日記
まだまだ序章なので文字数は多くありません。少し物足りないかもしれないです。ご了承ください。
放課後といってもまだ太陽は高く、校舎内にも生徒がたくさん残っている。外からは部活動の掛け声が聞こえていた。彼女は普段、帰るか少し離れた別舎にある図書館で本を読み、その後すぐに家路につくため、放課後がこんなにも賑やかなものだとは思ってもいなかった。物珍しそうに窓から体を乗り出してグラウンドを見渡す。
ふわりと爽やかな風が頬を撫でた。
深緑の葉が生い茂る木々がゆさゆさとその身を揺らし、葉に止まっていたトンボがパッと飛び立つ。彼女はしばらくその姿を追いかけていたが途中で見失ってしまった。
再び涼しげな風が教室に吹き込む。後ろの黒板に張り出された連絡用のプリントが煽られる。そのプリントには夏休みの心得なるものがビッシリと活字で所狭しと書き連ねられていた。ほとんど読む人がいないのになぜ掲示しているのだろうと彼女はいつも不思議に思っているが、その視線は文面を捉えて離さない。活字と言うだけで目が追ってしまう。そして、軽く病気だなといつも自嘲気味に笑うのだ。
そう、もうすぐで夏休み。彼女にとっては高校生になって2度目の夏休みだ。学年主任の先生が先週の集会で進路について話していたのを思い出す。彼女だって何も考えていないという訳ではなかった。周りには彼女と同じように何となく考えている人もいるが、もう既に目標を決めて動き出しているような人物もいる。逆もしかりだが。
(私の夢……)
そのとき教室のドアがガラリと開いた。本当は足音で気づいていたが、気付かないふりをして窓の外を眺め続ける。先程のトンボがまたあの木の枝に止まっているのが見えた。背後からやって来た人物が彼女と同じように窓のサッシに手をかけ空を仰ぐ。黒のパンプスを履いているにもかかわらず、窓の外を見つめる少女より身長は一回りほど低い。30代半ばから後半の女性。そう、彼女をここに呼び出した女教師だ。ショートヘアが窓から入る風に揺らされていい香りがふわりと漂う。眩しいのか元々少し細い目をさらに細めている。
「随分といい天気ね。夕立があるって聞いたから洗濯物部屋干しにしてきたのに……」
トンボから目を離して空を見上げると、昼時に見た青よりすこし白みがかかっているものの、小さな雲がゆっくりと形を変えながら青い海原を漂っていた。
「私もです。でも、帰りに雨に濡れなくて済みそうだから良かったです」
「そっか、蒔野さん母子家庭だもんね。家、帰らなくてほんとに大丈夫?」
「はい。弟はもう夏休みだからって母と一緒に叔母のうちに泊まりに行きました」
彼女はすこし寂しげに俯く。しかしすぐ笑顔になって後からやって来た人物の方に向き直る。
「あ、全然平気ですよ? もう慣れてるので。ただ、あんまり早く帰っても家に誰も居ないので……時間気にしてもらわなくて結構ですよ。それよりも、このほん……」
手元に隠していた本を見せる。表紙はすこし手垢で色味が変わっているものの元は鮮やかな赤色をしていたのだろう。そして、そこには【日記】とだけ書かれ、他にはなんの装飾も、文字もない。
「先生……それは……?」
先生と呼ばれた彼女が持っていたのも同じように【日記】と書かれた古びた本。表紙の赤い色は、蒔野がもっているものよりもずっとセピア色に変わってしまっているものの、同じ本であることを窺わせる。
「よく見てみて。少し違うわ」
そう言って先生と呼ばれた彼女は蒔野に本を手渡す。恐る恐る受け取った蒔野は表紙に手を這わせ中身をハラハラとめくる。普通の日記だ。かなりその紙が古ぼけていること以外は特に変わった様子もない。これを作った人は随分マメな人だったんだろう。すべて手書きで書かれている。
ふとあるページに彼女の視点が止まった。そこには古い写真が挟まれていた。恐る恐る手に取る。そこには少し目付きの鋭い少女がぎこちない笑顔で映っていた。長い黒髪を一つに括っている。どこのものが分からない制服を着ていた。その写真ももちろん色褪せている。どうしてかその写真の下の方は破られていて少女の下半身はどうなっているか確認出来ない。
もう一度彼女は表紙を眺めた。すると、右下に薄い文字でなにか書かれている。
「天雨……美姫……?」
彼女はそう読み取った。答え合わせをするかのように先生の顔を見る。彼女はニッコリと笑った。
「そう、その写真の人よ。私の高校時代の恩師」
〇登場人物
蒔野歩海
読書好き(活字中毒の自覚あり)の高校二年生。母、弟と三人で暮らすいわゆる母子家庭。