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Clean Room  作者: 嵯峨一紀
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第六章

   第六章


 隣の眼鏡かけた客、彼、様々な都市を渡り歩く仕事に携わっているそうで、具体的にどういう仕事かは興味無かったんで聞きませんでしたけど、それで、今回もこの街のこのガールズバーにたまたまひょっこりやって来たってだけなので、多分もう一生会う事もないでしょうし、無論、刺し殺される事も無いでしょう、「アウトレイジ」で中野英雄に刺されるたけしみたいに。「木村……」って、もし刺し殺されるようなことがあれば、そのセリフ真似して言います。 で、その眼鏡かけた客に頼まれたMJのクラシック、Man in the mirrorなんですけど、ああいうのたまに歌うと、きちんとMJが歌っていたように歌えていたかどうかを確認するためにもう一度オリジナルを聴きたくなってしまい、聴いて歌ってみました。いやあ、もう何万回も聴いて歌った曲ですけと、当然、クラシックだから全く飽きないし、最後のアドリブのタイミングも難しすぎて全くMJのタイミングに合わせられません。で、その後ついでに聞いたスムーズ・クリミナル。これも最後のアドリブのタイミング激ムズでした。で、ついでにBeat it、Bad、Billie Jeanなんかも聴いて練習しておきました。そうです。まるであのディレッタントのギルバート・オズモンドが古代の硬貨を紙に描き写すかのように、朝、お茶飲みながら、ひっそりと謎の趣味活動にいそしんでおります。一方、オズモンドとは違ってカネ目当てでカネ持った美人と結婚したりは出来ないので、不満だらけのイザベラにその謎の趣味活動中の部屋に乗り込んで来られ、どうのこうのと文句言われて大切な時間を邪魔されるようなリスクはありません。いつまでも好きなだけアルバム「スリラー」を聴き放題です。昨夜は、セリカでタカラ焼酎ハイボールと芋焼酎飲んでから、近所の外食産業フルコース、ファミレスでピザとフライドチキン、すき家で牛丼の並、後、アーモンドチョコレートを食べて寝ました。で、当然、来週は弁証法における止揚において切り捨てられたクリームルームに取って代わられたガールズバーへとサロンに赴く貴族のように赴こうかなと目論んでます。やはりクリームルームはホステスも客も大人し過ぎるっていうかね。つまり、受け、反応が弱いと当然、芸の披露のし甲斐が無い。ひっそりと、朝、お茶飲みながら激ムズなアドリブのタイミングを練習しまくった甲斐がないってことなんですよ、結局。あのガールズバーの方が店員の方が明るくて活動的で、受けもいいから、どうしても赴きたくなってしまうのと、後、例のいかがわしい思惑も。けど、ま、理想は、マーティン・スコセッシの映画でよく見るオールドスクールなナイトクラブとか、「アマデウス」でモーツァルトが行くような十八世紀のキャバレーっぽいとこみたいな、派手でキラキラしてて盛り上がってて楽しいとこ、そういうとこがいいですね。ここは人口が人口だし、田舎なのでなかなか無いんですけど、ま、今のところはそのガールズバーが最善の選択肢でしょう。後、ま、例のいかがしいあれもあれなんですけど。

 セリカでスタバ行って、白痴読んでからスーパー行って久々に缶ビール買ってしまいました。黒ラベロング缶、それセリカでグビグビ飲んで、焼酎飲んで、帰宅後、最近デュアル・モニター体制に移行したヒューレット・パッカードで最近入手成功した「レスラー」を鑑賞しました。ミッキー・ローク、試合終わってボロボロになって家、トレーラーハウスに帰ったら、家賃滞納で閉め出され入れないから、仕方なく、クルマ、ミニバンで缶ビール飲んでました。仕方なくクルマで酒飲んでる感と、よく行くストリップバーで家賃を払う代わりに女にカネ巻上げられてる感、えー、何故か全くわかんないんすけど、非常な親近感を覚えさせられます。なんでかなあ? ああいうアメリカ映画でアメリカ人がよく行く、アメリカのストリップバーみたいなとこ、あれ楽しそうだなあ。日本のスナックのホステスは基本座ってセブンスター吸ってますが、アメリカの女の人は裸になったり、踊ったり、いろいろと忙しそうですよね。あのアイドル系ガールズバーもキチンとショーを披露しているあたり若干アメリカ寄りかな。ま、でも、やっぱ、あのマリサ・トメイみたいなすごい美人が裸になったり、踊ったり、仲良くしてくれたりするのに比べれば、やっぱ、アメリカの飲み屋の方に分があるっていうかね、そりゃ、家賃滞納して閉め出されてミニバンで缶ビール飲む羽目になっても、女にカネ巻き上げられてしまいますよ、実際。でも、あそこカラオケなさそうだから、私個人としてはこっちのガールズバーの方がいいんですけど、って例のいかがわしいあれの所為でガールズバーのことばっかですよ、脳内は。これ、完全に巻き上げられるパターンですか? いや、もう、既に、相等巻き上げられ済みですので、もうそんな同じ手は何回も通用しませんけど。通用してたまるもんですかって話です。でもクルマはセリカで十分だし、パソコンもこのヒューレット・パッカードでしばらく間に合いそうなので、適切かつ厳格な限度内において適度に巻き上げらてしまいそうな気は何故かすごくします。

 車検でセリカをディーラーに預けた時、セリカに入浴道具を置き忘れてしまった為、昨晩、毎週行ってた銭湯に行けませんでしたよ。いや、ま、当然、焼酎はしっかり置き忘れなかったので、いつも通りしっかり酒飲んでから例のガールズバー行こうと思っていたんですが、直前になって、行こうという意欲がそれを行動に移すのに必要な程度に若干不足してしまい行くことが出来ませんでした。それを行動に移すのに必要な程度の意欲、これは日々少しずつ蓄積されて行く訳なのですが、当然それはそれが必要な行動を阻害する障害を乗り越えるのに必要な程度必要になる訳ですよ。その障害とは、つまり、カネが減るとか、歩くのが疲れるとか、寒いとか、眠いとか、締めのラーメンとアーモンドチョコレートを食べるまで我慢不可能な程、腹減ったとか、そういった夥しい障害を乗り越える為に、日々蓄積された意欲が必要だったんですが、それが必要な程度蓄積されていなかった、とこういう訳なんです、詳しく説明すると。詳しく説明したら、必要という単語を何故か必要以上に使い過ぎました。こんなに必要以上に必要を使ったら、国語のテストだったらこれ落第ですよ。お前、こんなに必要以上に必要使って、ふざけてんのか? コラ。って多分、あの眼鏡かけた国語の先生に言われるでしょう。基本、国語の授業全く興味無かったので、ふざけて、教科書にドラえもんとかロボコップとかをひたすら描いていましたけどね。あの頃は全く、文章とか文学に全く興味がなく、あるのはSF小説、犯罪小説程度、後は漫画と映画にしか興味ありませんでした。特にロボコップが好きで、ロボコップがマスクを外した時の絵を描くのが好きでした。ピーター・ウェラーの生身の肉体による顔面部分と後頭部のメタリックな質感が密接に融合している感じを絵に描きたいという情熱に支配されていた時もありました、国語の授業が全然面白くない時に。その所為で、その教科書に掲載されてた作品とか内容全く記憶にありません。いや、だから、当然、文学作品というのは、あの全然面白くない国語の教科書に載ってるようなのと思う訳ですよね、その時期は。けど、ヘンリー・ミラーは特にそうですけど、サリンジャーにしても、ヘルマン・ヘッセにしても、ああいうふざけた奴らがふざけた事を散々書き散らしまくってるんですよ。当然、そんなこと、つまり、文学はふざけてて、不真面目で、不謹慎で、反社会的、唯美的、享楽的、悪魔主義的、悪徳と不道徳と不信心という汚濁にまみれているというロックンロールでギャングスタな部分は教育上良くないから、子どもが読む為に善良な思想で編纂された国語の教科書においては巧妙に隠蔽されてます。そもそものショークスピアとかダンテ、ないしは、ホメロスとか、ソフォクレスあたりまで行ったとしても、あんなのは完全なヤクザ映画ですよ。復讐、怨念、遺恨、嫌悪と憎悪が引き起こす残酷な暴力、拷問、殺人、虐殺、処刑、斬首、親殺し、王殺し、子殺し、戦争、略奪。ヤクザ映画と一緒じゃないですか。高倉健が長ドスで敵を斬殺しまくるような話を上品な表紙でパッケージングして、厳粛な図書館の本棚に偉そうにズラリと並べてるだけの話なんですよ。文学ほど恐ろしいもの、あんなものはありません。それだけ恐ろしいからこそ、みんなが面白がって読み継がれていく、とまあ、こんな具合です。いやあ、よくまあそんな恐ろしいものを学校なんかで教えるもんですね。えー、で、酒飲んで、ガールズバーに行かなかったんで、家で「ウルフ・オブ・ウォールストリート」見ながらアーモンドチョコレートとレトルトカレーを食べました。そのスコセッシの映画、これ、既に五回くらい日本語字幕で見ていたんで、英語字幕で見てみました、英語学習の為。そしたら、結構分かる、知らない単語とかややこしい表現とか出て来ても、内容を暗記しているから全部想像がつく程度になってましたね。これ原作の原書読んでも、かなり英語学習として効果的かなと思い、近所の本屋で売ってたから、今読んでるヘルマン・ヘッセの「荒野の狼」の英訳本が終了したら、既に買ってあったナボコフのつまんなそうな原書はほっぽらかして、それ買って読んでみようかなと思いました。最近は紙の辞書引かなくても、パソコンの辞書ソフト検索して読めるから、随分と楽になったもんです。昔はそりゃ、分かんない奴は辞書引かないといけないけど、そんなめんどくさいことする訳ないじゃないですか、私みたいのが。だから、辞書なんか引かないですよ、原書読むときは、分かるとこだけ分かればいいって感じでしたけど。今はこんな怠け者でも英語の本、少しずつなら読めるようなテクノロジーが開発されて、非常な恩恵、これ享受しております。映画見て、カレー食って寝て、さっき起きました。で、昨晩、銭湯行けなかったから、これから、タオルだけ持って朝風呂に行ってこようかなと。昨日は家のシャワーで体は洗ったから入浴道具は必要ないので。

