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歳が歳だもの。

 新月の夜だった。二人は一日ぶりに清々しい空気に満ちた地上にあがり、月の代わりに競い合って輝く星々を眺めた。満足するまで星明りを浴びると、二人は歩調を揃えて下町へ向かう。


「キーチェカは昼に発掘して、夜に食堂を手伝ってるの? 大変だね」


 ベルニージュが夜を闊歩する人々を眺めながら呟く。


「うん。おばあさんが盲いた方で、そんなことは承知の上のお客さんばかりらしいけど、やっぱり心配なんだって。それにキーチェカさんは近所で評判の看板娘らしいよ。お店の料理もとっても美味しかった」

「よく食べられたね。魔導書の力でずっと満腹なのに」

「それはもう頑張ったよ。あまり食べられなかったのが残念だったなあ」


 足音がこつこつと秋の夜空に調子を取っている。冬の近づく気配が足元に控えている。ベルニージュは衣を引き寄せて微かに震えていた。


「しかし、この繁栄をもたらす地下神殿の財宝かあ」ベルニージュは深く感心した様子で呟く。

「すごいね。社会保障だっけ? お金があるとそんなことまで出来るんだ。キーチェカさんも色々と教えてくれたんだよ。食品とか最低限必要な物の値段が安定するように法律で決められているんだとか。最奥までいかなくても十分にこの街自体は潤ってるみたいだね」


「財宝に釣られてやってくる金づるもいるんだろうけどね。何かに似てる」

「魔女の牢獄? この街の地下神殿が同じ仕組みになってるってこと?」

「まだ何とも言えないけどね」


 ユカリは再びシイマの店、『微睡み亭』の前に、先日のユカリの落下地点にやってきた。グリュエーはあれから一度もグリュエーに似た何かとやらの存在を感じ取ってはいない。

 扉を開けなくても『微睡み亭』が繁盛していることは音と匂いでよく分かった。ユカリが扉を開くと、客の楽し気な笑い声と濃密な酒気が溢れだそうと押し寄せる。

 夜ともなると酒場を兼ねたこの店は酔客の方が多くなる。どうやら客の多くはキーチェカのような発掘屋だった。衣嚢(ポケット)の多いあの装束を身に纏っている。


 この時間のキーチェカは料理人として給仕として看板娘として食堂の支えになっているようだ。萌黄色の(スカート)にシイマと同じ白い前掛け、特別煌びやかな衣装を着ているわけでもないが、あの発掘作業着に比べれば翡翠の都の女王のようだ。とても似合っているし、流れるように立ち働く様は風格さえ感じさせる。


 一方シイマも盲目とは思えないほどの働きぶりだ。手元を見てもいないのに素早く包丁を振るっている姿はユカリを何度でも震え上がらせる。ほぼ満席に近い状態の店で次々に食事や酒のあてを用意しているようだった。大きな店とは言えないが、快活な二人の働きぶりで活気に満ちた食堂はとても魅力的な気取りのない雰囲気があった。


「ユカリ。今日も来てくれたんだ?」キーチェカが軽やかな足取りでやってくる。「お友達も一緒だね。席、空いてるよ。調理場のそば」


 ユカリとベルニージュは調理場に向かって細長い机の置かれた席に並んで座り、顔を寄せて囁く。


「忙しそうで、とても話しかけられる雰囲気じゃないね」とユカリは呟く。

「食事しながら待つしかないか。閉店時間は何時なんだろう?」

「朝は早かったし、夜も早いんじゃないかなあ。そういえばベルニージュって最後に食事を摂ったのはいつ?」

「ワタシだって別に全く食べていなかった訳ではないよ。魔女の牢獄の宴でも少し食べたし。ユカリだってそう変わらないでしょ」

「そうだけど。もっと食べた方が良いよ。突然空腹に襲われたパーシャ姫は結構辛そうだったよ」


 ベルニージュは何かを思い出すように天井を眺める。


「そう考えると、あれはなんだかおかしいね。この飢餓を退ける魔導書はただ存在するだけで影響を与えるわけでしょう? じゃあ、憑依が解けたとはいえ、すぐ近くに変わらず魔導書があるのに、何でパーシャ姫は空腹に襲われたんだろう」


