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無いものは仕方ない。

「ねえ、今の見た?」とグリュエーがユカリの耳をくすぐるように囁く。


 心を(はや)らせるような魔導書の気配をたどって、太陽を遮る風車の陰に入った路地を進んでいたユカリは立ち止まって、来た道を振り返る。

 だが何のことか分からなかった。幸せそうで忙しそうな人々が行き交い、街や道と一体化した色の濃い建築物が並んでいる。特に目を惹かれるような物珍しいものは見当たらない。


「何? 私は何も見てないよ。何を見たの? 面白いもの? 不思議なもの? 綺麗なもの?」ユカリは目を左右に走らせつつ、忙しない風に尋ねる。

「この街に吹き込んでいる風がいるでしょ? あれが風車にぶつかっていくの」とグリュエーは毬のように声を弾ませて言う。


 ここからも見える。すでに何度も見た。まだ飽きてはいないが、もう慣れた。屋根の間の青い空をかき混ぜるように、風車は力強くけたたましく回転を続けている。それほど歴史深い建築物ではないが、すでにこの街の顔のようにサンヴィア地方の誰もが知っている。


「見たと言えば見たね。風そのものは、目には見えないけど、どういうことかは分かるよ。それがどうかしたの?」

「自由気ままなのが風なのに、人間の営みに利用されるなんてね」


 一瞬自虐的な皮肉を言われたのかと思ってどきりとしたが、グリュエーに限ってそれはないだろうとユカリは思いなおす。


 そういえばグリュエーには魔法少女をどこかへ運ぶという使命があるのだった。故郷のオンギ村を出た時、グリュエーは魔法少女を西へと運ぶのだと言っていた。しかし実際のところ、この旅はずっと北へと向かっている。特にこれといった理由もなく、その時々の流れで選んだ旅路に過ぎないがそれも一つの縁というものだろう。それに対してグリュエーは特に意見することもなかったので、そのままここまで至ったのだ。西へ向かえと言われたところで行けたかどうかは分からないが。


「人間は色んな力に助けてもらってるからね。じゃなきゃここまでたどり着けないよ」


 ユカリはグリュエーを褒めたつもりだったが、グリュエーは関心なさそうにそよぐだけだった。


 ユカリが魔導書の気配をたどった先には大いに賑わう商店街があった。並ぶ風車とその厳めしい鳴き声は遠く離れ、呼子たちの情熱に満ちた呼び声掛け声が飛び交っている。

 美味しそうな匂いも漂ってきたが、ユカリは歯を食いしばって堪える。そして、その内の一つの、あまり賑わいのない商店へと歩を進める。魔導書の気配は確かにその商店の中に潜んでいるようだった。まるで魔導書自体が細く弱く長い手を伸ばし、ユカリの魂をつかんで引っ張って導いているかのようだった。


 その店は衣服や雑貨を中心として様々なものを売っているらしい。多少大きな店ではあるが、他と特別な違いはないように見える。まさか強大な魔法使いが営んでいるなんてこともないだろうが、ユカリは怪しまれない程度に警戒を緩めず、狩りの足取りで店の中へ踏み入る。


 店内は大陸の東西から運び込まれた彩りに溢れている。様々な文化圏の四季折々の衣装が所狭しと並んでいる。ナタノク列島の踊り子の衣装、水に満たされた(フェデル)高地の巫女衣装、ユカリも持っているトメトバの伝統服や組紐もあった。救済機構の僧服まである。こんなものを売っても良いのだろうか。


 一際ユカリが心惹かれたのは茜色に染め上げられた毛織の円套(マント)だ。椿の花を咥える燕の襟止めが特にユカリの紫の目を引いた。多くの服に埋もれていたにもかかわらず、ユカリの心と視線を捉えて離さない。