 車検でピカピカに洗ってもらったばっかりのセリカ、なんとその翌日ガードレールに擦ってしまいました。これアメリカ人だったら、ジーザス!って悪態つくとこですね。日本人なので無言でした。その目的地の病院に行く道が複雑かつ不可解で、全く関係ない行き止まりの私道、それも恐ろしく狭く、奇怪な無脊椎動物の触手のように陰険に捻じ曲がった角が連続し、その上まるで凶器のように邪悪なガードレールが張り巡らされた魔境級の難関に迷い込んでしまいました。しかも急激な下り勾配をバックで上に戻るのに、狭い曲がり角で切り返しを無数に繰り返した為、半クラを多用し過ぎ、その摩擦熱でクラッチ板が焦げ付いた匂いも漂う始末です。真に底無し沼に飲み込まれつつあるかのような絶望的な状況だったんですが、どうにか知恵と勇気、これフルに活用し脱出に成功しました。一歩間違ったら、ぼくのかっこいいセリカに甚大なダメージを被るところでしたが、小さいかすり傷で済み、到着した病院の駐車場で即、常備してある補修用塗料をパパッと塗ってパッと見はOKな程度に回復しました。いやあ、危ないとこでした。まさか、あんな危険な罠がまだこの地球上に存在していたとは、全く夢にも思いもませんでした。そんなとてつもない大冒険を繰り広げて到着した病院なんですが、なんでその病院に用があったかというと、これまた、それ以前に、その魔境での死闘をもはるかに上回る壮大な前章の存在がこれから解き明かされることでしょう。いえ、発端は、いつも通り、例のガールズバーへとさかのぼります。連休二日目の夜は酒も食事も抜くルール適用中だったんですが。この厳格なルールに違反してまでも飲みに行きたいという意欲、これがちょうど風船のように膨らんで破裂しそうになり、ついフラッとこう例のガールズバーに気がついたら迷い込んでましたね、不思議なもんです。で、いつも通り、ジントニック頼んでニーヨ歌って、店員に勧められたから仕方なくつまみも注文して、それ、から揚げとフレンチフライとか食いながら、ジントニック飲んで、MJ歌ったら、その店員が、実はお願いがあるんです、ってなんか父が重病で治療費が一千万必要であるかのような真剣な口調で、あたしも食べ物頼んでもいいですかって頼まれたので、ま、仕方ないから、笑顔でいいよって言ったら、ハルマキ頼んでました。で、それ一個食ってみたら素晴らしく旨くて、次来た時はこれ頼もっかなあとか思いながら、ジントニック飲んでジャスティン・ビーバー歌って、ブリットニー・スピアーズ歌ってジントニック飲んで、時間になったから、急いで残ったジントニック全部飲んで会計して、金額、ハルマキガールにいろいろ頼まれたから予想をはるかに上回ってましたね。でも、面白かったしハルマキ旨かったし、ハルマキガールも陽気な性格で若かったから、あのハルマキを食う凄まじい勢いも許すけど、当分来ないなとか思いながら、ラーメン屋行って、コンビニ行ってトルティーヤ、で、また食堂入ってカツ丼を頼み、それを食べている最中、あのジントニックが意外と強かったのか、疲れていたのかなんなのか、突然失神してしまっていたそうです。脚に熱々のカツ丼をぶちまけた状態で床に倒れ、気がつくと救急車が到着しており、救急隊に救出され、例の病院に搬送された次第です。で、医者にどうのこうの聞かれ、どうのこうの答えて、血液検査、これ完全にヤバい薬物関係、疑われていました。飲んだのはジントニックだけで、あとハルマキも食ったけど、ウルフ・オブ・ウォールストリートのディカプリオみたく《ルード》やら、《レモン》やら、コケインやら、クラックやら非合法ないかがわしいブツ、そんなもん一切やってないんで、こいつ、シロだと判明し、即釈放、タクシーで帰り、こんな夜中にお疲れ様ですと思ったのと、ただ、フラフラ遊んで、気絶しただけの自らを不甲斐無く思い、申し訳ない気持ちから、おつりは辞退しておきました。で、その病院の代金を払う為、翌朝、セリカで見事、あの恐るべきガードレールとの死闘を演じる羽目に陥った次第です。そんなこんなで、ハルマキガールに、全開の笑顔で、また来てくださーいって言われたけど、ほとぼり冷めるまで、当分は行かないかなと思ってます。いや、これ本当です。決して行きません。《当分》。

