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え? どこ?

 翌日もこれまで通り、ユカリは初めて出会ったように感じる篝火(ベルニージュ)という少女を信用する。

魔導書の暗誦に、義母の好きな言葉、グリュエーの裏付け。いま初めて出会ったはずの他人が、まるでずっとそばで見ていたかのようにユカリのこれまでの旅を本人に語って聞かせる。亡霊か何かだと説明してくれた方がまだすんなりと理解できるかもしれない。ユカリには旅の道連れはグリュエーだけだという記憶しかないが、篝火(ベルニージュ)の積み上げた証拠はユカリの記憶を完全に否定した。自分の方が間違っているのだと認めることは、どうしてこんなにも難しいのだろう、とユカリは思い悩む。


 そうして、一緒に旅をしてきた最も信頼できる仲間、篝火(ベルニージュ)とともに山へと出かける。


 空は白みつつあるが、いくつかの星々が名残惜しそうに煌めく。まだ鳥も目覚めない早い時刻だ。淑やかな朝の気配、清らかな朝の空気が漂ってはいるが、まだ夜の澱みが街に潜んでいる。日々を黄金に染め上げる秋の風もまだ鳴りを潜めていた。


 結局のところ、どのようにして怪物に宿る魔導書を得るか、怪物が魔導書に与えられている呪いを解くかという具体的な天啓を二人は得られなかった。今朝、大いに議論した。昨夜も同じようにしたらしい。

 そもそも。争いを退ける奇跡に比べて、呪いの方ははっきりしない。おそらく人助けをしてしまう呪いだろう、とユカリと篝火(ベルニージュ)は考えてはいるが。仮に人を助けることが奇跡と引き換えの呪いだとしても、ユカリたちにはどうにもできない。


 何せ怪物には理性がないのだ。人を助けるのをやめろ、と言ったところで聞く耳を持たない。逆に言えば、篝火(ベルニージュ)の母の実験が成功して自我を取り戻せば、呪いを解く機会もあるかもしれない。かといってそれを待つつもりもない。


 あるいは姿を見せない謎の少年山彦が何かの助けになるかもしれない、という根拠のない希望だけがあった。怪物と共にいるというだけで、ただものではないことを示しているからだ。


 テネロード王国の軍団がどこで寝泊まりしているのか、ユカリたちには分からないが、少なくともあの数が目覚めて活動を始めれば、人の死角に息づく魔性は逃げ出し、深く眠る街も目を覚まし、活気づくことだろう。今のところユカリたちはそのような兆候を感じてはいないが。


 二人は何事もなく静けさに沈む卵山にたどり着き、ひっそりと入山する。


 卵山とはいっても卵のような楕円体の部分まではそれなりの斜面を登らなくてはならない。昨日怪物を見かけたのはその中腹の辺りだ。記憶を頼りにまずはその地点まで移動する。


 枯れた枝葉の落ちた森の香り豊かな地面に、確かに怪物の痕跡があった。巨大な足跡が深く地面を穿っており、僅かながら煌めく鱗粉も樹々に枝葉に付着している。そのまま二人は優れた猟師のように、慎重に確実に見落とさないように怪物たちの足跡をたどる。


「いた」とユカリは囁き、少し腰を屈める。

 同じように屈んで「どこ?」と囁き返す赤毛の少女のためにユカリは指をさす。

「あそこです。木の間に怪物の翅が見えます」


 少女が遠慮なく頬を寄せて指さす先に目を凝らす。


「ワタシには見えない。子供の姿は見える?」

「ここからは見えませんね。このまま真っすぐ行きましょう。グリュエー。こちらを風下にしておいて。強く吹かなくていいからね」

「任せて」


 グリュエーが応じるとささやかな向かい風が吹いてくる。

 二人は風に逆らって怪物の元へと斜面を進む。慎重に歩を進めていたが、旅の仲間である赤毛の少女が足を滑らせ、ユカリはとっさに手を掴む。何とか踏ん張って、転がり落ちずに済む。体勢を立て直し、再び進もうとするが、不吉な音を聞いて足を引き留める。人の頭ほどの大きさの岩がいくつか上から転がってきて、後退を余儀なくされる。


