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なるほど、謎だね。

 深い闇の底で見たそれは夢でも幻想でもない。ユカリにはそれが分かった。

 どこかに隠れた心の中の友達を少女は探す。どこにいるかは分かっているけれど、どこにいるか分かっていないということになっている。

 本当はどこにもいないが少女はまだ分かっていない。




 名にし負う聖ジュミファウス図書館の、静けさに満たされた半地下室にユカリたちは眠っていた。いくつかの採光窓から少女たちを祝福するように光が斜めに差しており、半地下室の埃っぽい物たちを輝かせている。


 朝まだきにユカリは目を覚まし、昨夜のことを思い出した。迎賓館を抜け出し、大図書館に侵入し、一度はテネロードの陣営まで戻って、再び帰ってきた。思えばとても刺激的で長い夜だった。

 どろりとした眠気を体の内から全て吐き出すようにあくびをしながら寝台の上で身を起こす。正確には椅子を並べただけの仮設の寝床だ。昨夜ユカリとベルニージュは新たに椅子を持ち込み、元からあったものの見様見真似で二人分並べたのだった。


 別の寝台にベルニージュとパーシャが眠っている。ベルニージュは手足をあちこちに放り出し、パーシャは赤子のように丸まっている。パーシャと同じ寝台で眠っていたアクティアの姿はない。


 そして昨夜も感じた花の香りの正体をユカリは知る。


 半地下室の部屋全体が花で飾り付けられていた。それも花瓶に生けるようなささやかなものではない。まるでこの世のありとあらゆる色と香りを全てこの部屋の中に封じ込めたかのようだ。床にも壁にも天井にも寝台の飾り板にも花が飾り付けられている。

 多彩な桜草(プリムラ)牡丹菊(ダリア)、薔薇、竜胆。花々は花瓶に生けているわけでもないのに瑞々しさを保っていて、それは生を愛する者が多用する魔術によるものだった。元は味もそっけもない石の部屋だったが、今は花園よりも美と香りに溢れた魅惑の部屋、神々の憩う楽園が如きとなっている。


 ユカリはこの感動を誰かと分かち合いたかったが、寝ている二人を起こすわけにもいかないので、寝台を降り、部屋を出た。


 ユカリは何となく王女の名前を呼びたてるのは(はばか)られたので、無言で図書館を上へ上へと昇っていく。見たい景色もあった。焼かれたはずの畑が再生しているという噂を確認しておきたかったのだ。

 大図書館がハウシグ市の東の端にあるとはいえ、城壁の向こうの大地を見るにはかなり高層まで上がらなくてはいけなかった。結局、塔の一つを一番上まで昇り、見張り台のような露台へと出る。


 そしてユカリは落ち込むことになった。黄金の陽光を浴びる東の大地は炭と灰に覆われていた。ユカリはアクティアの話を思い出す。本来なら東の土地は桜草(プリムラ)に覆われた彩り豊かな土地のはずだ。モーニアがある程度押し流したとはいえ、火災が残した爪痕は残っていた。噂は噂だったのか、とユカリは落ち込む。


 しかし少なくともまだ侵攻は再開されていない。


「おはよう。ユカリ」グリュエーがユカリに飛び掛かる。「よく眠れた? まだ眠ってるなら起きて」


 グリュエーを抱きしめるようにユカリは全身で風を感じる。清冽で爽快な風だ。まだ眠っていた体の隅々まで覚醒させられる。


「おはよう。グリュエー。もう起きたよ。朝から元気いっぱいだね」

「グリュエーが元気じゃない時なんてない」

「そうだったっけ? そうだったかも」

「使命を成り果つその時まで、途絶えることなく彼方まで、魔法少女を運ぶのだから」

「でも使命が何なのかは言葉に出来ないんでしょ?」

「当然。グリュエーは遥か西方へ至る風であり、また使命そのものでもあるのだから」

「ああ、そうだ」ユカリは思い出したように露台を回り込み、ハウシグ市の西の土地を見やる。


 そして噂は間違っていなかったのだ、とユカリはさっきの考えを翻した。まだ眠るハウシグ市の切妻屋根の向こう、西の端の城壁のさらに向こう、朝靄でぼやけてはいるが、昨日まではなかったはずの緑の土地が広がっている。西の土地だけが再生しているということだ。


 しかしどうも理屈に合わない、とユカリは頭をひねる。奇跡をもたらす憑依の魔導書は、距離が近いほどより確実な奇跡をもたらすはずだ。東の端にいるパーシャ姫が魔導書の憑依者だとすれば、東の土地が再生されずに西の土地が再生されるのはどういうわけだろう。

 とはいえ城壁の外では現状のハウシグ市民には収穫できない。少なくともハウシグ王国が意図して魔導書と無関係な魔法を使って畑を再生させたとは考えにくいということだ。


 それはそれとしても憑依者には周囲の人間に与えられる奇跡とは別次元の奇跡と逃れ難い呪いがあるはずだ。セビシャス王の不老と彷徨にあたる何かがパーシャ姫にもあるはずだ。さらに憑依者が他者に触れた場合も奇跡が起きる。