 ミレニアム・ファルコン号でデススターに突入したランド・カルリジアンのようにセリカで私道に突入し、ベレッタM92FS及びヘッケラー&コッホMP5でテロリストを全員殺した後のジョン・マクレーンのように、ストレッチャーで救急車に担ぎ込まれた先週とは打って変わって、今週はセリカでマクドナルドのドライブスルーに突入し、バーガーを購入、それをビールと焼酎を飲みながら食べ、帰ってロボコップ見ながら、ラミーとカップラーメンを食べ、マーフィーが自由と人生を楽しんでるデトロイトの悪党連中をオート9で全員ブッ殺すのを見届けてから寝る、という至って平穏かつ平和、博愛的な週末を過ごしつつあります。マクドナルドで買ったハンバーガーとチーズバーガー、これとてつもなくおいしかったです。久々に食った為、そのうまさに驚いてしまいました。ハンバーガーもうまかったし、ロボコップも面白かったんですが、その平穏かつ平和、博愛的な週末、やはり先週のジェダイの復讐級の冒険に較べるとどうしても退屈で仕方ありません。人は何故こうもジェダイの復讐のように帝国軍と戦い、ダイハードのようにテロリストと戦うような恐るべき冒険に飛び込み活躍し、ヒーローになってみたいという少年のようにロマンティックな夢想を抱き続けるのでしょう。それはまるでドラッグです。戦争を体験した兵士が、そのスリルの中毒となり民間軍事企業に就職し、また戦地に舞い戻るという話もなにかで読んだような気がします。正にスリルはドラッグとして、人の心を魅了してしまうということなのです。その魅力が人に平和を疎ませ、暴力を愛させ、その暴力が新たな暴力を孕み、出産し、繁殖し、蔓延し、争いは永遠に絶えることはありません。人はドラッグやギャンブルの中毒になるのと全く同じ仕組み、過程で暴力の中毒になってしまうという自らの本質によって、これからも果てしなく苦しみ続け、私は刺激とドーパミンを求め、ガールズバーに行き、歌い、セリカに乗り、安全運転を祈り、心掛け、暴力回避とゴールド免許の維持に日々努めつつ、私のヒューレット・パッカードにおいては暴力満載のアメリカ映画を見まくります。拳銃、マシンガン、M4、アンチマテリアル・ライフル、流血、殺人、虐殺、砂漠を激走するマットグレーのカスタムGT―R、ギャングスタが騒ぐオールドスクールなナイトクラブ、自由と人生を楽しんでる悪党連中、そいつらの死体。暴力由縁の危険映像で溢れた娯楽を堪能しつつも、モーツァルトを聞き、ドストエフスキーなんかも読んだりして、日々の恐ろしい退屈を間紛らしつつ、全力で不幸回避に邁進するでしょう。

 ミレニアム・ファルコン号でタイファイターの追撃をまく為小惑星帯に突入したハン・ソロが抜群のドラテクで無数のアステロイドを回避したかのように、夥しい不幸を回避し、どうにか今週も週末に到達し、ドライブスルーに辿り着き、マクドナルド・パーティー(MDP)の開催に備え、バーガーを購入するに至りました。いや、でも、私の周囲には飢餓、テロ、難民、薬物中毒関連の不幸、こういったものからは一切免れ、完全に資本主義経済の恩恵を享受し、マックで安いハンバーガー買って、マックスバリューで黒ラベロング缶買って、MDP開催して、セリカでラップ聴きながら飲んで食ってのお祭り騒ぎに明け暮れるような週末で締めくくられる幸福な一週間の永劫回帰なので、ハン・ソロ級のドラテクを駆使してまで、不幸をこう回避する必要性も無いです。一切。空気もきれいだし、水道水もおいしいし、マックもマックスバリューもクルマも銭湯もあるので満ち足り、恵まれたエリジウムみたいなもんですよ。ただ一点、騒音公害。でも、これ、発生源が私のヒューレット・パッカードに接続した外付けスピーカーと私の声帯なので、迷惑なのは私以外の近所の連中なんで一切実害はありません。いや、でも、当然、どうやら世界は不幸で溢れかえらんばかりの悲惨な状況らしいです。その点には私は一切役に立ってませんね。いや、でも、コンビニ店員として、カネと交換ながらも市民に物資をレジで供給する任務、これ一週間必死で遂行して参りました。コンビニ店員が全員死んだら、世界は滅亡してしまいますよ。いや、滅亡はしないけど、みんな、相等困りますよ、多分。滅亡するレベルで重要な職業、これは医者とトラックドライバーですね。他にも沢山あるでしょうけど。コンビニ店員、これ滅亡レベルで重要な職業、というほどでもありませんけど、結構、人類に貢献しているはず。全く貢献していない職業も真に残念ながらあります。まあ、何とは言いませんけど、例えば、文学の大学教授、こいつら全員死んでも誰も困りません。文字を読めればドストエフスキーだろうが、ホメロスだろうが、プルーストだろうが、勝手にみんなブックオフで買って読みますから。あいつらは何の役にも立っていないくせに、莫大な報酬を受け取り、根拠無く尊敬され、女子学生とワタミかなんかでパーティー三昧、全く羨ましい限りです。コンビニ店員、被差別職業従事者としては完全嫌悪対象以外何者でもありません。全員、そいつらの乗っているBMWごとアンチマテリアル・ライフルでブッ殺してやりたいんですが、ま、言うだけにしておきましょう、やったら多分パクられるんで。私がこんなにも善良なお陰で、奴らも生き永らえ、ティーをすすり、なんかなんの役にも立たない研究して誰も読まない小説と論文を発表し、栄え、繁殖、蔓延、存続し、南仏で休暇を過ごすことでしょう。私はこれから南仏の代わりにマック行って、ティーの代わりにコーヒーをすすりつつ、白痴とナボコフの文学講義読んでから、セリカで黒ラベ、これ堪能したいと思います。

 突然、とてつもなくジントニックを飲みたくなったので、何故か、何となく例のガールズバーへ気がついたら迷い混んでました、不思議なもんです。最近の週末は、いつもマクドナルド・パーティーだったんですが、とにかく週末は何となくパーティーしたい気分だったので、何かパーティーっぽいものを食い、パーティーっぽい曲を歌いたいと思い、とりあえずピザを注文しました。ピザは好きなので、当然、ピザには厳しいんですが、今回のピザは残念ながら完全にイマイチでしたね。生地がパリパリし過ぎ。私、生地は絶妙にフワッとしていないと許せないたちなものでして。やっぱ次はハルマキガールが頼んでた例のハルマキ、あれにしておきます。安いし。でも、ピザ、見栄えは豪華なんで、パーティーっぽさの演出という点においては素晴らしく貢献しておりました、あれで生地がもっとフワッとしていたら……惜しかったです。で、今回は以前の眼鏡かけたインテリっぽい客とは打って変わり、懐にジャックナイフを忍ばせていそうな長髪のロックンローラーみたいな客が隣に座り、「なんか、おもしろいことやって」とまるで私のボスであるかのように命令されたので、これは逆らったら間違いなく懐に忍ばせたジャックナイフで確実に命とられそうだなと思い、「え、おもしろいことですか? じゃ、分かりました、マイケル・ジャクソン歌います」と答えました。「え、おもしろいじゃん」とかなんかそんなことを言ってたか、言ってなかったか、酒飲んで、どうでも良くなってたんで、何一つ覚えていませんけど、とにかく、BAD、全力で歌ったら、もう、完全にパーティーな感じにおもしろくなって、他の眼鏡かけた、パソコンいじってる大人しそうな客なんかお構いなしに、そのロックンローラーとガンガン、ロックンロールをまくし立ててやりましたよ。ギターソロはスラッシュばりでした。ピザ食って、ジントニック飲んで、ロックンロール、all nightでしたよ。逆らう奴らには、隣のロックンローラー、「一人残らず、掛かって来いや!」とかなんか叫んで、ジャックナイフの餌食にしてしまいそうな勢いでした。まるでテロです。いや、ここはガールズバーで、テロとの戦いではなく、長髪でも眼鏡でも、みんな一緒にパーティーしようぜ、baby、とか訳わかんないこと叫んで、最終的には全員で同じダンスして事を収めておきましたが、ま、完全に一触即発の有事でしたね。いやあ、あのロックンローラーのおかげでとんでもないことになってしまいましたが、結局、ピザ食って、残ったジントニック全部飲んで帰りました。今回は、会計、予想を下回ってましたね。よかった。なんで、ちょっと高いラーメン食べました。そのラーメン、最高においしかったですね。あのロックンローラーにも食わせてやりたかったな……。何故か、奴とは、またいつか再会しそうな気がします。