 ユカリは頭をひねる。


「うーん。例えば、これらの魔導書は所持することと憑依されることで、そのもたらされる奇跡に大きな差がある、とか? パーシャ姫殿下はずっと食事を召されていなかったわけだし、そばに魔導書があったからあの程度で済んだのかも。だとすれば憑依とその解除の落差は私たちが思っているより大きいのかもしれない、と」


 ベルニージュは肩ひじをついて頬杖をつく。


「憑依と所持の差かあ。確かにどんな魔法であれ一体化している方がより強力な効果をもたらすけど、そこまで差がある可能性は考えてなかった」

「それはそれとして、やっぱりお店に入って何も食べないわけにはいかないよね」


 今、店にある食材、その量、可能な料理、値段をもとにキーチェカと交渉する。アルダニはどこに行っても鱒とか鯰のような大河の恵みが食されているが『微睡み亭』の食材はとても豊富だった。牛豚鶏の肉や蕪、人参、白茄子に法蓮草。茸類や海産物も少なくない。満腹感と相談し、控えめに注文する。常連なら省かれるこの行程がユカリにはなかなか楽しいものだった。


 そしてユカリとベルニージュは満腹感に抗いながら食事をする。少なめに頼んだが空きはほとんどなかった。それでも美味は変わらず美味だ。

 蒸し麺麭(パン)と食べる煮込み料理も、味付けされた豚挽き肉を乾酪(チーズ)で包んだ揚げ物も、不思議な満腹感を押し退けるのに十分な香りと味で二人の腹に入っていった。


 客が疎らになる。酔客の男が多くなる。この街の男は気前が良いのか慣習なのか、やたら他人に奢ろうとする。ユカリたちも二度三度と話しかけられたが、全て断った。


 手の空いたキーチェカがユカリのもとにやってくる。


「こんばんは、ユカリ。味はどうだった?」

「こんばんは、キーチェカさん。とても美味しかったです」


 とても美味しかったが、とても美味しかった物が今にも口から溢れてきそうだ。


「そちらの子はユカリの友達?」

「はい。私の友人で旅の仲間のベルニージュです」

 キーチェカは手を差し出す。「よろしく、ベルニージュ。私はキーチェカ。ユカリとは頭をぶつけ合った仲だよ」

「よろしくお願いします。ベルニージュです。ユカリとは十勝無敗です」


 そうして二人は軽く握手をする。


「私も食事して良い? お腹すいちゃった」とキーチェカははにかみながら言った。

「もちろんです。どうぞ」そう言って、ユカリは隣の椅子を引く。


 キーチェカは調理場の方から皿を持ってきてユカリの隣の席に座る。湯気を立てる鶏の焙り肉に甘酸っぱい香りの調味料がかかっている。それもやはり涎を誘う香気を放っている。


「それで、昨日の今日でどうしたの?」とキーチェカが尋ねた。「食事しに来ただけじゃないんでしょう?」

「何で分かるんですか?」ユカリは驚いて尋ねる。

「昨日、地下神殿の伝説を色々と聞かれたからね。何かあるんじゃないかと思ったんだ。二人の旅に関係していることかな、ってね」


 ユカリは意を決するようにして話し始める。


「私たち地下神殿に入りたくて。キーチェカさんの協力を頼めないかなって思ってきたんです」ユカリは声を潜める。「キーチェカさん。蛾の怪物ってご存知ですか?」


 キーチェカは最近の記憶を掘り起こすように視線で宙を探る。


「まあ、噂には聞いたことあるけど。大河の向こうで暴れてるとか。テネロード王国の王子様が討伐軍を編成したとか」

「すでに大河の北側へ来ているはずです。私たち、その怪物を追ってるんです」


 その告白を聞いたあと、キーチェカは肉を口に押し込み、咀嚼し、飲み込んだ。何と言おうか考える時間が欲しかったようだ。


「言っちゃあ何だけど」と言ってキーチェカはベルニージュの方を見て、もう一度ユカリを見る。「とてもそういうことをしなければならない人たちに見えない。二人っていくつなの?」

