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どこまで行くの?

 シイマが食堂の方へとやってきて、調理場へと入っていった。それを見てベルニージュは呆れてしまう。まだ顔色は悪く、少しふらついてもいる。

 ベルニージュはすぐに駆け寄って細くて軽い体を支えた。


「どうしました? 何をしているんですか?」とベルニージュが尋ねると、

「体調が良くなってきたからね。店を開かなきゃ」とシイマは答える。


 とてもそうは見えない。熱は引いたようだが、瞳がふらつき、体も震えていて、朦朧としているように見える。何より外の騒ぎにすら気づいていない。


「無理をしないでください。今日の所はお休みにしましょう。しっかり休まないと治るものも治りませんよ」

 シイマはかたくなに答える。「これ以上、キーチェカに心配させるわけにはいかないんだよ。あたしは孫娘に色々と言ってきたけどね。あたしが一番よおく分かってんだ。何をするにしたってお荷物がいたんじゃ上手くいきっこないってね」


 そう言いながらも、シイマはもうほとんど動けず、ベルニージュにすがるばかりだった。


「ゲフォード。シイマさんを運ぶから手伝って」


 ベルニージュが視線を向けた先、ゲフォードは扉の上の飾り窓を見ていた。そのさらに向こう、ずっと離れた夜空の上にあれ(・・)がいて、こちらに向けて矢を(つが)えていることを認識させられる。


 ベルニージュはシイマとともに伏せる。しかし何も飛んでは来なかった。恐る恐る調理台から覗くと、あれ(・・)との直線上にゲフォードが立ちはだかっていた。


 ベルニージュはゲフォードの背中に問う。「射られることがないと分かっていてそうしたのなら、あれが何か知っているんじゃない?」

「《熱病(・・)》だ」とゲフォードは答える。「すまない。夜には戻るつもりだったのに」


「詳細は後でいい」とベルニージュはぴしゃりと言いつける。「ひとまず助かる方法を教えて」

「地下神殿だ。別の神の領域ならば奴らはやってこれないし、月の光の届かない場所ならば矢もまた届かない」

「そこへ行く。ゲフォード、シイマを背負って」


 何も答えずにゲフォードはその通りにし、三人は住居の側にある裏口へ移動する。ベルニージュは生き永らえる奇跡を手に握りしめ、覚悟を決める。あれ(・・)が《熱病》だというのなら、あるいは病を癒す奇跡の魔導書であれば対抗できる可能性はあるが、それはいまユカリが持っている。ベルニージュのもつ生き永らえる奇跡の魔導書は偶然の死を退ける力を持っているが、《熱病》とやらの攻撃が敵意によるといえるのかどうか、ベルニージュにはまるで分からない。


 三人は一斉に裏口から飛び出した。辺りに建ち並ぶ背の高い建物に隠れていて、月も見えなければ《熱病》の姿も見えない。こうして隠れながら何とか地下神殿の入り口にたどりつかなければならないのだろうか。


 女たちが倒れていて、男たちが介抱している。まだ幼い子供は女の子でも《熱病》に狙われていないようだ。


 ベルニージュはゲフォードの先導をしつつ尋ねる。「ねえ、あれって神性だよね?」

「ああ、月影に舞う娘(ハニアン)の遣わした呪い、月の眷属だ」

「月とハニアンを同一視するかどうかは意見が分かれるところだけど。もしかしてあなたがあれ(・・)に射られずに済むのは、同程度の神格だから、だったりする?」


 記憶を失ってから多くの人物に会ってきたが、神はまだだ。


「いや、俺は大した存在じゃない」


 本当だろうか? よくよく考えれば、どちらにしても大切なことを黙っていたこの男の言うことなど何一つ信じられはしないのだ、とベルニージュは気づく。何せ帽巾の向こうの素顔さえ、まだまともに見ていない。


 ベルニージュは片手を上げ、建物の陰から出る直前に後方からついてくるゲフォードを制止する。ゆっくりと陰から顔を出し、月の上る夜空を探る。


 夜空に《熱病》の姿はない。本来、見えるはずのない概念的な神性がなぜ見えるのか、ベルニージュには知る由もないが、とにかく今は目に頼るしかない。


「いない。行くよ」と言ってベルニージュはわずかに後ろを振り向く。後方の夜空に《熱病》がいた。「振り向け!」


 ベルニージュの叫びに応じてゲフォードが振り向くと、《熱病》はシイマを狙って番えていた矢を少し上げる。ベルニージュはすぐさま建物の陰に飛び避ける。何かが真っすぐに飛来し、ベルニージュがいた地面に吸い込まれるように消えた。

