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わりと余裕があるみたい。

 ユカリが連れて行かれた場所はアルハトラムの街の中でも一際大きく、余計な装飾のない塔だった。警吏の本部であり、牢獄も兼ねている。そのように、ベルニージュはこの街の魔法使いたちに教わった。


 アルハトラムの他の多くの建物同様に日干し煉瓦で造られた建築物だが、城壁とは違って目地には漆喰が塗りこめられており、また城壁ほど厚くもない。当然、城壁とは違って、内から破られることを防ぐ呪文が漆喰とともに塗りこめられている。警吏本部の周囲には蜂蜜のようにどろりとした濃密な魔の気配が漂っていて、誘われて引き寄せられた魔性が建物の陰や人の死角に蠢いている。


 魔法使いたちの抗議も空しく、罪なきユカリはそのまま警吏本部の中へと連れ込まれてしまった。


「どうしたものか」と山羊髭や鷲鼻の魔法使いたちが顔を突き合わせる。「同盟罷業(ストライキ)だ!」「脱獄だ!」「襲撃だ!」


 どうやら、この街出身の魔法使いたちも元々この街の警吏の横暴に鬱憤がたまっていたらしい。しかしそんなものに利用されるのは御免だ、とベルニージュは冷めた意識で彼らの唱和を聞いていた。


 ベルニージュは感情的にならないように声を抑え、魔法使いたちに向かって淡々と話す。「助けたいという思いはありがたいのですが、できるだけ穏便に済ませたいです。どうにか無実を証明するしかありません」


 新たな怒りと昔からの憎しみに盛り上がっていた魔法使いたちは気勢を削がれ、申し訳なさそうな顔を作る。


「それはそうなんだがなあ。なんともかんとも」「今まで一度として崩れなかったんだ。一度として」「いったい何が起こったのやら。てんで分からん」


 その日は日が暮れるまで瓦礫の撤去と、当該箇所の呪文の調査で終わった。少なくともひび割れた部分には何の問題も見つからず、念のために左右の壁も調べたが徒労に終わった。




 日が暮れた後、美味しくない食事を摂ると、ベルニージュは警吏本部へと向かった。いざという時のためにこの塔に使われている魔法を知っておいて損はないと考えたのだった。警吏本部前の広場から出発して、塔の周りを一周し、入り口付近にしか警吏がいないことを確認する。自信の裏返しかもしれないが、無知ゆえの傲慢の可能性もある。踵を返してもう一周しようとした時、不思議な風がベルニージュの周りで渦巻いた。塔を見上げると、紫の仄かな明かりがちらちらと揺らめいているのに気づく。


 ベルニージュは辺りを見渡して、人の目がないことを確認すると背嚢と合切袋の肩ひもをしっかり握り、塔の上に向かって手を振った。すると空気の塊に持ちあげられるようにして、ベルニージュの体が勢いよく浮かび上がる。いくつもの格子窓を飛び越えて、たどりついた居房の窓の格子をつかまえる。これは迂闊だったが、特に何も起こらなかった。窓は大きく、鉄格子は密だが、窓枠の奥行は幅広く、ベルニージュが寝転がれる程度の足場があったので座り込む。


 ユカリは少しも疲弊していない様子を見せる。魔導書の衣は奪われておらず、いつも通り、魔法少女の魔導書『我が奥義書』はベルニージュに先んじて主の元へ馳せ参じていた。


「こんばんは」ベルニージュは片方の口角を上げる。「ご機嫌いかが?」

「ちょっとだけ楽しい。麺麭(パン)には黴が生えてて、獄吏は乱暴で、他の囚人がずっと下品なことを言ってる」変な表情をするベルニージュに呼応するようにユカリは微笑みを浮かべる。「まるで物語の中の囚われのお姫様みたい」

「前向きなところ悪いけど、囚人ではあっても、お姫様要素はどこにもないから」

「そう考えることもできるね。それはそうと心配かけてごめんね」

「あ、しまった。軽口を言ったせいで先に謝られてしまった」

「私の勝ち。ともかく心配はいらないよ」


 ちらと見えた紫の明かりはユカリの握る魔法少女の杖だった。この杖を、魔導書『七つの厄災と英雄の書』を封印して以来、魔法少女に変身することなく出現させられるようになったらしい。それも、何の呪文や儀式も必要なく、ただ心の内に念じるだけで、だ。本当にその通りなら、出鱈目もいいところのとんでもない魔法だ。ユカリ自身が魔法の仕組みを理解していないだけ、という可能性はあるが。


 ベルニージュはユカリの意図を先回りする。「あ、もしかして第四魔法の仕組みが分かった? それで脱獄できる、と」

「察しが良いね。その通り。『我が奥義書』にあった、杖でどうのこうの、噛むとどうのこうのって記述について、ちょっと暇を貰ったから、この機会に考えてたら意味が分かったんだ。見ててね」


 ユカリは鉄格子の一本に杖を触れさせる。そして大きく【口を開けて閉じる】。すると鉄格子の触れていた部分が甲高い音を立てて千切れた。すぐ上でも同じようにすると鉄格子の切れ端が落ちた。

 ベルニージュは鉄格子の切れ端を拾い上げて観察する。まるで人の噛み跡のようなものが残っている。やはりとんでもない魔法だ。


「杖で触れて、噛む、ふりをする。それだけ?」

「そうだね。そうして歯を閉じている間は何度でも。まあ、あまり試してないんだけど、とりあえず私が噛みつける大きさのものなら何でも噛み千切れるみたい。ただ壁みたいな歯を立てられないものだと力を発揮できなかった」

