蝉啼いて戦に疎き日本かな(詠み人知らず)
09-蝉啼いて戦に疎き日本かな(詠み人知らず)
加藤周一は、昭和の日本が無謀な戦争まで突っ走っていったのは、国務大臣現役武官制のせいだったと言ってました。あの法律のときからだったと、のちに思い当たったそうです。ETV特集が、まだ夜8時とか10時にやってたころ、4回シリーズで『20世紀を語る』のようなタイトルでやってたと思います(VHSからダビングしたので、動画は探してません)。
戦中でも、彼なりにできることをした。大学生でも、学校にきた文学報国会などという組織に入っている作家を質問攻めにした。追いつめられた横光利一は、戦後までトラウマになって、自らの死期を早めるほどだった。ゆとり世代、ゆうたれ。さとり世代、さとらせたれってことだな。
堀田善衛『若き日の詩人たちの肖像』には、その描写はありません。加藤をモデルにした人物は出てきますが、ちょい役。もちろんフィクションです。でも、たとえば小林信彦の『ぼくたちが好きな戦争』の緒戦勝利の浮かれ騒ぎ、敗戦時のマルクス兄弟を借りたナンセンスとはちがう。疎開ものなどは読んでないんですが、やはり子供時代だった人とはちがう。喜んでる周囲との距離感。劣勢となったあとの話はないが、世代がちがうと時代の愚かしさの観察よりも、そこでどう生きるかのほうに感情移入が変わってくる。
『若き日の~』では、主人公は発禁のレーニンの本を隠し持っていて、それを心のよりどころに軍事圧政下、戦時下の日本を生きぬく。ところが、だ。これは良い本かどうかわからないので、検索したほうがいいのかもしれないが、筆者は我慢してつまらない前半を乗り越えて読了したので、その苦労はいらない気もするが、<ワイマール共和国>について書かれた新書を紹介したい。指定はしません。やっぱりおもしろいほうのルートから知ればいいから。
ナチス台頭の時代なわけですが、もちろんヒトラーを止めるチャンスはあった。トップになるだけあってかなりの博打もしてる。進退をかけた場面で、こいつを失脚させたいやつもいて、しかし逃した。ヒトラーは社会主義を看板にしながら、巨大資本家に近づいて、うまく立ち回った。うまくやったんですが、ヒトラーに有利になるように働いたのが、外部のソ連共産党だったという皮肉。レーニンがちょっかい出したばかりに、ドイツのナチ化が進んでしまった。ロシアでうまく行って周辺もドミノ式に共産化するとでも思ってたのか、ヨーロッパに手を出してる。それが、対抗勢力としてのナチスを育ててしまったという、大きな大きなミス。
そんなことも知らず、日本では時勢に押しつぶされそうな若者が、護符のようにレーニンの本を思ってたわけです。
皮肉に重ねての皮肉よ。
さらに、ワイマールでは前の戦争の英雄が老いさらばえて、孫やその周辺の連中にいいように操られていた。まさに老害だが、この若造どもも大概だ。ナチスは利用できると思ってて、結局ヒトラーにやられるだけのザコキャラみたいだ(新書だから説明は多くないが)。読んでて、本当にいやになる。嫌気が差すというより、もどかしい。チャンスはあった、がんばってる外務大臣もいた、WWIの賠償金はでかいし、領土は減るし大変だったが、ギリギリ何とかなりそうなときに世界恐慌が来たり、でも債権国も配慮してくれたり、やっぱりレーニンは敵で、ダメなほうに転がっていく。
いやな時代だ。
そんな異世界だったら、どうするんだろう。今だと、どうなんだろう。どう生きるんでしょうか。
いつまで中国や韓国に謝罪するのか、とネットではよく見ます。でも、空っぽだから、抜け殻みたいな謝罪だから向こうは認めようとしないんじゃないか。筆者も「いつまで」と思うから書いてます。韓国のサッカー選手にはむかついてます。両足へし折ってやりたいくらい。
始めた責任と終わらせる責任。
総理大臣を辞めたがらないやつ、健全な野党を尊重するより内輪もめに乗じてつぶそうとするやつ、そういう権力者に媚びるパグ。阿呆陀羅経の教祖じゃなくて、どういう階級なのかわからんが、とにかくそういうやつとか。いつのときも老害やキチガイはいる、で済ませていいのか。
できることは選挙しかないのかね。組織票に対抗すること、だけなのか。
ところで、NHKの国会中継で字幕が出ないの知ってますか?