 すでに昨夜、皆がパーシャに触れていることをユカリは思い出す。特に何も起きていないのは間違いない。体から木が生えてこなくて良かったと安堵する。


 ユカリは特に行く当てもなく塔を降りる。ちょうど大広間に戻ってきた時、寝ぼけ眼のベルニージュと顔を合わせる。


「おはようございます。ベルニージュさん。私の勝ちですね」ユカリがそう言うとベルニージュの目がかっと見開く。

「どういうこと? ワタシが何に負けたって?」

「私の方が早起きでした」

「起きてたから! 目を瞑ってただけだから! ワタシ負けてないよ!」


「そんな、子供じゃないんですから」と言いつつ、そもそもこんなからかい方自体が子供っぽいか、とユカリは考え直す。「まあ、良いですけど。そういえばやはり噂通り、畑が再生していました。ただし何故か西の土地だけです」

「西?」とベルニージュは再び寝ぼけ眼で首を傾げる。「東じゃなくて? もしパーシャ姫だったなら、より近い方に強い奇跡が働くはずだよね」

「そうなんですけど、そうはなっていないみたいですね」

「うーん」ベルニージュは髪を手櫛で梳きながら考える。「分かんないね。テネロードは?」

「特に動きはありません」


「それなら良かった。とにかくパーシャ姫をここから出さないことには何も解決しないからね。場合によってはテネロードにも引き渡さず、ワタシたちが連れ去るという手もあるよ」

 ユカリは目を伏せ、言う。「それは……最終手段です」

「最終手段という名の問題の先送りにならないようにね」

「はい。そうですね。分かってはいるんですけど」

「まあ、いいや。そういうところがユカリの良いところなんだと思うよ。それより何してたの?」


 ユカリはぐずる心を引っぱたくようにして立ち直る。


「特に何も。そうですね、朝食はどうします? 厨房とかあるのでしょうか、ここ。ああ、でも私あまりお腹空いていないですね」

「迎賓館で沢山食べてたもんね、ユカリ」

「別に普通ですよ。人並みです。パーシャ姫はまだ眠っておられる、として。アクティア姫は見かけませんでしたか?」

「わたくしならこちらですわ」と頭上から呼びかけられる。


 二階の回廊からアクティアが見下ろしていた。早朝でも端然とした振る舞いで階下へ降りてくる。


「殿下。どちらにいらしたんですか?」とユカリは尋ねかける。


 昨夜よりも気軽な気持ちになっていることに気づく。


「久しぶりですから図書館や庭園、薬草園を散策していましたの。ユカリさん。厨房をお探しですのね?」

「ええ、はい。朝食を作れないかな、と思いまして」

「それならご安心なさって。この図書館には食堂もありますわ。様子を見てきたのですけど以前と変わらない姿でした。多少、お掃除は必要かもしれませんが。それと一つユカリさんにお願いがあるのですけど」

「なんなりと」とユカリは反射的に言った。


「ユカリが甘いのはやんごとなきお方に対してか」とベルニージュは呟いたが、ユカリは聞き流した。

 アクティアは視線をさまよわせ、嫋やかな指に指を絡ませる。「わたくし、お料理をしてみたいのです。どうかご教示願えませんか?」

 ユカリは目を丸くして尋ねる。「王女様がですか? どうしてまた?」


 確かに昨日の何でもない昼食に随分心を奪われていたようだけど、とユカリは思い返す。


「ただ、興味があるということです。いけませんか?」


 アクティアは頬を染める。

 その情趣は世界の果ての断崖にただ一つ生る林檎が瑞々しく色づく様のようだ、とユカリは思った。

 世界で最初の夕日にもこれほどの情感はあるまい、とユカリは思った。

 永遠の命を持つ獣の血の魔力も色褪せるだろう、とユカリは思った。


「ユカリ?」とベルニージュがユカリの脇腹を小突く。「早く返事しなよ。不敬だよ不敬」


 ユカリははっと我に返る。殿上人の眩いばかりの気品ある羞恥の面にあてられていた。


「はい。もちろん。喜んでご教示させていただきます。むしろ私は素人ですけど良いんですか?」

 アクティアは微笑んで答える。「わたくしはど素人です。お気になさらないで」

「料理なんて楽しいものじゃないですよ」とベルニージュがふてぶてしく言った。「出来れば避けたいくらいですね、ワタシは」


「じゃあ料理は私たちに任せてください」とユカリは朝の仕事に気持ちを切り替えて言う。

 ベルニージュは今になって目が覚めたような面持ちになる。「いいの?」

「ええ、ベルニージュさんは火熾しと水汲み、あとパーシャ王女殿下を起こしてください。お願いしますね」

 ベルニージュは眠たげに目を細め、あくびのようなため息をつく。「働いた者勝ちだもんね」

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