いているはずなのに、あまり表情が変わらない。後半は声を潜めていたから、顔より声色のほうが余程表情豊かだ。
「いえ、僕が陛下としていたことと言ったら、お茶を淹れるか寝台で一緒に寝るぐらいでしたので」
表情の動きにくいノジョウさんが、あからさまに固まった。困らせるようなことを言ってしまったようだ。陛下が男性に手を出していた具体的な話に聞こえたのかもしれない。名誉回復をしなければ。
「昔は僕も女性といっても通る外見でしたが、いまはそんなこともないですし、いつまでも受け身でいてはいけないと思ったんです」
「ふーっ、陛下は為政者として本当に立派な方なんだが……。君の身分は陛下から独立して保証されている。いまさら自分を汚すようなことをしてはいけないよ。給金が足りないなら、私が個人的に相談に乗ろう」
汚すとはどういうことだろう。ハーディンが欲しいと思うことは汚らわしいことだろうか。男同志だから? 女性を好きになったら清いことなのだろうか。
僕は一般常識を知らないけれど、ノジョウさんは最低限の知識があるという前提で話をしてくるから噛み合わないことが多い。後宮のときに教えてもらって、読み書きはできるから説明が難しい……。
「お給料はじゅうぶんです。世間一般の愛人業をしている方がどんなことができるのか知りたくて」
「誰かの愛人になりたいのかね?」
なりたいのは恋人だけど、ハーディンにそう認識して貰うには長い時間がかかりそうだ。男女なら恋人になってお互いの気持ちが高まったら結婚するものだろうけど、恋人というのが結婚の準備期間みたいなものなら、男同士の恋人はありえない。やはりハーディンの愛人を目指すのが順当だろう。
「はい」
「働きたくないのか?」
「いいえ、この仕事はとても好きだから、できればずっと働きたいです」
「誰かの愛人になりたいというのは、誰かに養って欲しいということだろう」
「そう、なるんですか?」
「一般的にはそうだ」
衝撃だった。では僕は陛下の愛人ではないのだろうか。いや、役人の給料は国のお金だから、陛下から貰っているようなものだし合ってるかも。自力で役人になれたわけじゃないし。ハーディンからお金が欲しい訳じゃなくて、ハーディンが望むならちょっと貯まったぶんもあげても構わない。じゃあ、僕がハーディンを愛人にするということで良いんだろうか。
「それなら愛人にしたい人がいます」
「ゲホッ! ゲホッ!」
「大丈夫ですか」
お茶を飲んだところに話しかけてしまったから驚いたようだった。申し訳ないことをしてしまった。早く落ち着けるように、背中をさする。
落ち着いたらしいノジョウさんが、なんとも言えない顔で僕を見た。彼がこんなに表情が動いているのは珍しい。
「人と人はお金だけで繋がるものではないんだよ」
「そうですか……。でも、男性に振り向いて貰うにはどうしたら良いんでしょうか。僕はもう小さくも女性的でもないから、どうするものなのか分からなくて」
「人の心は金では買えない。君がその人物を心から想うなら、言葉にして伝え続けるしかないだろう。嫌だと言われたら諦めなさい」
ハーディンを諦める……。悲しいけれど仕方ない。何か目的があるみたいで近づいて来てくれてるけど。明らかにいまの僕に向いていない彼の意識に、どう近付いていけばいいのだろう。
陛下としていたような事をするのが愛人なら、とりあえずハーディンを部屋に招いたらいいかもしれない。




