その日のピザを忘れるな
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、おとといの夕ご飯に、何を食べたか覚えているかい?
私は覚えているよ。さわらのひらきにすまし汁。モロヘイヤをかつお節であえたものと、豆乳。そして麦ごはんに、コーラを少々だ。
――は? 和食にコーラの取り合わせは、どうかと思う?
うむ、若い頃からコーラは私の清涼剤。欠かすことはできない大切な飲み物なのだよ。たとえ炭酸が抜けていようがね。
とまあ、それらのツッコミは置いておいてだ。つぶらやくんのほうはどうだい、おとといの夕ご飯?
――ふむ、覚えていないか。
いや、この質問ね。簡単な老化現象確認のためのテストらしいんだよ。記憶力の部、みたいな? これをすんなり思い出せるかどうかで、痴呆症、健忘症の疑いを調べる一助になるのだとか。
もちろん、「俺っちは、おとといの夕飯に興味ありませ〜ん。過去は振り返らないし、興味ないことは片っ端から忘れるんで」という言い分もあるだろう。実際、それで困るようなことはめったにないとも思う。
でも、万が一、億が一、求められることがあったとしたら?
ひとつ、先生が過去に体験したことを訊いてみないかい?
つぶらやくんの目に、先生がいくつくらいに見えているか分からないけど、こう見えて先生はまだまだ若いんだ。ほんの数年前までは学生だったんだよ。
で、一人暮らしとしゃれこんでいたんだけど、これまで節制がきいた生活を続けていた反動がここで出た。栄養がかたよるからやめろといわれていた、外食にはまりまくったんだ。
特にデリバリーのものね。先生の住んでいたところの近くでは、宅配してくれるレストランがたくさんあって、それにはまっていたのさ。
――え? デリバリーはめちゃくちゃお金がかかるから、一人暮らしじゃまず頼まない?
うん、相場的にはかなりの割高だ。自分で稼いだ金で注文すると思ったら、ちょっと頭を抱えたくなるくらいにね。
だが、親からの資金援助の額が多かったからね。金銭感覚がマヒしていたのは否めない。その日もちょうど仕送りを下ろしてきたばかり。
いい気になって、ピザのLサイズを注文し、まったりファミコンしながら届くのを待っていたのさ。
先生の夕飯どきは、19時前後だ。実家にいるときからそう決まっていたもんで、宅配もその時間に届けてもらうように伝えていた。
それが18時ごろにピンポンと来た。その音に気を取られて、シューティングゲームをしていた先生の自機が弾をよけそこない、爆発する。
「早すぎんよ、ボケ」と悪態つきながら、先生は財布片手に立ち上がり、玄関へ。ドア越しにもチーズのいい匂いが漂ってきたが、宅配員と思しき人が声をかけてくる。
「小森さんでよろしいでしょうか? ご注文のピザをお届けに参りました」
先生は小森じゃない。このアパート、ネームプレートをはめるところがないからね。実際に聞いて確かめてみないといけなかった。
先生が「違いますよ」と伝えたけれど、宅配員さんは「おかしいなあ」と何度もつぶやきながら、ドア近くからどこうとしない。のぞき穴も通してみたけど、ちょうど見えないところにいるのか、姿が分からなかった。
「あの、本当に小森さんではございませんか? 受け取っていただけないと、非常に困ったことになるんですが」
宅配員さんが困っても、先生は困らない。あくまで突っぱね続けると、宅配員さんが遠ざかっていく足音が聞こえる。
「まったくいい迷惑だ」と思いつつ、先生は小首をかしげる。
先生の大学の友達にも、小森がひとりいる。いくつか同じ講義をとっていて、席も何度か隣り合っていた。
だがあいつの住んでいるところは、ここから駅三つも離れている場所のはず。同じアパート内での間違いなら分かるけど、どうして?
