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あの春のやくそく  作者: 藍栖 萌菜香
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06 やくそくをずっと。

 よくよく覗き込んでみると、その写真は、ガラス窓の一部とレースのカーテンとが陽の光を反射して逆光になっていた。部屋の中でも窓際の陽の当たる場所はそこそこ写っているが、陽の当たらないその奥は、かなり暗くなっていてほとんど見えない。


 明と暗が滲むその境に、ピンクと水色のフリルが少しだけ写っていた。意識して見ないとわからないその布のはしっこは、紛れもなくあのときのあの衣装だ。


 そして、ピンクの上に置かれた重なる小さな指先は……。


 あの日、こうして手を重ねたのは、あのときの、たった一度きりだ。

 その一度を、まさにその瞬間を、こんな、まるで写真の隅に隠すようにして写し取られていたなんて。



 奇跡みたいなその偶然にオレが放心していると、写真の上をそっと撫でる指先に目が留まった。隆志の指だ。


 大きさで言えば一ミリほどしかないその小さな二人の指先を、隆志の指がゆっくりと撫でていく。その行く先は、写真のなかの暗い影の奥だった。


 そろりとなぞるその動きは、実際には見えない何かの影を辿っているようだった。それが、ひらひらの延長線上にある二人の影だと気づいたときには、咄嗟に隆志の指先を取り押さえていた。



 だって、そこには、いままさにチカイを交わしている二人がいるんだぞ。なのに、それを象るようになぞるだなんて……。


 落ち着け、オレ。

 隆志が触れていたのは写真で、あのときのたーちゃんは頬に触れたりなんてしなかった。


 そんなことは百も承知してるのに、隆志のなぞる指先を見た瞬間、写真のなかでチカイの儀式を受けている幼いオレが、いまの隆志に頬を撫でられたような錯覚まで起こって……隆志の指の動きをとめずにはいられなかった。



 オレに手を掴まれた隆志がふっと顔をあげる。

 隆志は、過去から現実にたちまち舞い戻って来たような戸惑い顔で、数回瞬きを繰り返した。それから、その視界にオレをしっかり認めたかと思ったら、ふわりと花が開くように微笑んだ。


 隆志はときどきこんなふうに笑う。そのほとんどは、オレが振り返ったときに見つけ、見つかったと気づかれたときには消えてしまう儚いものだった。こうして正面からその笑顔を見せてもらえるのは、本当に珍しい。


 見てるだけで胸の奥があたたかくなってくる。そんなきれいな笑顔だった。こんなところには、まだたーちゃんだった頃の面影が残っているんだな。



 オレが開花の威力にふたたび駆け足になっていく鼓動を持て余していると、笑顔をひっこめて真顔になった隆志がアルバムを抱え、突然立ち上がった。その拍子に、隆志の手を握っていたオレの手はするりと解けてしまう。


