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ひとは見かけによらないね。

 サイスは水を飲みながら、ユカリの瞳をじっと見つめ、水を飲み干すと口を開く。


「盗人のくせに偉そうに。まあ、別に構わないがな。そうすると、結局のところメヴュラツィエについて話さなくてはいけない。察しているかもしれんが、実のところメヴュラツィエは生きている」

「世間に公表されている殉教は嘘、と」とベルニージュは感慨も何も無さそうに呟く。

「メヴュラツィエは衆生を救うための偉大な魔法の探索に際し、殉教した。これは表向きの話。実は大罪を犯していて、機構は秘密裏に最たる教敵に認定し、処刑にした。これが裏向きの話」


 ベルニージュが鼻で笑って言う。「どっちにしろ死んでるようだけど?」

「だが実は生きている、という情報を得た」とサイスは言うが、もはやユカリもベルニージュもレモニカも、いま聞いていることの全てが嘘な気がし始めていた。


 つまるところ救済機構の中枢が外郭を騙していたということになる。


「逃げたの? それともそもそも捕まってすらいなかった?」とユカリは尋ねる。「何にせよ、救済機構も一枚岩じゃないんだね。身内を騙しているなんて」

「そして出し抜き合ってる」サイスはなぜか嬉しそうに言う。「当然だろ。これほど巨大な組織は頭一つで動けやしない」


「それで?」ベルニージュはさっさと話を終わらせたがっている。「なぜメヴュラツィエを追っているの?」

「もちろん、今度こそメヴュラツィエを処刑するために、取っ捕まえるためさ。救済機構の膿なんだから、当然だろ?」

「嘘くさい」とユカリは聞こえないように呟いた。

「聞こえてるぞ。まあ、聞けよ」サイスは少しだけ身を乗り出す。「クオルというのはメヴュラツィエの弟子の一人でね。メヴュラツィエを連れて逃げ、匿っているんだ」

 ベルニージュは蜂蜜酒(ミード)を頼んだのち、「なるほどね。だからメヴュラツィエかクオルを探しているってことか」と言った。


 ユカリは何だかお腹が空いて来たので辺りを見回すが、ここで出る食事は酒のつまみか軽食しかないらしい。

 会話に遮られていたが、雨音はまだ激しい。しかしまだ雨しか降ってはいない。


「メヴュラツィエの犯した大罪というのは、何ですの?」とレモニカはユカリの脇で恐る恐る尋ねた。

 サイスは一息に言う。「人体実験やそれに類する非人道的な実験、らしい。研究も実験も、内容までは知らないがね」


 ユカリは軽食を頼もうかどうか迷うふりをしながら考える。

 救済機構はメヴュラツィエの罪を世間に隠している。それは身内の恥だから、ということだろう、か。


 ベルニージュは少し興味が出てきたのか、腕を組みつつ尋ねる。「でも、メヴュラツィエを最たる教敵に認定したなら、救済機構内にそれ専用の対策組織が設立されるはずでしょ? 焚書機関はあくまで魔導書専門の対策組織。それはもちろんたとえ専門外とはいえ、メヴュラツィエを見つけるなり、討伐するなりすれば評価を得られるんだろうけど。ああ、つまり、政争?」

「そんなんじゃない!」と声を荒げたのはルキーナだった。予想外の人物の唐突な大声にレモニカが飛び上がり、離れないようにユカリの腕にすがる。酔っているのかとユカリは思ったが、見る限りまだ素面なようだ。「そんな下らない理由じゃないよ!」


「落ち着けルキーナ」とサイスが(たしな)め、ユカリたちに視線を戻す。「誤解させたな。確かに救済機構内部には政治的な争いがあるし、僕もそういう環境を気に入ってはいるが、事これに関しては別だ。ああ、あまり口にはしたくない言葉なんだが。まあ、つまり、僕たちは正義のためにやっているつもりだよ。だから、ということにはしたくないが、クオルについて知っていることがあれば教えて欲しいと切に願っている」

「正義というより、復讐を想像させるんだけど」とベルニージュはルキーナを横目にちくりと言う。


 ルキーナの鉄仮面に隠れていない口元を見る限りでは今の感情を推測することはできない。非人道的な実験とやらに自身か身内を巻き込まれたのかもしれない、とユカリは想像した。


