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心臓が縮み上がる。

 キーチェカが立ち止まり、ユカリもすぐに足を止める。相変わらずの暗闇が続いていて、辺りの広さも分からない。キーチェカの忠良なる松明の投げ掛ける明かりは、柱や祭壇どころか壁や天井にも届いていない。ただ二人の足元を小さな舞台のように円く縁どるだけだった。


「ユカリ、お腹空いてない?」とキーチェカが尋ねてきた。

「空いてないです」とユカリは反射的に答えてしまった。「ああ、でもお腹が空いているならどうぞ食べてください」

「ううん。発掘の日は、朝に沢山食べるだけなんだ。一応ユカリのために少し持ってきてたからさ」


 もう昼になったというのだろうか。全く空腹ではないし、地上の様子はまるで分からないので、時間の経過が分からない。


「それは、すみません」

「ああ、いや、文句を言いたかったわけじゃないさ。ただ単に疲れているなら、ここを降りる前に一息つこうかなと思って」

「私は元気ですけど」


 ユカリはキーチェカの肩越しに覗き込む。どうやらさらに下に降りる階段のようだ。今までと違い、幅広の階段で、馬車が四台並んで通れそうだ。


「階段ですか」ユカリはどこまで続いているのか分からない階段の奥の闇を覗き込む。「まだまだ降りるんですね。本当に広い神殿ですね」

「うん、だけど、ここからは完全に未踏だ。誰一人、この先には進んでいない」


 キーチェカが背嚢から蝋燭を取り出し、ユカリに渡す。


「それを階段の端に据えてもらえる?」


 ユカリは受け取った蝋燭の芯に松明の炎を移す。黄緑色ではなく普通の炎だ。階段の端に蝋を垂らし、蝋燭を固定した。

 次にキーチェカは眼球ほどの大きさの真鍮の球体を取り出す。


「それで何を?」

「まずは簡易的な罠や呪いの調査だよ。少し離れてて」


 ユカリが階段の端の方へ移動したのを確認したのち、キーチェカは二言三言呪文を唱えると、真鍮の玉を階段の下へと放る。真鍮はこつんこつんと硬い音を鳴らしながら転がり跳ねて落ちていく。松明の明かりの外、暗闇の内に入ってもその階段を叩く音だけが聞こえてくる。ずっと、ずっと、少しずつ音を小さくしながら、落ちていく。

 ずっと、ずっと、階段を叩く音が聞こえる。次第に、音が大きくなっていることに気づく。遠ざかっているはずの真鍮の玉の階段を叩く音が大きくなり、ついに松明の明かりの中へ戻ってきたかと思うと、キーチェカの顔に目掛けて飛んできた。しかしキーチェカの鼻先で停止し、差し出した手のひらの上に落ちた。


「すごく怖いんですけど、どういうことなのか教えてもらえますか?」ユカリは階段の下の暗闇とキーチェカの顔を交互に見ながら尋ねた。

「簡単さ。真鍮の玉を身代わりにして呪いを受けてもらったんだ。たぶん同士討ちの呪いだね。この地下神殿に限ったことじゃないけど、何者も入れるつもりのない場所にかけられた呪いの罠っていうのは無差別に襲い掛かりつつ、自滅させる呪いが多いんだよ。効率的だろう?」


「そうなんですか」ユカリの中には少しがっかりしたような気持もあった。「炎や酸を吹きかけたり、一人でに動く鎧が襲い掛かってきたりするわけじゃないんですね」

「前者はまずないね。地下神殿自体を毀損しかねないから。後者もあまりない。複雑な複数の魔術が必要になるからね。侵入者を直接狙うのが一番簡単なんだよ。対象が侵入者なのも大きい。遠く離れた相手を呪うことに比べたら、内部の相手を呪うなんて自分を呪うくらい容易いからね」


