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渡辺一夫、風巻景次郎、片岡義男まとめ

06-渡辺一夫、風巻景次郎、片岡義男まとめ



 ***** 

「すべてはこうでなければならないのだ」

あるいは、

「これは正しいもののひとつなのだ」

 という確信のようなものが、ロックンロールのビートをうけとめた人たちの内面につくりあげられた。

 ビートを文句なしにうけとめることができた人たちのなかに、あいまいなかたちではあったけれど、ある種の確信がつくられた。けっして唯一無二の真実をみつけたわけではなく、なにものかを力強く肯定するまずはじめのチャンスが、ロックのビートによってもたらされた。

 一九五〇年代なかばのアメリカの若者にとって、このチャンスはうれしかった。なにごとかを自分が肯定するとは、つまり、自分だけの足場がひとつしっかりと存在することであったのだから。自分の存在に目覚める、と言いかえてもよいだろう。ロックは、単なる音楽ではなく、自分の全存在をかけた体験だった。

 一九五八年にプレスリーが陸軍に入り、アラン・フリードがDJをやれなくなってしまうと、ロックは死んだようにみえた。カリフォルニアにはザ・ビーチボーイズ、デトロイトにモータウン、そしてテレビにはディック・クラークの「アメリカン・バンドスタンド」という概括がひとつの真実味ある現実となっていた。

 

 ***** 


除隊後はじめてのプレスリーのレコードが『オーソレミオ』のうたいなおしであったことも、すこしも不思議ではない。五八年までのプレスリーが黒人的なプレスリーであったとするなら、除隊後の彼は、白人の世界で売りさばかれるホワイトでスイートな商品だった。


 ***** 

 

 ロックンロールは表面的にはハッピーなサウンドであった。だから、いつのまにか人々の心のなかに入りこむことができた。入りこんでしまうと、人と人とをきりはなそうとする社会のなかで逆に人々を結びつけあう力を持った。たとえばファシズムのように、なにかひとつの考え方で人々をなかば強制的にひっくくるのではなく、ひとりひとりが自分自身のことに目覚めたあとで、「YEAH!」なら「YEAH!」のひと言で、物理的なものよりもさきにヘッドによるコミュニティをつくりあげる役をはたす、というかたちの結びつきだ。

 すぐれたロックンロールに対する肯定的な反応のもっとも基本的なかたちは、ジェリー・ホプキンズが言うように「聞いていると気分がよくなる」という反応だろう。気分がよくなる人にとって、ロックは、よくいわれるように、生命への全的な参加なのだ。


 ***** 

 

 ブルースは、アメリカの土地や自然をうたっていない。生活そのままをうたうなら、自然をテーマにしたブルースがあってもよさそうだが、ひとつもない。好きで来たのではなく、労働力として無理やりにつれてこられた土地の美しさは、うたえというほうが無理だが、それ以上に重要なのは、土地に密着した奴隷でありながら、黒人は土地に精神を支配されることのない、土地からはいつもはなれた、観念の人だったということだ。これは、あとになって、彼らのために非常に有利に作用する。

 ブルースは、家庭生活の楽しさも、うたっていない。黒人たちは、白人によって故意にバラバラにひきはなされたので、楽しい家庭は持てなかった。労働力としての黒人の数をふやすために、白人は、馬をかけあわせるのとおなじように、黒人に子供を生ませた。子供は、単に生まれてくるだけで、すぐに自分とおなじに救いがたく不幸であり、生まれるよりは死んだほうがましだった。事実、子供たちは、生まれるとすぐ、多くが母親の手によって殺された。黒人たちは、大地からも家庭からも、はじめから切りはなされていた。したがってブルースのなかでうたえるのは、自分の心のなかだけだった。

 奴隷解放によって、ブルースは、宗教からも訣別することができた。南北戦争は、奴隷を解放するかしないかの戦争ではなく、アメリカに資本主義を押しひろげるための経済戦争だった。奴隷から解放されてとりあえず一個の人間になった黒人は、自分にとってはこれまでよりもさらにひどいアメリカを見た。「個」になれたことはなれたのだが、アメリカは自分をそのなかに含んでいてはくれないのだ。労働が、黒人にとってはじめて、つらくなった。

「約束の土地」天国は、こんなところに生きているかぎり、なんど死んでも自分の手には入りっこない、と黒人は考えた。しかも、「約束の土地」を約束してくれたのは、ひたすら激情的に耐えることのみを教え、自分たちを白人に順応させるためにつかわれた、このひどいアメリカを支配する白人のキリスト教ではないか。ブルースは天国をあきらめ、感傷を致命的に欠いてすさまじく正直でリアルな、この世・・・の音楽となった。天国のかわりに、死があらわれた。死は、最も現世的なものの極点だった。

