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落ち着いて。

 砦の門までやってきた時、汚れた布を抱えて門を横切ろうとしたベルニージュと目が合う。ベルニージュは布を放り出し、目を吊り上げた必死の形相で駆けてくる。

 ユカリは思わず身をかばうように手を構えるが、ベルニージュは横を通り過ぎ、地面を蹴り上げて砂埃を立てる。瞬間、砂埃は火花に変わってぱちぱちと爆ぜ、そして消えた。


「何を連れてきたの!? 間違いなく良いものじゃなかった!」


 ベルニージュの怒鳴り声に身を竦ませる。ユカリは混乱して、何も言えなかった。ベルニージュが何かを追い払ったらしい。何か悪いものを連れてきたつもりはなかった。

 ユカリの混乱と不安を見て取るとベルニージュはため息をつきつつ、いつもの表情に戻る。そしてユカリの耳元で囁く。


「ごめん。ユカリが一人で街に降りるとは思わなかった。それよりユカリ、みんなを治癒するんでしょう? 魔導書を持って、でも誰にも触れないよう、近づきすぎないように城砦を練り歩いてね。治癒の速さにノンネットたちは気づくだろうけど、ワタシが何とか誤魔化すから」

 目を合わせてくれないベルニージュから顔をそらして、ユカリは静かに答える。「はい。分かりました。お願いします」


 ベルニージュはちらとユカリの横顔を見るが、何も言わずに歩き去ってしまう。

 首席焚書官のことを教えることも、実り名が何なのか教わることもできなかった。


 ユカリは念のために合切袋の中の魔導書を確認する。魔導書はいつもと変わらずそこにあった。そして、ここまで一緒に歩いてきた子供と手を繋いでいないことに気づく。辺りを見回すがどこにも姿はなかった。ベルニージュの気迫に驚いて逃げてしまったのかもしれない。


 ユカリはデノク市の誇る城砦を見物がてら巡る。堅牢な造りながら、意味ありげな装飾が施され、力の籠った文字がこれ見よがしに刻まれている。よくよく石の壁を見てみると薄く灰をかぶっていることが分かる。戦の後も今までと変わらず川風に吹きつけられていたせいだろう。埃だけでなく黴にも溢れている。あまり清いとは言えない環境だ。


 ただ歩き回るだけというのもなんだと思い、掃除をして回ることにした。治療の役に立たなくとも砦の人々が晴れやかな気持ちになれたならば結構なことだ。


 『薬草唄』をうたいながら、下草が生えつつもしっかりと固められた城塁をたどり、『羊の川』をうたいながら、後付けされた質素な建屋を覗き、磨く。厨房、礼拝堂、便所と巡る。柱の数を数え、出入り口を確認し、汚れを拭う。掃き清めつつ、階段を上っては下り、監視塔の頂から子供たちの遊んでいる中庭を見下ろす。あの少年の姿は見当たらなかった。


 井戸を覗き込みながら何やら呪文を唱えているベルニージュを見かけたが声はかけなかった。


 ユカリは魔導書の力によって人々の治癒に一役も二役も買っているはずだが、護女の衣を身につけて、ただ楽し気に歌いながら掃除してまわる変な焚書官という評判しか得られそうにない。何か良からぬことでも企んでいるのではないかと疑われている節もあった。


 一方でベルニージュは着々と信頼を得ているのが傍目に見ても分かる。人当たりにむらはあるが、多くの魔法を修めている優秀な魔法使いである。ベルニージュは医療の現場でも大いに役立っている様子だ。それだけでなく、痛みに苦しむ患者に安らぎを与え、先行きに不安を抱く看護人たちを励ました。明るい未来を暗示する占いをしたり、家族の幸福を取り零さないおまじないをかけたり、痛みや苦しみを抑える歌を教えたりしていた。

 そしてこの半日の間に不自然なほどに目覚ましい治癒を達成し、それを誤魔化すために言葉を弄し、ベルニージュの評価はさらに上がる。秘伝の魔法がどうのと答えたために、ほとんど崇められる域にまで達した。


 また門の前にまで戻ってきたユカリは西日の差すデノクの街を眺めていた。まるで世界を焼き尽くした炎が燃え残しを思い出して街にとどめを刺しに戻って来たかのようだ。

 遠目に何体もの黒い影が形の無い街を彷徨っているのが見える。夢や幻ではなく、焚書官がまだ何か調査とやらに従事しているのだ。あれほど熱心に調べているということはよほど確度の高い情報を得てやってきたのかもしれない。


