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待ってました!

 久々に温かな日差しに包まれた麗らかな昼下がり、ある街杉の森(ケマイン)市の商店街をベルニージュたちは散策していた。この街もまたサンヴィア地方の例に漏れず、色濃い建物が並んでいる。それに比べると商店がそれぞれに掲げる看板に描かれた絵は花園のように彩り豊かだ。鼻をつまむような青臭い野菜や胸の裡に喜びをもたらす芳醇に香る果物を売る区画を抜け、覗き込む者の瞳の奥さえ映し出すほどに磨きこまれた皿や夢の底から引き揚げたような奇妙な形の壺、陶器が並ぶ区画を通り、神を讃える調べを縫いこんだ繊細にして複雑な織物や衣類、仕立屋の軒を連ねる区画を行く。


 ベルニージュもユカリもレモニカの変身やその扱いに慣れてきて、最近は人通りの多い場所を歩くことも珍しくなかった。もちろん焚書官の姿(・・・・・)を保ってのことだ。基本的にはユカリがぴったりとレモニカにくっついて、時にはベルニージュが他者との間に入って壁になる。よほどの混雑に紛れ込まない限りは、この方法であればレモニカが悪夢的な何かに変身する心配はない。


「急げば日が暮れるまでにその街にたどり着くってこと?」

 ユカリにそう尋ねられ、ベルニージュは首を横に振る。「夏だったら日が沈むまでに間に合うけど、今の季節だと間に合わない。それくらいの距離だね」


「うーん」ユカリは唸りながら晴れた空を見上げている。出来立ての小さな雲がちらほらと浮かんではいるが、しばし季節を忘れさせるほど太陽は明々と輝いていた。ただしこの季節の故郷の太陽に比べるとずいぶんと低い位置にある。「確か森を抜けるんだよね? 危険じゃない?」

「うん。でも森の中を彷徨う訳じゃない。街道はあるよ」


「森の中の街道でしょ? やっぱり夜の森は危険だよ。今日のところはこの街で宿を取ろう」

「ユカリにしては慎重だね。まあ、ワタシは――」


 反対するほどの理由もなかったので、ベルニージュは同意を示そうとするが、しかしそれを言葉にしようとした矢先、心臓に突き刺さるような鋭い悲鳴が響き渡った。悪い兆しを運んでくる不吉な鳥の警告に似た、昼の微睡みも耳を塞いで逃げ出すような甲高い声が街の通りに(つんざ)いた。


 ベルニージュはレモニカが近くにいないことに気づき、落ちついて視線を巡らせる。


 悲鳴の主はその街の一介の娘だ。その恐怖に彩られた瞳は、突如町中に現れた怪物に向けられている。最初は小人の一種かと思ったが、どうやら違うようだとベルニージュは気づく。それは魚のような顔で、猿のような居住まいだ。ただし蟹の甲羅のような質感の黄金の外殻に覆われている。

 もちろんそれはレモニカが変身した姿だった。その町娘に近づきすぎて変身し、恐怖の悲鳴をあげられたらしい。


 ベルニージュにはすぐに、その娘だけではない、と分かる。その街の誰もがその怪物を知っており、そして恐れているらしいことが周囲の人々の様子で分かる。

 ある者は娘と同じように悲鳴をあげ、ある者は罵って呪いの言葉を吐きだす。ある者は助けを呼びにどこかへ走る。


 黄金の甲羅の魚めいた顔の猿のような姿のその怪物は、ケマイン市やその周囲で(ヴァミア)川の怪物とあだ名されている。ケマイン市のすぐそばを流れる川の上流にいつの頃からか潜んでいるのだが、まだケマインの人々に固有の名で呼ばれるほどの歴史も付き合いもない。


 ベルニージュは周囲を見渡し、人々がさらに集まってくることに気づく。野次馬や助けを聞いて駆け付けた者たちだ。手を打たなければ騒ぎは大きくなるばかりだった。


 すでにユカリがレモニカのそばに寄っているが、怪物が焚書官の姿になったところで騒動は治まらない。そうでなくても、町娘が悲鳴をあげる前から、二人の少女と焚書官という奇妙な組み合わせは否応なく通りを行く人々の警戒心を強めていた。そんなところに、焚書官が怪物に化けて騒ぎとなってしまったのだ。それも街の人々と何かしらの因縁のある怪物に。


「どうしよう。武装している人たちが来る」とユカリが南の方向、群衆の向こうを見て言った。


 人々に遮られてベルニージュには分からなかった。背の高いユカリには見えるらしい。

 三人は野次馬に完全に囲まれる前に慌てて北の方向へと逃げる。恐怖と好奇心に背中を押されて押し寄せる人々の波を押し返し、罵り声と悲鳴の間を通り抜け、騒ぎに包まれた街の外へと急ぐ。