 それを引っ張り出してユカリは仔細に眺める。見た目も、滑らかで柔らかな肌触りもユカリの好みだった。それを着たならば、とても似合うだろうと想像する。それを着て、山を越え、戦場を駆け、世界の果てで零れ落ちる星屑をすくう。いつどこで着ていても、その円套(マント)を着ていれば、そこが舞台で彼女が主役だ。くるりと回れば追随して、ぴょんと跳べば張り付いて、誰もがその者に目を惹かれるだろう。しかしぶら下がっている値札がユカリを現実に引き戻す。


「すまんね。しばらく衣装は売れないんだ」


 唐突に声をかけられ、ユカリは跳ねるように振り返る。店主らしき男が勘定台の向こうで帳面を覗き込んでいる。魔法使いにも強大にも見えないが、警戒を怠らない。


 ユカリは少しつっかえつつ尋ねる。「しばらく、というのは、どういう?」

「ん? ああ、知らないかい? 何日か後にだね、この街のお大尽様が祝宴を開くんだ」店主は帳面に指を這わせながら言う。「その時にそこら辺の衣装を全て持って行って、やんごとなきご婦人方に買い物を楽しんでもらう、というわけだ。まあ、ちょっとした余興だね」


 店主は大したことでもないように語るが、儲け話に心が浮ついていることはその声色からよく伝わった。


「じゃあ、売れてしまうかもしれないんですね。どこかのやんごとなきご婦人に」


 やんごとなくないユカリは惜しそうに茜色の外衣を眺め、愛おしそうに撫でる。


「大したものじゃないが、大した値段で売れるかもしれないからね、神の(おぼ)し召しによっては。まあ、倍の値段を払えるなら、いま売っても構わないが。それも神の思し召しというものだ。どうかね?」


 初めてユカリと店主の目が合う。店主は気づくか気づかれない程度の意地の悪い笑みを浮かべていた。


「それはちょっと、難しいですね。もう少し思し召して欲しいところです」


 そう言ってユカリは外衣をもとあった場所に戻す。元の値段でも難しい値段だ。


「まあ、そうだろうと思ってはいたが」店主はユカリから興味を失ったようで、帳面に目を落とす。「悪いね。そういうわけで服は売れないんだ。もし売れ残って、手持ちの工面ができたならまた来てくれ。もちろん元の値段で取引するからね」

「服を買いに来たつもりじゃなかったんですけどね」ユカリは言い訳でもするように呟く。「どちらかというと、本?」


 店主が意味ありげに眉を持ち上げる。ユカリを値踏みするようなその目に商売人の聡い心が映る。


「ああ、なんだ。噂を聞いて来たのか。その服はともかく、あんたはお目が高いようだ。ちょっと待ってな」


 何のことか分からないユカリを置いて、店主は店の奥へとそそくさと引っ込み、しばらくして戻ってきた。その手には麻布に包まれた何かを携えていた。


 店主は麻布の包みを勘定台に置き、ユカリに微笑みかけ、()らす。店主が意を決するような芝居をしつつ麻布を開くと、そこには新雪のように白い革の装丁の美しい本が待ち構えていた。金の箔押しで目を引き込まれるような流麗な書体が記されている。埃まで香り立つような深い知の趣がある。

 店主は手袋までつけて、勘定台の向こうで本を持ち上げ、慎重に中身を開いて見せる。羊皮紙もまた高級そうで、光り輝いて見える。そこに記されている見覚えのある文字も、人の手によるものとは思えないほどにことごとくが繊細で複雑で美しい。


 ユカリは興奮した様子で覗き込み、店主に尋ねる。「とっても綺麗ですね。これはおいくらなんですか?」


 店主に提示された金額は、さっきの衣装の倍の値段の三倍の値段だった。今のユカリにはとても手が届かない。そもそもさっきの衣装を買えない者に買えるわけがない。


 ユカリは店主のにやにやした表情に気づく。どうやらただ自慢がしたかっただけのようだ。


「お金を持ってまた来ます」とユカリは捨て台詞を残す。

「取り置く約束はできんよ」と店主は声を弾ませて言った。

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