第四章
第四章
あるいはアメリカ映画の見過ぎで、なんてことはないなどと思っていたのかもしれない。アメリカン・プロパガンダの影響で脳がゼリー状に軟化していたのかもしれない。当然、大統領を守る為ならチャニング・テイタムはタンクトップ姿にM4カービンを携え、窓ガラスに飛び込む。わたしは単に酒を飲み過ぎてしまった為に、家の中の戸のガラス部分に前腕部をアメリカ映画風の勢いで突っ込んでしまった。それはもう、そうしてしまったのだから、そうしなかったほうがよかったなどという後悔やなんか、なんのお構いもなしに、救急車はわたしを、病院に運び、運びこまれてしまったところのわたくしは、殺し屋のように冷酷そうな女医に、血を滴らせるその間抜けな傷を見せた。その外見とは裏腹に見事な縫合技術とは残念ながら言えなかったが、ま、麻酔で痛みはあまりなかった中、その四箇所の間抜けな傷は、たった一回だけのやり直し、更に後日、別の医師による同一箇所のやり直しを伴ったものの、結果、見事縫合された。ただの切り傷だもの、50セントみたく撃たれていたら、その女医もあからさまな軽蔑の表情を浮かべはしなかったのでもあろうが、わたしは撃たれても、50でもなんでもないただのアル中の元うつ病患者のロクデナシの役立たずであったので、その殺し屋のような女医の笑顔は、その過酷な労働環境であるところの救急救命室においては、当然、秘匿、隠蔽、隔離され、それは多分もっと喜ばしい場所での、麗しい瞬間まで、シャンパンの乾杯とピニャコラーダのおかわりとともに、卑俗な目の届かない高層マンションのペントハウスあたりでの立食パーティーかなんかでのエリート銀行員あたりとの愉快なおしゃべりまで、保護、保全、温存されることなのであろう。
ペントハウスで飲むピニャコラーダ。そんなもんとは一切縁のないコンビニ店員は、退勤後、自宅近くの月極め駐車場で、クロラベサンゴーカンを飲む。ピニャコラーダみたく全部カタカナにしたらかっこよくなるかなと思ったが。セリカで飲む黒ラベ。最近では、ピニャコラーダもスーパーで売っているが、あんなもんはセリカで隠れて飲んでもあんまりおいしくない。いや、ま、でも、案外、おいしいんだけども、カロリーがやたら高いし、それに、ああいうのは南国のビーチでトム・クルーズみたいなバーテンに作ってもらい、水着の美女も隣にいないと、その本来のおいしさ、あのココナッツのフレーバーの本領が発揮されることもない。ビーチ、美女、ピニャコラーダ、それらを堪能するにはまだ、ほんのちょっと権力不足といったところだ。権力は不足していても三五缶なら、黒ラベも買える。飲み過ぎてガラスをブチ壊してもセリカでなら、缶ビールも飲める。権力不足でも意外と不自由はない。ただセリカだと、ランエボのチンピラ連中になめられて、凶悪なエンジン音で威嚇されてしまうので、願わくば最高速度315キロの日産GT―Rが買えるくらいの権力は欲しいなどと夢を描きつつ、スポーツカー雑誌のページをめくりながら、焼酎の紙パックへと手を伸ばす。GT―R、フェラーリF12ベルリネッタ、マスタング、TRDエアロの86。自動車写真鑑賞に満足すると、それは後部座席に放り投げ「DVD&ブルーレイデータ」を手に取る。「ジャンゴ」「パシフィック・リム」「ホワイトハウス・ダウン」 いたいた、タンクトップのチャニング・テイタムがガラスを突き破っている。当然、突き破ったあとはテロリストと戦わないといけないはずなので、その剥き出しの逞しい両腕にはかすり傷一つ無い。多分、ガラスは全部CGなんだろう。でなかったら、大怪我で救急車に運ばれ、撮影は中断、パラマウントはカンカン。エミリッヒはクビになり、仕事は全部、J・J・エイブラムズあたりに巻き上げられてしまっていたことであろう。だが、CGでも偽物でもない、本物のガラスに腕を突っこむようなバカは現実世界にはわたしくらいしかおらず、チャニングも、シークレットサービスも、もっとうまい方法を考えつくはずである。携えたカービン。突っ込む前にガラスをそれの銃撃によって破壊しておくべきであったようには思うのだが、なにかとヒーローはガラスは体当たりか、腕の筋力によって破壊しなければいけないという掟があるらしい。やたらと銃に頼るのはヒーローらしくない。