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ひやひやした。

 豪勢な朝食を無理に食べたのち、アクティアはパーシャの様子を見に行った。残されたユカリとベルニージュは記憶に関する書物の元へ行き、それぞれに書物を開く。


 ユカリは秘密を打ち明けるかのように囁く。「話さなくて良かったんですよね、呪いのことは。たぶん『幽閉されること』だと思うんですけど」

「うーん。まあ、そうだね。セビシャスは記憶喪失と焦燥感と、あと作為的な偶然(・・・・・・)の補佐によって、彷徨したくなくても彷徨せざるを得ない状況に追いやられていた。だから記憶を戻すことで呪いを解けたんだと思う。だけど、パーシャの場合はその逆。最悪の場合、ハウシグが更地になってもパーシャが幽閉されるという状況を維持するために図書館だけ無敵の要塞と化すかもね」


作為的な偶然(・・・・・・)ですか。言いえて妙ですね。まるで偶然に偶然が積み重なったみたいに、ですね。何が起こるのかは分からないですけど」

「なぜか隕石の衝突角度が変わるなんてことがあるんだから、ワタシたちの想像も及ばないたまたま(・・・・)で事態を捻じ曲げようとするよ、この魔導書は」


 ユカリはパーシャが魔導書という怪物に幽閉された哀れで同情を誘うお姫様のように想像した。

 四方の隅々までその名を轟かせる英雄は可憐な王女を助けるために、決して王女の脱出することのできない図書館へとたどり着く。それは竜の(ねぐら)でもあった。

 腰には雷より鍛えられたかの名高き魔法の剣、稲光(バギルディフォン)。英雄は雷鳴と共に現れるが、竜は雷の轟きを聞いてなお眠りこけている。英雄は思いのほか容易く図書館に乗り込み、拍子抜けする。

 出会った王女は一癖も二癖もある手弱女。無理に連れ出そうとすれば悲鳴をあげ、そしてその悲鳴を聞いた時だけ竜は夢の国境を越えて戻ってくる。

 一計を案じた英雄は、空想の彼方からベルニージュに呼び戻される。


「ちゃんと探してるの? ユカリ」

「探してます。でも本当にハウシグ王国の人々に幽閉をやめさせる魔法なんてあるんですか?」

 ベルニージュは(ページ)を捲る手を止めず、答える。「いや、それを今探しているんだよ。何か偽りの記憶を埋め込む魔法があるといいんだけど」


 ユカリの手は止まっていた。


「あまり褒められた手段ではないですね」

「別に意識や性格を変えるわけじゃないよ。記憶を操作して、パーシャ姫のことを忘れさせるのでもいい。そうすれば幽閉する意味がなくなって、魔導書の憑依も解けるかもしれない。実際、セビシャスの記憶も操作したわけでしょ?」

「それは元の記憶を取り戻させただけですから、記憶を失わせることと同列には語れないですよ」

「そうだけど、事が終わった後に魔導書で思い出す奇跡を使えばいい話だよ」

「それは殴った後に手当てするようなものじゃないですか?」

「否定はしない。でも苦痛も後遺症もない。目の前の重大な危機を避ける手段としては穏当な方でしょう?」


 ユカリは目を伏せる。古い紙、古い書物、古い文字。


「それは、そうかもしれません。でも……」

「最終手段?」とベルニージュが囁く。


 ユカリははっと頭を上げて、ベルニージュの鋭い視線に捕まる。


「それは……」

「ユカリ。行きたくない場所がいくつあってもどこかへ辿り着くことはできないし、やりたくないことを並べても何も成しえないよ。ユカリも何か案を考えて」


 ユカリは目を伏せ、今開いている本を読む。双子の魂が共鳴し、見知らぬ記憶を共有するという出来事に関する考察だ。ユカリは閃く。


「そうだ。パーシャ姫に乗り移って……」

 ベルニージュが勢いよく本を閉じる。「ユカリがパーシャ姫に乗り移って図書館から出してしまえば良いんだよ! その方がよほど穏当かつ簡単に解決する!」


 ベルニージュはユカリと目を合わせず、しかし得意そうな笑みを浮かべている。負けず嫌いも大概だ。


「もうそれで良いですけど。というかベルニージュさんはそれで良いんですか?」




 いつの間にか太陽とその光は南の頂を過ぎて、秋の薄ぼんやりした空を転げ落ちていく。腹を満たした羊のように群れなす雲は牧羊犬のごとき風に追われて、東の果てへと流れていく。


 やはりユカリたちは大して空腹を感じていないが、そもそも無理に朝食を食べたので魔導書とは関係ない気もした。

 ユカリとベルニージュはパーシャを探す。昼でも相変わらず薄暗い大広間にその影はなかったが、寝室から話し声が聞こえてきた。扉を開けて中に入るとまるで厚みのある毛布に飛び込んだかの如く馥郁たる香りに全身が包まれる。しかしそこには誰もいなかった。