 シイマを背負ったゲフォードが後退して建物の陰からベルニージュの前に現れる。


 ベルニージュは生き永らえる奇跡の魔導書を握って指図する。「合図をしたら地下神殿へ走って」

「駄目だ。振り向けない。シイマを矢面に曝せない」


 ゲフォードの言い分を無視してベルニージュは呪文を唱える。こんなことなら魔法少女の魔導書以外全て借りておけば良かった。

 結びの言葉を唱えると同時に建物の陰から飛び出し、《熱病》に向かって香木を投げつける。香木は燃え、ベルニージュの想定以上の白煙が破裂するように辺りに撒き散らされる。記憶を失う前のベルニージュが好きだった、とベルニージュの母らしき人物が言っていた香りが蔓延する。


「走れ!」とベルニージュが叫ぶよりも先にゲフォードは走り始めていた。


 ベルニージュも後を追う。直線の道を避け、何度も角を曲がる。前後左右と上を何度も見回しながら、警戒する。


 しかしベルニージュの体が力を失ったようにつんのめる。足を射抜かれた。どこから射られたのかも分からない。瞬く間に全身に熱が回る。立ち止まるゲフォードに、先を急げと言うことすらできない。


 そうして朦朧とする意識が、しかし瞬く間に冴えた。


 魔法少女に変身したユカリの小さな手が魔導書をベルニージュの額に押し付けていた。病を癒す奇跡の魔導書だ。

 他に二人、ベルニージュの母とキーチェカもいる。


「あなたは……?」とベルニージュの母に尋ねたのはゲフォードだ。

「ベルニージュの母です」


 ベルニージュの母の人間離れした背の高さに驚いたかのように、ゲフォードは目を見開いて食い入るように見つめている。


 震えの残る唇でベルニージュは呟く。「ユカリ。ありがとう」

「遅れてごめんね。ベルニージュ」ユカリは癒しの奇跡の魔導書を盾のように掲げる。「ベルニージュのお母さん。あの飛んでるのが《熱病》ですよね」

「ええ、恐らくね」とベルニージュの母は答える。

「どうにか出来ませんか?」とユカリ。

「試してみましょう」と言ってベルニージュの母は《熱病》へと手をかざす。


 手の先から渦巻く炎が放たれ、周囲の建物を溶かし削りながら《熱病》に牙を剥く。しかし《熱病》は変わらずその場に浮かんで揺らめいていた。


「やはり駄目みたいですね」とベルニージュの母は淡々と答える。「でなければそもそもこんなことにはならないでしょう」


 ベルニージュは母に支えられていることに気づいて離れ、魔導書を掲げているユカリがつまづきでもしないように肩を支える。


 ベルニージュは全員に確認するように言う。「とにかく固まって、少しずつ地下神殿に向かおう」

 その時、「ん? 弓を下ろした?」とユカリが呟く。


 皆の見上げる先で、そうはさせないとでも言いたいかのように《熱病》自身が飛ぶ矢のように高速で飛来する。

 母の魔法でもびくともしない神性に対して対抗手段になりうるのは一つだけだ。

 誰が制止する暇も与えず、ユカリが飛び出す。病を癒す魔導書を握ったまま《熱病》を殴りつけようとしたらしい。しかし《熱病》はひらりとかわし、その輝く体によってユカリを小脇に抱え、再び空高く舞い上がった。


「離せ! この!」ユカリは空中で罵りながら暴れる。

「ユカリ!」とベルニージュは怒鳴るように叫ぶ。


 それに連れ去られるユカリに、空を飛ぶ方法もないのに追いすがろうとするベルニージュをその母が押さえつける。


「何をしているのです。じきに奇跡の範囲外になるのですよ。逃げるしかありません」ベルニージュの母は娘の腕を引く。「あなたたちも早く走りなさい」


 言われて、キーチェカとゲフォードが背を向けて走り去る。


「離して! ユカリが! ユカリを助けないと!」


 ベルニージュは手を剥がそうと指を立てるが、母の手はびくともしない。


「馬鹿を言わないで。あの子には熱病も防ぐ魔導書があるでしょう。《熱病》のすぐそばにいたところで、いま地下神殿の外で最も安全なのはあの子ですよ。自分の心配だけしていなさい」


 確かにその通りだ。その通りなのかもしれない。それに、あの高さでも、ユカリにはグリュエーがいる。

 ベルニージュは観念し、それを察したベルニージュの母は娘の華奢な腕から手を離す。そして母子は上空に向けて交互に魔法の煙を噴出しながら、地下神殿へとひた走る。

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