ヒーローは常にタンクトップでガラスに突っ込み、当然、裸足で高層ビルを駆け巡り、ドイツ人のテロリストを撃ち殺し、そう、つい、うっかり、ガラスの破片をその裸足で踏んでしまう。「ガラスを撃て」 「ダイ・ハード」のハンス・グルーバーはハリウッド映画の悪役で唯一まともな戦術を思いついた悪役として、記憶されるべきであろう。悪役の撃つ弾なんか絶対当たんないし、爆弾も、顔と白タンクトップを多少黒く汚す程度。核兵器でさえもなんとか凌いでしまうのがアクションヒーローにおける物理法則であるらしい。であるなら、ガラスを撃ち、その破片で主人公の足の裏をつかの間チクチクさせる程度が悪役の出来るせいぜい目一杯の抵抗手段といったところだ。
しばらくステーキを食っていないと無性に食いたくなるように、しばらく映画館に行ってないと無性に、行きたくなる。行きたくなったのはちょうど、銭湯で頭をシャンプーしていた最中だ。「エリジウムが見たい! 我慢出来ない」 中二の頃見た「ダイハード2」のようなワクワク感をまた味わいたい。ミッション・インポッシブルのような。パルプフィクションのような。そのような熱病が再発してしまうと、ドシャ降りの雨のなか、フルエアロのセリカは猛スピードで映画館のあるショッピングモールへ向かってしまう。昔と違い、映画なんか三ヶ月待てば、安くDVDで見られるような状況だと、わざわざ映画館にセリカで行って、大金をつぎ込んで映画鑑賞をするなど、一年に一回程度の頻度になる。今回も「ダークナイト・ライジング」以来の映画館となった。果たして「エリジウム」は私が一年に一回だけ映画館で見てやるというアカデミー賞作品賞クラスの栄誉を授かるに相応しいSF映画であった。まあ、ダイハード2のワクワク感なんか軽く超越していた。この私の三歳年下の天才、ピーター・ブロムカンプ、名前を覚えるのに三年くらいかかった変わった苗字の若い才能は、普段、マット・デイモン主演であれば、マット・デイモンが主演という理由だけで見ないほど、わたしの好みではない役者を主演させたというハンディキャップを補い余るほどの新しい表現、デザイン、映像センスを盛り込み、パワードスーツを痛そうなボルトで、まるでキリストの十字架のように肉体に打ち付けたタトゥーだらけのマット・デイモン限定で、マット・デイモンファンになってやってもいいかなという気にさせられた。
しまった。ピーターじゃなくてニール・ブロムカンプだった。ランボルギーニ・ムラシエラゴみたいな苗字に気を取られて、ファーストネームが手薄になっていた。また、間違ってた。ムラシエラゴでなくてムルシエラゴだった。間違えやすい名前の一例をそもそも間違う。ムルシエラゴも、最初はムエラシルゴだと思ってたし。その頃よりはマシな間違え方に改善はされていたが。間違いの話は置いておいて、話はランボルギーニでもムエラシルゴでもなく、「エリジウム」に戻させていただこう。新しい表現、新しいデザイン。なんか革新的な作品に対して、こういう月並みな表現しか思い浮かばない。このパラドクス。もっとこう、ナボコフ並みに卓越した表現力とかあったら良いのだが、私は貴族出身でも大学教授でも作家でもない、所詮、ただの映画ファンのコンビニ店員なので月並みな、映画雑誌で二億回は使われた表現しか思い浮かばない。わたしの愛読する「DVD&ブルーレイデータ」 これは映画雑誌というより、映画宣伝雑誌と呼ぶべきものである。これの良いとこは偉そうな批評家とか批評家気取りの文化人、芸能人、大学教授とかが書く、偉そうな映画批評が一つも載っていないところである。どの記事もその映画を褒め称え、宣伝する記事しかない。誰かの作った映画を、どこかの誰かが見て、それにどうのこうのと評価を下し、原稿料を巻き上げる。そんな偉そうなことは、少なくとも、黒澤明レベルに偉くないと出来ないはずなのだが。週刊誌を開くと、誰か知らない誰かが、「エリジウム」のストーリーが陳腐だとかなんか下らない批評を何行か書いていた。腹立たしい。では「エリジウム」のストーリーを最高におもしろいと思ったわたしのような人間は、そいつよりストーリーのおもしろさ評価力において劣っているのか? そいつがおもしろいと思うストーリーとはいったいどんなストーリーなのか、たった数行の批評ではなにも分からない。