 あんなロックンローラーなんか全然怖くないけど、なんかすっかりジントニックにもカラオケにも飽きてしまって、MDP後、例のガールズバーに行こうと思いましたが、そのまま牛丼食って、カップラーメン食って寝てしまいました。もうそろそろ飲み屋も引退ですかね。ここに現役引退を決意し正式発表いたします。まあ、多分、ウソですけど。また、例のロックンローラーとか、ハルマキが好きな店員とか、恐るべきその美貌で夏の虫を集める殺虫器のように男どもを引き寄せ何もかもむしり取る店員と、その店員をまるで神のように崇拝する眼鏡かけた客とかを観賞しに、のこのこ、欲望うごめく夜の街へと繰り出すことなのでしょう。来週になったら、もう一ヶ月以上間隔あいてしまうから、あのハルマキが好きな店員にもすっかり忘れられていそうだな。また名前訊かれそう。まだ仕事は確か訊かれてないから、いつもみたいにホントのこと言わないで、「実は、役者やってます」とか言ってみようかな。「アウトレイジで警察にパクられるチンピラやりました」みたいな。でも風呂上り、ビール飲んでハンバーガーとチーズバーガー食うと、もうそのうまさにすっかり満足してしまって、コロンと寝てしまい。朝起きて、しまった、昨日行けば良かった、失敗したと後悔するパターン、これを永久に繰り返す事実上の引退に追い込まれる可能性も。静かな余生、これ送らざるを得ませんかね。いや、ま、来週は頑張って行きますよ。行く意欲を最後一回分残ったハンドクリームのように搾り出し、ジントニックを飲み、何かを歌い、美貌店員の術策で何もかもむしり取られに例のガールズバーへとなんとなく迷い混んでいたいものです。春も到来したことですしね。トーマス・マンによると血がいかがわしくうごめく季節なんだそうです。私によるとセリカが黄砂まみれになる季節です。色が黒だってこともあって、とんでもないことになっていますね。プリウスとか、ハイブリッド車のバッテリーに使うレアアースの採掘により中国の砂漠化が進行し、その砂漠の黄砂が春のジェット気流により私の黒いセリカに降り注ぐ季節です、長々と言えば。でもま、実害は実際ないですけどね。窓は完全遮蔽しておけば、車内には入ってこないし、車が遅くなるとか動かなくなる訳でもないですし。ただもう素晴らしく遠景に黄色いフィルターが掛かっていますね。見事なもんですよ。人類による環境破壊の因果関係の見事な視覚化です。春恒例、黄砂到来しました。毎年のことなので、去年、全く同じ事書いたような気がとてつもなくします。ただし決して過去は振り返らないので、いちいち調べません。過去は存在しません。ってなんかサルトルの小説に書いてありました、確か線引いといたはず。あるのは過去を連想させるものに過ぎません。過去に作られたもの、建てられたもの、破壊されたもの、それらも存在するのは常に現在でしかありません。あるいは何か最新のもの、それらも逆説的には過去を連想させはします。新しく作られたものにも常に過去の研究、設計、思想、歴史が反映されているはずですから。それらから何か学んだり、教訓を得る、何かのメリットを得られるのであれば、それらを利用しますが、ただ過去それ自体には、形も、色も、質量もない、実体のない、観念に過ぎませんから、何かそれによって、苦しんだり、苦しめられたり、つまり害悪が生じるような場合は、その原因となる過去そのものは既に全く存在しないということの認知によって、害悪を克服し、忘れ、捨て去り、みんなでハッピーになったらいいんじゃないでしょうかね。不幸な過去は、これを実体のないものとして超越し、より幸福な日々を送りたいものです。幸福でないのであれば生命に生きるほどの価値などありはしませんし。

 今週も先週の私自身の予言通り、またMDP後、セリカでコロンと眠ってしまい、起きてすき家行って、帰って、寝てしまいました。昨晩こそなにがなんでも飲み屋に行って、散々練習した洋楽カラオケを発表かつ披露したかったんですが。だから、今朝はもう気持ち悪いです。この気持ち悪さ、一体何に喩えていいのか見当もつかないほど気持ち悪いです。発表し損なった、完全にアップデートされたレパートリー、このままだと永遠に私自身の内部に封印されたまま、誰にも鑑賞されることなく果てしない時間の流れに葬り去られる絶望的な宿命を逃れられないではありませんか。果たしてそんな残酷かつ理不尽な仕打ち、そんなものを受け入れる義務なんてあるのでしょうか。発表もせず、披露もせず、ただひたすらパソコンの前で練習して、誰にも鑑賞されないレパートリーが無限にアップデートされ続ける。死ぬまで。そんな不条理が許されるはずがありません、このままこんなアップデートをいつまでも続けていたら、間違いなく何らかの有事が発生するはずです。それもとてつもなく恐ろしい有事、夥しい犠牲、世界は暗黒に包まれ、人々は光を失い、それとともに、楽しみも、気晴らしも、幸福も、繫栄もなにもかもその不条理に飲み込まれ、全てが崩壊し、衰退し、絶滅、撃滅、全滅することでしょう。この不条理を阻止し、また人々に光を取り戻す方法はたった一つしかありません。その方法とは、今晩飲みに行くことです。それもかつてあの栄華を極めた伝説のラウンジ、そうクリームルームへ。クリームルームでクリームが好きなママの前でクリームを歌わなければ、世界は滅亡してしまいます。あのガールズバーはすっかり飽きました。だから、世界を救うには、クリームルームに行くしかないのです。ただそう簡単には辿り着けないでしょう。全世界の支配を目論む悪の独裁者に仕える刺客に行く手を阻まれることは間違いありません。例えばあの最強の刺客、これまで何百人という戦士の命を奪い去ったジャックナイフの使い手。いやだからもうそんな刺客がウヨウヨいますから、辿り着けるかどうか定かではありません。多分不可能でしょう。だが、世界を救うには行く以外方法がないのです。世界の運命背負ってますからね。ただ丸腰では行きません。ベレッタM9、M4、そしてアンチマテリアル・ライフル。加え無数の弾薬を携え、あの最強の刺客を倒し、あのクリームルームへ、再び。

 ただ、カラシニコフで無数の弾薬をバラ撒いたところで、この暴力と権力と警察と法律、エリートと世襲議員と銀行と株式市場に支配された資本主義社会を変革することなど出来ないでしょう。誰一人としてこの世界を救うことができる人間などいません。ただ、それぞれが楽しむことに努めさえすれば、この世もそう悪くはないだろうとセクサスにも書いてありましたが、私自身にとって楽しむのに必要なのはマクドナルド、酒、音楽、後、クリームが好きなママの観賞。なぜなら、なぜかママとは一切話出来ないのですもの、今回も、店は空いててママも暇そうにしていたにも関わらず、奥に引っ込んでなかなか姿を現さなかったし、いつも私の隣に座るニーヨが好きなホステスがまた隣に座り、ニーヨがどうのこうの、セリカがどうのこうのとひっきりなしに何か話していましたが、話していながらも、私は常に密かにひっきりなしに、ママを探索、捜索、検索し、捜査、観察、観賞に努めていました。髪型は長めのボブでいいのかな、分かんないけど。次回可能ならば「その髪型の正式な名称を教えて下さいませんか」と確認して置きます。上は白いフワッとしたブラウス、天国の天使が着ても差し支えない質感で、恒星のように美しい光沢を放ち、彗星のようにまばゆいきらめきを辺りへ振りまいていました。そのまばゆいきらめきで男を虜にし、パトロンに仕立て上げ、また新しい服かなんかを買ってもらうというような循環を繰り返してきたというのがその背後に潜む本質であり、そこには天使でも女神でもない、夜の簒奪者としての本性の一端を垣間見ることも可能なのでしょうが、ただもうそういった本性とか本質とかは、紛れもない美しさの前ではどうだっていいことなのです。美は常に観賞されるべきものであり、その本質とは全く関係なく人の精神を快くするという賛美されるべき効果を有するという点において既に全くの正義なのです。美は既にそれ自体正義であるという命題を何らかの倫理的側面から肯定することは不可能であろう。それを肯定してしまったら、ほぼナチス肯定と同義にもなってしまうであろう。であれば倫理的には美は、それ自体の倫理的特性と無関係に非倫理的なものとして、排除される恐れもあろう。であれば、そういったキャンペーンに抗い、意見し、真に美そのものを崇拝する態度を示すことは一体いかなる倫理的属性にあるのであろうか。それはどのような倫理にも属さない。なぜなら、美は倫理と敵対する概念である。美の賞賛は、すなわち醜悪の嫌悪に他ならない。美しいものが愛されるならば、そうでないものは憎まれなくてはならない。そこにはいかなる倫理的美点は存在しない。であれば美を目指し、志向することは非倫理的かつ悪なのであろうか。ま、悪であれ、悪でないのであれ、美には恐るべき価値がある。ただそれだけのこと。善でも悪でもなく、貨幣や株価と同じ単なる価値基準の指標にしか過ぎません。美は純粋かつ無慈悲、崇高かつ俗悪であり、遠くから、そーっと観賞されるべきものであるが故に、クリームが好きなママは常に私の視界の外縁部分をふんわりと漂うという絶妙な距離が見事に保たれているのかもしれません。

