表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

プロレス

05-プロレス



 コンクリートの壁が、丸くへこむ。お椀状に圧迫された跡ができる。アイスクリームの表面をスプーンでくるりとひと匙きれいにすくい取ったような、クレーター状の壁や地面のダメージ。

 1980年代、大友克洋に影響を受けた漫画家は多かったのです。青年漫画で、白い漫画|(書き込みが少ない。特に背景。ネットで写真を探してトレスするのが夢のような時代)と言われてたころから、亜流と言っては悪いが、少女漫画にもいたし、どんな影響なのか少年漫画から外れていった人もいました。デッサンに留意した(正しくはない、マンガだから。特に顔の表現)描写は、動画|(アニメ的な)よりもイラストに適していたのか、もともと漫画よりそっちが向いていたのか、江口寿史などはファッション・イラストレーターみたいになってしまう始末。『刃牙』第一シリーズには、モーグルのジャンプを失敗したみたいな、人が逆さになって足を広げて空中に飛ばされる絵がよく出てきますが、あれはそっくりなシーンが大友の作品にあります。なんと言っても板垣ズボンみたいな画風と、おしゃれイラストの江口が同じ人に影響を受けてるのがおもしろい。

 人の動き、体勢をリアルに描かなければならない格闘技をテーマにした漫画は、さらに独自の表現を発展させたようです。柔道の『Yawara』もですが、プロレスの小林まことが特にそうです。初期と比べるとよくわかるし、ギャグ漫画によくあるキャラが三頭身、二頭身になっていく現象からも脱しています。

 しかし、現実への影響ということでは、小林の『1・2の三四郎』の悪役・柳|(キャラの名前)やザ・カミナリマンが現在も生きている、ほうふつとさせるキャラのレスラーが現実のプロレスのリングに上がっていることのほうが驚きです。平成十年代頃からか、総合格闘技|(MMA=ミックスド・マーシャル・アーツ)ブームによってプロレス人気は低迷しましたが、ようやく人気を盛り返した最近のプロレスのリング上で、昔の面影がわかる人にはわかるレスラーが、今の客に怖がられたりブーイングを浴びてたりするのを見ると、時代は巡ることを感じさせてくれます。

 ところで、この「ブーイング」ですが。

 やりますか? ふつうに「ぶー! ぶー!」て言いますか?

 公の場であまり感情表現をしない日本人が、「ぶー! ぶー!」なんて幼稚に聞こえることをやりますかね? いくら昭和のあるいはバブルの調子にのった状態でも。いまの、ゆとりだのさとりだのの人はどうなんでしょう。親指を下に向ける外人っぽいジェスチャーに抵抗ありませんか?

 いつから日本でやるようになったのかは諸説あると思いますが(検索しないで書いてます)、筆者はプロレスから広まったと考えています。

 アドリアン・アドニス……ホモの存在を日本に教えた。めめしくないオカマという男のあり方。

 リック・フレアー……プリテンダー(ふりをする。やられたふりをして、そして油断して気を抜いたところで逆襲)。

 テッド・デビアス……ミリオン・ダラー・マンというキャラをアメリカではやってた。それ以前に来日したときには、正統派の敵役だった。パンチが得意|(グーで殴るのは反則だが)。悪いやつだけど、声援もかかるやつ。キャラ変更してたが、前のように応援すると、とまどっていた。やっぱり厭味な金持ちじゃないじゃん、てことで応援を続け客は沸いていた。だれの指図か、シナリオか、なんて関係なく。

 スティーブ・ウイリアムス……同じく、殺人医師という漫画みたいなキャラになっていた。背は低いけど幅はあって、憎たらしい強さだった。ここだ。客にブーイングを誘ってたと思う。外人レスラーに対してだから、外人しぐさもやりやすかった。前のテッド・デビアスのときも試合は変に盛り上がってたが、やっぱり、悪役がはつらつとすると物語がヒート・アップするのは、映画でも何でも同じだ。日本のブーイングはここからと認識する。