だれに言われてるんでしょうか。
言い間違いをそのまま字幕にして怒られるのは、だれが悪いか言えないからではないのか。何を言う。未曾有佑。
IS・イスラミック・ステート。言い替えたの、いつからでしたか? 信心深いマンションの管理人みたいな、へんてこな言い方、いつから出てきたっけ?
覚せい剤。僧りょ。ら致。
ねえ?
この三月まで、ETVの囲碁講座は、ホワイト・ウオッシュされたのかってくらいの面子でした。白人のプロ棋士が講師で、金髪の若いねえちゃんが司会。でも、二人とも日本語でやってた(特に棋士の日本語が当たり前だがくわしいしきれい)ので、クレームなどはなかったようです。囲碁の専門的な話の適不適を、ただ見てるだけのクレーマーがわかるわけないし、実際、外人ぽい合理的に段階を踏んだ講座の展開だったので、好評だったと思います。個人的にも、筋の良い考えができるようになると打ちたくなって困る、なんて変な気持ちで見てました。でも、捨石などはやはりむずかしかった。
30分の講座が終わると、次は、NHK杯トーナメント戦の棋士の対局となる。試合です。手合い。
30秒のシンキング・タイム=考慮時間を使いながら、指していく。<指す>は将棋で、囲碁は<打つ>だが、考えてる時間は、別の部屋で碁盤のサイズをでっかくしたボードが壁に作り付けてあって、講座とは代わって対局のときの解説者と聞き手が、指し手を予想したり指した手の意味を話したりする。囲碁は打った手。ボードに磁石でつく駒を二人が手で貼ったり外したりしながら、別の展開などを教えてくれる。駒でなく、囲碁では石。ボード上の大きめサイズの駒を動かすのだが、糞アナウンサーが駅員でもないのにボードを指差してお前の手が邪魔なんだよカスてめえが読むとこ手でなぞらないとわかんないのはリハーサルが足りねえんだよカスということはない。駒じゃなくて石。
何年か前までは、棋士が考えてる30秒をずっとそのまま映してて、黙ったままでも解説なくてもそのまま時間はすぎて、放送時間がなくなっても勝負がつかないで、決着までは囲碁アプリの自動リプレイやゲーム実況の動画を見るだけ状態の、ただ石が次々置かれていく映像を流してました。
それが、いつからか25秒までの空白をカットして、実際に棋士が石を打つところだけを編集して映すようになりました。ボードでの解説もはさんで、時間内に勝負がつく。最後の、いよいよの勝負手などもしっかり解説されるし、ポカ|(悪手)もさかのぼって見直される。。勝負が決する瞬間を必ず放送するような構成に変わりました。
やればできる。
IS・イスラミック・ステート。だれが言ってるのか、世界のどこで言ってるのか。自称のISILやISISでもない。北朝鮮はDPRKだけど、なんでやらないのか。二回言うのは一緒じゃん。
わかりにくいって言わない。視聴者のためと言えばいいのに、言わない。
できる、のにやらない。
電通ってワクテカ。さぶかる芋テレ。逝ってよし。
な? こういう犬の糞みたいなことは、ばらまくようにやる。
でも、できることをやらない。カッペだからって、できないことじゃないのに、やらない。
文科省が指定するのか? 勾留。こう留。蔓延。まん延。口てい疫。替えるとこ、そこでいいのか? ISも同じか? ちがうんじゃねえか?
大阪のキチガイ幼稚園は、文科省の言うこと聞いてああなった? それとも、自主的か?
官邸からか?官房長の圧力か? キキキリンみたいな顔のスガガリン?
できることをやらないから、<犬HK>と呼ばれる。
劣等感が、たんに負け犬根性でなく、複合的な感情なのがよくわかる。NHKアナウンサーは民放では賓客扱い。その上でのトレンディーなことやりたいコンプレックス。民放は下なのにまねしたい。
たとえばいっとき、CIということが流行りました。Corporate Identity。イメージの統合戦略とか言ってた。
フジテレビの<まんこマーク>などが代表例。
登録商標や、イメージ・キャラとなんも変わらない、ただの言い方ですが。
マスコット・キャラはあったし。放送局がやるのも意味ないが。
でも、視認性が高まるのは事実です。企業なら、作品のスポンサーになったときには認知されやすいから採用するのはわかりますが、どうもそういう理由じゃなかったようです。
電通が言ってるから、やる。
トレンディーだからやる、おしゃれだからやる。そういうことだったようです。
電通に頼めば、かっこいいCMを作ってくれるから丸投げするのと同じ動機。
ところで、鼻クソが顔についてるようなカッペ社長が出てるCMもありました。
すでに、サムライの名にふさわしくない連中が電通の権利取得とグルになって、ほかの競技の邪魔をしている話もしました。
結論から言うと、士農工商カッペ電通。
最下層が文化の担い手となるのはよくあること、というと黒人文化の揶揄となってしまうか、文化の盗用の補強か?
