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信じてたよ。

 コドーズの魔法の鞭から逃げるようにベルニージュは通廊を進む。邪な鞭が空気を裂く音と、壁か床を打ち付ける音が背後から聞こえてくる。古からの祈りが染み込む壁は崩れ、女神への信仰を支えてきた柱が折れる。コドーズが物置部屋から脱出しなくとも鞭は鞭で勝手に働くらしい。ベルニージュは罰当たりな破壊を背にして息を切らせながら必死に走り、ユカリとレモニカの姿を探す。


 魔法の鞭の獲物を嚇すような唸りは破壊的で背徳的な音を轟かせ、黒に塗られた神殿を無慈悲に打ち壊していく。崩れ行く日干し煉瓦の様子は、ベルニージュとユカリで初めて元型文字を完成させた時のアルハトラムの惨事を思い起こさせた。


 この破壊力であればコドーズはもう檻を出ていてもおかしくない。そう気づくもベルニージュは振り返らずに走る。鞭はまるで神の宮に恨みでも晴らすかのように暴れ狂い、しかしベルニージュを執拗に狙ってもいる。


 いくつかの廊下を通り抜け、かの女神の偶像が安置された祭祀場のすぐそばの部屋で、銀の格子の向こうに黒い髪が少し短くなった背の高い少女を発見する。


「ベル! やっぱり! この音はベルじゃないかと思ってたんだ。レモニカは!?」


 ユカリは目を覚ましているが、魔導書を取り戻してはいない。魔法少女には変身できないし、杖も出せない。グリュエーと話すことも檻を壊すこともできない。哀れな狩人の娘はただ銀の格子にすがりついていた。


「分からない! いま開く! それとこの音はワタシじゃないから」


 そう言ってベルニージュは銀の格子を正確にこするが、格子は開かなかった。よくよく見ると植木鉢の形状も、そこから伸びる銀の木の姿もベルニージュを捕らえていたそれとは違う。


 ベルニージュは悪態をつく。「あの女はわざわざ別の魔法で同じようなものを作ったの?」

「どうすればいい? ベル」

「ユカリはとにかくできる限り身を守ってて」


 そう言うと、ベルニージュの頬を風が撫でた。


 そうしている間にもコドーズの魔法の鞭が神殿を破壊する。知られざる神聖性を持つ瓦礫が無残に飛び散るが、不自然な風が吹いて他所へ飛んでいく。梁ももがれ、とうとう屋根が崩れ、濡れた空が露わになる。雲も無いのに雨が降り、日差しに煌めいていた。力強い雨だが朝の雨乞いが成功していたのであれば、この程度では済まないはずだ。


 そこへコドーズが現れる。長らく神聖な儀式を見守り、人々の不安から醸される祈りを聞き届けてきた屋根を、魔法の鞭は無残にも破壊して雨を呼び込みつつ、降りかかる瓦礫を弾いてコドーズを守っている。コドーズのにやにや笑いがそういう意味であれば、つまりクオルの魔法道具か何かでこの魔法の雨を降らせているのだろう。


 コドーズが余裕ぶって煽る。「これで頼みの炎は封じられたんだろう? 魔法使いの小娘よう」

 ベルニージュは嘲る。「クオルを嫌ってる割に何もかもクオル頼りだね。意地や誇りは見世物にならなかった?」


 鞭がベルニージュに躍りかかり、代わりにユカリの部屋を粉砕したが、その部屋の天井や壁に這っていた銀の檻は健在だった。


 鞭の先端の邪眼と目を合わせないようにベルニージュは立ち回り、魔法を行使する。蛇除けの呪術は、蛇の特性を組み込んだ魔法の鞭の動きを鈍らせ、鎧の魔術は鞭の衝撃を大きく弱める。拾い上げた小さな瓦礫に呪いを込めると、瓦礫は一人でにコドーズを打ち、鈍い悲鳴をあげさせる。透明蛇の抜け殻から作った薬を柱の影に使うと柱の影は蠢いて、コドーズを縛り上げた。炎など使えなくとも、魔導書などなくともコドーズやクオルの魔法道具などに負けはしない、とベルニージュは自負している。