「十四です」とユカリが答えた。

「十四!? 若々しいから――。でもミーチオンから来たって――。背が高いから――。え? 子供じゃないか!」


「でももうすぐ十五です」

「変わらないよ!」キーチェカは怒るような呆れるような楽しむような微妙な声色で話す。「いや、別に非難しているわけじゃないよ? 魔法使いならそういうこともあるのか。この街だと徒弟に限れば十三歳から選挙権があるし、他の国でも……まあ、それはいいか。混乱してるな、私。ええっと、いいや、年齢のことは。怪物を何で追ってるのかも聞かない。地下神殿に入りたい理由だけ聞かせて」


「その怪物はいわゆる魔女の爪痕なんです。怪物のことを知るために、何か情報を得られないかなって」

「なるほどね。確かに地下神殿も魔女の爪痕の一つと言われてる。特に害がないからあまり意識されてないけど。うーん。何で私?」

 ユカリは少し慎重に言葉を選ぶ。「それは、私もキーチェカさんの助けになれたらいいな、と思ったからです。地下神殿は発掘だけでなく、魔法に関する知識も重要だとか。きっと助けになれると思って」


「ふうん。ユカリはちょっと他人に入れ込みすぎじゃない?」キーチェカの視線がユカリの背中越しにベルニージュと交わる。「まあね。私も話し過ぎたかも」

「でも、あくまで総合的な判断というか。ありていに言えばちょうど良かったというか」とユカリは言う必要のないことを言った。「どちらにしても私たちは地下神殿に行きますし、それなら偶然でも知り合ったキーチェカさんにまず相談してみようって思ったんです。キーチェカさんがシイマさんを助けたいって気持ちに影響されなかったわけではないですけど」


「あはは。私はそんな良い子じゃないよ」キーチェカは皿を綺麗にする。「『微睡み亭』を継ぐのが嫌なわけでもないんだよ。でも、どうせなら大きなことをしたいじゃない? 言っちゃあ何だけど、ここは常連頼みの小さな食堂さ。財宝が手に入ったなら、ここを大きくするのも悪くない。でもさ、それは、私にとっての発掘屋をやる目的や理由じゃないんだ」


 ユカリは首を傾げて言う。「そうなんですか。他にもっと大事なことが?」

「そんなに大げさなことじゃないよ。私はただ、自立したいだけなんだ。自分で決めた仕事で働いて、自分の力で稼ぎたい、それだけ。結婚も悪くないけど、特に相手もいないしね。酒場でもあるから、纏わりついてくる虫はよくいるけど」


 ユカリは酔客の方をちらと見る。看板娘への視線が途切れることはなさそうだ。


「自立、ですか。つまり一人でやるから協力はいらないってことですか」

「ああ、いや、そういうわけじゃないよ。ごめんね。回りくどかった。発掘屋だって複数人体制で仕事に臨むものだよ。幾多の冒険を乗り越えた魔法使いに協力してもらえるなら、こんなに嬉しいことはない」


 そう言ってキーチェカは手を差し出した。ユカリはその手を両手で掴む。


「ありがとうございます。少し調べたんですが、発掘にもいろいろと規則があるみたいですね」

「そうだね。例えば完全予約制だとか、人数制限だとかね。応募者が多すぎたり、あと過度な競争を引き起こさないように」


「本当に奇妙な話ですね」とベルニージュが口を開いた。「まるで永遠に財宝が湧き出ると期待しているかのよう」

「もちろんいつかは尽きるさ」キーチェカは言う。「でもまるで底が見えないからね。そういう錯覚に陥っている面はあるかもしれない。何たってこれまでに発掘されたもの全部合わせたって、私が見た最奥の部屋の財宝の数十分の一に過ぎないと思う。ちなみに丁度明日に予約してるよ」


