対抗策
エヌ博士の発明
ズゥン、ズゥンー。
「あ、今のは随分と近いようよ。あたし嫌だわ。また、アイツらの巨大な脚が天板を突き破って来やしないかしら」
「君、大丈夫だよ。ほら、よく聞いてご覧。奴らの足音がだんだん遠ざかっていくのが分かるだろう。それにあの悲惨な事件はもう十年も以前の話だろう。今は技術が発達したからあのような悲惨な事故はもう起こらないと技術者たちが表明しているじゃないか」
「君たちはいつまでそんな前時代的な話題に囚われているつもりだい。それより、これから発表されるというあの偉大なエヌ博士の研究成果について話し合うべきだろう。僕は今から楽しみでしょうがないよ。もしかしたらあの忌々しい宇宙生命体への打開策が語られるかもしれないのだから」
地下奥深くに建設された大ホールに詰め寄せられた記者たちは人いきれするような熱気に当てられながら、口々にこれまでのエヌ博士の偉大なる研究成果について噂をしあっていた。
エヌ博士は齢九十を越している。数々の偉業を成し遂げてきた彼も、寄る年波には勝てない。きっとこれが最期の研究成果になることであろうことは、記者たちも予想していた。それだからこそ、エヌ博士の発明家としての最後の発表に胸を躍らせずにはいられなかった。
発表は都下都市に張り巡らされた電線を通して、全世界に伝播されるように手配されている。エヌ博士の偉業を目の当たりにしようとして全地下都市の人間が、今や今やと待ち遠しい心持で彼の氏の登場をテレビの前で静かに見守っていた。
どれほどの時間が経ったであろうか、ようやく、白い髭を伸ばし放題にした、杖を突いた老人が大ホールの壇上に厳かな雰囲気を纏って登ってきた。足取りが危ういのか、一人の青年が、その小さな身体を支えるようにして付き添っている。その老人こそが件のエヌ博士であり、彼を支えている青年はエヌ博士の優秀な助手であった。
激しく気が狂ったようにカメラのフラッシュが瞬かれた。エヌ博士の登場に大ホールに詰め寄った記者たちは興奮を隠しきれずにいた。今日こそが全人類が宇宙の遥か彼方から渡来した巨大生物から地上を取り戻す日なのだと、エヌ博士の堂々とした風体を見て、確信していた。
エヌ博士は教卓に備え付けられたマイクをしっかりと掴むとしわがれた声で次のようなスピーチをし始めた。エヌ博士の肉声は地下都市に所せましと張り巡らされた電線を通じて、全世界に伝播した。
「我々がこうして地下に都市を築き、生活を送るようになってから随分と長い年月が流れました。三百年間、我々人類は彼の宇宙の果てから渡来した巨大生物に虐げられてきたといっても差し支えないでしょう。人類は青空を忘れ、代わりに鉛と合成プラスチックの天井を見上げる世界と成り果てました。我々は彼の宇宙生命体から地上を取り戻すためにあらゆる武力的手段を採ってきました。銃弾、ガス、レーザー光線、そして核兵器…。そのどれもが彼の宇宙生命体には無効化でした。しかし、私が本日をもって表明する研究成果はそれら武力抵抗を根本から覆す手段であります。長年の研究から私は武力をもってして彼の巨大生物を抹消することは不可能であるという結論に行き着きました」
大ホールに詰め寄せた記者たちはこの言葉に敏感に反応し、、またもや気が狂ったようにカメラのフラッシュを焚いた。エヌ博士は一段と声を張り上げ、スピーチを再開する。
「我々人類は彼の宇宙生命体を賛美する時代に突入したのであります。人類が更なる飛躍を成すには彼の宇宙生命体との共存を目指す他に在り得ない、と私はそう提言致します。気が迷ったわけではございません。明確な事実と研究を顧みて、そのような結論に至ったのであります。落ち着きなさい。私はその共存への道を生涯かけて模索してきました。彼の宇宙生物との共存です。えい、こうなったら仕方が無い。百聞は一見に如かず、とも先人は言っている。私の研究成果を皆様方にご覧にいれようと思います」
記者たちの怒号と罵声、目もくらむようなフラッシュが飛び交う中、エヌ博士は壇上に控えていた助手を手招きすると、黒いピストルのような物を取り出させた。
「それでは私の研究成果をお見せしよう」
エヌ博士はマイクを掴み、高らかに宣言すると助手から手渡された黒い塊を口に咥え、引き金を引いた。パンッ、という軽い音が大ホールに響き渡り、エヌ博士の後頭部から脳漿が弾け飛んだ。