 スタン・ハンセン……そのちょっと前の時期に活躍。まだ外人に外人のやり方で非難を浴びせるのはちょっと怖かったと思う(外人にわかってしまう。でも日本語では、ハンセン馬鹿野郎と言う島国根性)。

 ブルーザー・ブロディ……上に同じ。原始人みたいなキャラが似合いすぎた。でかいし、強い。

 だから、この後くらいからじゃないか。ブロディは悪役だけど実はインテリだとか、キャラに無いことも言われるようになった(正統派のファンク兄弟がアメリカ・オンリーのキャラだとデス・マッチを得意とすることなどは逆に隠されたりもしていた)。強すぎるやつどうしで外人対決の試合も組まれた。日本人の体格では、正面衝突するには、でかすぎるどうしとも言えるが。当然、日本人どうしの試合もあり、古い悪役に代わって、反逆者のキャラが出てきた。

 そのうち日本人の悪役も、アピールがうまくなって、ブーイングで客を沸かせることを覚えた。

 たぶん、映画の『仁義なき戦い』シリーズが、学生運動の挫折と連動してたように、当時の世相との関連性を述べるべきなんだろう。一億総中流のぶきみな連帯、全体的な都市化。それに反しての、過疎の始まりと田舎の疎外感。どっちにしても、海外旅行をするようになって知る日本人の田吾作感。若い層には、ツッパリの反抗心や組織への反感が強めに出はじめる。

 ただ、プロレスの観客は、見巧者ではやってられないというか……。正統派の少々のミスには目をつぶって育てる意識もあるが、そうでないはみ出しものに喝采する人たちだ。あるいは、ほかのスポーツから、邪道というか幼稚ではないが下に見られている。そのせいで、新しいものを取りいれやすく、ほかも真似しやすい。

 そうやって日本文化に、みんなで一緒にできる批判のデモンストレーションの形式が浸透したと考えるがどうだろうか。もちろん、ぶー!と言えること、言うひとが増えたことに文句のあろうはずがない。

 プロレスの話をつづけます。

 「燃える闘魂」……だれのキャッチ・フレーズでしょうか? ブラジル移民の日本人の子がスカウトされて日本に来て、この肩書きで売れたんですが。

 悪役の外人がどういうものか上に書いたから、タトゥで「侍」といれていても、飾りとは思わないんじゃないですか。総合格闘技の隆盛のころも、外人の空手家に人気がありました。総合|(略語)が下火になったから、日本人が勝ってても盛り上がらないのではなく、勝つためにつまらない試合をしてるから廃れた。勝ってのスター気取りがキモイやつがいる。状況が見えてないというか、悪役よりもヘタクソというか。

 とくに敗けないためだけの戦い方はつまらない。

 それで思いだされるのは、2018年サッカーW杯の日本チームのやり方でしょう。負け残りでも、W杯にまだ居たい。それだけのために、負けてるのにだらだら試合時間をつぶすだけ。

 同じ組のほかの試合の結果で、日本は試合に負けても、勝敗の兼合いで次の試合もあると。だから、ほかの試合の成行きが変わらない限り、何もしないと。

 それでよくサムライ・ブルーなどといえるものだ。試合をする闘魂がない。大和魂がない。

 ネトウヨなにしてんだよ。ネットじゃウザイくせに。世界大会だから残ればほかはチャラになるのか? 逆に世界に恥をさらしてるが。鹿鳴館には厳しいんだろ。

 第二次世界大戦の特攻隊とはちがう、あとさき考えないのは本当の戦いじゃない、戦いを知らないとほざいてたサッカー界隈の連中もいた。勝つ気でやってたんだよ。昭和19年9月の段階で、まだ浅草の芸人たちは戦争に勝つ気でいると、永井荷風が書き残してる。荷風には芸人も本音をいってるよ。特攻するやつは、死ぬんだから、自分は負けるのも同然だ。だが、自分が死んで少しでも敵を倒すか、これ以上無駄な死人を出さない方針に変わるか、とにかく自分以外の状況を良くするために、死を選んだのであって、犬死にや無駄死にではないんだよ。戦いが終わるなら、死ぬことも辞さなかったのであって、死んで負け逃げじゃないんだよ。

 ネトウヨなにしてんだよ。神風特攻隊を侮辱してるぞ。てめえらの負け犬根性の言い逃れのためによ。

 天皇杯で同じことやったら、殺るよな?

