96話 妹に起こしてもらいます
トイレに行った帰り道。
結衣の部屋の前を通りかかると、なにやら話し声が聞こえてきた。
たぶん、電話をしてるんだろう。
やけに楽しそうだけど、相手は凛ちゃんかな?
「って、聞き耳を立てた、なんて勘違いされたらたまらん」
自室に戻る。
そして、中断してた漫画を……というところで、携帯が鳴った。
見覚えのない番号。
それもそのはずだ。
相手は、今日、登録したばかりの真白ちゃんだった。
「はいはい?」
「お兄ちゃん、こんばんはー!」
「うん、こんばんは。どうかしたの?」
「えっとね、えっとね……明日から楽しみにしててね♪」
「え? なに?」
いきなり、楽しみにしてて、って言われても……
なんのこと?
訳がわからなくて、きょとんとしてしまう。
「結衣お姉ちゃんのことは、私が責任を持って、一人前にしてみせるから!」
「うん? 一人前?」
「でもでも、それだけじゃもったいないというか、物足りないから……イチャイチャできるように、あれこれ考えておいたから! 期待してていいよ、お兄ちゃん♪」
「えっと……さっきから、なんの話をしてるの?」
「さて、なんでしょう」
ちょっと芝居がかった調子で、真白ちゃんが言う。
「とにかく……私が言いたいことは、一つ。明日から楽しみにしててね、っていうこと♪」
言いたいことを言って、電話が切れた。
「……なんだったんだ? 明日?」
――――――――――
「……兄さん……」
「……ん……
「……兄さんっ」
「んっ……ぅ?」
「兄さんっ!」
ゆっくりと目を開けると、まぶしい光が飛び込んできた。
反射的に手の平を前に出して、光を遮る。
目を細くして……
しばらくして明順応したところで、体を起こして、キョロキョロと周りを見る。
「……結衣?」
寝てる俺の横……ベッドの傍に結衣の姿があった。
「朝ですよ、兄さん」
「……え? なんで、結衣が俺の部屋に?」
「えっと、その……兄さんを起こしてあげようと思って」
「起こしに……?」
もしかして……寝坊した!?
慌てて時計を見ると……いつも起きる時間の10分前だった。
よかった、寝坊したわけじゃないのか。
でも、それなら、どうして結衣が起こしに来てくれたんだ?
こんなこと、今までに一度もなかったのに……
「ほら、兄さん。早くベッドから出てきてください。着替えて、顔を洗って……ごはんにしましょう?」
「ああ……って、ごはん? まさか、結衣が作ったのか……?」
「どうして恐ろしげに言うんですか、もうっ。今朝の分は、昨日、兄さんが作っておいたじゃないですか。おにぎりとお魚とお味噌汁ですよ。温めるくらいなら、私もできますからね」
「そっか、そういえば……」
いかんな。
寝起きでうまく頭が働いてないみたいだ。
あと、結衣がいきなり起こしに来たという驚きで、思考回路が麻痺してるのかもしれない。
「起こしてくれて、ありがとうな」
「いえ、これくらいなんてことありませんよ。妹として、当たり前のことをしたまでですから」
どんな心境の変化があったのかわからないけど……
わざわざ起こしに来てくれるなんて、兄妹の溝は順調に埋まっていると考えていいのかもな。
このままうまくいけば、出会った頃のように、仲の良い兄妹に……
『兄さんのせいで……』
不意に、脳裏に昔の光景が蘇る。
……いつもこうだ。
結衣のことを考えて、明るい未来を想像すると、決まって、過去のことを思い出す。
忘れたくても忘れられない、苦い記憶。
それは……
「兄さん? どうかしたんですか?」
「あっ……いや、なんでもないよ」
「まだ眠いんですか? 二度寝なんてしないでくださいよ?」
「大丈夫だって。それより、着替えるから」
ベッドから降りて、洋服タンスに向かう。
……なぜか、ちょこちょこと結衣も着いてきた。
「どうかした?」
「えっと、その……あ、あのっ! き、着替えを……て、手伝います!」
「えっ?」
「で、ですから……私が兄さんの、き、着替えを……手伝うと……」
結衣が俺の着替えを?
それって……結衣に服を脱がしてもらったり、着せてもらったり……?
「いやいやいやっ、なに言ってるんだ!?」
「え、遠慮しないでください! これも、妹の役目ですからね。で、でも、勘違いしないでくださいね? し、仕方なくですよ? 兄さんがだらしないから、私が仕方なくしてあげるだけで、や、役得なんて思っていませんし……興味があるなんて、はしたないことも考えてませんからね!?」
結衣は顔を赤くしながらも、俺の服に手を伸ばしてきた。
そのまま、寝間着のボタンを一つ、外して……
「ひゃっ……!?」
軽く胸板が見えたところで、結衣が耳まで赤くなる。
カチン、と石像のように凍る。
プルプルと震えて……
「やっぱり無理ですうううううっ!!!」
涙声で叫んで、逃げるように部屋を飛び出した。
残された俺は、ぽかんとするしかない。
恥ずかしいなら、最初からやらなければいいのに……
っていうか、どうして、いきなりこんなことを?
もしかして……
「昨日、真白ちゃんが言ってたことと関係があるのか?」
考えてみるものの、答えなんてわかるはずもなく……
しばらくの間、俺は疑問符を頭の上に浮かべるのだった。