シェークスピアの真夏の夜の夢と比べてどうおもしろくないのか、そもそも真夏の夜の夢のストーリーはおもしろいのか。それ以前に真夏の夜の夢を読んだことがあるのか。あるいは当然の予備知識として、シェークピアは自分でストーリーは作らず大概はどっかからのモロパクリだということを知っているのか、知っていないのか。たった数行の批評では一体、どういう理由、前提でおもしろいのかおもしろくないのか、全くの説明不足。最低でも五千字は書いていただきたいものだ。軽々しく点数とか、数行の短文で、とてつもない苦労、苦役、苦悩を伴って製作された各作品に判決を下し、刑に処すのは天皇陛下くらいまで偉くなってからにして欲しい。
もちろん真夏の夜の夢は最高におもしろい、歴史的大作家による、優れたドタバタコメディーだ。だが、当然、ハムレットと比べたら、やっぱハムレットのほうが断然面白い。復讐、権力闘争、決闘、策略、暗殺。とびっきり面白いヤクザ映画に必要なものは全て揃っている。だが、当然、そのハムレットのおもしろいストーリーでさえ古代ローマの作家、ストア派哲学者、政治家、ま、要するに昔の偉い人、セネカの戯曲のモロパクリである。だが、学者はハムレットはセネカのパクリだ。とは言わない。ハムレットとセネカには間テクスト性がある。とこう言うそうだ。同じ意味内容でも、かっこいいインテリ用語を使うと、パクリも立派な芸術的表現技法のような印象を与えてしまう。し、多分、実際そうなのである。ま、現代であれば、それがどんなに立派であろうと、芸術的であろうと、無許可でやれば、当然、訴えられ、大金が巻き上げられることなのでもあろうが。映画化にしろ、翻案にしろ、サンプリングにしろ、カバー、リメイク、オマージュ、パロディー、リブート。どんな種類の高尚な表現技法にしろ、仁義、カネ、根回し、すなわち金銭的、政治的配慮に欠けると、それはアートではなく窃盗として厳罰に処される。だから一流作家は賢い。彼らは古典をパクる。ニーチェは聖書を。ジョイスはホメロスを。シェークスピアはセネカを。著作権は作者の死後七十年(くらい、国によって異なる)保護される。であればうっかり最近の本読んで、無意識にでもパクってしまったら東京地検特捜部かFBIかなんかに強制捜査されてしまう。であれば読むのは十九世紀以前の作品に限る。フローベール、スタンダール、ダンテ、ホメロス、アイスキュロス。その他いくらでもブックオフで激安で買える。パクれば訴えられる二十世紀以降の文学なんて、そもそも小難しいのは苦手だし、新作は高いし、余計なベストセラーなんか無視してアンナ・カレーニナを読めばいいだけの話ではないですか。あれ確か、上中下巻合計三百円で、結構な期間いい暇つぶしになりましたねえ、けど、ストーリーはあんまりおもしろくなかったかなあ、トルストイ、あいつがもし、ハリウッド映画の脚本家だったら、先が読め過ぎるってプロデューサーからダメだし食らいそうですねえ。あ、うっかりしてた、えーっと、確か何かをおもしろくないと書いたらその理由を五千字以上で説明しないといけないルール適用中でしたっけ? いやあ、もう、そんなルールは忘れて下さい。おもしろくなかったらおもしろくない、もう、それでいいです。理由なんかどうでもいいです。でもま、ストーリーがってことですよ。アンナ・カレーニナ全体としてはまあまあ、おもしろい方なんじゃないですかね、「ボヴァリー夫人」の方がずっといいけど。いや、でも、こう、アンナにしろエンマにしろ。あいつらは結局、欲望過剰シンドローム、欲張り過ぎるから結局最後死んでしまうんですよ。それも、まあ、素晴らしく悲惨な死に方で。結局、医者とか、高級官僚とかと結婚したらもうそれで満足しないといけませんよ。ま、たまに、若い男と不倫してしまうのは、つい、うっかりってことで仕様がないかもしれませんが。あんなに本気でのめりこんだり、要求過剰になってしまうと、もう、結局、破綻する以外ないではありませんか。ああいうのは、結婚する前に読んでおいてホントに良かったですね。とにかく、見た目はいいけど、中身はめんどくさい女性と付き合ったり結婚すると、ひどいことになるということの非常に良い勉強になりました。いやあ、危なかった。