高い文化をめざす、自分の文化圏に誇りを持つ、ということなら問題ないのでしょうが、今してるのはカッペ社長と、田吾作リエイティブ・ディレクターの話|(ダジャレ言っちゃったが)。
いくら流行のものをプレゼンしても、社長に却下されれば終わり。ま、やる気はなくなるでしょう。自分らがオシャレなんだとでも思ってないと、やってられない。自由にできる仕事も、丸投げで審美眼がないやつからの依頼となると、他者の承認がないのと変わりませんから、今ふうにいうとゼロ承認欲求。帰無仮説的キャリア。
そんな彼らは、君たち十代にバカにされるのが一番こたえる。高校生のディスりは我慢ならない。
なぜなら、十代とは可能性だから。選択の可能性だ。
田吾作社長の決定は絶対だ。だから、あんなCMが流れてる。
電通の連中には選択の余地はない。タレントはオファーを断ればいい。それも電通に話を持ってこられたときにやられる。
そして、連中は若いつもりでいる。自分たちを新しいと思っている。しかし、<旬のタレント>が、日本らしさと何の関係もないのと同じで、これはアメリカの影響である。移民の国らしい若さの信仰を、戦争に負けたせいで追随しているだけだ。たしかに、総力戦の戦争で負けたが、すべての分野で日本が劣っていたというわけではない。なんなら、落語家は総力をそそいで笑わせていなかった。バレ(シモネタ、エロ話)は自主的に封印してたし、志ん生は逃げてた。変な喩えだが、フランス映画みたいな映画なら、ハリウッドより良いものを作る。戦前から、西洋の影響はあった。だが、日本のテレビが、腐れ白人やクソハーフだらけになるような糞も味噌も一緒ではなかった。。
憲法などより、こっちの思い込みのほうがよっぽど大きな問題である。
だから、君ら若い人にそっぽ向かれるのが、電通には何よりつらい。
たぶん、事情としては昭和でも変わらなかった。しかし、今はネットでだれでも発信できる時代だ。
昔は、くそつまらないテレビ番組にはチャンネルを替える以外、抵抗する手段がなかった。
昔もTVの向こう側に人はいたんだけど、媒介してるのが政府の犬か、カッペの豚か鈍重なだけの牛だった。
今は、ネットの向こうに人がいる。ネットがあいだにあるだけ。田吾作社長に、あるいは芋社長に「ダサイ」と言える。そう言われたくなくて電通に頼んでる人に、「だせえ」と言える。
トヨタの社長に、「泣いてんじゃねえぞ、とっちゃんぼうや」と書き込める。
アメリカでトヨタ車の不具合が訴訟になってたとき、アメリカ工場の社員を前に、日本から行った四角い顔の細目の社長は泣いていた。しかし、訴訟社会のアメリカで、泣くのは反論できないのと同じである。自ら負けを認めたと思われる。
トヨタの「マウントされました宣言」だ。マウントヨタ。
書くと思ってただろうが、日産のサイトに「観念しろよ、ドゥーン」と書き込める。
「ADSLモデムはただで配ったんだろハゲ。アイフォンも配れや肉団子。アメリカでなに金つかってんだハゲ。通信費ガ高イアルヨ、台湾金玉禿」
お客様の意見が、実際に効果を持つ。クレームじゃないんだから、そこは気をつけろよ。
電通にはこたえる。自分たちへの悪口、CMへのディスりはプライドにダメージを与えるが、スポンサーにやるとビジネスとしても効く。
タレント叩き、個人叩きをやりたくなるのもわかるが、それより番組叩き、さらにスポンサー叩きでここは行こう。
そこから先に進めるかは、ディスりよりも君らのやり方にかかってくるだろう。
なぜCMには巨費が投じられるのか。なぜ作られつづけるのか。必要経費だからだ。広告宣伝費には税金がかからない。
税金を払いたくない政治だから、汚友達がいい思いをするだけだから、の先だ。
何のための視認性だったか? Corporate Identityな。
自分がないから丸投げする。自分がないから、流行にながされる。
商品価値より、イメージを売る。
定番商品なら、そのロゴがCorporate Identityを備えている。会社自体の代名詞である。
だれが見ているかわからないテレビより、映画作品のスポンサーになればいい。ターゲットをしぼれる。視認性は十分。テロップに出しとけば、それでいい。よけいな映像などいらない。愛用者でもないタレントもいらない。予算は、映画に出せる。映画の評判が、企業の批評家としての評価にもなる。
