「ぼくはシミー・ドゥーリーが大好き」ピンク・アンダーソン
02-「ぼくはシミー・ドゥーリーが大好き」ピンク・アンダーソン
天才が、頭おかしくなって表舞台から消えてしまう――なろうとは真逆だ。遅れた異世界に偶然飛ばされて、ふつうの知識で無双できる――昔のミュージシャンにはよくある話だった。もちろん自称天才もいっぱいいた。破滅型というより、何も片付けられない男。単なるヤク中。
この男はちがう。その名はシド・バレット。ほかのミュージシャンにも一目置かれてたし、何より残されたバンドメンバーの思い入れがつよかった。ひとりが死んで解散してしまうグループもあって、それはそれで強い気持ちを感じるが、いなくなった人が中心になって作ったものを継続していくのは、待っている気持ちも合わさって、見ているもの聴いているものの心に迫るものがある。
彼は、初期のピンク・フロイドのソングライターで、リードギターで、メインボーカルだった。
フロイドの代表作は、彼の脱退後に出た『Dark side of the moon』になるだろう。発売の1973年からアメリカのピルボードに741週チャート・イン。15年売れ続けたモンスター・アルバムだ。ジャンルとしてのプログレッシブ・ロックでも最大の代表作である。だが、シドがいたころのフロイドは<サイケデリック>なバンドで、彼がそのまま残っていたら、音楽性の変化もなく、こんなアルバムは生まれなかったしヒットもなかったなどと言われている。
そんな批判が的外れなのは、『Dark~』のコンセプトには、シドが大きく影響していることで、はい……いや、なんでもない。
邦題『狂気』(昔の翻訳ものに付き物のくそダサさ。まあ『ぼくはプレスリーが大好き』も入るか)は、シドからの安易な連想だが、収録曲「Brain Damage」には、The lunatic is on the grass、Got to keep the loonies on the pathと、狂人が出てきて、The paper holds their folded faces to the floorと、配られた新聞が読まないまま折り重ねられ、The lunatic is in my headとまで歌う。
そして、And if the band you're in starts playing different tunes。I'll see you on the dark side of the moon。
1973年といえば、まだベトナム戦争のさなかです。地球の裏側まで戦いに行った近隣の若者が、頭がおかしくなって帰ってきた。自由のため、平和のための戦いなのに。そういう戦いと聞いて立派な若者を送り出したのに。共産主義と民主主義の戦いは、それと資本主義の戦いだったのか。新聞はうそばかり。読むものかと思ってたら、載るものだったよ、死亡記事だけど。だれも教えてくれなかったし、気付いたときには遅かった。それを狙ってるの? 指揮官のくせに何してるの? 何のためにぼくらは走り続けるの?
そんな世相にぴったりあって、大ヒット。
ちなみに、アメリカでは、サイケデリック・ロックや、アート・ロックは流行ったが、プログレッシブをやるバンドはあまり出なかったようです。クラシックの要素やジャズの要素が必要な長尺の曲のジャンルは、歴史の浅さから前者が、黒人がやるものだから後者が排除され、結局は<産業ロック>と揶揄されるような、いわゆる売れ線ねらいのものが多くなったようです。
「Brain Damage」にもどると、different tunes(おかしな音)を出しているっておかしくないですか? 頭がおかしくなったシドが、ではなく、自分たちがおかしくなったら、と歌ってる。まだ、彼のなかの音楽は狂ってないと信じてる。まだ、月の裏では会えない。音がおかしくなった俺たちが行く。そこで会うのは、頭はおかしくなったが、音は正しいままのシドだ。だから、もしシドが始めたバンドが変な音を出すようになったら、ちょっと立場はちがうけど、昔みたいにまた君に会える。俺たちがおかしくなるかもしれないし、シドにもおかしくないことはまだあるんだ、という歌だ。このあと、とても悲しい事実に直面することになるんだが……。
それはおいといて、月の裏側という距離の遠さはともかく、自然の場所です。人工的ではない(たとえば病院や収容所)し、人でごみごみと混む(薄暗いクラブ(踊るほうの)や狭いレコーディング・スタジオ)ようなところでもない。ドラッグで狂ったシドのことから、これらを連想するのは当然だと思うが、そうではない。
これは、シドはナチュラルな天才である、という記憶のほうが現在の状況よりも強く思い出されるということではないか。