「否定はしないよ」とルキーナはかすかに震える声で言った。


 ユカリとベルニージュ、レモニカは顔を見合わせる。別にルキーナの気迫に押されたわけではない。そもそも話してしまったところで、懸念すべきことは、あまりない。クオルが捕まって、ユカリたちが魔導書を持っていることを焚書官たちに話されると少し困るが。魔法少女ではない方のユカリもすでに追われる身だ。あまり変わらないだろう。それに、クオルに気遣う理由はない。


 そういう訳でユカリたちはクオルについて知っていることを全てサイスたちに話してしまう。コドーズやボーニスについても軽く話すが、ボーニスに襲撃されたことは伏せる。


「みなさんはどこへ向かっているんですか? 何か当てがあるんですか?」とユカリはさりげなく尋ねる。できれば焚書官などとはもう関わり合いになりたくない。

「トンド王国だよ」とルキーナは言って、サイスに小突かれた。「別にいいじゃないですか。減るもんじゃなし」


 トンド王国はこのサンヴィアで唯一の王国だ。それはつまり唯一の玉座がある場所であり、ユカリたちは玉座に用がある。

 どうやら目的地は同じらしい。ユカリは心の中でだけため息をつく。


 それにしてもクオルはまた大きな悪となってしまった、とユカリは振り返る。

 面倒な人が変な小悪党になり、変な小悪党が魔導書を狙う敵になり、今や大罪人メヴュラツィエと逃げ、匿っているかもしれない悪人だ。


「そのクオルに助手として誘われた? なるほどねえ」とサイスは冷笑して言った。


 もはやサイスの中ではユカリたちとクオルは同業者になってしまったらしい。


「誰でも構わない感じでしたけどね」とユカリは言う。

「なら僕が助手になろうかな」隣で黄金色の液体を呷るルキーナを呆れた様子で眺めながらサイスは冗談を言った。「それより、他に何かないのか。クオルの作っているという魔法道具とか何かさ」


 サイスが蛇のような目つきでユカリたちを順に眺める。そしてベルニージュに、ベルニージュの着る魔導書の衣に目をつけた。


「例えばその衣、アルダニにいた時は着ていなかったな」とサイスは難癖をつける。


 まさか魔導書とばれたはずもないが、ユカリは冷や汗をかく。表情には出ていない、はずだと自分に言い聞かせる。


「まだ涼しかったからね」と涼しい顔でベルニージュは言う。「こんな季節に薄着の人なんている?」


 サイスはユカリをちらと見てから答える。


「まあ、あまり多くはないな」そうして再びベルニージュの着る魔導書の衣に視線を注ぐ。「それにしても、とても良い生地に見える。クオルから手に入れた品ではないのか?」

「マグラガ市でエイカが買ってくれたんだよ。どこにでもある商店でね」


 それでもサイスは疑わし気にベルニージュを見つめる。酒場に散らばっていた焚書官たちが、弱る獲物の元へやってくる狼のように集まって来る。尊大な雨音がさらに強まり、店内の人の声さえ遠退く。

 結局のところ、話し合いで終わるわけがなかったようだ。少なくとも気の済むまで調べないことには、焚書官たちは納得しない。


「返してくれるなら、別にいくら調べてもいいよ」とユカリは言った。しかしその言葉はその場の誰にも届かなかった。突如として稲光が閃き、雷鳴が轟いたのだった。


 ユカリは待ちに待っていたが、同時に来ないことも願っていた瞬間がやってきた。


「エイカ! 急いで!」とベルニージュが雷に負けない声で叫ぶ。


 ベルニージュはユカリの手を引いて酒場の外へ走る。レモニカもユカリの腕をつかみ、しかし押すようにして外へ向かう。


「本当にやるの!? 私、殺されない!?」とユカリは叫び返す。

「ご一緒しますわ!」とレモニカは乾いた声で言った。


 呆気に取られる焚書官たちの間を縫って、ユカリたちは豪雨の中へと飛び出した。相変わらず川に流されているような気分になる雨だ。まだ昼間であるはずの天を覆う険しい黒雲の稜線に沿って、神の怒りにも例えられるような稲光が走る。