映画のテレビ放映では最近、スポンサー企業のロゴのテロップが、本編のシーンにかぶさって表示されるようになっている。ダイジェストの上に流れて、映画のストーリーの邪魔をしないように前までは気を使ってたが、それもない。企業名が、情報を貼りつけたボードや表示するモニターにかぶって手をちらちら動かす糞アナウンサーみたいに邪魔もの扱いされてる。少なくとも映画ファンには糞みそに言われてる。
アメリカみたいにCMに出るのは格下のタレント、となるのは遠い先だろうけど、そうなるよ。広告うぜえ、はネットの総意だから。士農工商の下みたいに、アメリカの下にいたくないだろ。
頼んだぞ。
ネーミングも、Corporate Identityのひとつだが、親鸞の息子は、善鸞という。おかしいんだよな、悪人正機説の親鸞の息子なのに。だいぶうさんくさいやつだったとしても。だから、親鸞にも先があると思う。八百年前の人をつかまえて先の話もないんだが。
税金がかからないのが広告費。それに対して、なぜ税金をかけるのか疑問なのが、寄付だ。
女子サッカーはW杯で優勝してるんでしょ? でも、所属先が決まらない代表選手がいるとか? スポーツ選手への協賛も寄付になるから、ユニフォームにショバ代を払う形でロゴを貼るしか方法がないという。
しかし、これは電通のせいというより、政治家が悪い。
アベガーじゃない。それも含むが、パーティー・ピーポーの問題。
政治資金として集めた金を自分に寄付して私服を肥やす輩がいるから、寄付に高い税金がかかるようになっている。
2012年のデータだが、五千万円寄付すると、税金三千万だ。
小沢一郎が壊し屋と言われて、既存の政治システムを変えてくれる存在と期待されてるが、不動産屋のまねごとやってるやつが本当にやれんのかと思う。
金儲けよりも、名誉欲で承認を目指せよ、と。歴史に名を残したい病で、白豚の似たような欲に乗っかってしまうゲリリのおじさんもひどいけどよ。
政治屋だから、少子化でも人口減少でも、議員定数は増やそうとしてる。
給食のおばさん増やせよ。
子供の貧困が問題になってんだからよ。<自己責任>と数年前から言われるようになったが、日本じゃその前から<世間体>といって、集団に合わせられない個人の事情は隠す習慣があった。
特に、子供に関しては、<血の責任>とでも呼べるような圧力が母親には加えられていた。やって当然のような空気は、自分を犠牲にするのが当然のように考えられていた。
ヤンキーのママにも「やることやったんだから、けじめつけろ」という形で受け継がれている。
全員が昔からそう思ってることだから、やらないのは恥ずかしい。そして、声をあげることができなくなる。
日本でよくある、同調圧力という悪しきプレッシャー。それに、道徳的に正しい、自分でも善なることと思う、母親としての戒めが加わる。
「助けて」と言えなくなる。社会的にも、経済的にも。
デフレが悪いと言って、ジャブジャブYENを垂れ流して、国の安売りがされてる。相対的に、額面が増えて、数字だけでも景気はいいと言ってる。でも、マクドナルドは59円でいいんだよ。それがファスト・フードだろが。昔の金持ちは、無駄な金をつかわない人だった。鉛筆はちびるまで使う、味噌汁にはワカメと麩だけ、しょうゆも小皿に残さない、そうやって金を貯める人だった。事業にはぶっ込むが。
マネーゲームで儲けるやつが成金でなくて何なのか。井上ひさしが、先輩の作家と(だから大正時代の戦争成金を知ってる)そんな話をしてる対談があったんだが、もう覚えてない。探してくれ。
安売りするから、企業のそれこそ<ものづくり>のプライドもなくなってる。政治家みたいに、不正や改竄をやるようになってる。保護主義でこれやってたら、日本らしさも廃れて、追いつかれて差はなくなって、終わる。
寄付の話だった。志ん生を記念した「なめくじ亭」もない。昭和の名人だぜ。もちろん文楽の「黒門町会館」でもいいが。米朝にゆかりの<八八亭>もない。勧進を呼びかければ集まるだろうが、維持費だの採算だのNPOだのとなると税金とられたあとにやるのか、とビジネスにする人もいないだろう。ビジネスのみで、文化と考えないならなおさらだろう。