ほかの曲でも、さっきのon the grassのように、green fieldが、cold steel railと対比されていたり、さいなまれるものとしてsteel breezeが出てきたりする。Green fields, a cold rain is falling。Set the controls for the heart of the Sunは自然を描いているが、Point me at the skyは一点見つめしてる人のことだから並べるとおかしいが……。シドの作風が童話をタイトルにしたり、風刺物語を引用したり、文学趣味だったのもあるが、その彼に白鳥になって会いに行ったりする。そのときでも、 if I go insaneと自分のことを言い、If I were a good manとくりかえす。……もっとあると思うが、狂気のほうばかり注目して読んでいるので指定して挙げられない。映画のサウンド・トラックにもあるはず。
インスト(Instrumental 歌なし。楽器だけ)の曲もプログレには多いから、そういう仕事を受けるのも当たり前のようだが、バンドのメインがいなくなって、まず副業みたいなことやりますかね。音を固めるというか、欠けたことをどうにかしようと考えそうですが。でも、その必要がないってことは、それ以前からシドはメインなんだが、そのほかのメンバーも、ひとりの天才に引っぱられたり、あるいはその影に隠れたりなんてことは、なかったんじゃないか。つまり、ジャム・セッションをしてた。シドはちょっと抜けただけだ。ちょっと休憩。抜けたり、ほかのバンドのやつが入ったり、よくあること。今日は都合悪い。でも明日はだいじょぶじゃね。そういうことだったんじゃないか。
だから、シドの不在は、残りのメンバーには重荷でも負担でもなく、ましてや呪縛でもないから、ジャムの続きで多角的に、映画の仕事もバレエの音楽もできたのではないか。
ジャムに、観客のいないライブまでこじつけるつもりはありませんが。
もちろん、探り探りなのは、メインがいなくなったことの大きな影響で、いろいろと試していただろう。ただ、中心的な存在だったというのも「こうだろ、なんでわかんねんだよ」とか「そうじゃなくて、ちがう音くれ」なんてことでなく、メンバーから「こんなのどう?」と出されたアイディアに「そうか、こういうのもあるか」とちょっと変えて弾いてみたのも、「おれ採用」と思えるような、そんなリーダーだったから変化を恐れなかったんじゃないか(シドは三つほど年下)。
ちょっと休んでるだけ、という暗黙の了解で、サイケからプログレへの変化も、シドは「いいじゃん」て言いそうで、シドが加わるとどうなるんだろうって気持ちはみんなにあって、だから歌詞にはよく出てきて、変な音にならないようにと思いながら、新しいフロイドになっていったんじゃないか。
そして『Dark Side of the Moon』が大ヒット。
さて、次は?
その二年後に『Wish You Were Here』が出るわけだが――現世の成功なんてこんなものか? 君がいないと、これでいいのかもわからない。すさまじい成功らしいんだが、まわりは騒がしいし、大人たちがそう言うんだが、煙草一服して……て、クスリを勧められても――なんか、そんな感じ。あと、シドに直接呼びかけてます。
というのも、このアルバムのレコーディング中のスタジオに、ある日、よくわからないハゲでデブでよれよれのオッサンが現れたそうです。だれかスタッフの知り合いかと思ってたメンバーは「あれはシドだ」と聞いて涙を流したそうです。
もう、月の裏に行っても、そこにはシドはいない。あのシドはいない。もどってこない。知らないオッサンしかいない。そして、この人にはバンドの音が間違ってるかどうかもわからない。もう二度と、自分のプレイで「いんじゃね」なんて聞けない。
このへんは自分で調べたほうがいいと思いますよ。こんなふうに軽く書き流せないのがわかると思います。
ちなみに筆者は、ベトナム戦争世代|(=学生運動世代)ではありません。シドの話は少し知ってましたが、ピンク・フロイドはフュージョンみたいであまり聴いてませんでした。キン・クリもELPも、ピンと来てませんでした――アメリカのソウル・ミュージック派。でもフロイドのルーツもそっちだけどな。シドの脱退後のソロアルバムは聴いたことありましたが、長時間の演奏の集中力も持続力もなくなって、シングル曲のころの才能の輝きの片鱗すらなくなってて、暗澹たる気持ちになってしまい、そのあとくり返して聴くことはほとんどありませんでした。
そのあとはと言うと、バンドは継続されて、よりコンセプトのつよいアルバムをいくつか出しました。まともな社会批判だったと思います。最近でも、古い曲を流用してトランプを豚に例えてコンサートをやったりして、まともです。が、つまんない。大きなウエイトを占めていたテーマがなくなったのだからしかたない。? こう書くとやっぱりシドが抜けたことはプレッシャーだったことになるが、それも間違ってはなかったのかもしれない。リーダー格だったメンバーが自分の意向に偏った音楽をやるようになって、解散してしまうから、シドのリーダー像も壊れてしまったのかもしれない。なんかもっと揉めてるようですが、追ってません。いろいろなエピソードも、この文章のために調べて知りました。