「え、な、なに?」

 オレのほうへと一歩踏み出した隆志に、手の中に残る体温を握りしめ何事かと身構える。

 でも、そんな警戒なんて、まるきり必要なかった。

 隆志がオレの横を通り抜けて、テレビの前で騒ぐ母さんたちのほうへと行ってしまったからだ。


 なんだよ。ドキドキして損した気分だ。

 などと、半ばガッカリ気分でいたら、

「敬子さん、このアルバム、俺の分も焼き増しお願いします」

 と、母さんたちが座るソファの背後から隆志がとんでもないお願いをするのが聞こえてきた。


 しかも、

「……やっぱりかー。しょうがないなぁ。引っ越しのときに餞別として持たせてあげよう」

 と、なぜか母さんがそう請け負っている。



「ちょ、おまっ、アルバムごと焼き増しって……」

 最後の写真だけというのならまだわかる。

 一見誰も写っていない逆光写真だ。時系列から弾かれて行き場を失くし、最後のページに気まぐれで収められたような写真は、そのページからもいつ追われたっておかしくない。

 オレたち二人にしかわからない奇跡を誰にも知られずに保存するには、自分で手元に置いておくしかないだろう。


 オレだってそこまでは考えた。

 しかし、失敗写真を焼き増ししてくれというのは、なかなか頼みにくい。

 だからって、アルバムまるごと? 黒歴史だぞ? それを焼き増しだなんて、冗談じゃない。


「そんなの、どうする気だよ」

 なんとかして阻止しないと、と慌てて隆志に詰め寄った。

「ええ、記念にしようと思いまして」

「黒歴史を?」

「いえ、それではなく。ああいや、それもですが……はぁ、……忘れてるならいいよ」

 また隆志の敬語が抜け落ちた。オレから逸らされた視線を追って見あげると、少し拗ねたような口元がちらりと見える。これは、昔とは違う意味でちょっと可愛いな。

 って、それはひとまず置いとけよ、オレ。


 そうか。隆志には、オレがあのやくそくを覚えてるかどうか、わからないんだ。

 記憶力のいい隆志なら確認しなくても覚えてて当然だが、オレの場合は、忘れてることもあり得るんだ。実際、昼寝とかおやつとか、アレ以外のことはきれいに忘れてた。



 そんなの。

 忘れるわけないじゃないか。

 ずっといっしょにいたいと思う気持ちは、十三年経ったいまでも変わらない。


 まあ、男同士でケッコンがどうのっていうのは、幼いにしたってどうかと思うけど。

 それだけいっしょにいたいという思いが強かったということだろう。

 そこまでひたむきな思いを、忘れるわけがない。


 それに、よくよく考えたらアレがオレのファーストキスだ。まあ、それは隆志にも言えることだけど。

 ファーストキスなんて、そうそう忘れられるものじゃないだろ?



 と、そんなことを考えながら隆志を見あげていたのが間違いだった。

 ついっと視線が隆志の唇へと吸い寄せられる。

 十三年前、オレ、この唇に……。


 などと、変な方向へ思考回路が接続されてしまって、あっというまに大変なことになった。

 顔は異様に火照りだし、鼓動も駆け足どころの騒ぎじゃない。どう見たって十三年前の唇とは別物なのに、もうまともに隆志のほうを見ていられなかった。


 顔面の大惨事に俯くほかなかったオレを心配したのか、軽く握られた隆志の手が視界の隅から寄ってくるのが見えた。熱くなった頬にその指の背がそっと触れ、頬の熱を吸いとろうとでもするかのようにゆるりと撫でていく。


 その温度差にたじろいだ。オレの顔は、いったいどうなっちゃってんだ?

 『カンゼンにえっちになっちゃった』なんて、あのときの幼い思考まで思い出して、さらに事態が悪化した。



 指をひろげた大きな手のひらに、発熱した頬を包まれる。熱を移し取られる感覚が心地よかった。けど……。


 もうやめてくれ。これ以上、触れていてほしくない。その冷たい指先に、さらに頬を押しつけてしまいそうになる。

 いくら幼馴染みで親友で、来月からはシェアメイトにもなるからって、こんな甘え方はおかしいだろ。絶対に。


 自分にそう言い聞かせながら、身体ごと向きを変えて隆志に背を向けることで、オレはその指先を熱い頬から遠ざけた。



「たーかーしーく~ん。約束、覚えてるかな~?」

 突然、地を這うようなうちの母さんの声が聞こえてきた。

 約束と聞いてギクリとする。


 まさか。母さんがあのやくそくを知るはずがない。それとも、脱走したオレたちの撮影を逆光写真だけでは諦めきれず、隆志の部屋にまで押し入ったんだろうか?


 いやいや、さすがの母さんもそこまでデリカシーに欠けてはいないだろう。たとえプロ根性で幼児の部屋に押し入っていたとしても、それならそれっぽい写真がアルバムに残されているはずだ。

 別の約束だよな。うん。きっと。たぶん。



 オレがそうしてハラハラしてるっていうのに、母さんに問いかけられた隆志は、

「ええ、覚えてますよ」

 と、しれっとした顔でそう答えた。

 よかった。やっぱり別の約束事らしい。でも、母さんと隆志とで、どんな約束をしたんだろう?


