004 【二日目】森を探索する
恐ろしいモンスターが闊歩する森で安眠などできるはずもない。そんな不安とは裏腹に、落ち葉の寝床を作り、近くに茂っていたシダっぽい植物の葉を掛け布団にして横になると、俺は気絶するように深い眠りに落ち、目覚めた時にはすでに太陽が高く昇っていた。
「なあんだ、ぜんぶ夢だったのかあ!」
グオアアアアアアア――!!
夢オチを期待して試しに口にした台詞は、島中に轟く地鳴りのような音にかき消された。
昨日の竜だろうか。目覚ましにしてはうるさいし、怖すぎる。
まあ、竜の鳴き声などなくてもそこは変わらず森の中で、夢オチでなどあるはずもなかったのだが。
寝ぼけた頭で昨夜のことを思い出す。サルの愚連隊。火の玉猫。そして銀髪の女の子。
「あの子、人間じゃなかったよなあ」
この世界の人間には角が生えている可能性もあるが、それは人間が魔物であるというだけの話だ。自分を助けてくれたことからすると敵とは思えないのだが、彼女は自分のことをはっきり「敵」と呼んだ。
その前に感じた視線は彼女のものだったのだろうか。俺を監視していたのか? いつから? 他にも仲間がいるのだろうか?
疑問はつきないが、考えても仕方がない。それよりも、言葉が通じたという事実の方が重要だった。ご都合主義な感じもするが、どうやらここは日本語が通じる世界であるらしい。だとすると、この世界にも人間はいて、文明社会が築かれているはずだという推測が立つ。
まあ、だとしてもこの島が無人島であるという事実は変わらない。
「よし、今日のミッションは予定通り、森の探索と水と食料の確保だな」
もう丸一日何も食べていない。かなり空腹を感じるようになっていた。
やるぞ!と気合を入れて勢いよく立ち上がると、身体を覆っていた葉がパラパラと落ちる。何気なく見下ろすと、胸から足にかけて小さなムカデのような虫が何匹も這っていた。慌てて振り払う。
「ミッションに追加……快適な寝床の確保」
目覚めのいい朝とはいかなかったが、それもこれから始まる悪夢のような一日の序章に過ぎなかった。
***
見通しの利かない森に入るに当たり、警戒すべきはあの愚連隊ザルと、そいつらを一瞬で蹂躙した火の玉猫だ。奴らが活発になるのは夜間だと考えられるが、日中だって他のモンスターに遭遇しないとは限らない。だから最低限の装備は整えておく必要があった。
火の玉猫が襲ってきた場所を見て回ると、愚連隊ザルが持っていた石斧が落ちていて、それを武器にした。ずしりと重い。これで殺されそうになったのかと思うと身震いがする。
次に砂浜に戻ったところ、予想通り、昨夜二匹が担いでいたトゲカメの死骸が同じ場所に残されていた。死んでから時間が経ってしまっているため肉は食べられないだろうが、その硬い甲羅は身を守る盾としてちょうどいいサイズだった。
これを盾にするためには、自分の手で甲羅を引っぺがさなければならない。
亀の甲羅は骨であり体の一部であり、すなわち甲羅を剥がすということはイコール解剖と同義である。小型のトカゲくらいならまだしも、これほど大きな動物を一人で解体した経験はなく、腰が引けてしまう……が、背に腹は変えられない。
裏返しになったトゲカメの、甲羅と腹の境目に狙いを定め、斧を振りかざす。
その姿勢のまま三分が経過した。腕が動かないのだった。
命を奪うわけじゃない。すでに死んでいるのだ。けれど、俺はこいつが生きていた時の姿を見てしまっている。死骸とはいえその死体を損壊させるのは、生物としての尊厳すら奪うような気がして、どうしても斧を振り下ろせない。
けれど、やらなければ自分の命にかかわる。
「ちくしょう。根性見せろよ俺!」
一度だけ大きく深呼吸をして――俺は斧を打ち込んだ。
***
ヤシの実で水分補給をした後、手に石斧、背中に甲羅という、さながらモンスターのような姿で森に足を踏み入れた。
道に迷わないよう枝を折って目印をつけながら、ずんずん進む。足場は悪いが、森の歩き方には心得があるし、斧で邪魔な枝が払えるのでそこまで大変ではない。武器を装備しているだけでも気分が楽になるもので、昨夜ほどの心細さも感じない。
しばらく進むと、目の前に急な勾配が現れた。山の入り口に差し掛かったらしい。T字路のように獣道が左右に通っていて、右は山に向かう登り道、左は森へと続く下り道だった。
少し迷ったが、左を選ぶ。セオリーでは山に登って高所から水場を探すのが正解だが、体力を消費したくなかったし、獣道をたどって行けばいずれ水場に行き当たるだろうという期待もあった。
「獣道ってことは、動物がいるってことだよな……」
そう思い、しばらく足跡を探しながら歩いたが、ひとつも見当たらなかった。今は使われていないのか。だとしたらこの辺にもう野生動物はいないのかもしれない。愚連隊ザルたちもこの道を使ってないということだから、それは安心材料だった。
快調に飛ばしていたが、すぐに疲労感に襲われた。やはり何も食べていないため体力が十分に回復していないのだ。
「はあ――ちょい休憩」