やはり触れないとおかしいから。99岡村が、頭おかしくなったことです。
プラスとマイナスは符号だと、すでに書きました。チンカスと言われた、そのことに対する批評。批評の批評。批評者の批評。じゃあ、チンカスが倍になるか、ルートで表すのか。ルートなら幾何になるから、算術級数より影響は大きいか。数学のことは、もう書いた。
とにかく、治ればいいんだよ。
アイデンティティー論で回復したなら、それでいい。ネットには「またなれ」て書き込みも見かけるが、次も効くならそれでいいし、別の方法もある。哲学に主観論と構造論があるように、心理学にはアイデンティティー論とコミュニケーション論がある。どっちかが効いたら、どっちかは意味がなくなるわけでもないし、二分したどっちかにすべてが入るわけでもない。
「ぶりかえせ」「もう一回入院」て書いてるやつ。わかるよな?
しかし、ネットの連中ってなにを基準におもしろいかどうかを決めてるのか。テレビに限らずだが。
ネットの中での評判がそんなに当たってるか? まるで、楽屋でおもしろい芸人が本当は一番おもしろいと言ってるみたいだが。楽屋こそ、年功序列が如実に現れるんじゃないのか? スベリ芸人がつまらないMCに同調してるのは、スルーしてるようだが、自分より下だとわかってることにはマウントに行かないのは、そいつに安心してるってことだが。司会のポジションでつまらない芸人と、スベリ芸人は同列か?
電柱にひっかける小便の高さ比べだけしてて、ちゃんと相手を見てないの、わかってるのかね。
じゃあ、逆にほめられてるやつ。ペン・パイナッポーは動画サイトで火がついて、世界中でヒットした。そのきっかけは、ジャスティン・ビーバーだった。なんで、気に入ったと思うか? 音楽性? ピコピコだろ。変な衣装か? 服がいらないくらいタトゥー入れてるけど?
なんでか? ジョニ・ミッチェルのせいに決まってる。
ジャスティン・ビーバーはカナダ出身だ。彼自身が意識してたかどうかじゃない。遺伝子にすり込まれてる。象徴的に編集され刻印されている。伝統とはそういうものだ。それがミュージシャンにしたとまでは言えないが、なるくらいだから、少なくともほかの国にいる人よりも聞く機会は多いし、通ってるはずだ。
「Big Yellow Taxi」
老害なんて言ってる場合か? 病気らしいんだよ。
では、話をもどして、ここでも最後に引用。
シドが、ピンク・フロイドに最後に残した曲は、デビューから二枚目のアルバム『A Sauceful of Secrets』の「Jugband Blues」。
すこし趣向を変えて、ピンク・アンダーソンでなく、フロイド・カウンシルでもなく、Eddie Kelly's Washboard Bandの曲から抜粋。洗濯板は、蛇腹みたいなところをこすって音を出す打楽器に使うらしい。ちなみにJugは水差しと翻訳されますが、瓶の口に下くちびるを付けて息を吹き込むようにして低い音を出す、あれのことらしいです。
「Shim Shaming」
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My Mama won't allow no washboard playing in here
My Mama won't allow no washboard playing
I don't care what mama allow
I'm gonna play my washboard here anyhow
Mama won't allow washboard playing here
My name is Ed I play that man
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My Mama won't allow no shim shamming in here
My Mommy had a shim sham around here
I don't care what mama allow
I'm gonna eeya-eeya here anyhow
Mama won't allow shim sham...
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I don't careというのは、こっから来たんでしょうか。
シムシャムというタップダンスのステップがありますが、どういう関係かわかりません。