 負けるのはわかってて戦争をはじめたと戦後になっていってるやつには厳しいこと言うんだろ。

 ネトウヨなにしてんだよ。サッカー界の年寄りって、努力でいける程度の人なんじゃないのか。サッカーやる人が少なかったから、つづけてたら何とかものになっただけの現代サッカーとは関係ない化石じゃないのか。 ノモンハンで負けて、そこで気づいてたら、やりようがあったはずだよな。負けるの悔しいし、いやだからな。自虐史観も始まりはそこだしよ。サッカーの国際大会の試合でわざと負けるようなことしてんのに、ごちゃごちゃ言いわけするやつらがいるんだよ。

 ネトウヨのみなさんよ。あとは頼んだ。話をもどします。

 これらを見てもわかるように大和魂イコール侍じゃない。

 単なる時代区分であって、侍特有の性質ではない。名のってもふさわしくない人がいて、名のれない時代があった。

 色好みが、武士の時代の前にはそうだったのである。平安時代、もっともすばらしい大和魂を持っていたのは、光源氏に喩えられるような貴族だった。だから、歌を詠む、恋をする、別れる、また恋をする、歌を詠む、そういうことに長けた人が、大和魂の体現者であった。男に対した場合は、政治力も含まれる。

 だから、現代ではアイドルにそれを見出すことができる。すなわち、光ゲンジである。

 女にもてること、かっこつけること、相手がブスでもいやな顔はしないこと、ブスにもベストを尽くすこと。芸能界では、アイドルは下の立場にいるのかもしれない。芸人が下層の、笑われる人であるように。だから、大和魂を名のれないのも、本当かもしれない。まぬけな名前を付けられてもいるし。Kita-Kj-Fk2。平安時代みたいだが。kintama&Penis。直接すぎる。

 しかし、アイドルには大和魂は持つことはできないなどということではない。むしろ、外人のプロレスラーのほうが侍の名にふさわしいとか、そういう話に通じることである。

 口バクでチャラチャラ踊ってるやつが、そんな大和魂なんか持てるわけがないと思いますか? 昔は貴族のものだった、は山本健吉という国文学者の説なんですが、しかし、どうですか、『プレスリーから始まった』はもう知ってるわけで、読みました?

 一応、引用。

 

 

 *****


 アメリカのシェイ・スタジアムのコンサートで、ビートルズは、一曲だけ、うたわず演奏せず動作だけやってみせた。いかにも力いっぱいやっているように口をあけ体を動かし楽器をあやつったのだが、ほんとはなにもしていなかった。観客のさわぎがあまりにも大きいため、動作だけであることに誰も気づかなかった。ビートルズの、ポップな価値の、おそらくこれが頂点だろう。


 *****

 

 

 ビートルズのほうがローリング・ストーンズより真面目で、ロックなのは後者だと世間では言われてますが、ストーンズについても書いてありました。金儲けばっかしてる年寄りに見えることがあるのは、なぜかわかりましたね。

 アイドルが持ってるなら、お笑い芸人も持ってる。

たとえば、ビートたけしの弟子になった若いやつが、先輩にはじめてコンパに連れていってもらう。芸能人になったから自分もモテるようになると期待してると、集まった女の中で一番のブスをみんな先を争って口説いて、ブスの順に一緒に店を出て行くのだという。女を簡単に引っかけるどころか、素人のときでも声をかけないようなブスになぜ行くか? 

師匠がブス好きだからである。魂を感じませんか?