警備の者が唖然とする中、教卓に前のめりに倒れ込んだエヌ博士の手からもぎ取るようにしてピストルを奪い取ったのは助手である。助手はピストルをこめかみにあてがうと、警備員が止めるより早く、引き金を引いた。
全世界に名を轟かす発明家とその助手を務める優秀な青年の突然の死に、大ホールは騒然とした。呆然と立ち尽くす者、人の死に耐え切れずに嘔吐する者、ビッグネームの死にカメラのフラッシュを瞬かせる者、混乱を制しようと奮闘する者―、一瞬のうちに大ホールは混乱に陥った。
その時である。二人のフードを被った男が、騒然とする警備網を縫うようにして駆け上がった。屈強な警備員により床に這いつくばせるようにして取り押さえられた二人の男は、しかし間もなく解放された。取り押さえた警備員は唖然としてく口を開ける他なかったからである。間深く被ったフードの下には、数分前に公然で銃自殺を遂げたエヌ博士とその助手の顔があった。
呆然と立ちすくむ警備員の手を逃れると、エヌ博士は助手に身体を支えられながら教卓の前まで歩み寄った。エヌ博士は先程まで息をしていた自身の肉体を教卓から振り落とすと卓上のマイクをしっかりと掴み引き寄せ、最期の声を引き絞るように高らかに宣言した。
「これが、私の研究成果であります。人類のクローン化こそが彼の宇宙生命体への最後の対抗策であります。我々人類が死を恐れる時代は今終わった。今日、この時から人類は彼の宇宙生命体との共存への道を歩む時代へと変わったのであります」
エス神父の陳述書
これは全き神への冒涜の他なりません。
ああ、恐ろしき事件だ。これほどまでに罪深い事件は在り得ないといっても差し支えない。
エヌ博士はただでさえ、天の御国に至るまでへの道でいう重罪であるという自殺を遂げた。我々人類の一つ一つが神の御姿に似せて作られた尊い存在でございます。それをあのような公然で、それもピストルで自殺して見せ、あまつさえクローンとかいう名で復活劇を惹け開かすなど言語道断でございます。エヌ博士の罪は、主、イエス・キリストがその御身自らを磔に、人類すべての贖罪をもってしても余りあるほどの大罪と言ってよいでしょう。
彼の巨大生物が、その脚でいくら人類を踏みつけにしようものとも、信仰さえあれば今の暮らしで十分満足できようものでございます。人類は今、神によって試されているのです。
ああ、うまく言葉にできないのが残念です。私は今、激昂しているのです。
とにかく、今私たち人類は試練を受けていることは確かでしょう。
強大な悪に対して全人類の信仰が試されているのです。今こそ、人種や民族を乗り越えて手を差し伸べ、神の御名のもとに団結し、堪え忍ぶべき時が来たのではないでしょうか。
私は今、強大な悪と言いましたが、それには二つあります。一つは皆様方も周知である彼の宇宙の彼方から銀色の舟に乗ってやって来た巨大生物。そしてもう一つはエヌ博士の心に宿ってしまったような悪魔のことでございます。悪魔はどこにでも潜んでいます。我々、人が少しでも緊張を解こうものなら、すぐさまやって来て、耳元で悪の道の甘美さと華々しさを、まるで絵に描くように囁いて止みません。
私はエヌ博士と彼の助手に憐れみを感じずにはいられないのです。彼らのような優秀な人が悪魔に誑かされたことにー悪魔に憤っているのです。
私には学といえるほどの学はありません。主は私に美文を書くことができるほどの才能と知恵を与えてはくれなかったようです。今ほどその試練を苦しく思ったことはありません。エヌ博士と彼の助手は悪魔に魅入られてしまったのでございます。
我々人類が死を恐れるべき時代はまだ続いています。主の赦しがない限り、我々は死を恐れるべきです。人類のクローン化は主の赦しのないままに悪へと導くサタンの囁き以外に他なりません。我々は主が御赦しになるまで、この地下に留まり堪え忍ぶべきでございます。終末は近い。今こそ、主に愛をもって祈りを捧げるべき時代です。誑かされてはなりません。
この陳述がどうか、多くの人々の胸に届きますように祈りを捧げます。エイメン…。
発明家ケイ博士の意見
人類は新たな時代に突入しようとしている。
エヌ博士の発明は我々人類が辿るべき一筋の光明であり、彼の宇宙生物に対抗し得る唯一無二の方策であることは自明の理であると考える。
エヌ博士があの日、高らかに宣言してみせたように、残念ながら人類は彼の巨大生物に対する武力を持ち合わせていないことは歴史がよく語っているではないか。全世界が我先にと宇宙生命体に武力的行使を試みた時代もあったが、その全てが無駄に終わったことはいまだに記憶に新しい。
