第8章~ヘイトスピーチ~
来たるべき5月13日には自分を「糾弾」するための臨時市議会が開かれる。
「あたしは悪くない」
サンガンピュールはKや警察署幹部の説教にもかかわらず、自分の主張は正しいと信じ続けた。その頑迷固陋な彼女はその臨時市議会の日を待たずに、再び騒動を起こした。
5月8日(木)の午後。ゴールデンウィークが終わり、多くの生徒はテンションがまだ低めな状態だ。
その状態の中、ひかり中学に一人の外国人教師がやってきた。ALT(外国語指導助手)である彼女の名は、メアリー・キーン(Mary Keane)。セミロングの金髪、青い目で30歳前後。にこやかな笑顔が印象的な女性だった。この日は1年1組での初授業だった。
昼休みが終わった後の、賑やかさが少し残っている1組教室に英語を担当するベテラン女性教師、安田先生の声が響いた。
「はい、みんな注目!」
1年1組の生徒31人全員の視線が、新登場のメアリー先生に向いた。
「おおおっ」
ちょっとしたどよめきが室内にこだました。だが多くの生徒は緊張気味だ。生徒全員が起立、礼、着席をして、英語の授業が始まった。
「今日から2週間ほどひかり中学で英語の授業を担当する、メアリー・キーン先生です」
安田先生が日本語で紹介した後、ALTの英語による簡単な挨拶が始まった。
「My name is Mary Keane. I'm from United States.」
だがその時、サンガンピュールはなぜだか急にカチンと来た。なぜだろう、もう既に我慢できなくなっていた。
「Let's enjoy studying・・・」
「L'ennemi de paix! Sortez du Japon et France!(平和の敵!日本やフランスから出て行け!)」
そこには、すっくと立ち上がったと思いきや、もう我を忘れて本来の母国語であるフランス語で声を荒げるサンガンピュールの姿があった。突然の出来事に、あずみなど周囲の生徒は完全にあっけに取られている。
「塩崎さん!静かに!失礼だよ!」
安田先生が日本語で、それも厳しい口調で注意したにもかかわらず、警告を無視し続けた。
「Tous les Americains adore la guerre! Tous ils sont folle!(アメリカ人は戦争が大好き!みんなおかしいよ!)」
「塩崎!いい加減にしなさい!」
英語でない外国語を突然聞かされてポカンとしているクラスメイトが周りにいる中で、サンガンピュールの罵倒は終わった。彼女は「ハァ、ハァ」と言いたいことを言ったような雰囲気で、息を荒く吐いていた。メアリー先生は口には出さないものの、明らかに悲しい表情をしていた。
「ちょっと、ゆうこちゃん、落ち着こうよ」
学級副委員長であるあずみが止めに入ろうとしたが、それでも、
「Taisez-vous !(黙れ!)」
完全に手を付けられない状態になっていった。結局、授業中にもかかわらず彼女は安田先生とあずみに取り押さえられながら職員室に連行されていった。これで教室にやっと平穏が取り戻されたものの、授業どころではなくなってしまった。
メアリー先生はアメリカ・メーン州出身。メーン州はカナダと国境を接する州である。しかも国境線の向こう側のカナダの州はフランス語圏で有名なケベック州だ。メアリー先生はアメリカ人であるがフランス語を多少なりと理解できたことがサンガンピュールにとっては不運だった。
メアリー先生はこの一件で大ショックを受けた。まさか日本に来てフランス語で罵倒されるとは思わなかった。そして「アメリカ人は戦争が大好き」、「平和の敵」と言われて、物凄く悲しい気持ちになった。
この一言のせいで、サンガンピュールは放課後、面談室で安田先生と森先生からこっぴどく叱られた。