 

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 黒人にしかブルースはできない、つまり、黒人とまったくおなじ生活を体験しないことにはブルースはできない、とする説がある。黒人であることが、ブルースに対する唯一の権利証だと定めるこの考え方は、ある特定の音楽はある特定の生活環境からのみ発生するという考え方に、とらわれすぎている。

 レッドベリが言った「白人にブルースは一度もなかった。白人に心配事は一度もなかったから」は、生活のみが音楽を生むという考えのなかでは、これ以上に正しくなれないほどに正しい。

「ロックは電池だ。充電するにはブルースが必要だ」と、エリック・クラプトンは、言った。アーネスト・タブは「ブルースは、人間におこりうる最悪のことをうたっている。ブルースにうたわれていることがまだあなたの身におこっていなければ、それらはやがてあなたにふりかかってくるだろう」と言う。ジャニス・ジョプリンは、「ブルースのようにしか、やりようがない。田舎でひとりなにかに目覚めかけているとき、まわりの状況に耐えきれず、そんなときレッドベリを聞いてショックを受け、サンフランシスコに家出した。私は、いまでもそうだが、常にひとりだ」と言った。白人中産階級の若い女性にも真剣な心配事があることに、レッドベリは気がつかなかった。

 クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルのジョン・フォガティは、自分のブルースを次のように表現した。

「世の中と極度に緊張した関係に立ったとき、フリーウェイをひとりで車で走り、肺活量のありったけをしぼって意味のない絶叫をあげる」

 チャールズ・カイルは「この四〇〇年のあいだ黒人を悩ませてきたのとおなじ強さで、白人の若者たちがなにかに悩まされている」と言い、アルバート・キングは「いまの若い白人たちは、私があの年代に感じていたのとまったくおなじことを感じている」と言う。レッドベリは白人の悩みに気がつかなかったが、アルバート・キングは、うっすらと気がついているようだ。

 (ぼくはプレスリーが大好き)



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 思うに当時、宮廷貴紳を挙げて、このさき如何になってゆくか分らないような不安なけはいがあらわれてきておったことは、すでに諸君の諒解された通りである。保元平治の乱や清盛の独裁政治というようなものは実は表面化した一部のあらわれに過ぎないのであって、あの四百年になんなんとする平穏な平安時代に、このような異変を可能ならしめるようになった、その見えざる世相の転変こそ、きわめて徐々にではあったが、公家の人心に無常を観ぜしめる、どうにもならぬ原因であった。だから、大僧正だいしょうじょう慈円などは『愚管抄ぐかんしょう』の中で、歴史を推進させる道理の存在をきつく主張したけれども、その道理が具体的事件の上に如何に働くものであるかを法則化して見せる社会史学のようなものは、何ら存していなかったのであるから、人々はただ何となき不安の中にあるのほかなかったのである。現世の真面目な勤勉が、何らそれに正比例する報いを保証しない。案外に人目を誤魔化して追従贈賄を行うと利目ききめがある。そのような事実は人心を極度に自棄的にするものである。人を怨み、怒り、己の生涯に不平不満を持つことは常住となる。けれどもそれは、それまでの仏法の教にしたがえばすべてが堕獄の因である。如何に己の心を良く保とうとしても、ちいさな個人の意思が己を制し切れないほどに、世の中の相は人心を刺戟しやすく、怪奇で混乱している。もし人心の帰趨するところに流されるのを潔しとしないで、独り孤高の清節を撤そうをすれば、誇りかな心は逆にまた驕慢きょうまんの罪を犯すこととなろう。