 美の制限的正義性及び、その反倫理的側面を酒飲みながら考察してみました。いくら正義、正義と騒いだところで、そういった正義も過剰であれば、うっとおしく、厄介かつ不幸発生要因にもなりうるという訳で、当然悪徳や罪が制限されるべきであると同様に正義もこれは制限されるべきでしょう、普通に考えたら。ただ真面目に正しく生きろって言ったところで無理。不可能。調子いいと、どうしてもアクセル踏み過ぎちゃうんですよ。家で飲むとどうしても飲み過ぎちゃうんですよ。勘弁して下さい。ま、あんまり本当のことを書くとパクられるんで。全て隠蔽、削除、修正し、真実は暗黒の奈落へと葬り去ることと致しましょう。ところで、話、完全にこんがらがってました。美には正義っぽいとこもあれば、悪っぽいとこもあるという話から、正義それ自体において正義っぽいとこもあれば、悪っぽい事態にもなりうるという論議への移行には連続性が欠如していますね。連続性は欠如していながらも多少、関連性はあります。美も正義も、過剰に追求すれば厄介なことになりうるという関連性なんですが、それは全てにあてはまる関連性です。例えば、栄養とか、欲望とか、快楽とか、ギャンブル、薬物。水でさえも過剰に飲めば毒なんですよ、要注意。ギリシャ語のパルマコンという言葉、これには毒と薬、両方の意味があるそうですし。なにもかも裏と表、光と影、栄光と挫折、とかなんかがあるという話にまとめとけばいいですかね。常に過剰は回避し、中庸が最良であるという思想、これはアリストテレス、ホラティウス、ブッダ、シェークスピア、といろんな人が言ってるので、多分正しいのでしょうけど。難しいのは、その中庸がどこにあるのかは自分で探求しないといけない点ですね。「そっか、中庸か、ハンバーガー六個は多すぎだな、では、五個にしよう、決定」 五個でもかなり多いね、最近は二個にしてます。まずハンバーガーを食べながら、一番搾り。なぜかマックスバリュー、黒ラベだけ高いのでキリンにしました。で、チーズバーガーを食べながら焼酎です。この順序を変えることは決して許されません。なぜなら、チーズバーガーはチーズに含まれる水分のおかげで、しっとり感持続時間がハンバーガーより長いんです。よって、ハンバーガーを後にするとパサパサになってしまい莫大な損害を被ります。だからといってチーズバーガー二個にしてしまうと飽きます。ハンバーガーにはハンバーガーにしかない特有の良さがあるのです。よってMDPは常にこの順序を遵守しなくてはなりません。全てを理詰めで考察し研究し、決定しないと気が済まないたちなものでして。焼酎でいい感じになったら、チョコレート。ここでチョコの破片をセリカにこぼさないように細心の注意が必要になります。当然、絶対にこぼさない食べ方を研究し尽くしました。で、チョコ食べたら、そこのすき家で牛丼の並みとたまご。この一連の流れ、完璧です、ヘーゲル風に言えば絶対精神です。それから帰ってカップラーメンを食べると過剰、つまり中庸範囲超過なので、絶対に禁止。逮捕、監禁、拷問、処刑です。決して許されない罪ですね。だから、パタンと寝てしまいます。起きたら、これ書いて、スタバに時速九十キロで直行し、白痴読みます。九十キロも過剰。逮捕されます、ただ、下り勾配だし、クラッチ交換したら、セリカの調子が良くて――とかいう言い訳は国家の警察権力には一切通用しませんので当然制限速度は絶対厳守です。

 久々にファミレスでピザとフライドチキン、MDP後に行ってみたら、完璧をヘーゲル風に言った絶対精神であるところのすき家のたまごと牛丼、これを完全に超越していました。いくら理性で到達したかに思えた最高到達点であるところの絶対精神といえども気分、気まぐれ、感覚、感情、思いつきによって木っ端微塵に粉砕されてしまいます。理詰めの論理、理性、理屈、公式やなんかよりも、感覚や感情といった素朴なものの優位性を主張するロマン主義。これ、どう考えても、なんとなくもっともらしいように思います、感覚的に。なんとなく、感覚的に、もっともらしいように思えたら、それが正しいというヘーゲルみたいな理屈で大衆を騙そうと企み、画策するインテリ連中の権威主義、エリート主義、モダニズム支配を痛烈に攻撃するいい思いつきです。でも、これ、理屈とか言語的正当性そのものそれ自体を攻撃してしまっているので、文学や哲学分野での優位性はどうしても脆弱ですね。だからその感情の奔流みたいのは音楽へと注ぎこまれました。つまり音楽は常に歌われるか奏でられるかで語られることにはあまり価値のない表現媒体なので、そのものそれ自体ロマン主義的、ロマン主義そのものであったみたいなことだったのでしょう。熱狂、失神、ドラッグ、ロックンロールみたいなことです。感情の爆発。理性は死にました。酒、音楽、スナック、カラオケ、クリームが好きなママ。それら一つ一つがロマン主義の一種の構成物となって、一時の至福、ロマン主義的絶頂が花火のように爆発し、瞬く間に消滅、カネを支払い、ラーメン食って帰ります。理性的には飲み屋帰りのラーメンは好ましいからざるものなのではありますが、理屈ではなく、なんとなくどうしても、帰りはラーメン、私の場合、ラーメンの中盛りをどうしても食わないといけないんです。でないと死んでしまいます。ウソなんですけど、そういったウソもなんとなく許容してしまうロマン主義の懐の深さ、こういったものがポストモダンへと受けつがれて来たのかもしれません。いや、だから、その脱構築とかポストモダンがどうのこうのとかそんな話は、結局、逆説的にヘーゲルみたいな権威主義、理性崇拝に逆戻りしてしまうからどうでもいいんですけど。要するに、飲み屋帰りのラーメン、これがなぜ、絶対必要条件であるのか、それは決して説明することは出来ません。言葉で伝えることは、表現することは出来ません。唯一出来るとすれば、そのラーメンのうまさを、歌い、奏で、ラップすることくらいです。スナック、カラオケ、ラーメン、これらは三位一体、つまり神話なので、立証や証明は不可能、ただ賛美し、称え、崇拝し、こよなく味わうことしか許されません。

