3 成長してしまうこと
陛下は月に一回ほど通ってくるようになった。
「俺は身体の育ってない女には手を出さん。つまらんからな。でも放置するわけにもいかんから、女達のところに顔を出しているんだ。行ったらヤらん訳にいかないし、ここは休むにはちょうどいい」
「はあ……。お茶飲みますか?」
「少しはマシになったか?」
いいお茶の入れかたを知らなかったせいで、最初に出した時は酷いしかめっ面だった。でも、怒るようなことはしないで、次までに上手くなっておけと言って飲み干してくれた。
「……陛下は、どうして女性が好きなんですか?」
「柔らかくていい匂いがして気持ちいい。そもそも男は女が好きなやつがほとんどだ」
「……たしかに」
思い浮かべていたのはタリャに抱きしめられた時の感触だ。初めて女の人に抱きしめられたけれど、とても気持ちよかった。でも、それはハーディンに抱くような気持ちではなくて、母がいたらこうだったのだろうかという憧れのようなものだった。
「後宮の女に手を出すなよ? 流石に黙っていられなくなるからな」
「え?」
ぐい、と引き寄せられて、股間をきゅっと掴まれた。びっくりしすぎて心臓が止まりそうだ。服の上からだけど、そんなところを他人に触れられたことがないから。
「これを使うなって言ってる」
排泄を我慢しろというのとだろうか。それはきつい。
「えっ、毎日その、使ってます……出さないわけにいかないし」
「排泄のことじゃない」
「それ以外に使いようがあるんですか!?」
僕が驚くと、陛下も驚いてからニヤリと笑った。
「知らないのか。そうかそうか。……男は管轄外だが、お前ならなんとかなるかもしれないな。ルート、ここがおかしくなったら、女官ではなく俺に相談するんだぞ。後宮には女しかいないから、男の身体がわかるのは俺だけだ」
何やら恐ろしい気がして、僕はコクコクと頷いた。たしかにここには陛下しか男性がいない。これは男性にしかついていないから、陛下に聞くしかない。
「あとは……そうだな、俺以外とは話さないほうがいいだろう。男は大人になると声が大きく変わる。わかるな?」
「はい。前兆のようなものは、あるのでしょうか」
「風邪を引いて喉が痛くなった時のように声が枯れる。それから声が低くなるから、病気を疑っても変調が喉だけなら気にしなくていい」
親身になって様々な心得を教えてくれるのが有難い。何故かと尋ねたら、僕が母に似ているからだと教えてくれた。陛下は、母が好きだったそうだ。
この国、ナスアキル王国は親族間の婚姻に対して厳しい決まりがあり、いとこ同士は結婚できない。母が嫁いでいくのを幸せになれと願っていたのに、若すぎる出産に耐えられず亡くなったのもショックだったと。
従姉妹の子供はギリギリ親族婚に含まれないし、僕の家の窮状も知っていたそうだ。だから、僕を保護する目的もあって後宮に入ることを受け入れてくれた。性別が違うのには驚いたと笑ってくれた。
「この部屋から見える範囲の庭はお前のものだ。動物を飼ってもいいし、好きな植物を植えてもいい。俺が来ない日は好きにしていろ。女に手だけは出すなよ?」
「女にって」
「ははは、ここもまだ大人じゃないから無理だな!」
いつも大人じゃないと言われるけれど、僕は大人との違いを知らない。揶揄われるばかりなのも悔しくて、つい言い返してしまった。
「どういうのが大人か見せてください」
「おっ!? お前相手では役に立たないから、どうするかな」
「その役に立たないというのが分かりません」
寝台に仰向けに転がる陛下に、不敬だと怒られるかもしれないと思いながらのしかかった。大きな身体は、僕を払いのけようとしたら簡単だろう。
「お前が女でなくて心っ底残念だ。自分好みに育てられたに違いないのに」
「僕が子供だからですか?」
「それもあるが、虐げられていた割に素直だから」
「誰も僕を虐げてなんていません。みんな優しかったし……」
優しかった下働き仲間は好きだし、ハーディンは特別好きだった。ハーディン、今はどこで何をしているのだろう。
「……子供だと思っていたが、想う人間でもいたのか」
「想うひと……? ハーディンはそんなんじゃありません」
「ほう? そのハーディンはどんな人間だ?」
聞いてもらえるのが嬉しくて、僕は陛下にハーディンの話をし続けた。夢中で彼のいいところを話し続けていたら、陛下が僕の膝を枕に眠ってしまっていた。この方と血の繋がりがあると言われても、僕と陛下の容姿に共通点はない。この状況で男らしく成長しても困ると分かっていても、立派な体格や低い声には憧れる。
陛下は僕が母に似ているから男でも優しくしてくれるけれど、実際にバレたらどうなるのだろう。この優しい陛下に迷惑がかからないようにしなければ。
後宮に入って一年ほど経った頃、僕の喉は嗄れて治ると少し声が低くなっていた。陛下のような低音にならなかったのは都合が良いけれど残念だった。
さらに一年後には背が伸び始めた。ぎしぎしと痛む関節が辛く寝台で伏せっていたら、とうとうタリャに男だとバレてしまった。
「陛下はお通いになられていますよね……ご存じなのですか」
頷くと、大きなため息をついた。
「手に余ります。女官長に御報告させていただきます」
不安でいっぱいになりながら過ごした日の晩、予定外に陛下がやってきた。
「おお、泣きそうな顔をしているな。女官長には最初に話をしていたから大丈夫だ」
「陛下ぁ……ありがとうございます~」
「涙だけならともかく、鼻水を俺の服で拭くなよ」
ボロボロと泣きながら礼を言う僕の頭を抱き寄せて、肩を撫でてくれた。いつの間にか陛下の顔が近い。僕はずいぶん背が伸びてしまったようだ。
「大きくなった」
「うっく……ぐす……これじゃ、女性に見えませんよね……」
「俺が女だと言えば女だ。この国でいちばん偉い人間が誰だと思ってるんだ」
いい男というのはこんなものか。ただ泣いている自分がみっともない。僕は陛下に断って顔を洗いにいった。
「陛下にご恩返しがしたいです。僕にできることはありませんか?」
「ない。人材は揃っている」
だから後宮に通ってのんびりできるんだと笑われて、その通りだと項垂れた。
「お前がどうしたいか考えろ。後宮を出たいなら方法を考えてやる」
「どうしてそこまで良くして下さるんですか」
「お前の顔のおかげだ。母親に感謝するといい」
陛下は僕の頬を撫でながらいつもの笑みを見せてくれた。
後宮に入った頃はたしかに似ていただろう。だけど、二年の間に陛下と方向性は違うものの、僕も男として成長してきてしまった。いまは面影が残る程度なのではないだろうか。
翌日、タリャに大事なことは言いなさいと叱られて、初めて会話をした。僕の声を聞いて「声は出さないほうが無難ですね」と冷静な意見も聞けた。陛下が僕に言った、後宮を出ても良いという話を聞いて、そうしたほうが良いだろうということも言ってくれた。
「どんな仕事ができるだろう。家では掃除の手伝いや食料や消耗品の管理を手伝っていたんだ。だから文字も読めるし書けて助かったんだけど」
「そうですか……、ちょうどいいお仕事がないかお調べしますね」
「ありがとう」
こうして心強い味方を得て、僕の就職活動が始まった。