「鉄でも噛み千切れるけど、細いものや小さいものじゃないと駄目、と。ユカリはこれから口を大きくしないといけないね。あとはそうだなあ。紫水晶以外の部分で触れた場合はどう? 例えば石突とか」

「なるほど。それはまだ試してなかった」


 ユカリは逆に宝石部分を握り、石突を鉄格子に触れさせる。


「ちょっと待って!」ベルニージュは手をかざして制止する。「そこ握ったまま魔法を使う気?」

 ユカリは噴き出す。「ああ、そうだった。失敗失敗。噛み千切っちゃうところだった」


 笑いごとではないが、鉄格子の中の人を責める気にもなれなかった。


 ユカリが杖の石突で触れて魔法を使うと、やはり鉄格子は千切れた。何度か試した結果、どこで触れても効果はあり、ユカリに対して効果はないらしい。手は十分に口の中に入るので、それ以外の条件があるのだろう。おそらくは無生物にのみ効果を発揮するといったところだろうか。


「ともかく脱獄はいつでもできるってわけだね」とベルニージュは一安心する。

「そういうこと。もちろん、穏便に済ませるに越したことはないけど」

 ベルニージュは眉根を寄せて言う。「ワタシに言わせれば、囚人が鉄格子を破壊した時点で穏便というのはかなり難しいと思う」

「あ」


 ユカリは魔法少女の宝飾杖を掻き消し、ベルニージュの呆れたような眼差しから逃れるように目をそらし、口を開く。


「ところで壁が崩壊した原因は分かった?」

 ベルニージュはしっかりと頷く。「もうすぐ分かると言っても過言ではないところまで来てはいるね」

「それって――」

「さあ、禁忌(ユカリ)文字の勉強の時間だよ。前回はどこまでやったかな?」


 ベルニージュはユカリの合切袋から教本を取り出してユカリに押し付ける。


「こんな時まで……。まあ、いいけど。そうだ、先生、一つ質問良いですか?」

「何でも聞き給え」

禁忌(ユカリ)文字は大きく書くほど効果が高まったりするんですか?」

「うむ。いかにも禁忌(ユカリ)文字、というか呪文初心者の思いつきそうな発想だね。正解でもあり、不正解でもある」

 ユカリは不満げに眉を寄せて下唇を持ち上げる。「どっちですか」

禁忌(ユカリ)文字を記述する上で最も大切なのは正確性なのだ。それ故に大きな文字を書けば細部までとことん正確な文字に近づけることができるので、効果が高まると言えなくもない」


「正確って正解があるの?」

「そりゃあ、あるよ。同じ字を書かないと意味ないんだから」

「どこにあるの?」

「どこって……。正確な形はいまなお研究されていて……」


 いや、そうではない。研究されているのは最も力強い文字だ。それこそが真の禁忌(ユカリ)文字、禁忌(ユカリ)文字の元型(・・)に違いない、と誰もが信じている。ベルニージュは思わぬ謎が現れて狼狽える。偉そうにユカリに説明したではないか、禁忌(ユカリ)文字の由来は分かっていない、と。

 そして、もしかすると……。


 ベルニージュはユカリの合切袋から魔導書の衣を取り出して広げ、眺める。その裏地には刺繍で二十三の禁忌(ユカリ)文字と魔導書文字の詩が記されている。【堅固(アルム)】から始まり、【穿孔(ザンザ)】で終わる文字列が横一列に、その下に魔導書文字の詩が縦書きで並んでいる。それらは衣の模様のようにも見える強く改変された書体であり、つまるところ正確(・・)な文字ではない。


 ユカリはぽつりぽつりと話す。「この文字の並びには意味があるのかな? つまり最初が【堅固(アルム)】で、最後が【穿孔(ザンザ)】であることに」

 ベルニージュは強く首を振る。「見たことも聞いたこともない。発見された順はよく知られてるけど、この順番じゃないね。これが正しい順番ってことなのかな?」

「どうだろうね。でも並びに意味があるなら、きっとその下の詩に対応してると思うんだ」ユカリは自分の中のひらめきを一つ一つ言葉にしていく。「【堅固(アルム)】なら”文字形作る二十と三人”ってことね。そういえば、ベル、作業に従事していた魔法使いって何人くらいだったっけ?」

「今の作業場では三十人前後だね。アルハトラム全体の作業者数は知らないけど」


 ベルニージュは今更になって塔の街の夜の美しい眺めを見渡す。この大きな街を囲む壁で無数の魔法使いが働いているのだ。


 街の灯りと天井の星々は競い合うように瞬いている。あの憎たらしい月も澄ました顔で清冽な輝きを地上に零している。とはいえ、最も眩いのは救済機構の寺院の篝火台に燃え盛る炎だ。どの灯りよりも生き生きとしていて、時に力強く輝き、時に艶めかしくくねり、施しを与えるように火花を散らしていた。


 次に警吏本部前の広場を見下ろし、ベルニージュはあることに気づいた、というよりは思い出した。今は真っ暗で見えないが、この街の地面は舗装されていない。でももしかしたら、それは今だけかもしれない。それはとても価値あるひらめきだった。

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