「そういえば、これは花だから魔導書とは関係ないんですね」とユカリは部屋に飾り付けられた無数の花を眺めながら言った。

「うん。これ自体はパーシャ姫が使った魔法なのかな。魔導書の憑依した自分自身が触媒になって強力になっているのかもしれない」


 やはり誰かが、臆病な妖精のように密やかに話している声が聞こえた。採光窓から斜めに差す光は吉兆のように半地下室を照らしている。その窓から声が降り注いでいるようだ。

 何となくユカリとベルニージュは静かに忍び歩いて近寄り、窓から漏れ聞こえてくる秘密に耳をそばだてた。


「とても素敵な薬草園ですわ。種の違う草々が区画された様は、神々に愛されし王領頂の園(ミデミア)を思わせます。あるいは誇り高き軍勢の如き領邦集うテネロード王国そのものでしょうか。庭園の花々もとても美しいのですが、こちらはパーシャ様が手を尽くしているからか、温かな雰囲気が感じられますわね」


 半地下室の採光窓の向こうには薬草園があるのだった。ユカリはいくつかの窓を覗くが小さく切り分けられた青空以外には何も見えなかった。

 少ししてパーシャは答える。


「植物たちも喜んでくれるんじゃないでしょうか。駄目なパーシャにも応えてくれるいい植物たちなんです」


 ベルニージュは一つあくびをして近くの寝台に寝転がり、ユカリは甘えてくるグリュエーを宥めすかした。


「そう卑下しないでくださいませ。昔のパーシャ様はどのような時も両の眼に光を宿し、万の大軍を退けた砦を思わせる自信に満ちた方でしたわ」

「パーシャはパーシャの愚かさにも気づかないほどの愚か者だっただけじゃないでしょうか。今となっては恥でしかない。パーシャは何一つとして上手くやれませんでした」


「上手くやれるかどうかなんて些細なことですわ。溺れる子猫を助けに真っ先に小川に飛び込んだあの夏のパーシャ様は今でも脳裏に焼き付いております」

「結局パーシャも溺れて、子猫共々アクティア姫に助けられただけの苦い思い出ですね」

「泳げる者が水に飛び込むよりも、泳げない者が水に飛び込むことの方が勇敢ですわよ」

「勇気だけあっても仕方がないということの教訓になりました。無謀っていうやつですね」


 ユカリは口を挟みたくて仕方なかったが、六年ぶりの二人きりの語らいに水を差すわけにもいかない。そもそも盗み聞きしていることを知られたくない。


「それに」パーシャ姫が続けて言う。「勇気ならアクティア姫の方があるんじゃないでしょうか。その名声はハウシグにまで轟いています。よく図書館に来る学者さんたちが噂していました。アクティア姫がいがみ合う諸領主を調停し、テネロードの不安定な内政の楔になっているとか。その立場で内陸領を賜り、例年の倍以上貢納したとか。そういえばお兄様とご婚約されたという話も聞きましたが」


 アクティアは乾いた笑いを漏らす。


「もちろんわたくし自身も王女として歩んできた道を誇りに思ってはいます。いずれにせよ、今度のことで積み重ねてきた種々は全てご破算です。でも祖国に帰還できる喜びに比べれば何でもないことですわ。わたくしは狭霧(さぎり)払い光指し示すハウシグ王国の王女アクティアですもの。パーシャ様は()の毛ほども祖国に戻りたいとは思いませんの?」


 もう話は終わってしまったのかと思うほどに間を空けてから、パーシャは答える。


「パーシャには帰るべき場所などありません。兄弟の中では最も出来が悪く、降嫁すら望まれまいと言う者もいました。今は、このおかしな力のお陰とはいえ必要とされているんです」

「それを仰るなら、まさに今、パーシャ様のご祖国が、ミデミアに御座(おわ)す父君が、娘のご帰還を望まれてますわ。今後は冷遇される心配もないのではございませんか?」

「我が父の望みと我が望みは違います。いえ、仮に同じだったとしても、手を引かれて道を歩くつもりはありません」


 それはいつもの震える声だったが、それまでのパーシャの言葉とは違う力のこもった言葉だった。アクティアが押し黙っていることはユカリにも分かった。言葉が出てこないのだ。


「なぜそんなにも」とパーシャがわずかに語気を強める。本人も驚いた様子で、すぐに声は小さくなる。「パーシャを疎んずるのです?」

 アクティアは反射的に答える。「疎んじてなどおりません! わたくしはただ、祖国の、ひいては両国の静寧のために。ハウシグの王女として否めぬ勤めを全うしているのです」


 ユカリは採光窓の下ではらはらと落ち着きなく空を見つめていた。ベルニージュは眠っているのか起きているのか分からない。


 アクティアは覚悟を決めたように言い募る。「パーシャ様の御心境は斟酌している心積もりですが、このままでは、我が祖国が、パーシャ様の祖国に滅ぼされるのです!」


 すぐにあいかわらず小さな声でパーシャは言葉を返す。


「ベルニージュさんも言っていましたが。祖国のため、王女としてというなら、むしろパーシャの魔導書の力を守るべきなのでは?」


 そうして会話は終わった。誰かが、どちらかが歩き去る足音が半地下室に聞こえた。

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