用心深さに世界ランキングがあったら、わたしはそのトップ2%以内には入ってるだろう。離婚するのが嫌だからそもそも結婚しないし、結婚するのが嫌だから、交際もしないと。ま、これは、用心深いというより、環境的要因の方が比重が大きいとも類推されますが。あと右折事故リスクを最小化させる為に、右折なんかほとんどしないし、そもそも交通事故リスクを回避する為、なるべく外出もしない。ま、誰とも交際しないから、外出する必要もないし。全てが完全なリスク回避ベクトルへと向かっています。自宅はもちろん、一切の津波、水害リスクはない。田舎だから、痴漢冤罪リスクも皆無、移動は常にセリカだから。必然的に帰宅難民リスクもなにも無いと。日本だから、多分、クーデターも革命も当分は無い。ただ、まあ、なにかあるとすれば、コンビニ勤務時のつり銭不足かな。先日、十円玉ついに足りなくなりました。ただ、わたしの用心深さ、世界ランカークラスなので、個人的に、非常用の十円玉を五十枚常に持ち歩いていました。いったい、コンビニで十円玉が無くなったらどういうことになるか想像がつきますか皆様。代替として五円玉でおつり渡さないといけないことが必然的に類推されますよね。唯一残された選択肢ですもの。五円玉なんて、完全な財布の中の厄介者ではないですか。五百円玉がなくなって百円で渡すならまだしも、十円玉が無くなって、五円玉で渡さないといけないとしたら、その気まずさ、残酷な拷問に匹敵します。どんな国家機密でもすぐ吐いてしまいますよ。ゲシュタポかKGB、ないしはグアンタナモ強制収容所クラスです。コンビニで十円玉が無くなるくらいだったら、病院で、下手な医者に切創縫合を何度もやり直される方が遥かにマシです。そっちは少なくとも苦痛を軽減させる麻酔処置を施されていますから。麻酔無しで、厄介者の五円玉をお客様に渡さないといけない気まずさと比べたら、殺し屋のような女医の縫合失敗なんて文字通り痛くも痒くもありません。
実際、怪我した瞬間とか、縫合処置を受けた時よりも、その後が遥かに厄介でしたね。右腕の前腕部を四箇所切って、二十四針縫ったんですが、もちろん、物は持てません。運転も、全て左手のみ。シャワーも、抜糸までは、傷を濡らさないようにしないといけないし、仕事も出来ないから、休まないといけない。酒も飲めない。スナックにも行けない。一々厄介なことが重複しまくり、それによって、なにもない平穏な日常がいかに幸福であったのか、嫌というほど思い知らされました。幸福にランボルギーニ・ガヤルドもムルシエラゴも要りません。フルエアロならセリカで十分です。いや、セリカでなくても、とにかく、要は、健康で、普通に仕事して、必要な栄養を補給し、ゆっくり入浴する。そういう平穏な日常がとてつもなく価値のあることに気づきました。アンナ・カレーニナのように過剰な快楽を求めるものはボヴァリー夫人と同様に悲惨な運命しか待っていません。洗車したセリカでスーパー行って、肉とビールを買う。先日セリカのウォータースポット(厄介な水垢)だらけの窓を命懸けで磨き、ピカピカにしました。ボディーはもともとポリマー加工で宝石のようにピカピカだったので、全体的に完全なピカピカになり、気分爽快です。傷は癒え、厄介は消滅し、秋が訪れ、暑さも過ぎ去る。窓ガラスはピカピカになり、エリジウムを見に行った時に買った、リル・ウェインのCDを聞きながら、ビールを飲み、焼酎を飲み、おでんを温め、ステーキを焼く。すると見事に焼き加減は絶妙なミディアムレアに仕上がる。幸福は数限りなく重複しまくる。だが、それも、あの不幸な怪我が無かったら気づくことは無かった。このパラドクス。そして、今、こうやって、モーツァルトを聞きながらそのパラドクスは確かに記録された。