 たまにキリン・ラガーにしたら、とても懐かしい味が。料亭でバイトしていた頃、後片付けの最中、パートのおばちゃん達と残ったラガーの大瓶を飲みまくり、刺身とてんぷらとステーキと寿司とあわびと酢の物あたりを恐ろしい勢いで食いまくってた、あの純真でシンプルで炭酸飲みまくりの青春を思いがけず想起した次第です。たまに権力持ってそうな客から千円もらったり、厄介なバイトからは即座に逃亡したり、映画館でタランティーノ見たり、飲み過ぎて死にそうになったりとかいうどうでもいいふざけた時代です。それから深刻、絶望、破滅、崩壊、暗黒を経て、結局はまたふざけ始めました。退勤後はふざけて買ったセリカで帰宅。ビール、黒霧、DVD鑑賞、この三位一体を帰宅後の楽しみとして堪能。もうタランティーノなんか映画館で見ませんから、全部個人的にDVDスルーです。タランティーノもあの頃は完全なカリスマでしたが、あの懐古趣味の一本調子、すっかり新鮮味が風化してしまうほど遙かなる時が過ぎ去ってしまいました。最近ちょっと気に入ってる監督、クリストファー・ノーランの「インターステラー」、非常に楽しみにしていましたが、映画は全面的に個人的DVDスルー方針を採用、カネは全部クリームルームに注ぎ込むことにしたので、レンタル店でウディ・アレンの映画とどっち借りるか迷った後、遂に借りてきました。やっぱ、ウディ・アレン借りなくて正解。一週間、酒飲んだ後見まくって、返すまでに四回鑑賞。四回目は途中まででしたが。昔、アメリカ人が月に行ったやつ、あれはギリシャ神話からアポロ計画でしたが、今回は新約聖書からラザロ計画、ラザロは、イエス・キリストにより死んでたのが生き返ったのだそうです。映画も神話っぽい荘厳で深淵な感じにしたいんだろうなという監督の意向が随所に感じられました。だから、軽薄な未来っぽいデザインとかガジェット関係は完全に排除。ロボットは真四角、車はマニュアル、携帯電話は一切画面に出ないように脚本段階で工夫。神話っぽくないものは画面から全力で排除した努力の痕跡がはっきり認められました。よく神話的とかいろんな人が言いますけどね、なんなんですか、どういう意味で使っているのでしょうか。そもそも神話ってなんなのでしょうかね。要するに昔、生き延びるのが非常に困難な時代、天災、犯罪、戦争、病気、飢餓、あらゆる事で、人が簡単に死んだり、苦しむコンビニも洗濯機もない苦難と苦痛にまみれていた頃の人々が考えた、気休めと気晴らし目的、あとなんかいろんな政治的思惑とかを抱え込んだ作り話です。実際、何が起こったのかは解明されていない過去を作り話によって説明し不安を解消したいという欲望から発生したと推測されます。さて、現在、ダーウィンとかアインシュタインとかニュートン、そういう立派な学者さん達のおかげで過去方向に対する不安は、随分と軽減されてきましたが、この快適極まりない現代社会の日常生活においての贅沢な不安、この快適、手軽、便利はいつまで続くのか。そんなのそいつが死ぬまで続けば十分なんですけど、そいつが死んだ後のことも心配な人達が何故かたくさんいるようで、そういった未来方向不安が徐々に増加傾向にある中でその未来方向不安解消目的の作り話、つまりSFがポストモダンにおいて神話の役割を担当し始めたようです。だから、人類滅亡とかそういう感じになると未来方向不安解消目的の観点からは神話的ではないということになります。アメリカの白人の救世主により、人類は生き延び、やがて繁栄、進化、進歩し、五次元へ進出、全宇宙を支配する神になるという話だとその目的の観点からは素晴らしく神話的ということになるので、このインターステラー、絵面的にも、芝居的にも、話的にも全方位的に神話的になってて、緊密で美しい構成の脚本の力も相まって、もうオペラ的、叙事詩的な重厚、荘厳、壮麗、見事な聖典的アメリカ映画になりおおせていました。

 インターステラーにしろバットマンにしろスーパーマンにしろ、これらは一人のヒーローが活躍する一神教的神話と言えそうですが、最近は多神教的神話のアメリカ映画がトランスフォーマーの影響下で増加傾向にもあるようです。トランスフォーマーは元々日本で別の名前で売られていたオモチャから、新キャラ、設定、ストーリーを追加してアメリカでオモチャとして発売、アニメ化、映画化されてきたという訳で、とにかくウルトラマンにしろ仮面ライダーにしろ夥しい数のヒーローを追加し、話を長続きさせる和風多神教設定の影響下、つまり根底の部分には、ギリシャ神話に加え、古事記、日本書紀の影響がトランスフォーマー経由で遂にはアベンジャーズにまで及び至っているという研究結果が発表されたりされなかったり。つまり、結局、神は死ぬどころか、ピンピン生きているってことですよ。かっこいいロボットになったり、未来っぽいコスチューム着たり、素敵なマスクを被ったりなんかして大活躍し、人類救いまくりです。そういうの子供だけでなく、中年が見ても結構面白いので、退勤後のいい気晴らしになってます。特にダークナイトとダークナイト・ライジング、後トランスフォーマー三部作あたりですね。昨日、Gショック買ったときは、最もバットマンっぽい形のを選びました。バットマンが着けてそうな形ではありませんよ。ダークナイト・ライジング版のバットマンそのものに最も近い形です。もしバットマンがトランスフォームしたらそのGショックになりそうな形という意味です。その形のやつがショーケースに二つあったので、安い方にしました。同じくらいバットマンぽければちょっとでも安い方がいいじゃないですか。高校以来ですよ、Gショックなんか買うの。高校の時買ったやつは、M:I 2でトム・クルーズが全く同じのを着けてました。でもM:I 2を見た頃には高校のやつはバンド部分が壊れて机の引き出しに埋葬されていましたけど。あれ本体部分は頑丈な割りにバンド部分とか壊れ易いので、意外とそーっと扱わないといけないですねって大丈夫かな、カシオから名誉毀損で損害賠償請求されたら嫌ですが、でも、大丈夫です、エミネムが一生懸命宣伝してましたから。ビデオクリップで白いGショック着けてラップしてました。あれもエミネムが着けてると非常にかっこよく見えるけど、あれはエミネムのかっこよさでその商品がかっこよく見えるってだけの錯覚なので、白は普段使いとしてはどうもイマイチな色だと最近は思います。汚れ目立つし。で、今回買ったやつは、黒でも白でもなく、マットグレー、完全にバットマンっぽい色です。普段は一切着けません、箱にしまってクローゼットに保管してます、だって毎日着けると本体部分が頑丈な割りに例のバンド部分がね。

 起きて、エミネム聴いてたら、やっぱり朝なんでお茶を飲みくなり、ポットにお湯セットしたところです。いや、なんかの授賞式みたいなのでエミネムがラップしてましたけど、やっぱり白いGショック着けてました。エミネムはGショック、朝はお茶、MDP後は牛丼と卵ってことなんですよ、結局。やっぱりこれにはこれってものが必ずなにかしらあってそれらの結合によって世界に調和がもたらされるという訳なんでしょう、きっと。やっぱ、朝なんで、このお茶、完全においしいですね。七月下旬のしとしとと弱い雨が降る心地良い朝、夏の朝の雨は暑さを和らげる役割を果たすので下手にカラーッと晴れてるよりずっと心地良いものですな、ご隠居。下手に晴れてない涼しい朝にこの熱いお茶との相性、これ抜群です。正にこれにはこれといったものがズバリはまった感じです。だから、今の職場、コンビニで市民に物資を供給する任務も私にピターッとはまった感じで生活も調和が保たれていると言いますか。ところで例のバイトの女子学生、エロティシズム皇帝陛下。あの人まだいますからね。偉そうにしてたのも、もうすぐやめる話してたから、もうすぐやめるんだったら、ほったらかしといてもいいかなと思ってたら、あれからかれこれ二年います。完全な詐欺でした、巧妙に仕組まれた詐欺です。でも、いつだったか二ヶ月ほど来ない時期があったときは、「これは、遂にやめたな、YEAH!(アッシャー風に)」って思ってたんですが、ひょっこりまたぞろ現れましたよ。なんでも突然全く声が出なくなる原因不明の難病に冒されていたらしく、治ったからまた来たという話してました。で、また来たら来たで、独裁軍事政権完全復権です。客がいないと、サーッと事務所引っ込んで座ってます。座ってタバコですよ。煙、撒き散らしてました。ま、ホントは撒き散らしてませんけど。ウソなんですけど、でもホントのことばっかりじゃ面白くないからたまにはウソも書きます。でも引っ込んで座るとこまではホントです。座って、お茶飲んでくつろいでスマホいじって、飽きたら寝てます。自由なもんです。自由気まま陛下の安泰アンシャン・レジームです。どうやら革命は起こりそうもありません。

