111話 妹が抱える不安
<結衣視点>
「私は不安なんです。いえ……それは違いますね。信じられない……自分のことが」
「どういうこと?」
「えっと……真白ちゃんは、ウチの事情は知っていますか?」
「あ……う、うん」
初めて、真白ちゃんが暗い顔をしました。
つまり、ウチの家庭環境について知っているということ。
真白ちゃんに微妙な思いをさせて、とても申し訳ないのですが……
話はウチに関わることなので、避けられません。
「ウチの家庭環境は、まあ、アレなので……色々と大変でした。といっても、私はそんなに苦労をしたことはなくて……いつも、いつも兄さんに助けられてきました」
「だから、ありがとう……ってしたいの?」
「そうですね……それはあると思います」
お母さんが家を出ていって……
お父さんが家に帰らなくなって……
私は弱り、自分のことしか考えられなくなって、時にわがままをこぼしました。
でも、兄さんは笑って全部受けとめてくれて……
決して私を見捨てることなくて、優しく手を引いてくれました。
感謝しても感謝しても足りません。
兄さんは想い人であると同時に、恩人なんです。
だから、兄さんのためになにかしたい。
兄さんはなんともないように装っていますが……
なんだかんだで、家族を求めていることは、なんとなく理解しています。
真白ちゃんの言葉を借りるなら、大好きな兄さんのことだから、わかるんです。
兄さんのために、私は家族に……妹でありたい。
『妹らしい』妹になりたい。
そう思っています。
「でも……それは、建前なんです」
「建前?」
「本当に考えていることは……心の奥底にある感情は、別のものなんです」
「それは、なぁに?」
「……不安です」
兄さんの家族であろうとしました。
兄さんの妹であろうとしました。
一緒にいることで、兄さんの求めるものを叶えようとしました。
でも……
私は、どこかで怯えていました。
いつも不安に思っていました。
私を置いて家を出たお母さんのように。
兄さんも、いつか私を置いていくんじゃないか……って。
そんなことを考えても仕方ないのに。
兄さんがそんなことをするはずがないのに。
それでも、心のどこかで考えてしまうんです。
ふとした瞬間に、どうしようもない不安を覚えてしまうんです。
「それは、でも……! お兄ちゃんがそんなことするわけないし! 結衣お姉ちゃんの考え過ぎだよっ」
「そうですね……考え過ぎなんだと思います」
「わかってるなら……」
「わかっていても、どうしようもならないことがあるんです……というのは、ただの言い訳なんですけどね」
「え?」
「私も、わかってはいるんです。兄さんが、私を置いていくなんて……そんなことするわけがありません。考え過ぎです。ただの杞憂です。私が巣立つ時まで、兄さんは優しく見守ってくれるはずです」
「それなら……」
「でも、不安は消えなくて……完全に消えなくて、心の片隅に残り、ふとした瞬間に顔を出して……これって、ひどいことだと思いません? 兄さんは、私のためを想ってくれているのに、私はその信頼に応えられていない……つまり」
認めたくない事実を。
でも、目を反らしてはいけない事実を。
私は、そっと口にする。
「……私は、兄さんを信じていないんですよ」
それが、この私……七々原結衣の最低なところです。
兄さんが優しいことは知っています。
兄さんが私のことをいつも考えていることを知っています。
兄さんが妹を見捨てるなんて絶対にしないことを知っています。
それでも。
私は、どこかで不安を覚えてしまいます。
心の底から安心できません。
それは……兄さんのことを信じていないということに他ならない。
我ながら、ひどい妹です……
兄さんはとても優しくしてくれているのに、差し出された手を見て、なにか裏があるんじゃないか? と疑ってしまう。
兄さんなのに。
大好きな人なのに。
それでも、どうしても信じることができません。
「なんで……? なんで、お兄ちゃんのことを信じられないの!?」
真白ちゃんは、初めて、私に対して敵意を見せました。
大好きなお兄ちゃんを信じることができない妹を、軽蔑するように見ました。
それも仕方ないです。
全部、私が悪いのですから……
「怖いんです……」
「どういう意味? お兄ちゃんを信じて、裏切られることが? でも、そんなことは……」
「はい、絶対にありえないと思います」
「なら……!」
「でも……ダメなんです」
「どうして、そんなことを言うの!?」
「だって、私は……お母さんの娘ですから」
「っ」
その一言で、真白ちゃんは、私の言いたいことを察したみたいでした。
敵意が急速に消えて、代わりに……同情の眼差し。
真白ちゃん、優しいです。
よくドラマなんかで、同情されるなんてまっぴら、みたいなセリフを見かけますが……
あれ、なにがいけないんでしょうね?
同情するっていうことは、相手の気持ちになって考えるということ。
シンプルに言うと、単純な『優しさ』です。
それを拒むなんて、おかしな話です。
……ちょっと話が逸れました。
つまり、私が言いたいことは……
「兄さんとお父さんは、うまく隠してるつもりでしょうけど……私も子供じゃありません。お母さんが出ていった本当の理由は、もうわかっています。だからこそ……怖いんです。自分のことが信じられなくなるんです」
「結衣お姉ちゃん……」
「私は、お母さんの娘です。結婚した相手を捨てて、男に走った女の娘です。子は親に似る、っていう言葉がありますよね? あれ……本当のことだったら、私は、どうしたらいいんでしょう? 最低なことをしたお母さん……その娘である私も、同じことをしてしまうかもしれない……兄さんを裏切ってしまうかもしれない。そう思うと、兄さんを心の底から信じることができなくて……いえ、怖くなって……私が、兄さんを傷つけてしまうんじゃないか、って……だから、私は……」