 その話を聞いてユカリは覚悟を決めた。そんなに大きな覚悟ではなくて良かった、と安心する。


「キーチェカさん。私に一つ任せてください」

「何をする気? 危険なことなら許可できないよ?」


 ユカリは【微笑みを浮かべ】、魔法少女に変身する。体が縮み、魔導書以外の身につけていた全ての物品が消え失せ、代わりに星影で紡いだような美しい衣装(ドレス)を身に纏う。そして紫水晶のついた輝かしい杖を手に取った。

 キーチェカは仄明るく光る魔法少女を見つめて、口が開いたまま動かなくなっていた。


「何それ!? すごい魔法だね!」

「この衣装を身につけているとありとあらゆる呪いを弾くんです。私が盾になるのでついてきてください」

「いや、衣装よりも、体を縮めた理由が聞きたいんだけど」

「それは私もよく分かりません」

「それに、ありとあらゆるは大げさじゃない?」

「でも本当にありとあらゆるなんです。まあ見ててください」


 ユカリは出来るだけ平気そうに階段を降りていく。

 ユカリの宣言したとおりに、ありとあらゆる呪いが魔法少女に牙を剥き、その柔肌に届く前に霧散する。


「ちょっと待ってユカリ! それって罠に対しては大丈夫なの!?」


 ユカリは何かを踏んだ。次の瞬間には何も踏めなかった。キーチェカはとっくに駆け出していて、ユカリの手をつかむ、が二人はあえなく吸い込まれるように開かれた穴に落ちる。お互いを掴み合って落下する。地下深くで風が吹くだろうか。吹くわけがないだろう。しかしここは密室ではないはずだ。地上からここまで一つとして扉などなかった。しかし置いてきた松明の光に縁どられた四角い穴が、無慈悲に一人でに閉じる。


 魔法少女の放つ仄かな明かりの中でユカリは死を覚悟する。しかし風は吹いた。ユカリとキーチェカの体をすんでのところで持ち上げる。しばらくして二人は冷たい床にゆっくりと落ちる。十分な時間はあったはずだが、体勢を立て直して足から着地する、ということが出来なかった。二人の体が死が目前に迫ったというその衝撃で麻痺したように動かなかったからだ。


「ありがとう、グリュエー。ごめんなさい、キーチェカさん」


 震える声でユカリがそう言うと、キーチェカが安堵するようにため息を吐いた。


「ユカリ。本当に死ぬかと思ったよ」暗闇の向こうのすぐそばでキーチェカは確かめるようにユカリの小さな手を握った。「怪我はない? 私は大丈夫だけど今のはユカリが助けてくれたの?」

「私も大丈夫です。ええ、私、というか私たちというか」


 ユカリの煮え切れない返事にキーチェカは微笑みで応えてくれた。


「また頭、打っちゃったね。私たち」そう言ってキーチェカはその額を撫でさする。

「はい。これだけで済んで良かったです」ユカリも頭頂部を抑えた。

 ユカリは小さく囁く。「ここ風が吹いているんだね?」

「でなけりゃ死んでたよ。死にそうになったら言ってって言ったでしょ」とグリュエーがユカリの顔に強く吹きつける。


 グリュエーの爽やかな香りにユカリの心は少ししゃきっとする。


「この地下神殿には他にも入り口があるんですか?」とユカリは手を取ったキーチェカに尋ねる。

「ううん。入口はいくつかあるよ。上層には横穴も開けられているし」

「というより、あの発掘屋が集まっていたあそこの階段より下に繋がる入り口、と言いますか」

「それはないね。あそこより下に降りる道は他にない、はず。少なくともまだ見つかっていない」


 しかしグリュエーが吹けるということはあるということだ。まだ未発見なのだとしても、ここまで来れる道があるということだ。

 ユカリは今落ちてきた真っ暗な頭上を見上げる。来た道を戻ることはかなり難しい以上、その新たな道を見つけた方が良いかもしれない。


「ちょおっと待ってね」キーチェカは蝋燭と火打石、打ち金も取り出す。「あまり得意じゃないんだけど」


 まさか火種も作らずに点火するのかと思いきや、小さな呪文を込めた吐息を火口(ほくち)の代わりにして蝋燭を灯した。


「あれ? 嘘」キーチェカの思わず漏らした言葉の意味はユカリもすぐに理解する。火で照らされた周囲は煉瓦で囲まれている。一見少しの隙間もないように見える。


 しかしグリュエーが吹けるということは必ずどこかに出入口があるはずだ。隙間風程度ではグリュエーとは話せない。風が吹き込んでいるという実感を得られる程度の大きさが必要なのだという経験則がある。