今週もステーキは絶妙な焼き加減に仕上がった。ただし、醤油を若干かけ過ぎた。絶妙な焼き加減にピカピカの窓ガラス。あと一つ欠かせないもの、それはもちろん、おいしいチョコレートだ。チョコレート、それは間違いなく幸福の同義語。十月。ロッテのラミーが入荷した。ロッテのチョコは全般的にクオリティーが高い。ラミーはその最高傑作と呼ぶに相応しい。いつも休憩時間は二十円のチロルチョコだったが、当然、我慢出来ず、ラミーを追加してしまう。秋は深まり、ラミーが入荷すれば、やがて冬。高カロリーデコレーションケーキがよく売れる十二月。その月にはクリスマスに加え、もう一つちょっとしたイベントがある。二年前はサイノス、去年はセリカで、夜勤明けに向かった会場で開催されたカラオケ大会である。たくさんの人の前で歌う。一体何のためにそんなことをするのか。それには、当然、明確な解答がある。世界中から愛されるヤクザ映画といえば、「ハムレット」、「アウトレイジ」に加え当然もう一本誰しも頭に思い浮かぶであろう。いや、おしい、「スカーフェイス」じゃないよ。もっと古い。そう、「ゴッドファーザー」 語感的に日本人は、非常に厳格な性格のマフィアの親分みたいな意味だと勘違いしている人もたくさんいそうだが、単に名付け親という意味でしかないタイトルのマリオ・プゾーによるベストセラー小説の映画化作品である。有名な冒頭の結婚披露宴。フランク・シナトラをモデルとした歌手のジョニー・フォンティーンは、ドン・コルレオーネにやばい仕事を依頼する前に一曲披露する。若い女性達は大喜びで拍手喝采する。大好きなシーン。なんの為に歌うかだって? 当然、シナトラや、フォンティーンのように若い女性達に大喜びで拍手喝采とかされたいから以外の理由なんか存在する訳がないじゃありませんか。ついさっき出勤前に起きて、アッシャーのYeahとBurnを歌ったのも、当然、昨晩、友人とバーにいってカラオケでそれを歌って、もう一組いた女性客がキャーキャー喜んでたので、最近、練習不足で甘くなってたアッシャーを次はもっと完璧に詰めて、より一層女の人からキャーキャー喜ばれたいからという理由以外一切何もありません。とは言え、例のカラオケ大会、お客の大多数はおじいちゃんおばあちゃんなので、アッシャーとか歌っても多分うけません。それは、一昨年のレディー・ガガ。昨年のジャスティン・ビーバーで完全なアウェー感をきっちり体感していたので断言できます。なので、今年は、もっと、うけたいので、喜ばれたいので、おじいちゃんおばあちゃんでも知ってる、人類的に有名な曲、MJのビリー・ジーンを歌うことに決定しました。
Dデイ マイナス14デイズ。えー、カラオケ大会二週間前をかっこよく言ってみました。もう十一月も末、デスティネイションデイ、運命の日がある十二月も直前となり、ビリー・ジーンの歌詞も完璧に暗記し、毎日ヴィックス メディケイテッド ドロップをなめて喉を調整中ですが、さすがに加齢要因で喉が枯れ気味になってきてしまいました。去年までは、シンディーのGirls want to have fun、ボンジョビのLivin’ on a prayerあたりまでは歌えて、最高に調子のいい時だけは、ジャクソン5のI want you backもぎりぎり歌えたくらいだったんですが、今年も下半期になってしまったら、そんな高い系の歌は歌えなくなってしまい、ニーヨあたりでお茶を濁す感じもなってきてしまいた。三十三歳でタバコを止めてから、声が高くなって、三十五がピークでしたね、三十六でどんどん下降トレンドで推移し、十二月には三十七になっちゃうよと。もう十分ですよ。三十四あたりで、「もうキリストより長生きしたから、十分だな」って思ってたし、そんなにいつまでも生きなくてもいいんですけどね。三十代になってからまさかのアンチエイジングブームが到来し、体調は人生史上最高となってしまいした。酒を禁止されてから酒の量も減ったし。禁止されようが、なんだろうがどこでも飲めますし、飲みますね。昨晩も、セリカでスーパードライと芋焼酎。スナックで鏡月をさんざん飲んだ後でバーでマリブコーク四杯、ジャックダニエルズのロック二杯飲みました。で、そこで、後から二人組みの女性客が来たので、ニーヨの一番甘い奴を歌っておきましたと。で、さすがに飲み過ぎたようで、いつもは、チョコレート買って、帰って寝るパターンだったのが、カツ丼から、おにぎり、トルティーヤ、ハンバーガーとさんざんいろんなものを大量に食ってからの帰宅、就寝という具合でした。果たして疲れてるときは、飲むと異常な食欲増幅作用が誘発されることが立証された模様です。
