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不幸中の幸いだね。

 ユカリやレモニカには黙っているが、メヴュラツィエが生きているという話を聞いて、ベルニージュはわくわくしていた、かの魔法使いが非人道的人体実験を繰り返した大罪人だと知ってもなお。


 名高い魔法使いでもあるメヴュラツィエは深奥研究の第一人者でもあった。深奥は広く魂の存在する空間や場と仮定されている概念だ。人体実験をした理由も自ずと分かる。もちろんベルニージュ自らそのような実験をするつもりは毛頭ないが、すでに行われてしまった実験を参考にするのはやぶさかではない。それは非道な発想だろうか、と時折考えるが答えは未だ出ない。


 メヴュラツィエとクオルは研究資料を持って逃げることはできたのだろうか。あの工房馬車にはそれらしいものはなかった。しかしメヴュラツィエもいなかった。どこかに拠点があるはずだ、とベルニージュは確信している。


 ユカリが大きなため息をつき、ベルニージュは沈思黙考から浮かんでくる。

 焚火を前にしているとはいえ、冬の朝の冷たい空気は体を外から内からいたぶり、凍えさせる。普通はそうだ。ユカリも白い息を吐いているが、震えてはいない。


「とうとう寒くなってきた? ユカリ」とベルニージュは念のために心配する。

「大丈夫だよ。平気」とユカリは呟く。


 平気なのが心配なのだ。


「まさか自分の外套を買うお金を気にしているわけじゃないよね?」とベルニージュは思い付きで尋ねる。


 レモニカがびくりと反応したのを視界の端でとらえてベルニージュは反省する。考えてみればあべこべな話だ。レモニカは呪いのために新たな服を着ることができないにもかかわらず、ユカリはレモニカの外套を買い、自分の外套は買っていない。とはいえ着もできない外套を買ってもらったレモニカを気に病ませたいわけではない。


 ユカリもそれに気づいたようで、ベルニージュの不用意さを咎めるように言う。「必要だと思えば買うってば」

「でも、いよいよユカリは呪われているんじゃないかと思えてきた」とベルニージュはあまり真剣に聞こえないように言う。


 焚火の爆ぜる音に耳を傾けるかのようにユカリは首を傾け、ベルニージュの言葉の意味するところを探る。


「魔法少女は呪われない、でしょ?」


 真面目に返されてベルニージュは気が抜ける。


「まあ、そうなんだけどさ。ユカリがため息をつくものだから」

「ああ、気にしないで。どうして泥のことを忘れてたんだろうなって悔やんでただけだよ。せっかく一度に二つの禁忌(ユカリ)文字を手に入れられる機会だったのに」


 前に雨乞いをしたのは”雨降る泥で”という一節を試すためでもあったのだった。上手くいけば【怪力(ディウォート)】と共に【祈雨(ショビオン)】も完成することができたはずだ。結局、雷と焚書官たちとのどさくさで三人はすっかりそのことを忘れてしまい、気が付いたのは雨が上がって泥が乾いた後だった。

 そういうわけでベルニージュたち三人は再び焚火を囲み、枝と麻紐で作った素朴な人形を無慈悲に火へとくべていた。


「もうすでに前回の倍の人形を燃やしていますわね」とレモニカは無感動に言う。

「元々サンヴィアは雨が少ないからね。その分雨乞いの呪術は大いに発達したんだけど」とベルニージュが説明する。


「怒らないで聞いてね?」ユカリはベルニージュの方をちらりと見て、少し遠慮がちに言う。「ベルって雨や水の魔法は苦手だったりする?」

「そんな訳ないでしょ」とベルニージュはきっぱりと否定する。「ワタシに不得意な魔法なんて一つだってないよ。どうしてそう思ったの?」

「だってベルって、いつも火の魔法を使ってるし、この前は凍った湖の上なのに……」


 痛いところを突かれる前にベルニージュはユカリの言葉を遮った。「だから火しか使えないって? そう思ったってわけだね?」

 ユカリは「怒らないでよ」と言う。

 ベルニージュは「怒ってないよ」と言う。「そもそも火なんてのは魔法使いにとって、いや、人間にとって基本中の基本なんだよ、ユカリ。生活に良し、諍いに良し。ありとあらゆる場面で使えるわけ。魔法使いの必修科目なの。魔法使いを名乗って、使えない人なんていない」