 しかしコドーズを戒め、鞭を振れなくしても、あいかわらず魔法の鞭は(つがい)を奪われた愛情深い蛇のように暴れ狂っていた。それとてベルニージュの思惑通りだった。


 雲無き空から降る細雨は陽光を受けて濃い蜜のように煌めいている。ベルニージュはその煌めきを利用して一つの像を作った。それは実体のない幻であり、しかし魔法の鞭の先端の邪眼にはベルニージュそのものに見えるまやかしだった。


 魔法の鞭は業を煮やしたように、不遜にも夜闇の神の偶像に巻き付き、高く持ち上げる。そして、ベルニージュに見せられた幻に向けて投げつけた。魔法の鞭に投げつけられた偶像は、ベルニージュの狙い通りユカリを閉じ込めた銀の檻にぶつかり、その銀の格子を大きく歪ませた。ユカリが脱出するには十分な歪みだ。


 そして偶像もまた痛々しく歪んでしまった。かつてエベット・シルマニータで垣間見た花崗岩の偶像と違い、それは白と黒に塗られた青銅で出来ていたらしい。月の遣わした熱病から、かの女神に救ってもらったことを思えば、ユカリとベルニージュの心が痛むのも無理からぬことだった。


 雨と陽光の幻に翻弄される魔法の鞭を横目に二人は、柱の影に拘束されたコドーズを完全に戒めようと考える。しかしちょうど魔法の鞭が柱を壊し、柱の影を散逸させ、主を影の拘束から自由にしたところだった。


 ベルニージュは警戒を緩めず叫ぶ。「レモニカはどこ? それとワタシたちの持ち物を返せ!」

 コドーズは少しも秘密にする気はないようで怒鳴り返す。「ケブシュテラはクオルに逃がされたんだよ! そう言っただろうが、くそが! あの女! ぶっ殺してやる!」


 その時、積み上げられた黒い瓦礫が光る。否、二つの白い光が瓦礫を貫通して、ベルニージュたちのもとに届いたのだった。


「見た?」とユカリは短く発する。

「うん。レモニカがやってくれたみたいだね」とベルニージュは応ずる。


 二つの光の一方は元型文字を完成させた際の魔法の光だ。もう一方は魔導書の衣から発せられたものだろう。それはレモニカがさっきの雨でできた泥を使って【祈雨(ショビオン)】を完成させたということであり、いまレモニカが自由の身であるということも示している。


「だけど二つの光の位置が離れてた。一つは神殿の近くだったけど、もう一つは神殿から離れていくように見えた。クオルが衣を持って行こうとしているに違いない。レモニカはワタシに任せて。ユカリはクオルをお願い」


 ユカリは両手を開いて手ぶらであることを示す。


「でも魔導書を取り戻してからの方が結果的に早いんじゃない?」

 ベルニージュはコドーズを指さして言う。「そこにあるんだから、『我が奥義書』はユカリが離れればユカリを追ってユカリのもとに現れるはずでしょう? もちろんワタシを前にしたコドーズはここから移動できないからね」

「ああ、そうか。分かった。任せる。任せて」


 そう言うとユカリは物言わぬグリュエーの助けを借りて飛ぶように走り去る、コドーズから逃げるように、『我が奥義書』から離れるように。


 ベルニージュは雨が止んでいることに気づく。それはつまりベルニージュの作り上げた幻も消え去ったということだ。再び魔法の鞭が鎌首をもたげてベルニージュににらみを利かせる。


