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後ろめたい、かも。

 医者の見立ては皆の予想通りのものだった。昔と変わらず働いているつもりでも歳が歳だ。生きとし生ける者が逃れることのできない心身の衰えは着実に進行し、ついに表面化してしまったのだった。何かの病かとキーチェカやゲフォードは心配していたが、その類は魔導書が防ぐはずだ。


 医者が帰り、ゲフォードも帰った。明かりの乏しい店内で椅子に座って待っていたユカリとベルニージュももう帰るようにと、キーチェカに促される。


「明日は早いんだから。よく眠るんだよ」とキーチェカは言った。

「発掘に行くつもりなんですか?」ユカリは信じられないものを見るような目をキーチェカに向ける。「そんな場合ではないと思うんですけど」

「何を言ってるの、ユカリ」キーチェカは辛そうに微笑む。「この街の福祉が豊かだからといって、働かずに生きていけるほど甘いわけではないよ」

「そういう意味で言ったわけじゃないです。それに、それを言うならこの店のことだってあるじゃないですか」


 キーチェカは目をそらし、うんざりしたようにため息をつく。


「言っただろう? 完全予約制なんだから、次は一か月以上先になる。君たちだって地下神殿に入る必要があるんじゃないの?」

「事が事なんですから別にワタシたちだけでも構わないですよ」とベルニージュも援護する。「ワタシたちは財宝なんて興味ないし、見つけた分は全部キーチェカさんに差し上げます」


 ベルニージュに言いたいことが沢山あったが、今言うべきでないことはユカリにも分かる。


「馬鹿言わないで!」キーチェカは声を荒げる。「協力を求めることはあっても施しを受けるつもっりはない!」

「ワタシたちの欲しいものと貴女の欲しいものは違うというだけのこと。ただの助け合いですよ。この街の福祉と同じです」


 ベルニージュは冷静に返したが、キーチェカは納得しないようだった。


「全然違う。これは生活の問題じゃなくて、私の生き方の問題なんだ。財宝じゃない」


 まだまだベルニージュが反論しそうなのでユカリが割って入る。


「じゃあ、私とキーチェカさんで行きましょう。明日はベルニージュが残ってシイマさんを看てもらうってことで」

 ベルニージュは分かりやすく不満そうな顔をする。「こう言っちゃあなんだけど、ユカリ。魔法に関してはワタシの方が……」

「だからこそだよ。シイマさんを一人にするなんてできない。医療魔術を修めているベルニージュこそが残るべき」

 ベルニージュは首を傾げる。「医者も言ってたでしょ。心労がたたったんだよ。とにかく今はゆっくり休むしかない」

「念のためだよ、念のため」


 そう言ってユカリは合切袋をぽんと叩く。生き永らえる奇跡の魔導書を持って、ただそばにいてくれるだけで、とりあえずはそれだけでいいのだ。


 ベルニージュはため息をついて答えた。「分かったよ。ワタシが留守番する。それでいい?」


 その問いはキーチェカに向けられていた。


「ああ、よろしく頼むよ。ベルニージュ。悪いね。声を荒げてしまって」

「一件落着です」ユカリは満足そうに微笑む。「それでは明日は私とキーチェカさんが地下神殿へ。ベルニージュは『微睡み亭』の看板娘だね」

「絶対嫌だからね!」とベルニージュは抗議する。




 翌朝、ユカリはキーチェカと共に地下を歩いていた。蠱惑的に揺らめく黄緑色の炎の蝋燭は地下へ潜るほど増えていく。通路は入り組んでいて、今にも闇に潜む怪物が飛び出してきそうで、さながら地下迷宮だ。石の壁に案内標識や地図が据え付けられている。何度も行き来しているキーチェカでさえ地図を確認している。


 地下神殿に近づいているためか人の賑わいも多くなってくる。発掘屋向けの商売、あるいは発掘屋向けの商売人向けの商売が行われていた。

 ユカリはキーチェカの発掘道具の入った背嚢に向かって尋ねる。


「随分深くにあるんですね、地下神殿の入り口は」

「え? 入口は地上にあるけど」キーチェカは振り返り、何かに気づいて双眉を持ち上げる。「ああ、そういうことか。ここはもう地下神殿なんだよ。目ぼしいものがなくなったあと、罠とか呪いとか危険なものが排除されて一般開放されている場所。ほとんど地下街と雰囲気は変わらないよね」


 そう言われて辺りをよくよく見渡すと、確かに石の壁には複雑な幾何学模様が彫り刻まれている。黄緑の光に照らされているのは地下街と変わらず、人々の行き来する様子は、むしろこちらの方が地下街よりも俗世のようで、そこに厳かさなどは感じられない。


「そうだったんですか」ユカリは残念そうにあたりを見渡す。「地下街とほとんど区別がつきませんね。偶像も何もないですし」

「そうだね。貴金属とか宝石とか目ぼしいものもは全て持ち出されているよ」キーチェカは腕を組み、申し訳なさそうに言う。「そうかあ。どうせなら地下神殿の本来の入り口を見せてあげれば良かったね。私たち、地下街を通って地下神殿の横穴から内部に入ったんだよ」

