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教室で

03-教室で



 『ワンダーランド』(石川優吾)にも、コンクリートの壁が、丸くへこむ、お椀状に圧迫された跡ができる、アイスクリームの表面をスプーンでくるりとひと匙きれいにすくい取ったような、大友克洋のマンガの超能力バトルで街が破壊されるときの例の表現がありますね。やっぱりあれ、漫画家なら一度は描きたい絵なんでしょう。

 『超可動ガール1/6』(OYSTER)では、どうだったかな?

 『ハクメイとコミチ』(樫木祐人)はまだ読んでません。

 これに、『南くんの恋人』(内田春菊)を並べるともうわかりますね。

 小説・宮崎眞行は、剣道家(現代でも道場を守り続けている。小学生である事件に巻き込まれる。その後も傍目には不幸な人生を送る)と、tと名のる女(コンセプトは夏目漱石『こころ』のアンチ。人物としては、コンピュータ・マニア、AV女優、フーゾク嬢)の物語だった。そう、この女が身長十二センチになる。

 M君(ミヤザキ・ツトム)が、幼女を誘拐して殺すのに対して、シンギョウは、小型化した女を家にかくまって助けてやる。

 シンギョウは、事件の影響で片手に障害がある。tは、シンギョウの家からもネットを使って不在を不審に思われないように連絡を取る。AVなら、メールだけでドタキャンしそう(偏見)。自分の家のサーバーにもアクセスする(ローグ・タイプのゲームを自作して運営してる)。むしろ、スマホのアプリの課金で稼ごうとしてるという今どきの設定のほうが適当なようですが、なぜ『スマホなき~』なのかというと、画です。

 シンギョウは剣道家だし片手は不自由だし、コンピュータなど使わない。しかし、tのために手伝ってやる。そのとき、マウスを握るシンギョウの右手の甲の上に、身長12センチの女が馬乗りになって指示をする。「ダブル・クリック! もうちょい速くよ」「はい、中指は押したままね、右の別の窓のとこ行って、いや手を振りすぎだって、マウスパッドから落ちる落ちるあたしも落ちる」右手の上で、ロデオ・ガールさながらに小さい(サイズが)お尻をぷりぷりさせながらギャーギャー言う。まさに、おてんば。

 キーボードは、ファンクションキーをさがしたり、数字キーを確かめたり、見ますね。でも、マウスは、一回握ったら見ません。見ないからこそ、居ると想像できる。これを思いついたとき、行けると思いました。

 ところが、スマホは身長12センチでも操作できてしまう。助け合う作業がないのは、tのシリアスさも減らしてしまう。シンギョウが、片手ですいすいスマホを操るのも、いや、例えば聾唖者には便利なのはいいことだし、そういうことを否定はしませんが、小説なんで。フィクションなんで、キャラに合わないし、これまたシンギョウの武骨さが出ない。

 おまけにスマホ太郎だ。批判が多いが、それだけメディア展開されてるってことだからな。筆者は見てないんですが。

 戦闘がすこ。それはいい、とりあえず。

 戦いってさあ、いや、戦争ってさあ……。

 

 

////////////////////////////////////////////////////////////

// 

// ここには、旧『小説・宮崎眞行』の断片が

//入るはずでしたが、現在フロッピーディスクを

//読めない状況のため、先送りとします。

// ちなみに、○×小学校1年のシンギョウは、

//学校へ刃物を持って乱入してきた殺人者と戦う

//のですが、教室に取り残された同級生の女の子

//から注意をそらし、引き離すため、犯人を挑発

//するように動きます。教室に担任の先生が

//到着すると、女の子のそばで守ります。

// 戦うのは先生になり、ほかの先生たちも

//かけつけ、犯人を取り押えます。

// 後日、先生がシンギョウの負傷のお見舞いに

//行くと、家族は未熟なせいとだけ語り、

//先生は困惑する……というような流れでした。

//

//////////////////////////////////////////////////////////// 



 外人には忍者はわかっても仏教はわからない。  

 そういう筆者も『ボーン・アイデンティティー』を最初に見たときには、『ロングキス・グッドナイト』を思い出しただけで、アクションはすごいと思ったが、ほかは何も気付かなかったんですが。

 でも、世界のどこかに楽しんで見てるやつがいる、となるとウエズリー・スナイプスのB級アクションもゴリゴリのカーチェイスやったりして、がんばるんだよなあ。まあ、よかったんじゃないですか。

 

 親鸞が語ったことを弟子の慈円が書き残した書が、親鸞の思想を知る重要な手掛かりとなっています。 

 教行信証は、<教>と<行>と<証>のそれぞれについて、経典や和漢の注釈書の記述を集成したもので、親鸞みずからの記述はほんの少しだけです。要するに、仏教まとめ。


「善人なほもて往生を遂ぐ。いはんや、悪人をや」


 よく、悪人にスポットを当てた解釈がなされるが、結果的には善人でも悪人でも浄土|(天国に相当)には行けるのだから、現世の人に語るための論法だ。どっちが優先って話は、並んでるときの問題。

 しかし、現世では、どうにもならないことがある。

 病気。スポーツ選手のケガや病気と聞くと、不幸の影の暗い気持ちより、良いものがつぶされる、何かにさえぎられたために進めない残念な気持ちのほうが大きい。先はあるのに、見えてるのに、とどかないことが確定する。無理な負荷なんだろうけど身体を鍛えてるのに、よくなろうとしてやることでも、どうやってもマイナスの因子は消えないのか。

