距離
こんな亀更新の癖に、またたったこれだけの文字数なのが申し訳ありません……恐らく、漫画でいえば見開き1ページ分くらいしか話が進んでおりません。
読み応えのある文章だとは間違っても言いませんが、そろそろ本題に入るのでそれまでの前菜程度に思っていただければ幸いです。
「蒔野さーん、こっち!」
土砂降りの雨音が愉月の声を何度かき消したか。クラクションを三回鳴らす。漸くすると、蒔野が気づいて駆け寄ってきた。正面玄関横にピッタリとつけてある赤い軽自動車。蒔野はすこし躊躇ったが、ここまで来て断るわけにも行かない。空を見上げてもいっこうに止む気配どころか、さらに強くなってきている気がする。
「すみません、お願い致します……」
遠慮気味に乗り込んで背負っていたリュックを抱える。車内は、はっきり言って散らかっていた。飲んだ後のコーヒーの缶がいくつも後部座席の足元に転がり、ダッシュボードには白いホコリが溜まっている。いつも爽やかな彼女が……と、蒔野は驚きを隠せない。
その表情を察して愉月が苦笑いをする。
「えへへ……いつも片付けようとは思うんだけど……人乗せることないからさー?」
にしても汚すぎる気もするが、乗せてもらっている身だ。蒔野は取り敢えず何も言わないことにした。黙りこくる蒔野を見て愉月は深く反省し、片付けようと決心したらしい。少し待っててね、と言って空の缶を透明のビニール袋に放り込む。その口をぎゅっと縛って後部座席のさらに後ろへ投げた。
ガシャンガシャガシャーーン
大きな音が狭い車内に響いた。この音の大きさからして、後部座席の後ろにも同様のゴミ溜めがあるとみえた。遂に蒔野は笑いが堪えられなくなってしまった。
「ちょ、わ、笑わないでよ……わかった、夏休み中に、ちゃんと片付けるから……」
愉月は焦りながら片付けをすることを蒔野に約束したのだった。
車はエンジン音をふかしながら緩やかに発進した。
生徒を乗せている上に、この大雨だ。視界も随分悪い。愉月の運転はかなり慎重そのものだ。
「あ、そうだ。蒔野さん、このことは内緒ね? ほかの子とか先生方とか……保護者の方とか」
最近は教師が生徒を自分の車に乗せるのは禁止されている。その事は蒔野も知っていたため断っていたのだが、実際それを守っていない先生は多い。部活であったり、何だかんだでこういうことは稀にあるのだ。
「はい、もちろん大丈夫です。心配しないでください、言いませんから……で、先生? どこに向かってるんですか?」
明らかに少しいつもと通る道が違う。彼女なりに安全な道を通って送ろうとしてくれているのかとも思ったが、カーナビは蒔野の家から少しずつ離れているのだ。
「んー……蒔野さん、何食べたい?」
「……へ?」
「いや、お互い今夜一人なんでしょ? だったら、一緒にご飯食べてもいいんじゃないかなぁ……って。あ、もちろんお金出せなんて言わないわよ?……ごめん、迷惑かな」
「い、いえ! そんなことは無いんですけど……いいんですか? ご家族の方とか……」
やはり蒔野は遠慮ぎみだ。
「良いわよ? 言っちゃうと……ほら、独り身だしぃー? 彼氏とか、いないしぃー?」
愉月は口をとんがらせて拗ねたフリ。
蒔野は、そんな愉月の様子を見て可愛らしいなと微笑む。生徒に寄り添ってくれる先生だとは知っていたが、一人の人間としてとても面白い人だな……と。愉月先生という、一人の人格の素を感じたのだ。
「ちょ、ちょっと……何笑ってんのよー。大人には大人の事情ってもんが……」
昼間も自分の顔を見て笑った癖に……と、蒔野はまたクスリと笑う。そして、愉月の言葉を遮ってこう言った。
「私、カレーがいいです」
「カレー? そんなのでいいの?」
「独り身なら次の日の朝までまかなえるような料理の方がいいでしょ?」
蒔野の嫌味な発言。それを聞いた愉月は驚いて、彼女もまた微笑んだ。
「全く……。大人をからかわないでよ〜」
ふたりの笑い声を雨の音がかき消す。
降り続く雨は狭い車内の中にいる二人の距離をぐんと縮めたようだ。
取り敢えず、序章はこれで終わりの予定です(あくまで予定ですが……)