 仕舞いには、レジカウンターでヤングジャンプ読んでました。だから「ダメだよ」って試しに言ってみたんですけど、「ヤダー」と言い返され、あたかも当然の業務内容であるかのようにヤンジャン熟読徹底継続です。もう何者も、いかなる最新兵器を持ってしても、彼女の支配を覆すことは不可能なのでしょう。ただもう少ししたら彼女も卒業、就職するはずなのでそうなったらめでたく、私の前から完全に消え失せてくれることのなでしょう。後、もう少しの辛抱です。革命は間近、人民の解放は目前です。ただシリアでは目下その革命の真っ最中なんだそうで、そうなるとどうなるかというと、結局はフランス革命かなんかと一緒、殺し合い、暴力の応酬、破壊、抹殺、粛清、悲惨、貧困、悲鳴、難民大量発生。トルコ、ギリシャ経由で目指すはドイツ。ドイツに行けば、職業訓練を受け、なんかパソコンを使うような立派な職業につけるとかなんとか、ネオナチに迫害されるリスクもあるけどドイツはVW売りまくって儲かっているので比較的難民を受け入れる余裕があるのだとか。けど、そのポルシェ、アウディを買収してゴルフ売りまくって調子に乗ってたヒトラーが作ったクルマ屋さん、規制逃れの悪質な不正発覚で深刻な危機に陥っている状況です。いやあ、ゴルフじゃなくてセリカで良かった。これからVW買う奴なんかいなくなるだろうなあ。不正な手段で権力を獲得はするが、その不正が発覚し権力の座から転落する。これシェークスピアで言うとマクベスに相等する状況ですね。サルトルっぽく言うとマクベス的状況です。飲み屋行っても、ホステスにシェークスピアって何? とか聞かれるので、まあ、いい加減なこと適当に答えるんですけど、もう相等な期間シェークスピアなんか読んでなかったんで、その受け答えも一層あやふやになる一方。という訳で、最近からセリカで酒飲みながらオセローを読み始めました。

 書かれたのは1602年、日本もまだ戦国時代が終わって間もないあたりということで、無人攻撃機も巡航ミサイルもレーザー誘導爆弾もないまだ戦争がロマンティックだった頃において、偉大な軍人はプロスポーツもワールドカップもなかった時代におけるメッシやクリスティアーノ・ロナウド、五郎丸歩といったスター選手的存在であったのかもしれませんね。現代は、ボール持ったり、蹴ったり、走ったり、タックルしたりと全てルールに則り、反則の暴力行為はなるべく審判に見つからないようにコッソリ行なわれていますが、当然、そのロマンティックな時代においては堂々と剣とか槍で暴力を行使、刺したり、殺したり、無力化したりして勝負をつけ、勝利すれば酒を浴びるように飲み、祝祭が繰り広げられ、うまそうな肉料理にかぶりつき、ま、あの例のあれとかもして、歌ったり踊ったり。プロ野球選手が銀座でやってることと一緒なんでしょうけど、負ければ、殺されたり、強制労働、奴隷扱いなんで、戦力外通告とかよりもかなり悲惨です。そういった表舞台における戦いを描いたのがシェークスピアだと「ヘンリー五世」あたりになるんでしょうけど、「オセロー」は軍人が主要登場人物ですが、完全に戦争描写無しの組織内部における陰謀、裏切り、騙し合いの権力闘争が主要テーマです。だからスポーツ選手の私生活とかスキャンダルを扱う実話男性週刊誌的視点に読者が据えられる感覚と言えましょうか。主人公のオセローは将軍で、その将軍を騙す悪い奴がイアーゴーという愉快な悪党。やたらと壮大で回りくどい陰謀を計画し、冗談を飛ばしながら、愉快にオセローを騙すふざけた詐欺師です。ダークナイトのジョーカーっぽい感じです。ジョークで油断させ、甘言で誘惑し、知性で相手の心理を翻弄、誘導し、最終的に凶悪犯罪を行なうように仕向け破滅させてしまうという、読んだり見たりする分には面白い人ですけど、決して友だちにはなりたくありません。イアーゴーがいかに騙すか? いかに悪の目的を果たすか? そこが見所ですね。結局、裏ではそんなもんですよ。オセローの偉大さ、高潔さがどうのこうのとかそんなのもんは、どうでもいいんです。詐欺に引っかかったら、栄光も成功も財産も人生も、全部台無しでしょう。いかに悪人が悪事を成功させ利益を得るのか。そんなのは絶対表に出ないし、隠蔽され極秘裏に行なわれているからこそ成功するという暴かれることのない真実、その暴露こそが「オセロー」の面白さの本質です。世の中、イアーゴーだらけだし、オセローだらけです。騙される奴がいるから、悪党は騙す。山があるから登るみたいになりましたけど。

 どうでもいいと斬り殺したばっかりですが、そもそも「オセロー」を再読したいと思った発端は、実はオセロー側にはあったんですけどね。最近見たスパイク・リー監督版「オールド・ボーイ」でジョシュ・ブローリン演じるところの主人公が踏襲している古典的な悲劇的テーマ。自分が自覚無しに犯した罪により罰せられ、その罪の自覚で大きな衝撃を受けはするが、その自覚によって罪を悔い改め精神が浄化されるみたいなパターン。このパターン、実は個人的にすごく好きなんです。古典だとソフォクレスの「オイディプス王」、ホメロスの「オデュッセイア」にあたると思うんですけど、シェークスピアだとオセローにズバリ当てはまります。という訳でまた読みたくなったってことなんですけど。でも読むと随分とオセローが簡単に騙され過ぎなんですよ。もう、学者連中に奉り上げられ神格化され宗教になってしまった四百年前の台本作家なんですけど、確かに偉大な作家ではありますが、一切なんの欠点もない神様ではなく人間が書いたものですからね。四百年後の人間が読んでちょっとイマイチだなウィリアムな部分だっていろいろありますよ。イアーゴーは悪役として非常にクオリティーが高く仕上がっている部分には感服しますけど。オセローは…… シェークスピアがハリウッドの脚本家だったらプロデューサーから書き直し指示されますよ。「ビル、アカデミー賞獲った君にこう言っちゃなんだけど、このオセロー、コロッと騙され過ぎだろ、これじゃオーディエンスは納得しないんじゃないか?」みたいな。この致命的欠陥、同じ欠陥が最近の映画にもありましたけど、誰のどれとは言いません。代わりにその欠陥を見事克服し大成功した作品を紹介したいと思います。クリストファー・ノーランの「ダークナイト」と「インセプション」です。この二作品においてイアーゴー風特殊詐欺、つまり詐欺師側にとって都合のいい考えを相手に植え付け、詐欺師側の利益になるような行動を取らせるという「オセロー」の特徴的モティーフが見事、本家より上手に処理されています。「ダークナイト」では詐欺師がジョーカーで、被害者がハービー・デント。「インセプション」ではディカプリオの主人公側チームが詐欺師で、ライバル企業の社長の息子みたいなのが被害者でした。だから本来悪役だったイアーゴーの手口を主人公側が使っているあたり知的な刺激がありましたね。