 災害。どうしようもない。幼稚園児が津波に流されて犠牲になるより、死んでいいやつはいくらでもいるという宿命説が空しくなる。

 ネットに晒された情報は永遠に消えない。垂れ流したやつを殺しても炎上が増えるだけ。どうやったのか、わからないことさえ自分のせいにされてしまう。使い古されても残り続ける。有益な情報が消えてるのに。

 レッテル。マスコミだけの話でなく。男に都合のいい女といううわさが回る。前科者が正当防衛でも、知られる前に避けられる。集団の和を乱すのはタブーだが、集団を維持してもだれが得をするわけでもない。排除によって、やっと成立する関係性の弱さは、自分のせいと平等に思わされる。

 現世では、どうにもならないことがある。

 しかし、浄土にそれはない。

 だから「早く浄土に行きたいと思わないのは人間の煩悩だ」と、浄土真宗は言う。

 ネットで言う<逆ばり>に見えるかもしれないが、これは、せめてそのくらいの救いはほしい人のためだけにあるのだろうか? 

 先に挙げた、病気、災害、ネット、レッテル。あるいは、人種、国籍。何も自分には関係ないと言える人間がいるのか?

 では、となりの人がそういう危機に陥ったとき、何ができるか? 自分は危機にはない、<悪人>ではない状態のとき、救えないことがあるのもまた、どうしようもないのではないか。となりの他人も同じで、となりより遠い国のように関係ないか。

 例えば、自分の命より大切な人が病気なってしまった。が、自分の命を差し出せば治るという。ならば、救えるのなら、やる人は多いだろう。そのときにどうやって悪を見分けるのか? がんに効く水と、がんが消える体操は? いっしょにやっていいのか? 自分もいっしょにやるのか?

 それとも、がんを消せる人に救いを求めるか?

 やっぱり、がんを消せる新興宗教の施設に並ぶのか? 

 そのときは「善人の列ですよ」と言って誘うのか? がんが治ると信じている人のなかに、信じてるふりをして並ぶのか、それとも本気で言ってるのか。

 それでも、「悪人の列ですよ」とは言えないだろうと親鸞は言ってる。

 首に縄をつけてでも連れて行ったら、首がしまる。

 タバコを吸うな。社会全体がそう言う。余命の限られたヘビースモーカーにも。

 オーバードーズ。麻薬のたぐいでなく、治療薬を山のように飲ませて延命をはかる医療システム。

 現世の条件で考えてると、悪といわれることに加担する。現実に自分も含まれている以上、他人の善について比較できる地平がない。悪はもちろん、善と思いながら、人間は流されてしまう。浄土を設定することで見えてくることがあるだろうという、そのために浄土は天国である。

 しかし、それを煩悩というのは無理がある。「早く行きたい」は、行きたくないの逆説以外、考えられない。それがふつうではないか。遅くなっても行きたい……この件に関しては、なにも言ってないのと同じだ。手遅れになるから。逆もどりがないから。

 悪の道と善とそれ以外のたくさんの場。

 

 そういうことで筆者は、坂本龍馬が忍者に出会う物語を、浄土に行かない結末にした。

 龍馬は、やがて暗殺される。沖田総司も、病気で死ぬ。

 この二人に「早く浄土に行けて良かったね」と言えるのかというのが、あの話のテーマだった。

 だから、寺の境内で戦うが、二人とも生き残る。

 しかし、だれもわからない。

 外人はしょうがない。忍者をマンガと思ってるんだろうし、亀もいるし、それしかわからなくても。日本人はどうなってるのか? なにしてんの。教義としての仏教はわからないとしても、しかし、こんなに広まってるのにどこからも出ないもんかね。

 いや、もちろん、悪は前世の因縁というのが従来の定説だから、そういうのはお得意で、インチキくさい話をつぶすのはやってるでしょう。世間もそんなにたくさんの人が、まがいものにだまされたりはしないでしょうよ。

 でもジャップさあ、いや、なんでもない。

 でもさ、沖田が忍者の里に行って、殺し合いをするわけ? それとも、剣の戦いを教えて、忍者たちの殺人術を向上させるのか。もちろん、何人殺しても浄土には行けるんだから、効率化、高度化の問題だけだが、じゃあ、なんで龍馬は内戦を避けようと、大政奉還のために奔走したのか。江戸幕府から狙われるだけでなく、討幕派からも故郷の土佐藩からも殺されそうになることを、なぜやったのか。北辰一刀流の免許なんて、どうでもいい。どうせ、あまり使わなかったし。ピストルも持ってたけど。

 なにを信じていたかは、いいことだとおもってるからそれを選ぶわけで、だから一神教が出てくるとこっちも困ってしまうんだが。こっちというのは、親鸞のこととして考えてるんだが。

 悪については、その先がまだあると思ってる。親鸞のそのまた先ではなく、本人の考えが、弟子に書き残させただけではないということ。

 でもジャップさあ、いや、なんでもない。

 外人にも忍者はわかって、殺し屋やスパイの物語を作って、殺しを屁とも思わないキャラを造る。理に適った方法を採ることには、目的が殺しでも親近感を持つというね……なんともこの。

 伝わるものはある。これは、大きな励ましだな。良いこともあるし、悪いこともある。

 外人を外国人と言い替えてもなんも変わらんけど。



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