 街から北へ伸びているのは、まさにベルニージュたちが、今日の内に通り抜けるかどうか相談していた街道だ。次の町へと続くはずの行き先の見えない道を三人は不本意にも進む。街を出て川を越える大きな橋を渡る頃、街の人々が追ってきていることにベルニージュは気づいた。それもその身なりから察するに自警団か何かだと分かる。


 ユカリが街中で見い出した武装している者たちだ。松明を掲げているのか、とても明るい光が追ってくる。まるで自警団の全員が松明を持っているかのようだ。

 そもそもまだ日は沈んでいない。用意が良すぎはしないか、とベルニージュは疑問に思う。


 街に寄り添う杉の森に入る直前、一瞬後ろを振り向いたユカリが【笑みを浮かべ】、魔法少女に変身する。


 ユカリの爪先から髪の先に至るまでが薄紅色に輝き、長旅でくたびれた狩り装束が光に飲まれて消え失せる。輪郭のはっきりしなくなった肢体が、ベルニージュの瞬く内に縮み、幼い姿へと変わる。

 何処より現れる神秘の糸は菫色の綺羅(ドレス)を織ると同時に新たなユカリを包んでゆく。心華やぐ飾紐(リボン)が花のように咲き開き、心震わせる綾織(レース)が風のように包み込み、心打つ縁飾(フリル)が歌のように流れて覆う。

 華奢な足に小さな光が泡のようにいくつも弾けたかと思うとぴったりの靴に包まれ、握られた左手が優美に開くと、その内から現れた閃きは目も綾な手袋となって小さな手を覆っていく。打って変わって開かれた右手を閉じると、解きほぐされた真理のように複雑に輝く紫水晶とそれを戴くも劣らず細微な彫刻の杖を握りしめていた。

 魔法少女を祝福するように頭と腰に注がれた光の粒は不思議な色合いの五芒星の髪飾りと、何もかもに反して実用的な趣の魔導書の留め具となって形を成す。


 変身は一瞬の内に行われ、ユカリはレモニカの後ろへ回り込んだ。


 そこへ眼のない緑の嘴の鴉が飛び込んできたかと思うと、ユカリの胸に当たって霧散した。それは南の国々でよく使われる害虫を駆除するための数種の毒草と、恥知らず(デンデム)峠の犬を取って食う蜘蛛の糸を、鴉を飼い慣らすまじないで繋ぎ合わせた呪いだ。


 ベルニージュは慌てて、鳥除けや呪い除けの呪文を唱える。まさか街の自警団の中にあのような呪いを扱える者がいるとは思ってもみなかった。


「ごめん。油断してた。それに気づけなかった」ベルニージュは足を止めずに走り続ける魔法少女姿のユカリに謝る。


 ユカリが魔法少女に変身するのは久しぶりだ。杖だけ出せるようになってからは変身する数が減っている。呪いを差し向けられる事態など出来る限り避けてきたからだ。


「私もたまたま気づけただけだよ」呪いが迫っていたことに気づかず走り続けるレモニカを追いながらユカリは呟く。「グリュエー。追い風をお願い」


 すると不思議な風がベルニージュの背中を押す。足が速くなり、しかし足がもつれることはない。三人は馬にも劣らない速度で森を駆け抜ける。

 問題は、とベルニージュは頭の中で考える。足が速くなろうとも、体力が増えるわけではない、ということだ。幼い頃から森を駆け巡っていた狩人の娘と同じようにはいかない。いつだったかユカリは魔法少女の姿は変身前よりも肉体的な力の面では劣っていると言っていたが、それでもベルニージュよりは優れていた。


「止まって」とユカリが言うと風が止む。


 急に止まるものだから、ベルニージュとレモニカはつんのめる。

 止まった理由はベルニージュにもすぐに分かる。道の向こうからも自警団らしき集団がやって来たのだ。回り込まれたはずはない。警邏でもしていた別の部隊と鉢合わせたのだろうか。追ってきている者たちと同様に沢山の明かりを携えてやってくる。


 体勢を整えられる前に押し通るべきではなかったか、ともベルニージュは考えるが、すでに前と後ろの自警団はお互いを認識できる距離にいる。彼らも自分達の間を逃げるように通り抜けようとする者たちがいれば、それなりの対応をするだろう。


「まだ待って。そう、まだ」とユカリは一人言った。


 グリュエーが何か過激な提案をしたのだろう、とベルニージュは察する。


 一方焚書官姿のレモニカは何も言わずに魔法少女ユカリを見つめている。ベルニージュはそのことに気づいて言う。


「ああ、そっか。ユカリ。その姿をレモニカに見せるのは初めてじゃない?」

「ユカリさま、なのですか?」とレモニカは恐々尋ねる。


 ユカリは微笑みを浮かべ、くるりと一回転して(スカート)を広げる。「この姿はね、魔法少女っていうんだよ。私も意味はよく分からないけど、呪いに対して無敵なの」


 さらりと言うがとんでもない力だ。ベルニージュが着ている魔導書の衣でさえ、呪いを打ち消すような力はない。

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