「確かに、まるで山が拒んでいるかのようだね」と少女が楽しそうに言う。

「やはり魔導書でしょうか。山彦君に宿っているのだとしたら、人を近づけない奇跡とか?」

「かもね。だから怪物は山彦君のそばにいられるのかもしれない。まあ例によって例の如く、全ては偶然のように引き起こされるから確かめようがないけど」


 その時、ユカリは獣の唸り声を聞く。狼かと思って少し焦ったが、どうやら野犬だった。薄汚れた灰色の体毛のその犬はただ一頭、この山に暮らしているらしい。ユカリたちの方をじっと見つめ、牙を剥きだしにして唸っている。


「ちょうどいいですね」とユカリは言った。「犬なら近づけるかもしれません」


 昨日は小鳥だったからこそ近づけたのかもしれない。犬ならば小鳥のように食べられる心配もないだろう。


「無茶しないでね」と赤い瞳の少女が言う。

「そうですね。犬のためにも。グリュエー、お願いね」


 ユカリの吐息を風が運び、唸りをあげる野犬にユカリの魂は憑りつく。

 ユカリの意識が誇り高い野犬の中で目を覚まし、赤毛の少女に抱えられた自分の本体を確認すると、怪物たちの方向へと慎重に進む。駆け出したくなるような気持ちを抑え、獲物を見つけた猫のように忍び歩く。近くまでやってくると回り込むようにして、辺りを警戒しつつ怪物のよく見えるところまで近づく。


 少年の声が聞こえる。何かを夢中で喋っている。しかしその姿は見えない。あるいは見えないというよりも見つからないと言った方が正しいのかもしれない。


「言ったろ? 僕は一人で生きていくんだ」


 山彦は怪物に話しかけているのだろうか。野犬は辺りを見渡して、怪物以外に何者かがいないか探す。しかし他に誰の姿も見つからない。ただし犬特有の嗅覚が確かに人間がそばにいることを示していた。


「うん。両親は僕を捨てて旅に出た。でもね。仕方ないんだ。彼らには高邁な精神があったし、僕はそういう運命にあるからね」


 怪物の声は聞こえないが、少年の話しぶりはまるで会話をしているようだ。


「ああ、だってずっと人間を見てないもの。なぜかは知らないけど。もしかしたらみんな死んでしまったのかも」


 しばらく間を開けて静寂に対して返答する。


「そうなの? じゃあ、僕が昼日中に街を通り抜けた時、なぜ誰も見かけなかったんだろう?」

「いや、でも声は聞いたんだったな。まあ、いいか。僕もできればもう人とは関わり合いたくない」

「できることが増えていくのは楽しいね。これが成長ってやつなのかな。何でもできるようになりたいよ。昨日みたいなやり方は初めてだけど、なぜかできた。昨日のは食いでがなかったね。木の実もまあ、悪くはない」

「そうさ。もう決めたんだ。寒けりゃ毛皮でもとるさ。ほら、丁度いい」


 ユカリは嫌な予感がして意識を切り離す。飛んできた石礫が当たる前に自分の体へ意識を戻す。哀れな野犬の鋭く短い鳴き声が遠くで聞こえた。


 ユカリはふと気づく。動物に憑依すれば近づけると考えていたが、今までの結果をみれば、すぐに意識が切り離される状況に追い込まれている。山彦と呼ばれる少年も、動物を通してのぞき見されていると気づいてはいない様子だった。だとすれば魔導書の力によって人間の意識さえも遠ざけているのかもしれない。


 そして、少年はどうやら一人で生きることにこだわっている。それが呪いかもしれない。


 怪物は怪物だから山彦少年のそばにいられるのだとすれば、まず山彦と怪物を引き離すべきだろう。怪物が山彦のそばにいる限り、誰も怪物に近づくことは出来ない。しかしどうやって。


 ユカリは一人考える。グリュエーはともかく、他に頼れる者がいない以上、自分で答えを見出さなくてはならない。

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