核兵器すら徒に地球の大地を焼いただけに終わった今、我々が辿るべき道は彼の宇宙生物の目を盗んで、地表に上がり、より強度の高いシェルターを各地に建設する他に手段はない。幸いなことに、我々は現段階でも彼の宇宙生物の攻撃に耐えうるシェルターを地下に建設できる程度の技術と知能を兼ね備えており、しかも日々その方面の発明は進歩している。仮に彼の宇宙生命体が新たな武力を持ち出してきたとしても、エヌ博士の発明はその脅威を全く以て無効にするべきものである。人類が死を恐れる時代はとうに過ぎ去ったのだ。
一部の神学者は「神に対する冒涜である」と指摘し、その技術が悪徳であるかのように(また、発明家エヌ博士を貶めるかのような発言も見受けられる)風潮しているようであるが、今現在が正に「終末」に至っている可能性を度外視していることには疑問を覚える。彼らの信仰しているところに拠ると、現在が既に終末的事態に陥っているのではないであろうか。地下に人類が貶められ、地上に悪魔のごとき生物がのさばっている事態は、充分に終末的ではないだろうか。私見ではあるが、エヌ博士こそ人類に残された最後の光であり、主が託された最後の砦ではあるまいか。
現在、我々は終末に脅かされているということに自覚的にならねばなるまい。人類史上、我々人類がこれほどまでに辛酸を舐め続けねばならない時代があったであろうか。解答は明確である。
さて、私は現在、一部の神学者の土俵で持論を展開してきたが、巨視的な観点から見てもエヌ博士の計画は完璧であり、正確無比のクローン人間を造り出す技術が既に整っている事実をここに表明する。同じ科学者として、このような形で先を越されたことは歯痒いが、エヌ博士の偉大なる研究成果を賛美せずにはいられない。エヌ博士の発明こそ、人類が地上を宇宙生命体から取り戻す唯一の方策であり、偉大なる計画であることを、私はここにはっきりと断言しよう。
新しい世界で…。
ズゥン、ズゥン―。
地平線の彼方を巨大な生物が歩いている。
身の丈は百メートルをゆうに越えており、背中には太陽光を浴びるための背びれのようなものを生やしている。その姿は遥か昔に映画館を賑わせた恐竜そのものである。
球体を真っ二つに割ったような高強度プラスチック製のドームの外を宇宙から渡来した巨大な恐竜がいくつも闊歩している。かつて人間が核兵器で焼いた大地を黒いゴマ粒のように点々と、しかし悠々と歩んでいる。
ドームの中は清潔な空気に満たされており、人々の長年の苦心が叶った結果、高層ビル群が所狭しと建築されている。もう、建設中にあの巨大生物の脚に踏み潰されるクローン人間もいなくなって久しい。人類はエヌ博士の発明を受け入れ、自ら進んで地表に這い出ては馬の目を抜くような心持で、懸命にツルハシを振るい続けたのである。人類は死を克服した。しかし、どうであろうか、この空虚な世界は…。
エヌ博士は安楽死を選択した。齢二百歳を超えていた。多くの人々がエヌ博士の死を見守ったが、その全てがクローン人間であり、エヌ博士の祝福を受けた仔羊たちであった。エヌ博士の死をすぐ隣で見届けたのは、やはり、あの日共に銃自殺を遂げてみせた助手であった。助手も齢百歳を超えていた。しかし、歳はとれどクローン化された人間は老いることはない。寿命が尽きればまた新たな正確無比のクローン人間が地下から送られてくるだけである。それは宇宙生命体の恐怖を克服した現在でも変わらない。
初め、エヌ博士が安楽死を希望した理由が助手には分からなかった。清潔な空気、整った施設、莫大な金、死への不安のない未来永劫続くであろう生活。エヌ博士の発明は全ての富と名声を彼自身に齎した。しかし、エヌ博士はしわがれた声で絞るように、助手に死を願った。助手はわけも分らぬまま、エヌ博士のクローン化を止め、新たなエヌ博士を生み出すのを止めた。
地平線をいくつもの黒くゴツゴツした怪獣たちが闊歩している。助手は胸に残った空虚さを感じながら、ドームの中でも一際目立つ立派な高層ビルの一角でそれを見詰める。
エヌ博士が死を願った理由が助手にも分かってきた。助手は白けた世界から目を逸らす気分で、卓上に広げられた新聞紙の活字に眼を落した。
また、ドームを飛び出して自ら怪獣に踏み潰されようとする集団について、著名な心理学者が自説を展開しているようであった。