カラオケ大会も無事終了し、ほっと一安心していたら、年末年始の例のクリスマスやら、初詣対応やら、チンピラ対応、通報、警察対応やらなんやらかんやらですっかり精神崩壊寸前まで疲労が過剰蓄積してしまいました。やれやれ。で、新年明けての二日目にやっとの休日で、例のスナックとバーで、初ボンジョビ及び初バックストリートボーイズやなんかを披露した後、また例のラーメン屋でラーメン食って、チョコ買って、帰宅就寝後、もう、とにかくいろんなもので精神がやられてしまっていたのか、久々に奇妙なB級SF映画風の夢を見てしまいました。
設定的には70年代後半のアメリカ軍の基地みたいな施設が舞台で、ま、完全に「未知との遭遇」っぽい雰囲気をパクった低予算B級SF映画の日本語吹き替え版、日曜洋画劇場放映風でした。で、そこに目、あるいは目という感覚器官に相等する器官を持たない、宇宙人がどこかで捕獲され収容されるのですが。一応、知能が非常に高く言語による意思疎通、まあ、つまり、英語もすぐ覚えて、宇宙人担当の係員みたいな人とも会話したりするんですが、目がないってことで、当然表情とかもないし、なんか感情表現、感情、生活様式、習慣とかが人間とはまったく違っていて、その宇宙人にとっては、当然で常識的なことでも、人間にとっては無礼だったり、厄介だったり、迷惑だったりして、どんどんその宇宙人が人間達に嫌われていってしまうと。で、こう、いろんなトラブル、事件が続発。結果、もう担当者が我慢出来なくなってしまい。宇宙人を殺害しようと思う訳ですよ。で、医務室かなんかから、超強力な毒薬を、宇宙人の食事に混入するんですけど。宇宙人が人間だと死ぬ毒でも、全然平気だったのです。体が異常に頑丈だったみたいな。ちなみに外見は、ウルトラマンセブンとかに出てきそうな安っぽいデザインなんですけどね。で、担当者も死なないので、今度は、軍人なんで、当時のアメリカ軍制式拳銃、お馴染みコルト・ガバメント45口径でバンバンやっちゃうんだけど、全く通用しないと。と、こうなったら、宇宙人もショック受けたりやなんかで、発作的にその担当者を殺してしまいます。そうなったらそうなったで、もう今度は戦争だってノリで、兵隊がM‐16撃ったり、手榴弾放り投げたりのお馴染みの戦闘シーンが勃発。でも、宇宙人は完全に無傷。ターミネーターより頑丈でしたみたいな。で、もう、死なないし、困ったな、一体どうしたらいいんでしょう、分かりません。フェードアウト、ENDマークというお話でした。いやあ、夢の割には良く出来てるなと思いました。で、配役としてはですね、その主役の《担当者》を「ウォー・ゲーム」のヒゲのおじさんでお馴染み、ダブニー・コールマン、そして監督はもちろん、名匠ジョン・フランケンハイマー。「フレンチ・コネクション2」参照。
昨日の夜勤明けの夢は設定的には現代の日本が舞台で、ま、完全に私の日常生活圏内だって話なんですが、帰宅途中に寄ったローソンの駐車場でなぜか、セリカの後輪が二本ともパンクしてしまい、近所のSSでタイヤ交換をしてもらおうとしたら、タイヤ一本十五万ですって言われました。まさかのボッタクリガソリンステーションですね。ま、夢なんでそういうありえない額を請求されることもあると。しかしながら、夢だと思ってない私は、ホントに十五万だと思う訳じゃないですか、当然。二本だと三十万。だから、もっと安いのありませんか、と尋ねたところ、一本一万円のタイヤがありますと。本来の私のセリカのタイヤが冬用タイヤで一本二万だったんで、一万なら随分安いなと思ったんでそれに交換し、当然、夢の中のボッタクリガソリンステーションなので頼んでもいないのに勝手にハイオクを満タンに給油され、それらを支払いし、発車、帰宅途中あたりで目を覚まし、いやあ、夢だから、実際はパンクなんかしてないし、ボッタクられもしてなかったのだと認識し、とても嬉しく思いました。いや、でも、なんかこう、最近、語調が丁寧になってきているのは、完全にサリンジャーのパクリから、ドストエフスキーの「白痴」の主人公に対する憧れへの変遷を表象していると思います。今、ちょうど読んでいる最中のこの「白痴」なんですけど、間違いなく今まで読んだドストエフキーの中では最高、且つ今まで読んだ小説の中でも最高の作品ですね。主人公のムイシュキン公爵という若造、こいつを評してトルストイが、ダイヤモンドだと言った。とかなんとか解説に書いてあったけど、当然、トルストイ如きにはこんないいキャラは書けないでしょうね。