「あんたはまだそんなことを言ってるのかい?」


 いつの間にかシイマがそばにいた。客も何やら管を巻いている数人にまで減っている。


 キーチェカは淡々と抗う。「私が決めたことだよ。口出ししないで」

「あんたは乗せられているだけさ。この街のぼんくらどもの博打みたいな生き方にね」

「博打で街が発展するなら苦労しないよ」とキーチェカは苦笑する。

 シイマの見えない瞳がとても遠い過去の景色を見つめる。「あの地下神殿が発見された時、多くの災いが起きたんだ」

「はいはい。何度も聞いたってば」とキーチェカは取り合わない。


 二人の言い争いを前にユカリはおろおろしている。

 皴をさらに深く刻んでシイマは重々しい言葉を続ける。


「熱病に侵された人々。地下神殿に入って戻って来なかった人々。あたしの大切な人も死んじまったんだ」

「たまたま不幸が重なっただけでしょ。最初期の調査なんて呪いも罠も何も分かってなかったんだからさ」


 客の一人、赤ら顔の男が大声で注文を叫ぶ。随分酔っぱらっている様子だが、まだ食べるらしい。

 シイマが威勢よく答えて調理場の奥へと戻っていく。

 そしてまた新たに客が一人、入店する。


「げ」とキーチェカは客に対してあからさまに嫌そうな表情をした。

 ユカリは視線を向けないように囁く。「何ですか?」

「虫、じゃなくて常連客だよ。面倒でね。ばあちゃんがそばにいても私にばかり話しかけてくんの」


 その男は上等な衣服を身に纏ってはいるが、帽巾を目深にかぶってあからさまに怪しげな雰囲気だ。

 男はまっすぐにこちらへ来て、しかし少し離れた席に座る。


「いらっしゃいませ、健やかな人(ゲフォード)さん」


 キーチェカは完璧な愛想笑いを浮かべてゲフォードを出迎えた。


「またシイマさんと喧嘩をしたのか、キーチェカ」


 その声は大地の震えのようだった。静寂と平穏に包まれて微睡む獣を突き起こすような深い響きだ。


「ご注文は?」

「たった一人で発掘を続けているらしいじゃないか。せめて組合に入れと言っただろう」

「何も注文しないなら出てってもらえます?」

麦酒(ビール)。一番大切な人のことを忘れるなよ、キーチェカ」


 キーチェカはうんざりした様子を見せないように調理場へと下がっていった。


「言ってることは悪くないよね」とユカリは他の誰にも聞こえないようにベルニージュに囁く。

「言葉の表面に囚われちゃ駄目だよ」ベルニージュはゲフォードから目を逸らす。「言う人によって言葉の意味は変わるんだから。そもそもワタシからすればお節介だね。あの男もユカリも」

「そうかなあ」ユカリは納得できない様子で歯噛みする。

「ばあちゃん!」調理場の奥からキーチェカの鋭い声が響く。


 ユカリは飛び上がり、調理場の奥へ駆け込む。どうやら食在庫のようで塩漬けや酢漬けした食材が吊るされ、壺に押し込められ、所狭しと並んでいる。

 そこにシーマが倒れていて、キーチェカがすがりついている。倒れた時に頭を打ったのか血を流していた。


「医者はどこ?」とベルニージュが尋ね、

「俺が呼んでくる」とゲフォードが駆け出した。


 ユカリは合切袋を握って近寄ろうとしたが、ベルニージュに止められる。


 ベルニージュが耳元で囁く。「少なくともそれがそばにある間は大丈夫。下手なことをして若返りまで起きたら面倒なことになるよ」


 少なくともこれらの魔導書がある限り、事故や寿命、病で死ぬはずがない。それはその通りだ。これでも助けられないなら、この世のどんな魔法でも助けられない。しかし不安までは拭えなかった。

 ユカリは合切袋をベルニージュに押し付けて、肩掛けを外す。そして例の薬箱を取りに行った。

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