その日。先生の頼んだピザが届くことはなかった。
店に電話をかけたところ、すでに宅配は済んで領収書も受け取っているとの話だった。どうやら先生のピザが誤って届けられ、それを図々しくもいただいた奴がいるらしい。
再配達をお願いしようにも、それは新たな注文としてお代をもらうと告げられる。さすがにおっくうになってきて、その日は適当なコンビニ弁当でお茶を濁したよ。
翌日。講義で一緒になった小森に、先生は昨日のことを話す。
小森は不思議そうな顔をする。自分は確かにピザを注文したが、それは数日前のことだという。
逆に先生へ、そのピザを受け取ったかどうかを尋ねてきたよ。自分の記憶と合わせたいからって。先生が受け取らなかった旨を伝えると、「じゃあ、いいや」と少し肩を落としていたね。
その日から、先生は小森がらみで奇妙な目に遭うことになる。
まず宅配便だ。食べ物じゃない郵便物でも、先生のもとへ宛名違いのものがやってくる。宛名はいずれも小森。
そして間違い電話の件数も増える。
普通、間違いだと分かったら一回で終わりだろう? それがさ、相手が何度かかけてくるんだよ。「絶対に小森だよね。間違いないよね?」って具合に。
先生は電話越しに、自分の名前は名乗らない主義だったのも、この事態に拍車をかけたかもしれない。夜中でも変わらず呼び続ける固定電話に、先生は一時的に電話線を抜いて対処した。
これは小森のいたずらじゃないのか。なんの恨みがあるか知らないが、小森が周りを巻き込んで、先生を盛大に陥れようとしている。
そう思って、大学に行った時に彼を探す先生だけど、ついに見つかることはなかった。それどころか、学校に通っている生徒も、先生のことを「小森」と認識しているようだった。
学内で、知らない人からさんざん声をかけられた。
課題の進み具合。趣味と思しきものの話題。いわれのない因縁まで、こてんこてんにね。先生が自分の名前を伝えても、「しらばっくれるな」って内容のことをいわれたよ。
先生はその日、学内で小森に出会うことができなかった。家は直接は知らなかったが、家の電話番号は知っている。文句のひとつもぶつけてやろうと、電話のコードをつなぎなおして、小森の家の番号を押しにかかる。
ところが、先生の指が勝手に動くと、明らかに小森の家じゃない番号を押し始めた。市外局番から始まるその番号は、先生が今まで押したことのなかったものだ。いったん受話器を下ろすと指の動きも止まったが、かけなおそうとすると、やはり同じ動きをしてくる。
何度もやりかけては、止めてを繰り返したが、ふと先生は思いつく。
――今まで、先生を「小森」と間違えてきた人も、同じような目に遭ってきたのかも。なら、ここはあえて乗ってみれば、何か手がかりがつかめるかも。
今度は指の流れるままに任せた先生。やがて番号を押され終わった電話は、コールの末に相手へとつないだ。
「もしもし、小森ですが」
妙齢の女性が出た。先生の母親と、同じくらいの年代だろうか。
先生は自分の名前を告げようとしたが、なぜか口が勝手に小森だと名乗ってしまう。言い直そうとしても、名前へかかる部分になると、どうしても小森と口を突いて出てくるんだ。
それを聞いて、相手の女性は「ああ」とため息をついて告げる。「息子のわがままに付き合わせてしまってすみません」と。
女性は小森の母親だった。
手短に話してくれたところによると、小森は過去に何度か自殺を図ったことがあるらしいんだ。その際、奇妙なことに周りにいる友達の誰かが小森の名前を名乗り、他のみんなからもそう認識されるようになってしまうらしい。
小森本人は、過去に「死にたい」と数えきれないほどいっていたが、そのたびに両親を悲しませたくないとも、友達に漏らしていたらしい。ひょっとすると、誰かを自分自身に仕立て上げることで、自分は心置きなくこの世を去ろうとしているのでは、と。
「おそらく、私たちもほどなく、あなたを息子と判断するようになってしまいます。そして、本来のあなたは、あの子とともに消えてしまうことでしょう。
あの子の住所を教えます。そこで何でもいい、あなたにまつわるものを探して触れてください。必ずあの子のそばにあるはずです。
そうすれば、あなたはあなたに戻れます。急いで」
教えてもらった住所に、急行する先生。アパートの一階の角部屋に陣取る彼の部屋だったけど、いくらノックしても返事がない。
郵便受けを開いてみても、触れそうなものはどこにも見つからなかった。鍵もばっちりかかっていて、開けることができない。回り込んで窓から入ろうとしても同じだ。分厚いカーテンの向こうに隠された室内に入れなかった。
先生が頭を抱えていると、ふとゴミ収集車がアパートの前を通り過ぎていくのが見えてひらめいた。
ゴミだ。もし小森が、先生に届くべきものをあの日から受け取り続けているなら、ゴミの中にもあるはずだ。たとえば、ピザのパッケージとか……。
先生はアパート前のゴミ置き場を漁る。幸いなことに翌日が収集日で、ゴミ袋はたんまり積まれていた。
先生はその中を漁り、底に近いところからピザのパッケージが飛び出ている袋を発見。間違いなく、先生が注文したピザ屋のもので、ダメもとで触ってみたんだ。
それからすぐ知り合いに電話をかけた。もしうまくいったなら、きっと彼らには先生本人だと認識できるはずだという、お母さまからのアドバイスだった。
結論からいって、うまくいった。立て続けに三人に電話をかけたところ、いずれも先生だと認識してくれたんだ。
次の日。小森はまた大学にやってきた。先生にも自然と挨拶をしてくる。
お母さまからは、例の件について、知らぬ存ぜぬで通してほしいという願いもあり、先生もこれまで通りに接したよ。
もし、あのときにピザを注文したことを覚えていなかったら、先生はいまごろ小森だったかもしれないね。