 しかしもはや勝負はついたも同然だ、とベルニージュはほくそ笑む。ユカリにはああ言ったが、炎こそがベルニージュの最も得意とする魔法であることに変わりはない。

 複雑にして精妙な呪文を怒りのままに瀑布のように吐き出して、強大な魔法を織り上げる。もしも魔導書を触媒にしていたならば、街ごと灰にしかねない炎の魔法は、しかし具体的な形になる前に呆気なく消え失せた。


 豪雨だった。前にサイスとの戦いをお流れにした雨には及ぶべくもないが、ベルの魔法の炎を掻き消すには十分だった。


 虚を突かれたベルニージュの肩を魔法の鞭が打つ。魔法の守りで衝撃を弱めてなお、少女の体を吹き飛ばすだけの力があった。鞭に意志でもあるのか、コドーズが狙ったのか、あるいは偶然に過ぎないのか、まだ屋根の残っている部分から離されてしまった。屋根の下ならばあんな鞭など灰も残さず焼き尽くしてやるのに。


「とりあえずお前をとっ捕まえてやる。クオルの奴が欲しがってたからな。取引材料になるかもしれねえ」


 そう言ってコドーズが鞭の持ち手を振るうと、大蛇の如き魔法の鞭は僅かな屋根とベルニージュの間に立ちはだかる。くねくねと揺れながらベルニージュと目を合わせようと覗き込むように近づいてくる。


 冬の氷雨に身を震わせながら目をそらしたベルニージュの視線の先に、ユカリを閉じ込めていた銀の檻のそばに、歪んだ女神ジェムティアンが御座(おわ)した。憐れにも床に伏し、黒き体を飾る宝石は散らばり、雨に濡れ、目を瞑って、しかし柔らかな青銅の微笑みを浮かべている。その哀れみを誘う姿を見た時、夜闇の神の信徒ではないベルニージュではあるが、その恩寵ではないかと思える天啓を得た。


 すぐさま駆け出し、屋根や魔法の鞭のある方向ではなく、ジェムティアンの青銅像の方へ行く。そして(ひざまず)くようにしてジェムティアンの顔に覆いかぶさる。背後に魔法の鞭が迫るのを感じる。傍らに落ちていた金剛石を拾い上げ、ベルニージュは神に許しを乞いながら、その閉じられた瞼に【邪視(ウェディア)】、歪んだ偶像、飽くなき崇拝、彼我の境界、憤怒、廃れたる門、等々と様々に呼ばれる禁忌(ユカリ)文字を刻みつける。


 禁忌(ユカリ)文字が瞳以外の全てを貫いて強く輝く。この光を放つ時、その文字を使っている周囲の魔法は一時的に力を失う。当然、魔法の鞭も同様だ。


「基本は大事だよね、クオル」とベルニージュは独り言ちる。


 コドーズの喚き声も空しく、長い長い魔法の鞭は力が抜けたように黒い床に伏す。

 再び力を取り戻す前にベルニージュは屋根の下へ急ぎ、最上級の魔法を行使する。そうと知らず力を取り戻した魔法の鞭はベルニージュへと飛び掛かる。しかし元型文字完成時の光にも劣らない赤い輝きと邪なる存在を焼き払う魔法の爆熱によって忠実なる邪眼は焼き尽くされた。


 再び、今度は魔法の鞭を利用してコドーズを拘束する。コドーズはベルニージュの炎の魔法に腰を抜かしてしまったようだった。


 コドーズから背嚢と合切袋を取り戻し、念のために中身を確認する。魔導書の衣以外の魔導書は全てあった。衣に関しては、クオルが魔導書と知らずに持って行ったのだろう。それにしても、他の魔導書も試しに持って行くくらいすればいいのに、とベルニージュはクオルに呆れる。


 そして気づく。魔導書の衣以外の魔導書は全てここにあった。『我が奥義書』はまだ主の元に向かっていなかった。


 ベルニージュは慌てて、ユカリを追おうとし、しかし堪える。追って追いつくよりも魔導書を渡す方が先決だ。ベルニージュはユカリの走って行った方向とは逆に向かって駆け出す。

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