手頃な岩に腰を下ろし、背負っていた甲羅を脱ぐ。ふと近くの木の根元を見ると、紅色のキノコが生えていた。空腹のせいかやたらと旨そうに見える……けど、さすがに得体の知れないキノコを口に入れるわけにはいかない。
島の植生を観察していると、基本的には元の世界と大きな違いはないようだった。広葉樹に針葉樹、サバイバルでは「見つけたら勝ち」と言える万能ツールの竹なんかも生えている。
しかし一方で、明らかにこの世界特有と思われる種類の植物もあり、ここまで来る間にも怪しげなキノコやら極彩色の実をつけた木やらを多く発見した。可食の野草に関してはひと通り勉強したが、この世界では役に立たない。下手に手を出して少しでも毒のあるものだったら致命的だ。ここには病院も薬もないのだから。
視線を上げると、木の幹にクワガタのような甲虫が張り付いていた。
昆虫は栄養豊富で、将来的な食料不足の救世主になり得る優秀な食料源だと聞いたことがある。生で食べても危険はないだろう……。
「いや、まだ慌てる時間じゃない」
昔は平気で虫を食べていた俺でも、さすがにこの歳になると抵抗がある。
やはり水場を見つけることだ。水のあるところには生き物が集まるだろうし、川が見つかれば魚が獲れるかもしれない。
再び重い腰をあげて歩き出す。するとすぐに、巨大なヘチマのような形の木を見つけた。
日本ではあり得ないエキセントリックな形状だが、南国特有のものか、この世界の固有種かは判断がつかない。俺が注目したのはその形以上に、ピンク色の大きな花をつけていることだった。
花なら蜜があるはずだ。微量でも貴重なカロリー源になる。
おもむろに花に手を伸ばす――
カプリ、と。花弁が閉じた。
「いってええっ!」
思い切り手を引っこ抜くと、手の甲に無数の擦り傷が刻まれていた。
「は、花のモンスター!? そんなんありかよ?」
いや、この木自体がそうなのか。よく見るとヘチマのような幹が胴体で、両腕の先に花を咲かせているようにも見える。食虫植物の異世界バージョンか。
肩を落とすと、今度は背中に激痛が走った。
慌てて振り向くと、そこにいたのは一匹の蜂だった。
毒針を持ち、性質は凶暴で、毎年多くの人が命を落としている、ただでさえ危険な昆虫。
それが異世界だとどうなるか――答えは、〝サイズが十倍〟である。
「キモおおっ!!」
背中を刺されたことより、そのビジュアルの恐ろしさに俺は悲鳴を上げた。姿形はスズメバチと同じだったが、“サイズが大きい〟というそれだけで生理的嫌悪感が半端じゃない。
ブブブ――と大きな羽音を立てながら宙を旋回し、なおも向かってくる。
「うわわ、来るな! あっち行け馬鹿!」
夢中で石斧を振り回すと、サイズが増えた分だけ速度が犠牲になっているのか蜂の動きは鈍く、斧の横腹が簡単に命中した。地面に落下したところに追撃を加えると、蜂はあっけなく潰れて死んだ。
息を荒くしてグロテスクな死骸を見下ろす。刺された箇所がズキズキと痛んでいた。
この花の蜜を吸いに来たのか? 餌場を荒らす俺を攻撃したきたということか。
あらゆる生物が常識外れ。つくづくこの島が油断ならない魔境であることを思い知らされる。
もう絶対に油断しないと心に固く誓い、俺は行軍を再開した。
***
しばらく進むと、日当たりのよい小高い丘に、大きな実をつけている木を何本か発見した。焦げ茶色の球体状の実が、ブドウの房のように密集して梢に生えている。美味しそうには見えないが、粒のひとつひとつがヤシの実くらいのサイズがある。可食ならかなり食いでがありそうだ。
周囲にモンスターや野生動物の気配がないことを確認して、急いで丘を登り、木に触れてみる。幹はそれほど硬くはなく、石斧で切り倒せそうだった。
「悪いな。これも生きるためだ」
これだけの大きさにまで育つまで何十年の時を過ごしたのだろう。そう考えると木の一本も俺にとっては崇敬の対象であり、切り倒すという行為には罪の意識を感じてしまう。
思いきり木に斧を打ち付ける。
ざくっ、ざくっ。小気味いい音とともに順調に削れていく。
「元の世界に戻れたら、俺は木こりになるんだ……!」
無駄にフラグを立てながら斧を振っていると、幹は予想以上に柔らかく、上手く半分ほどまで切れ込みを入れることができた。あとは思い切り押せば倒れそうだ。
ブブッ。
聞き覚えのある嫌な音が聞こえた気がして、慌てて周囲を見渡す。あの大きな虫が飛んでいたら目に止まるはずだが、付近に蜂の姿は見えない。
「……気のせいか?」
木が倒れたら一粒だけ持ってすぐにこの場を離れよう。警戒しながら木に添えた手に力を込めると、斧を打ち込んだ箇所がベキベキと音を立てて潰れ、ゆっくりと傾いていく。
よく見ると、どの粒にも無数の穴が開いているのが見て取れた。
あ、これは……。
木はすでに俺の手を離れ、自重で倒れていく。やがて完全に折れた木の先端が派手に音を立てて地面にぶつかり――
今度は悲鳴を上げずに済んだ。予想通りの展開だったから。
俺は悲鳴を上げるマシーンじゃない。だから代わりにこう叫ぼう。
「もう大っ嫌いだ、こんな世界!」
俺は猛然と逃げた。
食料を得る代わりに、転がった巣から飛び出してきた大量の蜂を引き連れて。