なにを恥ずかしいと思うかは、昔から日本人の特徴のように言われてます。
なににこだわるのかは、SF作家でも、大藪春彦にもある。
大藪は、「腹を軽くした」という表現をつかう。ウンコ、糞、と書かない。拷問はひどい。陰毛は焼くし。でも、肉をたらふく喰ったあと、狩猟小屋に残されてたエイジング(熟成肉です)してる肉を勝手に喰ったあと、玄米のおにぎりを食べたあと、することしたら「腹を軽くした」と記述する。ヤクザの女をシャブ漬けにしても、大量殺人のあとでも。
言葉の吟味というか……。二十世紀小説の技法、自由間接話法。英語の問題なので、日本人にはDoneはわからないで終わりそうなんだが、会話文を地の文に開くのは参考になるのではないか。やっぱり、現在完了、過去形、過去完了は区別できないからな、やめとくか。日本語なりに工夫はしてるんだが。
インフルエンサー。これはどうなんですか、死人が出ることもある病気だが。HIVブリンガーとは言わんでしょう。ポジティブになると言っても。ダメでしょう。
安倍下痢三は書いても、赤痢ではやらない。まあ、アカとは一番遠いけどな。
名誉白人。劣化アルビノ。
ネットで「詰んでる」と書き込まれることがある。ひきこもりか?
あまり十代には読ませられる小説じゃないんだが、自分は詰んでると思ってる人にのみ勧めよう。『かね』里見弴(さとみとん)だ。ふつうの高校生とかは読まないでくれ。いやな人生。いやな男の話。最下級、底辺。しかもキモイ。ちょっといいことも起こるのだが、それは小説だからで、こうはならない。こういう人はいないが、ちょっと気持ちがわかる部分もある。考え方もキモイし、エロもキモイし、いいとこ無いんだけど、読まされてしまう。でも、やっぱり、学生さんは待ってくれ。サラリーマンになるまで読まないほうがいい。詰んでると思ってない限り。『放浪記』の男版、て感じ。たぶん、発表はだいぶ前だから影響は受けてないはずだが。つまり『放浪記』でいい。こっちは演劇で有名で、ジャニーズ・アイドルとも関係のあるベテラン女優が代表作にしてた。でも、原作は読まれてなかったようだ。女芸人が急に「性欲が強い」キャラになったりしてた。政欲の強い光浦稲子みたいな。業界で有名な作品でも、あまり読まれてない。途中にはさまる詩のせいでもあるが……現代詩=日本語の口語詩は、自然主義のような変質も振り替わりもなく、混沌のままだ。数学的なカオスでなく、泥沼。こっち来たら詰んでるのでもなく、行き止まりでもなく、本当の迷路だ。
この辺をさけても、本を読むことでテレビで扱われることより先に行ける。詰んでないんだよ。
『進撃の巨人』て、いじめられっ子だった作者が書いてるといわれてるが。
たしかに、台詞や言い方は弱者だが、それを強さが備わってるやつが言ってて違和感がある。何より、あの移動装置がそういうふうにはならないだろうと気になるんだが。
SNSいじめ、なんてものまであるらしいが。筆者にはわかりませんわ。一週間でこれを書くのも、かなりきつい。毎日なにかをアップするなんて考えられません。
たとえば、『めちゃイケ』で、画面のテロップになるような発言をするのは、<よゐこ>が多かったと思うんですが、そういうのは役に立つんじゃないか。まだアナログ放送で、フォントを変えたりの手間がかかったのかもしれないが、よゐこのコメントのあと、ほかの出演者の追い討ちのような交ぜっ返しのような「被せ」の発言は文字にならず、よゐこのが画面に残っていた。あの番組のメインではない芸人が、フォントを一番使いこなしていたと言えませんか。
書き文字、あるいは写真のセンスで、乗り越えられませんか。だから、低俗と言われても、つまらないと言われても、お笑い番組は必要だと思うんですが。もちろん、今でもあるけどな。
幻冬舎の社長が、市販の本にウイキペディアをコピペしても問題ないといってるようです。
あの豚はかつて、つかこうへいの担当編集者だった、じら太りの見城だ。つか事務所のゴミ箱をあさって、字の書いてあるものなら何でも持ち去る、乞食だった豚。
つかの墓前に供えられるような本じゃねえんだよな。
いや、なんでもない。
恥を知らないから豚ではないし、犬ではない。犬でいいと開き直ったときから、そうなる。