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きっと誰にでも言ってるんだよ。

 巨大馬車は濃い桃色に塗られ、金の装飾で彩られた派手な出で立ちだ。傾斜の緩い屋根の四隅には厳めしい面構えの樋嘴が無礼な魔性に睨みを利かせている。よく磨かれた硝子の窓に古めかしい立派な煙突、小さな庭までついている。車を引いているのは馬のごとき輪郭だが鱗に覆われた巨大な蜥蜴のような生き物だ。四頭の馬蜥蜴の足は真下に向けて生え、その走る姿はしなやかにして優雅だ。しかし御者はどこにも見当たらない。


 なるほど確かにこの大通り以外にこの街で走れる場所はなさそうだ。

 馬車は真っすぐに走ってきて、クオルの荷車に横付けする。クオルは鍵束を懐から取り出して、いくつかの錠を解くと、馬車の引き戸を開いた。すると悪霊でも宿らせているのか一人でに舷梯(タラップ)が降りてくる。


「これってクオルさんの工房ですか?」とベルニージュは目を輝かせて馬車を凝視しながら尋ねる。

「そうですよ。師匠から譲り受けたものですが、私の自慢の工房です」


 クオルが荷車を引くのに難儀するのを見て、後ろから押してあげたくなるほど、ベルニージュは羨ましくて仕方なかった。荷車を押し込むと舷梯(タラップ)の上で立ち止まり、林檎の入った籠をクオルに差し出す。


 クオルは不思議そうに言葉をかける。「入ってくれて構いませんよ。見られても問題ありません」


 それは見られてもお前には理解できない、という意味だろうか、とベルニージュは勘繰るが好奇心に背中を押され、お言葉に甘えることにした。


 中はさらに広く感じる。天井はあまり高くないが十分だ。妙に窓が小さく、その代わりに数が多い。上へと続く階段まである。

 よく見知った硝子や真鍮の器具、魔法の気配の漂う書物、薬物、生物が棚や机の上に無造作に置かれている。猿のような蜥蜴のような生き物が火の入った暖炉の戸棚の上で丸まって、ベルニージュの方を黄色い瞳でじっと見ている。落書きの多い石の床に、壁に留められた覚書、薄汚れた壁、焦げた天井。一人前の魔法使いに相応しい散らかり様だ。


 ベルニージュは適当な机に林檎の籠を置く。少しばかり名残惜しいが林檎を貰って去る時だ。


 クオルは荷車を工房の端に置くと振り返って言う。「戸を閉めてもらえます? 舷梯(タラップ)は勝手に戻りますからね」

 ベルニージュはクオルを睨みつけて言う。「その前に報酬の林檎をください」

「え? 何でです? 仕事はまだありますよ?」

「は?」


 確かにどれだけ運ぶのかは取り決めていなかった。自分の失敗だとベルニージュは反省する。


「あれ? 言ってなかったでしたっけ? すみません。魔法使いが契約を軽んじるなど言語道断ですね。反省です」とクオルはわざとらしく言う。

 ベルニージュは淡々と尋ねる。「何を、どれだけ、どこに運べば、いくつ林檎を貰えるんですか?」

「もう一つ、矢も予約済みでして、沢山の矢をこの馬車に運び込む作業があるんです。それが終われば仕事は終わりです」


 やはり矢もクオルが買い占めていたのだった。これは偶然だろうか。林檎と矢を求めていたら、林檎と矢を買い占める人と偶然出会った?


 矢はどこにも見当たらない。すでに二階に運び込んでいるのだろう。


 クオルはベルニージュが持っている矢にいま気づいたかのように、指さして言う。「もしかして矢も必要です? 悪いことしちゃいましたね」


 努めて冷静にベルニージュは自益に利するやり方を選ぶ。


「林檎と同様に、報酬としていただけるのなら交渉させてください」

 クオルはうふふと笑って言う。「構いませんよ。おまけしてあげます。矢を百本まで。林檎はそうですねえ、二十個くらいなら持って行って構いませんよ」

 ベルニージュは承諾を示して頷く。「分かりました。それで最後ですね?」

「はい。そうです。それでも疑わしいなら魔法の誓いでもします?」

「結構です」


 その時はユカリも倫理も許してくれるだろう。

 それに買い物などさっさと終わらせたかったが、まだこの工房馬車を見てみたかったので、良しとすることにした。他の魔法使いの工房を見学する機会など滅多にない。一見警戒感のない人間ほど用心してしまうベルニージュも、クオルに(おびや)かされることはないだろうと考えていた。とはいえクオルを見くびるほど油断したりもしない。