「水だって便利じゃない?」とユカリは遠慮がちに呟く。


 視界の端でレモニカも頷いている。


 ベルニージュも頷いて言う。「もちろんそうだよ。火ほどじゃないってだけでね」

「風だって便利だ、と主張しているひともいる」とユカリは虚空を見上げて言う。

「グリュエーはすごいけど、グリュエーほどの風力は気軽に出せないかな」とベルニージュは正直に言った。

「本人は満更でもなさそう」ユカリは微笑みを浮かべて人形を焚火に放り込む。「にしても、降らないねえ」


 ベルニージュは手を止めてユカリとレモニカを見て言う。「どうする? 一旦厚き加護(ネリーグロッサ)の街で宿をとる? いつでも元型文字を作れるってのが今度の魔導書の良いところだからね」


 ベルニージュの背後には空まで凍てつく真冬の色褪せた景色が広がっている。三人のいる小さな丘の上からは、はるか北バイナ海の湛える北東へと流れる緩やかな川と高く厚く黒い城壁に囲まれた大きな都が見えた。そしてその都から続く、あるいはその都へと続く沢山の街道が伸びている。


 まるで星夜が落ちてきたかの如き、黒い都だ。夜に連なる神々を讃える塔に信心深き信仰者の献身を記す門、腰の低い巡礼者たちが厳かに行き交う大通り、俗界の市民のための広場に公園、塩と信仰を運ぶ運河に歴代の祭司たちがかけた橋、古くより都を支える貯水池に至るまで何もかもが黒に塗られている。それもただ一つの黒ではなく色彩豊かな黒が幾重にも重なるように街を覆っている。また中でも特別な神殿の円屋根(ドーム)には紅石に蒼石、紫琥珀に翠玉、黄金石柱等々、無数の宝石が埋め込まれ、その輝きでもって偉大にして慈悲深く、冷徹にして懐深き夜の神への信仰を奉っていた。


 川の向こうは表土と砂と低木に覆われた侘びしい荒野だ。実のところサンヴィア地方の大半がそのような耕作にも牧畜にも適さない荒野であり、人々は呪わしい土地を縫うように流れる川とわずかな緑地に営んでいる。


「そっか。そうだった。そうしよう」とユカリは同意した。「でもあの街に入るのに服は黒くなくていいの?」

「焚書官の僧衣を奪って来ればよかったね」ベルニージュは背後を振り返り、まとめて置いていた枝を拾いながら冗談を言うが、誰も冗談だと気づかず笑わなかった。


 その時、焚火が破裂したかのように大きく爆ぜ、ベルニージュは飛び退きつつ驚いて振り返る。

 レモニカが焚火を蹴り上げたのだが、それは後ろに倒れてしまったがための不可抗力だった。なぜなら焚書官姿のレモニカに大蛇のように蠢く太い鞭が巻き付き、力任せに引き倒したからだ。そうして鞭はレモニカを無理に引きずり、一瞬の内に街の方へと連れ去ってしまう。レモニカはなすすべもなく悲鳴をあげることもしなかった。鞭は大蛇のように太いが、他に比べようもないほど長い。鞭は使い手の姿も見えないほど遠くにあるネリーグロッサの街から伸びている。


 ベルニージュはレモニカを目で追って素早く呪文を唱え、炎の獣に追わせる。が、引っ張られていくレモニカは風よりも速く遠退き、魔法の炎は追いつけない。


 ユカリが何も反応していないことに気づいてベルニージュは振り返る。ぼうっと座ったままのユカリに、何をしているのかと問おうとする前に、ユカリの体が硬直しているのだと気づく。


 ベルニージュは背嚢からいくつかの薬草を取り出して呪文と共に練り、肉体を活性化させる魔法をユカリの口に押し込んで革袋の水を注ぎこむ。するとユカリは咳き込みながらも、体の自由を取り戻した。


「ユカリ。何を見たの?」

 ユカリは掠れた喉で答える。「大きな鞭の先に目玉がついてた。目が合ったかと思うと体が固まってしまって。とにかくレモニカ! はやく助けないと!」


 二人は立ち上がって、グリュエーの後押しで丘を駆け降りる。


 いわゆる邪眼、邪視と呼ばれる魔法だとベルニージュは結論付ける。しかしそれはあくまで怪物や妖術師が身につけているものであって、鞭の先についているようなものではない。

 とはいえ、ベルニージュとユカリは見えない敵の目星がついていた。鞭の使い手でレモニカをさらう人間など一人しか思い浮かばない。かつてレモニカを見世物小屋で働かせていた男、コドーズ団長だ。

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