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 私のいいたい点を諸君はすでに察しられたであろうか。私は大義名分の上から見て、吉野朝の悲運を導いた、尊氏の叛逆はんぎゃくを認容できないが、だからといって、吉野の廷臣がすべて英雄になったとはいいたくない。鎌倉末の京都貴紳が数百年来未曾有の吉野流離という非常事を体験したことによって、その異常さを日常茶飯のことと感じるほどたくましい野人にたちまちにして変質したとは私は思わない。人はそうあるべきだと心の何処かで期待するが故に、『新葉集』の歌調が万葉人的生気を帯びないで、依然として二条派和歌の調子であることを不満とするのである。人は遠く現代から吉野時代を望見して、大観的に吉野方を悲惨と規定する故に、吉野朝廷の歌に異常な生活の変質と生気の汪溢おういつを感じたくなるのである。もしそうだとすれば、それはいわば歴史理解の充分しみ透っていないことから生れた、思わぬ誤解であるとともに、そうした異常らしい場所では、異常な人間気力の爆発を味わいたいと思う心そのものが、すでに一種無責任な芝居見物気分を混じていないとはいえぬことを自戒すべきである。吉野の廷臣に、何故お前方はもっとつよい歌を歌わぬかと責めるのは、何故万葉人なみの野人にかえらぬのかと責めるに等しい。そのような不満をもらす前に、私どもは自らは手に負えぬこざかしい文化人であることを反省した方がよいのではないか。すると歴史の透視ということは、がらりとして一変するであろう。実朝があのような歌を詠んだのは、稀有の立場にあったためで、彼の天分のみを以てすれば、あの万葉調の擬古作品をなしたに過ぎまいということは、私の述べたところですでに感じられたことであろう。


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 とにかく、作歌が貴紳の嗜みとなったのであるから、同時にそれは芸道となりきったのである。芸術と芸道との相違はしばしば日本の芸術に関して述べられるところであるが、芸道・・ということについて、これまで人は余りに高く評価しすぎており、何か神秘的な意味を感じていたようである。しかし実は芸道を口にする時代の生活には、またそれを口にする人々の間には、その時代の芸術を創造する力は失われておるのである。右の点は厳に注意されねばならぬところである。ただ一般にいって、すでに完成された芸術作品を専ら鑑賞する側に立つ大衆からいえば、定評あるものをたのしむのが早道でもあるし、また自然そうするほかない事情もあるだろうから、純粋にそれを愉しむという態度を持つ人には、おのずと芸道的色彩、つまりその嗜みによって生活の感じを統一し、一種の風格をつくるというような傾向が出るのも当然であろうが、創作する人間が、自分の芸術は数奇であるといい出すときには、彼はその時代の創作家としては落伍らくごしたものといわれても仕方がないのである。もし彼がなお詩人であると主張するならば、その「詩」は、その時代の現実の生活に結びついた情緒とは別の地盤の上にある「詩」にほかならないのであろう。

 (『中世の文学伝統』風巻景次郎)


 

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 ポステルが狂人と見られたのは、馬鹿馬鹿しすぎる夢のような<君主国>建設を説いたためでもありましょう。しかし、狂人視されたポステルは、むしろ幸福だったかもしれないのです。ラブレーのように、モンテーニュのように、「……を堅く誓う、たとえ火刑にかけられてもとは申さぬが」と、ふざける必要もなかったからです。なぜならば、狂人ならば、多少<進歩的>な<危険思想>めいたことを口走っても見のがされることがあり得るからです。殊に博学な狂人ならば……。ギョーム・ポステルは、一五八一年九月六日<夜の九時に、生れてから七十六歳三ヶ月と九日目>に他界しました。ポステルは、生前何度も遺言書を発表しましたが、死後更に別な遺言書が発見されました。それによりますと、晩年の交友関係や愛読書がわかりますし、狂想めいた考えなどは全くなくなっていたことが察せられるそうです。星占いのノストラダムスが神秘なヴェールをまとって無事に乱世を生き抜いたことと、ポステルが狂気に陥ったと見られることによって、これまた無事に生き延びたことには、なにか共通したものも感ぜられます。

 ギョーム・ポステルに対する同時代人の評価が極めて区々としている結果、我々としては判断に窮するくらいです。聖人・無神論者・異端者・大傑人・大碩学・悪魔憑き……と、さまざまな立場の人々からさまざまに批判されました。恐らく、当時の人々の及びもつかぬほどの新知識をポステルが持っていたために――当時の人々の精神の条件となっていたものをポステルが持っていなかったために――換言すれば、当時の人々の共通な偏見を持っていなかったために――異常に讃えられ、異常に罵られたとは言えないでしょうか?