 そこに魔導書があるとすれば、お前たちの長の懐の中だろう、とユカリは言ってやりたかった。


「ユカリ」と不意に鋭く呼ばれ、ユカリは反射的に振り向く。「振り向いちゃ駄目でしょ」とベルニージュに(たしな)められる。


 意地悪だ、と言いたかったが、口に出さなかった。

 他に誰もいないが、救済機構の関係者が目と鼻の先にいる時には迂闊な行為だ。だけどやっぱり意地悪だ。


 ユカリが渦巻く心を吐き出してしまわないように黙っていると、ベルニージュが続ける。「完全に治癒されている訳じゃないけど、もう全員が山場を越えてる。もう誰かが死ぬ心配はない。ここら辺でもう良いんじゃない? ここで去っても罰は当たらないよ」


 ユカリは言葉にならない言うべき言葉を飲み込んで、生返事する。


「そうですね。そうしましょうか」

 ベルニージュは続けざまに問いかける。「そういえば彼ら、訪問者はどうだったの? 魔導書の気配は?」


 それはもっと早く聞いて欲しかったことだ。そしてユカリは、ユカリがもっと早く言うべきだったことを伝える。


「焚書官でした。首席もいます。たぶん、その人が所有しているのではないかと」


 ベルニージュが不審の眼差しをユカリに向ける。


「何でそんな大事なことを早く教えてくれないの?」

 ユカリは淡々と答えた。「ベルニージュさん、忙しかったですし」

「いやいや、何を言ってるの? ワタシはここの人たちを治療している場合じゃないって言ったでしょ。ワタシはユカリに付き合ったんだよ。それにワタシは特別に何かしていた訳でもない。ふりしてただけ。ただの道化。治療していたのはユカリ。違う?」

「私は別にそこら辺をほっつき歩いていただけです」

「そんなの関係ない。簡単にできることだからって功績や成果を軽視するべきじゃない」


 ユカリは合切袋の肩掛けを握りしめる。


「別に軽視している訳じゃないです。誰でもできることだって意味です」

「必要なことだよ。誰にできるかは関係ない。それに、上手くやれたら何だって楽しいんじゃないの?」

「そうですけど」としかユカリは言えなかった。


「それとも何? 褒められたかった? 料理も、魔導書を集めるのも、褒められるためにやってんの?」

「そんなんじゃない!」ユカリは自分の怒鳴り声に驚く。「私は私が正しいと思うことをやってるんだ。ベルニージュさんは違うんですか? 魔導書を越える魔法のために、魔導書を集めるために、私を利用しているの?」


 ベルニージュの紅蓮の髪が逆立ったかと思うと、その昂った感情に呼応するように現実に炎が着き、背中から肩、頭へと炎が迸った。熱風で肌がひりひりする。

 同時にグリュエーがとても人には伝えられない悪態を吐いて、ユカリの周りを渦巻き、何もかもを拒むように猛り狂う。砂埃が目に入って痛い。


「これはいったい何ごとですか? 護女エイカ様。とても次代の聖女に相応しい振舞いとは思えませんね」


 いつの間にか首席焚書官、山羊の仮面のサイスが砦の前にまでやって来ていた。他の焚書官も何人か引き連れている。

 ベルニージュの炎もグリュエーも落ち着きを取り戻す。ユカリは目をしぱしぱさせながら再び被り物を引き下げて、サイスと対峙する。


「すみません。サイス様。御見苦しいところをお見せいたしました。どうなさいました? 調査は終わりですか?」


 サイスはベルニージュをじっと見て、ユカリに視線を戻す。


「ええ、滞りなく。そういうわけで、次はこの街の生き残りの方に話を聞きたいのですが、構いませんか?」

「さすが首席。謙虚なお方だ」と別の焚書官が言い足す。

 ユカリはもごもごと答える。「ああ、どうでしょうね。傷病人はまだ安静にしておいた方がいいかなあ」


 ユカリはちらりとベルニージュを見る。ベルニージュの瞳にもう怒りはなかったが、代わりに呆れの色が映っていた。大体事情は察してくれたらしい。


「エイカ様。ワタシが加護官と彼らが鉢合わせないよう、治療の邪魔にならないよう回復した方々の所へご案内いたしましょうか」

「はい。そういう感じでよろしくお願いします」


 ユカリは出来うる限り申し訳なさそうにする。


「あ」とベルニージュが門の方を見て呟いた。


 ノンネットと加護官たちがこちらへ来るところだった。まずい。

 ユカリはノンネットの方へ駆けて行き、立ちはだかったと思われない謙虚さを保ちつつ立ちはだかる。


「ノンネット。ちょっとお願いがあるんだけどいいかな」


 ユカリに押しとどめられたノンネットはあいかわらず柔らかい微笑みを浮かべて応える。それに対して加護官たちは明らかに敵対的な視線を焚書官たちに向けていた。


「はい。拙僧にできることなら何なりとお申し付け下さいませ。彼らと何か関係が? あの仮面は……」


 そうだった、とユカリは己の軽率さに歯噛みする。が、何とか誤魔化そうと頭をひねる。


「彼らは私の部下でね。仮面はちょっと貸してたんだ。代理だね。上官思いの良い部下なんだけど、駆けつけてきちゃって、でもほら、焚書官と加護官ってほら、ね?」


 ユカリはノンネットの性格に賭ける。人を疑うようなことを知らない子だ。そのような子を騙す人間になりたくはなかった。もう手遅れだが。


「ええ、そうですね。組織政治は拙僧もあまり好まないのですが、それがあるという事実から目を背けるわけにはいきません」

「そう、そうなんだよ。でも、彼らにも彼らの勤めがあって、というのは少し傷病者から話を聞きたいらしいんだけど」

 ノンネットは控えめなため息をついて答える。「エイカ様。デノク市の皆さんの怪我は体だけではありません。心も傷を負っているのです。おいそれとその傷に塩を塗るような真似を許可できません」