たけしになりたい、と弟子になって、ブスを口説く。この場合、承認欲求は、だれによって満たされるのでしょうか。たけしにか? しかし、ブス好きは個人の趣味で、芸人として学ぶことではない。そこに憧れてもいないだろう。いやいやながらだろう。では、ブスが喜ぶと? 芸人だから、笑わせてナンボ。後輩にしめしがつかないのも、笑いを取れないこと。それ以外は、とりわけブス狙いは迷惑だろう。

でも、やるってことは、理屈抜きの、魂のレベルのことだからだ。

たけしが老害といわれる時代には、言葉が通じないくらいに理解できないことかもしれない。美意識の崩壊と、ポップ・アートが言われるように。

おなじく、とんねるずはパワハラだという。テレビ局のスタッフやアナウンサーをたたいたり蹴ったりする芸人は、とんねるずとダウンタウンだけである。番組の企画でなく、ぶっ飛ばしたりするのは、おもにこの二組だ。

たけしやさんまの世代は、まだテレビ局に敵対することになると思うのか、出させてもらってる意識がつよいのか、やらない。というより、やれない。

だが、アナウンサーがくそつまんないこと言ってるのに、当然の罰があたえられない。そんなものを見たいですか。

とんねるずは、売れてるから、大物タレントだから、若いやつをぶったたいて、立場を利用してるからパワハラか。スリッパでたたくとか、それ用のやわらかい棒でたたくとか、張り扇でたたくとか、昔からいろいろあるなかで、フライング・ボディー・アタックをかまして、笑いは起きてるんだが。前三つはコンプライアンスとか言って禁止されてても、それを見越していたことにはならないだろうが。

くそつまんないこと言ってるのに、だれも手を出せない。ほっとくしかない。これは、制度としてのパワハラではないか。制度がそうということは、これは封建制だ。

芸人は大和魂を持ってる。上述したように。それが制度に押えつけられて、できないことがある。魂を譲り渡すときはもう来てるということじゃないのか。

魂でなく、制度で動いてるものは、ぬけがらだ。

たたき壊すときだ。それとも、見ている側も、日本人の魂も、現代の魂もなく、ただ垂れ流されてることの通り道でしかないのか。

とんねるずは芸人ではなくタレントだと、揶揄をこめて言われることがある。彼らが、帝京魂としばしば口にするのはなぜか。高校時代のことなど、大人には過去にすぎないのか。

平安時代が終わらないと、侍は魂を持てなかったのか。神風特攻隊は、大本営の魂のない指令に、ただ従っただけだったのか。昭和19年でも勝つと思ってれば、つよい魂の持ち主か。永井荷風は、西洋の魂を持って、明治、大正を生き抜いて、昭和をどのように見ていたのか。

平成が終わり、次の年号がくそみたいなものになるんじゃないかといわれています。

クソじゃなくて下痢だって? 知るか!



///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

//

// ここには、旧『小説・宮崎眞行』の断片が

//入るはずでしたが、現在フロッピーディスクを

//読めない状況のため、先送りとします。

// ちなみに、プロレスの章は、シンギョウとtが、

//一緒に学生プロレスの動画を見る話でした。

// そこは、時代に取り残されてない。

// 今でもたまにある大学生がコンパで女を泥酔

//させて輪姦する事件。学園祭のプロレス同好会の

//試合で首謀者に覆面かぶせてリングに引きずり上げ、

//ボコボコにした映像。それを見ながら、

//tがAVならではのコメントをする。

// 汁サークルが! かかってこいや!

// シンギョウは剣道部代表で戦います。相撲部と

//柔道部が仲悪くて、セメントになったりします。

//まじ喧嘩のことです。力道山のオマージュ。

// 筆者は世代でないので、シンギョウを金髪

//下駄履きで悪役の上田馬之助スタイルに

//しました。

// 今から創作してもいいんだが。先に説明

//などを済ませたい。         

// 

///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