 ユカリを真ん中に、ベルニージュとレモニカの三人で手を繋いで、雨に濡れて雷に閃く石畳の街マパースの通りを走る。暗くも明るい天を見上げながら、ユカリは処刑台へと進むような絶望的な気持ちになった。


「早く! ユカリ! 雨はいつまでも降ってないよ!」


 ユカリは覚悟を決め、つかんで離さないように二人の手を握り、雨音に、雷鳴に負けじと天へと【叫ぶ】。


「雨雲の主よ! 海をも焦がす火よ! かつて神々の御許にて世界を焼き尽くした御方よ! 我が願いを聞し召せ!」


 握る手が強くなる。握られる手が強くなる。ユカリも、他の二人も覚悟は決めていたが、次の瞬間炭になっているかもしれないと思うと、力が入ってしまう。何せ相手は雷だ。いつも癇癪を起して、怒鳴っているような感じのひと(・・)だ。

 しかし魔導書の衣に”雷雲はかしずき”とある以上、雷雲で文字を作る以外に何も思いつかなかった。


 烈しい稲光と共に重く響く雷鳴が答える。


「どうかなさいました? お嬢ちゃん」


 思わぬ返答にユカリは喉が詰まり、(むせ)ぶ。ベルニージュもレモニカも何も気づかず、雷鳴の轟きに身を震わせてユカリの手を握り、びしょ濡れになりながら通りを走り続けている。いくら走っても雷鳴を置いてきぼりにすることはない。


「えっと、あの、お願いを聞いて欲しくて」しどろもどろになりながらユカリは言う。

「はい。聞こえてますよ。どうぞ、おっしゃってください」と雷鳴は丁寧に答える。


「えっと、雷雲で【怪力(ディウォート)】の形を作ってくださらないかなって、思いまして。あ、他にも、雷を投げる巨人、天罰、確かな粛清、驚異、案内人の一瞥、っていう呼ばれ方もあるんですけど」

「はいはい。存じ上げております。お安い御用ですよ」雷鳴が答えると、すぐさま天を覆う黒い雷雲が蠢き、三つの握り拳を振り上げたような文字、【怪力(ディウォート)】が形作られた。「こんな感じでどうでしょう?」

「あ、はい。ばっちりです」


 そして稲光よりも輝かしい光が【怪力(ディウォート)】の形の雲とベルニージュの衣の中から溢れる。


「上手くいったんだね? ユカリ!」ベルニージュは【怪力(ディウォート)】の形になった雷雲を見上げ、興奮のあまり嬉しそうに叫ぶ。

 それはレモニカも同じだった。「すごいです! ユカリさま! 稲妻とあんな風に気安く話せるなんて!」


 ユカリは呆けたように何度も頷く。


「私も驚いたよ、それは。まさか雷がこんなにも素直だなんて。川だの海だの風だのの気難しさとは比べ物にならないね」


 グリュエーの抗議に耳を貸さない。

 ユカリは遠く後ろから、雨音の(ベール)の向こうから、わあわあと人の声が聞こえるのに気づいた。厚い雨音で鬨の声は霞んでいるが、どうやら焚書官たちが追ってきているらしい。


「雷さん! もう一つ良いですか!?」とユカリは天に向かって【叫ぶ】。

「どうぞ。なんなりと」

「傷つけない程度にあの人たちを追っ払ってくれませんか? ただちょっと、脅かす感じで」そう言って、後ろを指さす。

「お任せあれ」


 他に比類なき音と光を供にして、宇宙の果てから飛来した無数の稲妻が容赦も慈悲もなくユカリたちの背後に炸裂する。濡れた地面を深く抉り、黒ずんだ石畳を更に黒く焦がす。


 本当に加減してくれているのだろうか、とユカリは心配になるが、いま戻れば自分が巻き込まれてしまうので立ち止まりはしない。


「グリュエーがあれくらい強かったらもっと旅が楽なんだけどなあ」とユカリは冗談ぽく言う。

「それでもグリュエーはユカリに抱擁するからね?」と風が囁く。

「グリュエーの愛に痺れるね」

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