元々、こう私も上品なものに憧れていて、十九世紀の海外純文学でお馴染み、貴族のサロンシーンとかも結構好きだったりもするんですが、このムイシュキンはそういうなんか贅沢な貴族風に上品でもなく、一種独特に上品で、謙虚で、親切で、かつ当然ヒロイックなんですよ。主人公なんで主人公っぽいドラマティックで大胆な言動もたまにはしでかすと、普段大人しいくせに。なんかそういうキャラが好きですね、一番。好きだし、当然、そうなりたいです。公爵に憧れてしまい公爵みたいに上品になりたいので、こう、語調も上品にしていこうかなといつのまにか思っていたらしいです。で、こう、当然、ヒロインも登場しますよ。例のナスターシャ・フィリポヴナ。アンナ・カレーニナ、エンマ、マチルダ(スタンダール「赤と黒」)と同じです。例の海外純文学でお馴染み《美人だけど、厄介な女》です。もし《美人だし、厄介でもないし、何の問題もない女》がヒロインだったとしたら、ドラマティックな物語を作りにくいはずなので、厄介なのは当然といえば当然ですよ、当然。けど、いくら「白痴」に憧れたり。公爵目指してますとか、なんとか言ってもですよ。ナスターシャ・フィリポヴナみたいな女性と交際したいかと言えば当然、嫌です。当然、私は厄介でない美人が好きです。当然、ヴォーグ歌ってたころのマドンナは美人だけど、厄介な女性は御免です。私は公爵のような上品さには憧れはしますが、当然、今、お気に入りのローソンの美しい女性店員はナスターシャ・フィリポヴナのように、ないしは海外純文学のヒロイン風に《厄介》でないことを切に願います。そう願い、希望し、想像、想定、予想され、一言も口利いたことないのも関わらず、既に、そう断定されております。
でも、最近はヨーグルト買うようになったので、スプーンはお付けしますかとは、聞かれますね。で、「いえ、要りません」と答えますと。なので、一言は、口利くようになりました。で、一言どころでないのが、最近よくいくスナックです。既に、スナックに行くというより、独演会に出席するという表現の方が適切であるかのような人生哲学講演を拝聴し、それに対し、類似ないしは対極の思想をブッダ、デカルト、モンテーニュあたりから引用しインテリ気取りに注釈を加えおもしろがって来ました。いや、あれはなかなかの演説家でしたね。独演会スナックの演説家ホステスでした。で、演説家の割りに、アメリカ西海岸風の出で立ちで。ただし会計時の計算公式は多分STAP細胞論文並みのデタラメさなので、いつもいくらはらわないといけないのかハラハラさせられますが。ま、相手は堅気ではないですし、おもしろくて、大騒ぎ出来れば、そこそこは通ってしまうんだと思います。でも、もちろん本当は通いたくなんかないですよ、借りたブリットニー・スピアーズのDVDを返さないといけないので、あと最低一回は行きますけど。でも、やっぱり、あんなとこはお金がもったいないだけですからね。あのナスターシャ・フィリポヴナとデート、例えば一緒に「ロボコップ」見に行ったりとか出来るんであれば、もう、そんなとこには行かないのですが。では、ここで、一旦、そのナスターシャ・フィリポヴナとデートしたり、「ロボコップ」とかを見にいったら、いったいどういうことになるのか、ま、実際は無理なんですけど、仮に可能だとしてどういうことになるのか考えてみましょうか。もちろんシュールレアリズム風にですが。で、当然、まず問題となるのが、そのナスターシャ・フィリポヴナとは一体、何者? えー、誰奴? という点ですよね。もちろん、語源的には、ドストエフスキーの小説に出て来る頭のおかしい女ではありますが、ま、そう思いたかったら、それでもいいし、そのローソンの女性店員の仮名としたければ、そうしてもいいですし、えー、もう、自由で。全て自由判断で結構です。もうそんなことはこのシュールレアリズム技法においてはなんの意味もありません。あるのは、魔法と幻惑。濃い霧に包まれた、正体不明、いかがわしい魔物のような不安定な存在。我々の血もいかがわしく蠢き始めるこの季節、突如出現した謎の異次元空間、霧で視界ゼロの夜間走行中、フルエアロのセリカが迷い込んだ道、そう、そこは正に、あの、《魔界高速》だったのです。