 そして、現在の我々が、ギョーム・ポステルに対して親しみを感ずる点があるとすれば、それは、ポステルがその学識によって人間の救済を志し、新旧両教の対立を越えてキリスト教徒マホメット教との和合までを説き、トルコ人にもすぐれた人間性を認めることを主張したことです。更にまた、フランスの東洋学者に言わせれば、ガストン・マスペロやシルヴァン・レヴィやルネ・グルゥッセの先覚者として、ギョーム・ポステルは考えられることでしょう。

 (『フランス・ルネサンスの人々』渡辺一夫)

 

 

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土 榎本殿は、蝦夷にこもって、いったい誰に節をささげるおつもりなのか。


榎 それに価いする者なら、誰でもよろしい。


土 その名を、お聞かせねがいたいのだが……


榎 もう、昔のことになるが、私がオランダ留学に出掛けたとき、途中、セント・ヘレナという島によったことがあります。フランスの皇帝ナポレオン一世が流され、死んだ島だが、なにぶん小さな島で、おそろしく水が悪い。飲み水は、容器一杯ずつ、高い金を払って買わねばならぬほどなのさ。もっとも、そこには、ホスピタール、すなわち医者の詰所がついた治療所があって、寄港の船に患者が出れば、無料で手当をしてくれる。誰が損をおぎなってくれるのかと聞けば、国家だという答えで、これにはつくづく感服いたしました。


土 榎本殿、話をそらさないでいただきたい。


榎 もちろん、そうさ、ホスピタールの事など、どうでもよろしい。私が話したいのは、ナポレオンのことだった。その噂に名高い、セント・ヘレナの島影を、いよいよこの目にとらえたとき、感慨無量、なにやらぞくりと毛肌の立つ思いがしたものです。それっきり私は考え込んでしまった。なに、ナポレオンのことなら、読んだり聞いたりで、一部始終をすっかり心得ているつもりだったのだが、どういうものか、どっさり頭の鉢に灰をつめられたみたいで、毎日書き続けていた日記も、それ以来ぷっつり止めてしまったほどだった。ああ、これが歴史なのかと思うと、見るもの、聞くもの、糸の切れた凧のように心もとなくて仕方がない。いったい、何にそれほど心を打たれたのかというと、つまりこういう事なのさ。どこの馬の骨とも知れぬ小男が、みるみる頭角をあらわし、ついに皇帝の位についてしまった。なに、そこまでのところなら、べつに不思議はない。と言うのは、その前に、もっと不思議なことがあったからだ。町人どもが、それまでの皇帝を刑場に引きずり出して、首をちょん切ってしまったんだな。おまけに、君主などというものは、もう沢山だと言い出した。おれたちだけで、やって行こうと言うわけだ。そんな馬鹿なことができるものかと言うものもいた。主人がいなくて、家が治まるはずがない。各人、てんでんばらばらの、したいほうだいでは、禽獣小屋も同然ではないか。そんなふうだったから、ナポレオンがめきめきと頭角をあらわしたとき、誰もがほっとしたと言うのだな。これでやっと、忠誠を捧げる相手が出来た。そのうえ彼は、君主ではない。たいそう人気だったのだが、調子に乗って、ナポレオンが帝位につくと、とたんにその人気が下火になったのさ。あげくに、あの寂寞とした孤島に流され罪人として死んで行った。やはりフランス人は、君主などいない方がよかったと考えたのだな。しばらくの間、連中は、君主なしでやってみた。べつに、内乱にもならなかったし、外国に占領もされなかった。いったい、何が、フランス人を、そのように統一させ得たのかな。君主のように、民心に秩序を与えるが、君主ではなく、しかも君主より強いもの。私が、一心に考えはじめたというのも、つまりはその君主以上のものの正体だったのさ。


土 お分りでしょうか、いま私は、刀の鞘をはらうのを、やっとの思いでこらえているのです。


榎 これは思わぬことを聞くものだ。士道に関するわれわれの意見は、完全に一致をみたはずだったが……


土 榎本殿の説には、なにやら我慢のならぬものがある。


榎 はて、それではよくよく、私の説明に落度があったとみえるな。私は、説など、まだ一つも立ててはおりません。ただ、当節、君主面の欲っかきが、右往左往して目に余ると言ったまでのこと。おかげで臣下の忠誠も、四分五裂、これではわれとわが身を食い亡ぼすようなものだ。土方さんの言うとおり、忠誠はどうしても一つでなければならぬ。この共食い状態にけりをつけ、国論を一つにまとめてくれるような、唯一無二の忠誠だ。最近、西洋のほうでも、諸説紛々で、ある者はやはり君主だと言い、ある者は国家だと言い、またべつの者は人間だと言う具合で、なかなか決まった説はないらしいのさ。


土 もう一度だけ、おたずねしましょう。榎本殿、蝦夷地で誓う忠誠の主の名をお教えねがいたい。


 (『榎本武揚』安部公房)



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