「キーチェカさんは動かないでくださいね。ここに落ちて死ぬはずの人間に駄目押しで呪いをけしかけるってこともあるかもしれません」


 ユカリは魔法少女の格好のまま周囲の壁に手を這わせる。すると一方の壁の中に手が沈んだ。

 慌てて手を引っ込める。念のために指の数を数える。確かに五つ揃っている。上層で見た、人を飲みこむ壁かと思って冷や汗をかく。魔法少女の杖を突きさす。何にもぶつからず、何の抵抗もなく振るうことが出来る。


「こっちの壁は幻影のようです、キーチェカさん」


 ユカリは蝋燭を持つキーチェカの方に手を伸ばす。キーチェカはユカリの手を握る。二人で共に幻影の壁の中に踏み込む。

 途端に眩いばかりの黄金色の光に包まれる。


「キーチェカさん」と呟いたままユカリは硬直してしまう。


 ただ眼だけを動かしてその輝きを眺めている。想像も届かないほどの多大な価値が目の前に広がっていた。ユカリは状況に頭が追い付かないでいる。


「うん。そうだよ。ユカリ」と囁いたままキーチェカの体も微塵も動かない。


 キーチェカが幼い頃にここへやってきた時の色褪せた記憶が色づいていく。十数年が経過して目の前の光景は何も変わっていない。見上げるほどだった財宝の山は今も変わらず見上げるほどの財宝の山だ。


 どこから差しているのかも分からない光に照らし出されて、ありとあらゆる黄金がそこにはあった。金貨や地金だけではない。冠や腕輪、指輪、頸飾、様々な装身具。そしてどのような王国の宝物庫にもこれほどの量、種類の宝石はないだろう。紅玉、青玉、真珠、珊瑚、瑪瑙、柘榴石、金剛石。様々な輝きと煌めき、いかに貴き女王とて一生の内に身を飾ることのない美しい品々が山をなし溢れていた。


 二人は痺れるような感動を心の奥にしまって、一歩、また一歩となんとか財宝の方へと歩いていく。ユカリは一つの金貨を手に取り、子細に眺める。刻まれた文字は見たことがないが、古臭くも見えない。キーチェカは幾つもの金剛石を戴く冠を手に取った。銘か何か、本来の持ち主の手がかりはないかと探したが見つからなかった。二人はそれをどうするでもなく元の所に戻し、再び財宝の間を歩いていく。


 キーチェカは視線をさまよわせている。そこにいるかもしれない誰かの姿を求めて。

 ユカリは天井を見上げ、巨大な円蓋の中央に穴が開いていて、光が差していることに気づく。またこの空間全体も円形であることに気づき、壁をぐるりと巡って、天井では吊るされるようにして、そして穴の中へ入って地上まで、螺旋階段が続いていることに気づいた。


「あそこから吹き込んでいるんだね、グリュエー」とユカリ。

「そうみたいだね。どこに繋がっているんだろう」とグリュエー。


 陽光の差す穴の下には、魔術的な流線形の象嵌で彩られた黒檀の美しい机があったが、目に見えて経年劣化している。氷の結晶のように繊細な彫刻を施された胡桃材の寝台もあったが、その上に敷かれた寝具はぐちゃぐちゃに丸まっている。サンヴィアの神話を想起させるいかにも神秘的な櫃は留め具が錆び、素朴な花瓶には紅い翁草(アネモネ)が飾られていたが、少し枯れている。いくつかの衣が財宝の山の上に捨て置かれ、古びたものから新しいものまで本もまた山と積まれている。


 その花を、ユカリの元の姿よりもずっと背の高い女が見下ろしていた。ベルニージュの母だ。

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