 セリカでハイボール飲んでアッシャー聴きながら、四幕一場読みました。この秀逸なシーンで一つダイナミックな転換がありました。それまでは受動的で単に詐欺の被害者でしかなかった間抜けなオセローだったんですが、このシーンで彼は増幅していく怒りの表現でそれまで主役を食っていたイアーゴーの華麗な詐欺のショー的な娯楽要素を超越し、主役の座を奪還します。イアーゴーに煽られて怒りを増幅させ続けるオセロー、あまりの怒りで自己制御不能に陥り卒倒します。更にその後もイアーゴーの巧みな策略が続きます。イアーゴーはオセローにこれからキャシオーを呼び出しデズデモーナの話をするのでその反応を物陰から見ているように要請しますが、キャシオーとは彼の恋人ビアンカの話をします。その様子を見て更に精神を動揺させるオセロー。彼は嫉妬と憎悪で顔を歪めつつ大きな痛手を受けます。それはあたかもそれを見る観客達のドッペルゲンガーででもあるかのごとく、彼は偉大なる表現者として、人間の本来的な浅ましさ、醜さ、小ささ、弱さを体現するのです。ここは役者の腕の見せ所、力量が試される重要な見せ場ですね。それまでの軽やかなイアーゴーのトリックショーとは見事な対照を成す、重厚かつ悲劇的な人間性の暴露です。この四幕一場で受けた多大な精神的ダメージで続く二場においては遂にオセローは精神崩壊をしたかのような異常言動を見せます。イアーゴーの最終目的はオセローにデズデモーナを殺させ、彼を破滅させることなのですが、その破滅以前の段階において既にオセローは多大な苦悩の中に引きずり込まれています。それはあたかも瞬時に銃で射殺するのではなく、少量の毒薬を長期間に渡って密かに投与し続けるかのごとく犯罪者イアーゴーはオセローにゆっくり苦悩を味あわせつつ、その被害者を恐るべき破滅へと誘います。その苦悩や怒りが増幅すればするほど、その表現は恐るべき迫力を獲得し、遂にはオセローが正に悲劇の主人公としての本領を発揮し、観客に対してその確固たる威厳を提示するに至りました。

 至ったんでしょうかね。ま、ホントかどうかよく分かりませんけど。他の四大悲劇と比較すると、「オセロー」は悲劇とか威厳とかっていうより、完全な娯楽作、サスペンス映画、ヒッチコックみたいなものだっていう方がどうも本質的なのかもしれませんね。特にオセローがイアーゴーとともにデズデモーナの殺害宣言をしてからの一連の流れはサスペンスが生む緊張状態が持続し徐々に高まっていくあたりにおいて非常にヒッチコック映画っぽいなと思いました。オセローが妻を殺そうと思っているという一種の恐ろしい情報を先に観客に与えておけば、オセローと妻が普通に穏やかな会話をするだけでも非常なサスペンスが発生するという、ヒッチコックがよく使う手法ですよ。妻に優しく話しかけるオセローを見ても、観客は、「いやいや、そんな優しい顔したって、実は殺す気なんだろ」と思ってしまうみたいな。で、このサスペンスな件あたりから、実質的にオセローが悪役になっていますね。完全にイアーゴーと仲間同士みたいになってしまっています。すると必然的にデズデモーナが実質的に劇の主人公として扱われ始め、存在感が増し、セリフも多くなってます。最初はイアーゴーが主役みたいに自由奔放に陰謀を遂行したかと思うと、次はオセローが迫力に満ちた見せ場を披露、そして終局においてはデズデモーナが悲劇的宿命のヒロインとなる。こう次々と活躍するキャラクターが入れ替わっていくのが、読んでてすごく楽しいです。展開に躍動感があって、ダイナミックに転換していく構成とか、やっぱシェークスピアはすごいなと最終的に思い知らされました。

 「オセロー」遂に読破してやりましたよ。いやあ、退勤後のセリカで缶チューハイとか飲みながら存分に楽しませていただきました。最後オセロー自決してましたけど、刃物で自害して即死するには具体的にどのようにどこを刺したんでしょうかね。あれは真似出来ない死に方ですよ。無理だなあ。だってこんなに毎日おもしろおかしく生きてるのになんであんな痛そうな死に方で死ぬ必要があるんでしょうか。人間である以上、私も当然、オセローの様に死すべき存在ではありますが、オセローの様な死に方で死すべき存在では決してありません。そもそもね、あんなに嫉妬で殺したくなるほど女の人なんか好きになりませんよ。愛なんかとっくの何ページもまえに殺してしまいましたから。愛は死んだ、神のように。いや、必ずしも死んだとも言い切れないかも分かりません。実はなかなかしぶとく生き残っていたのかもしれません、となるとまあオセローの様に死ぬ確率もゼロではありませんけど、まあ、でも嫉妬したとしても、結構簡単にあきらめると思います。だってクリームが好きなママに振られても、まだローソンの店員もいるし、スーパーのあの子も、マクドナルドのあの子、他に女の人なんかたくさんいるじゃないですか。人口減少してるったってまだ結構生き残ってますから大丈夫です。いえね、最近、全然ママと話してなかったんですよ。店、空いてても奥で休憩ですよ。奥に行かれると観察さえも出来ないからすごく残念なんですけどね。去年のクリスマスパーティーは確か完全に観察のみでした、他の中年の相手で忙しそうでしたから。確か将校っぽい帽子被ってましたよねってあんたは多分見てないでしょうけど。ただあれからいろいろありました。救急車で運ばれたり、太ったり、痩せたり、だから今年の春からだと五キロ痩せましたよ。勤務時間中何も食べないでミネラルウォーターとコーヒーと野菜ジュースしか飲まないルール適用したらいとも簡単にすっかり痩せませた。いやあ、春はヤバかったな。あれは有り得なかったけど、現在はほっとしていますというこの状況でタイミングよくまたまたクリスマスパーティー行ってきました。今回はわざと遅い時間に行ってみたら、すっかりパーティーも終わりかかってましたね。他の中年は、さあ、だんだんに帰りましょうかという段階でこの洋楽カラオケオタクが乱入しワムのラストクリスマス。かなり完璧なパフォーマンスでしたが、当然、飲み屋のパーティーの中年同士なんて完全に敵同士ですから、拍手も何もありません。サッカーのアウェー戦です。こっちはこっちで他の中年なんか関係ありません。ホステ スと仲良くなりたいだけですから、当然、堂々と立て続けにマライア・キャリーのAll I want for Christmas is youこれブッこんでやりました。これもこれで死ぬほどリハーサルを重ねまくった甲斐あって完全に歌いきりましたが、他の中年は、ハイハイ、シーンって感じです。でそいつらもすぐ帰っちゃう訳じゃないですか。そしたらもうホステスともう仲良くして、チョコ食ってエミネム歌って、ニーヨから何から軽快でリズミカルな奴を歌いまくってよろしくやってたら、遂に奥から、あのいつも休憩ばかりしいたママが出て来て接近してきました。綺麗だったな。綺麗そのものを定義するかのような存在です。だから当然、必死で観察しました。えーっとなんか綺麗な服、ドレス着てました。ホステスだから当然なんですけど。で、あとなんか耳に無数のピアスが美しく銀河系の様に輝いていたものですから、「そのピアス、痛くないですか?」と遂に話しかけるミッション成功しました。去年は他の中年が多すぎて不可能だったあのミッションに。ピアスは痛くないと言ってました。で、それからママにケイティー・ペリーのE.T.という曲を覚えてきてって頼まれたのでこれから音源をなにかしらの方法で入手し練習しようと思っていた真っ最中です。



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