「気にしないでください。あとで見に行くこともできますし。それにしても、廃れたとはいえ、神様の宮をこうも荒らしては祟られそうですね」

「地下神殿が発見された当時はそんな話もあったみたいだけど、今は何も聞かないね」


 二人は広い空間にたどりつく。地下街の広場ほどではないが、同じくらいの人の数があの時と違って一か所に集まっている。五十人くらいの発掘屋たちは誰もがキーチェカのような装束を着ていて、逞しい肉体を誇っている。


「予約しても結構な人数がいるんですね。ここにいる人たちだけが今日の発掘に携われるってわけですね」

「そういうこと。受付済ませてくる」


 キーチェカは監督吏らしき立派な髭の生えた男の元へ歩いて行ったのでユカリも後ろをついていく。


 監督吏がキーチェカに威勢よく挨拶する。「キーチェカ。遅いじゃないか。いつもは誰より先に来てたのに」

「まあね。でも開始時間より遅れたりはしないよ。今日は二人」

「ほお、珍しいな。相棒だなんて。主義を変えたのか?」

「主義を変える必要がない相棒なんだよ」キーチェカは監督吏に渡された羊皮紙に何かを書き込んでいる。「ユカリ、順番(くじ)をもらって」


 何のことか分からずにいるユカリの目の前に、監督吏が三枚のくたびれた紙片を差し出す。ユカリが一枚を選び取り、裏返すと数字の一が書き記されていた。


「運が良いね、ユカリ。残り三枚に一番が残ってるなんて」とキーチェカは微笑む。

「入る順番ってことですか?」とユカリは尋ねる。

「そういうこと。私は見たことないけど、昔は押し合い圧し合いで争いが絶えなかったらしいよ。今では入った後もお互いに近づかないのが暗黙の了解。どっちが先に見つけたかって揉めないようにね。発掘場所はいくらでもあるから」


 すぐにその時間はやってくる。また別の監督吏が声高に番号を唱えると、キーチェカとユカリは順番(くじ)を渡し、まだ罠や呪いの危険性が残るという地下神殿の下層へ降りる階段を前にする。


 この先には黄緑の炎の蝋燭はない。太陽がこの世界にやってくる前の時代まで王として君臨していた真の闇がそのかつての栄誉を忘れて地の底にうずくまっているのだ。

 真っ暗闇に乗り込む前にキーチェカは蝋燭から松明へ炎を移す。黄緑色ではなく、橙や赤の真っ当な炎が光を辺りに投げかける。


 ためらうことなく暗闇の中へ、階段を降りるキーチェカに遅れまいとユカリも急ぐ。埃っぽくて湿気の多い暗闇の中、狙いの発掘場所へと急ぐ。階段を降り切るといつの間にかキーチェカが自前の地図を取り出し、片手に持っていた。それをちらと確認すると松明を前にして、暗闇を切り拓くように歩く。


「今更ですけど、本当に発掘するんですか?」とユカリは決してキーチェカの背中から目を離さないようにして尋ねた。

「どういうこと?」

「土なんてほとんど見かけないですけど」


 時折、石壁の隙間から土が零れ落ちているところはあるが、その向こうは土中であって神殿ではない。財宝が隠されているとは考えにくい。


「ああ、そういうことね。確かに土を掘ることは滅多にないよ。地下神殿発見当時はどこもかしこも土だらけだったから、この仕事は今なお発掘と呼ばれてるんだ。今は罠や呪いを解除して隠し部屋や通路を暴くのが主」


 キーチェカの歩みに比べて、ユカリは子猫のような足取りでおっかなびっくり進む。松明の明かりは十分だが、それでも一歩が慎重にならざるを得ない。


「罠や呪い。それって、魔女シーベラが用意したものなんですよね?」

「そうだとされてる。諸説あるけど、少なくともこの地下神殿の信仰とは無関係な呪いばかりだから、古代の神官たちの残した魔法ではないと見られてる」


 キーチェカは恐れるものなど何もないかのようにずんずんと突き進む。あくまで完全解明されていないだけで、この辺りは慎重になるほど不明なわけではないらしい。

 台座だけ残った壁龕や何かの剥がされた跡のある円柱、欠けた陶板(タイル)の散乱した床。あまり快い光景とは言えない。


「見て、ユカリ」


 キーチェカが天井へと松明の明かりを投げ掛ける。いつの間にか少し大きな広間に出ていたようで、円蓋に天井画が描かれている。それは一見、とても地味なものだ。黒や濃紺など暗い色ばかりが使われている上に、抽象的な波のような渦のような模様が描かれていた。


「この神殿の信仰の何を表しているんでしょうか?」

「夜の闇の神、ジェムティアンかあるいはその力の象徴だとされてる」キーチェカがつらつらと解説する。「星も月も見えない夜の雲のうねりだとか、あるいは胎動を表現していると言われてるんだ。ほとんど真っ黒なのに立体的に見えるよね? あれは目地にも塗料が使われていて、光の反射や吸収を計算して微妙に色合いを変えたりしてるんだよ」