「そうだね。もちろんそれを踏まえて、それが可能な方にだけ……」そこまで言ってどうやらこの方向性では説得できそうにないと気づき、作戦を変える。「それに、ベルニージュが案内するから大丈夫だよ。そういう判断は得意なんだよ、彼女は」


 ささやかな微笑みには違いないが、ノンネットはより弾けるような喜びを見せる。


「まあ。そうですか。ベルニージュ様は確かによく皆さんを見ていらっしゃるようですね。分かりました。お任せいたします。しかしくれぐれも皆さんの傷を抉るようなことはなさらないでくださいね」

「もちろだよ」


 ノンネットは再びサイスの方へ視線を向ける。


「とりあえず、ご挨拶だけでも」


 ユカリは慌ててノンネットの肩を掴む。


「大丈夫だよ。私が首席、私が代表なんだからさ」

「それもそうですね。では拙僧どもは勤めに戻りますので、どうかよろしくお願いします」


 手を振って別れを告げる。ノンネットやにらみを利かせる加護官たちの姿も見えなくなってから、本当の首席焚書官サイスの前に戻る。


「何とか話は取りつけました」ユカリは引きつった微笑みを浮かべる。

「話を取りつけた、ですか?」サイスは加護官たちが消えた門の向こうへと視線を訝し気な送る。「貴女が護女で彼ら加護官は貴女の護衛にすぎないはずでは?」


 加護官って護衛に過ぎないんだ、と心の中でユカリは呟く。


「もしくは子守だ」とサイスの隣の焚書官が言った。

 サイスが注意する。「失礼なことを言うんじゃない」


 すると隣の焚書官は集団の背後へと連れて行かれてしまった。


「ええっと、まあそうですけど。加護官とて拙僧のわがままで振り回すわけには参りませんから」

「それにもう一人、護女のような方がいらっしゃったようにお見受けしましたが、あの方は?」

「彼女はその、寒そうだったので僧衣を貸したんです」


 ベルニージュの口の端がひくひく動いていることにユカリは気づいた。堪えてくれないと全て水の泡だ。


 ユカリはベルニージュの笑みを抑え込むようにぴしりと言う。「そういうわけですので! ベルニージュさん、皆さんのご案内をお願いします」

「はい。承りました」


 そう言うとベルニージュは焚書官たちを率いて城塞の中へと入っていく。


 何とか誤魔化しきれた。もうこの状況で首席焚書官が持っているかもしれない魔導書を奪うのは諦めた方が良いだろう。焚書官など放っておいても追ってくるのだ。だとすれば、あとはもう逃げるだけなのに、どんどん悪い方向へと転がっているような気がした。


 ユカリが少しずつ落ち着いてくると、今度はその直前のベルニージュとの一触即発が心の中に浮かび上がってくる。炎を背負うベルニージュは神々しいとさえ思えたが、あの表情は悲劇の英雄の如きだった。


「グリュエー。守ってくれようとしたんだよね、ありがとう」


 グリュエーは息まく獣のように小さな旋風を作る。


「どういたしまして。安心してね。あんなの蝋燭みたいに簡単に吹き消せちゃうから」

「うん。だけど、もうあんなことをするのはやめてね」


 少しの静寂のあと、少し苛立たし気な風がユカリの顔に吹く。


「何で?」

「もうベルニージュさんと旅を始めて二か月は経つよ。彼女がどう思っているかは分からないけど、私は旅の仲間、友人だと思ってる。ベルニージュさんの協力がないと切り抜けられなかった場面が何度もあったのはグリュエーもよく覚えているでしょ?」

「そうだけど、攻撃してきたらグリュエーが守らないとユカリ怪我しちゃうよ」

「うん。でも話し合うべきか戦うべきかは、私が決めないといけない。ベルニージュさんは私にとってまず話し合うべき人だから。グリュエーもすぐに手を出したりしないで」


 爽やかな風にユカリの被った布飾りがそよぐ。


「分かった。ユカリがそう言うならグリュエーは従う。でも助けて欲しい時は助けてって言ってね」

「うん」少し照れ臭くなり、ユカリは僧衣の皴を伸ばす。「頼りにしてるからね」

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