「ところで私の助手になる気はありません? いまちょっと人手不足でして。ああ、そこ座ってください」

 ベルニージュはクオルの指し示した粗末な椅子に腰かける。「助手にはなりません。やらなければならないことがあるので」


 馬車が御者もなしに動き出し、どこかへ向けて走り出す。窓の外の景色を見るに普通の馬車と変わらない速度に達しているようだった。


「そう。残念。ベルニージュさんは魔法使いとして優秀そうなので是非助手になってもらいたいのですが。どうしても駄目ですか? お給料も弾みますよ」

「ええ。申し訳ないですけど」しつこそうなのでベルニージュは話題をそらす。「ところで、これほど大量の林檎を何に使うんですか?」

 クオルはにやりと笑みを浮かべて答える。「知りたいです? 企業秘密です、と言いたいところですが他ならぬベルニージュさんの頼みです。教えてあげましょう」


 頼んでないよ、という言葉をベルニージュは苦労して飲み込む。

 クオルは皿やら毛皮やら枯れた草やら雑多なものが積んである机へと赴き、一本の矢を持ってくる。


「試作品です」と言ってクオルは矢を放り捨てる。


 すると矢は一人でに飛んで、荷車に積んである林檎の一つに突き刺さった。

 いま一体なにを見せられたのかベルニージュは頭の中で整理する。


「つまり、自ずから突き刺さる矢の標的用(・・・)に林檎を買い占めたんですか?」


 それだけのために。

「その通り! さすがベルニージュさん。是非助手になってもらいたいですねえ。まだ課題は山積みなんですけどね。今のところ林檎にしか当たらなくて。せめて心臓に当たらなければならないんですけど。あと標的が動いていると外れますし」


 ベルニージュは立ち上がって矢の突き刺さった林檎を手に取る。矢を引き抜き、そこに施された魔法を眺める。いくつかの呪文に加えて鏃や矢羽根も特別な材料を使っているらしい。クオルが武器商人なのか、武器商人に卸すのかは分からないが、このままでは量産も難しいだろう。それゆえに普通の矢に手を加えるだけで済む魔法を模索しているのかもしれない。


「特注の品であれば、敵を自ずから狙う魔法の武器というのは以前に見たことがありますけど」とベルニージュは呟く。


 そのような品は数も使い手も少ない。


「ええ、ですが、得てして使い手に依存するものです。私としては誰でも使えるものにしたいのです」

「【追跡(ルピシャミス)】を使ったいくつかの呪文が応用できるかもしれません。相手を同定する方法はともかく、心臓を狙うだけなら。バーキンスの狩猟術、あるいは雨降る夜(レグモンズ)の統御法、もしくは――」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 クオルが慌ててさっきの雑多な山から新品の羊皮紙と葦筆と(インク)を引っ張り出す。そしてベルニージュの案を書き記していった。全て教えた頃には羊皮紙の表も裏も真っ黒になっていた。

 そこまでになるほど沢山のことを話した覚えはベルニージュにはなかった。クオルは少し不器用な人なのかもしれない。


「ベルニージュさんは太っ腹ですね。見ず知らずの魔法使いにここまで教えを授けてくださるなんて」

「別に私の編み出した魔法ではないですし、もっと良い方法もあるかもしれませんよ」

「そうですか。そうですね。これを基にしてより良い方法を探してみます。良かったらその矢も差し上げますよ」

「ありがとうございます」


 別に要らなかったが、ユカリを楽しませる隠し芸くらいにはなるかもしれない、とベルニージュは思った。

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