魔界高速で魔界大王の手により魔界公爵へと転生し、ナスターシャ・フィリポヴナをめぐりロゴージンとハリウッド映画風の対決をする、バットマン映画のパクリみたいな空想をして遊んでいましたが、わざわざ書き起こすほどの代物にもならなかったので、あのかつてのカラオケ大会のくだりと同様、ほったらかしにすることにいたします。ビリー・ジーン。ノーミスで完璧に歌ったのにな。先週行ったバーにもカクテル大会かなんかでもらったんだろうと思われるトロフィーが飾ってありましたが、ああいうの見ても一切触れる気になりませんね。もう文学談義一辺倒です。サリンジャーがどうのこうの、マティーニがどうのこうのと語りながら、マティーニをすすってオリーブをかじってきました。なんとか大会とかいう審査系競技どれもどうもいかがわしい。審査員の友達じゃないと賞もらえないんじゃないですかね。カクテルを競うって言われても、あんなの全部、ただの甘い酒にかっこいい名前つけてみましたってだけじゃないですか? いや、別になにも知りませんけどね。ただ、私が必要なカクテルはマティーニと、コリン・ファレル気分になれる例のモヒートくらいですかね。いや、もうカクテルなんかいりません黒霧島でいいです。カクテルもカラオケ大会もまっぴらです。トロフィーなんかこれっぽちも欲しくありません。そんなもんたとえもらったとしても、ピニャコラーダをぶっかけてやりますよ。
五月も後半だっていうのに、まだタイヤ交換していません。いや、あのSTAP細胞会計独演会スナックに毎週通って、心が疲弊してしまい、タイヤを持つ力を失ってしまったのかもしれません。魔界の住人のようないかがわしい客にからまれた所為で、心に深い傷を負いタイヤを交換しようという意欲が打ち砕かれていたのかもしれません。あるいは、ただ面倒だったのでほったらかしにしていたのかも。ただ、もう、あのSTAPスナックにはもう、行ってないです。ちょっと、こう、公爵目指して、貴族に憧れている文学愛好家としては、スナックSTAPは品性の面で問題があったかなと。ブリットニー・スピアーズのDVD返してないけど、もう、なんかいやなんで行きません。別なスナック行って、マイケル・ジャクソン歌ってから、バーでピニャコラーダ飲むコースに方向転換を図ります。マティーニをすすり、あの女性バーテンと、サリンジャーとかフィッツジェラルドを語ったりしたほうが品格の点からもより上質な時間を過ごせるのではないかと、会計もSTAPじゃないんで、きっちりしてて安心ですし、精神を脅かすような客にからまれそうにもありませんしね。そこで、英気を養い、アルコールを浴び、気持ちを高揚させた勢いで来週こそ、見事セリカのタイヤ、交換して御覧に入れましょう。
STAPなスナックもSTAPじゃないスナックにも行きませんでした。セリカで黒霧飲んでから、ファミレスで、生ビール飲んで、ピザとシーザーサラダを食べ、最終的にすき家でチーズ牛丼のサラダセットという、近所の外食産業ゴージャスディナーフルコースからの就寝で、翌日は雨だったので、タイヤ交換も中止。マックでカプチーノ飲んで、「白痴」を読んで来ました。スーパーでペプシ買って帰って、それを飲みながら「アニー・ホール」を見てから寝て、今起きて、インスタントコーヒーをじっくりと味わいつつ、これ書いてます。去年の夏、腕に怪我してからは、正に何の変化、変更、破綻、破局のない、同一事項繰り返し生活継続中で、これから先、何らかの理想へと弁証法的に向かうこともなく、永劫回帰的日常が展開されていくのでしょうか。社会は急速に変化発達するというヘーゲル的観測も可能でしょうが、「アニー・ホール」の1970年代、ビデオもコンピュータもスマホもカセットテープさえもない時代においてさえ、何の不自由もなく楽しそうにビートルを乗り回し、恋愛したり、テニスしたり、サリンジャー読んだり、映画行ったりと、既に何の不足もない幸福にあふれていたようですね。いや、また、ついうっかり、ニーチェだの、ヘーゲルだの西洋近代哲学の大物の名前を出して、インテリ気取りでいい加減な、昔は良かった的安物のノスタルジーにまみれた思想まがいを書き殴ってしまいました。いや、もういいんです。白状します。思想なんかなんにもありません。とにかく頭の中はせいぜい筋トレとかでいっぱいなんです。