「ジェムティアン。最近聞いたような」

「魔女シーベラの祖神とされているから、それじゃないかな。主にサンヴィアで信仰されている古い神なんだけど、古代にはアルダニでも崇められていたのかもしれない。あるいは、この地方ではハニアン信仰が支配的だから、密かに信仰するために地下に造られたのかもしれない。神話的にも月の神ハニアンと夜の神ジェムティアンは夜の支配者争いで対立しているとされてるからね。一方で仲の良い双子の神だともされてるけど。宗教的な理由以外でもサンヴィア地方では地下室や地下街が珍しくないからその影響かもしれない」


 二人はさらに奥へと進む。気の滅入るような暗闇の中だが、キーチェカの話を聞いてユカリは少しわくわくしてきた。


「そういえばなんで魔女シーベラはここに自分の子を閉じ込めたんですか?」

「一説によると」キーチェカはくすくすと笑いつつ続ける。「息子の嫁が気に食わなかったらしい。嫁いできた村娘を呪いで嫁いびりして、それでも嫁は逃げ出さなかったので、息子の方を地下深くに隠したとか」


 今まで聞いて来た魔女の所業と噛み合わない話にユカリは苦笑する。


「魔女シーベラと嫁姑争いできる娘さんもすごいですね」

「たしかにそうだ。おっと、ここからは少し慎重に行くよ」キーチェカが立ち止まる。「未踏ではないけど、まだ罠が残っているかもしれない」


 ユカリは合切袋から複雑な飾り結びを取り出す。赤と黄と白の紐が炎のような形に結ばれている。キーチェカに知っている地下神殿の呪いを列挙してもらい、ベルニージュが対抗できるお守りを作ってくれたものだ。想定していた呪いを浴びれば身代わりになってくれるという。


 またベルニージュに何度も暗唱して覚えさせられた呪い除けの呪文をユカリとキーチェカは唱える。発音も抑揚も頭の中に浮かべる象徴も何一つ二人には馴染みのないもので苦労した。苦労に見合った成果を得られるかは呪いを浴びてみなければ分からないというのも物悲しいものだ。


 二人はさらに階段を下る。何やら細々した石が転がっていて歩きにくい。


「この下で何人かが罠にかかったんだよ」とキーチェカは語る。「階下に降りた途端、階上から沢山の石が降ってきてね。一見してそんな仕掛けは無かったから解除するのに苦労したらしい」


 ユカリは驚いて振り返るが、暗闇は変わらず暗闇で、静寂は変わらず静寂だ。

 さらに細い通路を進んでいる時にまたキーチェカは立ち止まる。


「これなんかは分かりやすい方だね」そう言って壁を指さすがユカリには違いが分からなかった。「一見、似ているけど石材が違う。魔女が単に同じものを用意できなかったのか、魔法を行使するために妥協できなかったのか。まあ、解除する前に被害者は飲み込まれちゃったんだけどね」

「飲み込まれた!?」

「今はもう大丈夫だよ。ただの石積みの壁さ」


 ユカリはおそるおそるキーチェカの照らす石壁に近づいてよく見てみる。そこは周りと比べて微妙に色が違うような気がするし、苔や埃の汚れが少ないような気がする。


 ユカリは石壁を睨みつけながら呟く。「よくよく見ると少し新しいかも。気のせいかもしれませんけど」

「少しどころかここ数十年以内だよ」

「数十年!? それじゃあ……」

「うん。魔女シーベラは今も生きていて、アルダニ地方で暗躍していると広く信じられる理由の一つだよ」


 そのような会話をしつつ、二人は再びゆっくりと細い通路を進む。松明の光は端から端まで十分に届く広さだ。


 ユカリは悲しそうに呟く。「それにしても神様を信仰していた場所にそんな残虐な罠をしかけるなんて」

「だからこそ魔女の祖神とされる神殿にそんなことをするはずがないっていう主張もあるよ。魔女が古代の文化に興味ないだけかもしれないけど。いや、盗掘している自分たちが偉そうに言えることじゃないけどさ」


 自嘲気味に笑うキーチェカの背中にユカリは問いかける。


「盗掘? 手に入れた財宝はエベット・シルマニータ市政府が買い取っているんじゃないんですか?」

「いやいや、それが街の財源になっているんだから、それらの財宝は縁もゆかりもない第三者に売られてるんだよ」

「ああ、そういえばそうでした。そっか。そうなりますね。じゃあ、自分たちの土地の物とはいえ、ううん。そっかあ」


 キーチェカは少し暗い声音で呟く。


「自分たちの土地の物か。それも少し怪しいんだよね」

「どういうことですか?」

「実を言うとこの地下神殿の造られた時代の文化と、微妙に噛み合わない意匠の財宝がかなり発掘されてるんだ。だからそもそも古代の地下神殿の財宝ではなく、単に魔女の財産を盗んでいるだけじゃないかって話もある」


 それは根本的に話が変わってしまう。


「もしその話が本当で、こうして発掘していることを魔女が知ったら……」

「怒るだろうね」


 怒るでは済まないだろう、とユカリは思った。

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