「十八歳になったんだから、もう自由にしてもいいけど。同意が取れないうちはダメだかんね」

 十八で自由? 同意って誰の?

「はい、承知しています」

 神妙に答える隆志の口調は、いつも通りの敬語だったけど、いつもより多少改まって聞こえた。


「頼むよも~。絶対泣かすなよ?」

「それは、…………善処します」

 困り果てたような母さんの念押しに、隆志が苦し紛れに返事する。


「ごめんね、けーちゃん。うちのバカ息子が」

「いいのよ、しーちゃん。こーなることはずっと前からなんとなくわかってたし、八年前には、なるようにしかならないって覚悟もできたから」


 隆志との約束についての話は終わったのか、今度は母親同士でなにやら話し始めた。どうやらそれも隆志に関することらしいが、やっぱり俺には意味不明だ。

 八年前っていったら、小四かな? その頃に何かあったっけ?



「なあ、隆志。いまの、なんの話? オレひとり会話が見えてないんだけど、約束って何?」

 わけがわからず隆志に訊ねると、隆志はちょっとだけ考え込む様子を見せたあとに、しかたないですねって感じでオレに耳打ちしてきた。


「やくそくといったら、……ひとつしかありませんよ」

「ッッッ!」

 オレは声もなく隆志のそばから飛び退いた。

 いまのっ、隆志の唇が耳に触れたッ。


 耳打ちされたのは片方だけだけど、なぜか両耳がこそばゆい。

 両耳を押さえたまま犯人を睨みつけたけど、隆志は、イタズラが成功したガキみたいな笑いを小さく見せただけだった。


 本当に何考えてるんだ、こいつはっ。

 いくらあのやくそくをオレが覚えてるかどうかあやしいからって、いまは親の前だっつーの。記憶の確認にしろ、ボディタッチにしろ、自粛しろよな。まったく。



 そういえば、いつからだっけ。隆志がやけにボディタッチしてくるようになったのは。

 半年くらい前の……オレらの誕生日が過ぎてから?


 一時期、スイミングや合気道を習いに通うと言っては、オレを避けることも多かった隆志が、ある時期を境にオレにべったりとくっつくようになった。

 寂しくなくなったと単純に喜んではみたけど、それが、ただ一緒にいるっていうだけじゃなく、物理的にベタベタしてくるから困りものだったんだ。


 くすぐったいやら、照れくさいやら……。そんなふうにオレの困る様子がどうにも楽しいらしくて、やめろと言ってもなかなか本人は聞き入れない。

 まあそれも、避けられるよりはマシだからと、とめるにしても甘くなってしまうオレのせいも、きっとあるんだよな。


 それでもからかわれた腹いせに、いまだにくすぐったい両耳を押さえたまま、オレよりも高い位置にあるその尻に回し蹴りを食らわせた。

 途端に、「暴れるな!」と母親たちの多重音声が飛んでくる。相変わらず息がピッタリだ。



 記憶力のいい隆志は別として、あんな小さい頃のやくそくをしつこく覚えてるオレもオレだけど、その記念に写真を集めてるらしい隆志も隆志だ。


 でも、あの思い出を大切にしているのが自分だけじゃなかったことが、なんともくすぐったくて。

 叱られたあとには隆志と顔を見合わせて、二人して笑ってしまった。

 おかげで、アルバムで見た全開の笑顔に近い、オレの好きな笑顔が見れた。きっとオレも似たような顔をして笑ってるんだろう。



 この季節にはいつも思い出す、ちょっと照れくさいあのやくそく。

 そしてこれからも、思い出すたびに考えるんだろう。


 こいつと、ずっと一緒にいられたら……。






 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 まだ始まってもいないこの二人は、本編となるべき話がまだできておりません。

 はるか昔に、女装ショタのいちゃいちゃを書きたいがためだけに、この短編が作られました。


 本編の主軸は決まってるんですが、パンチの利きが弱く組み立ても甘いので、いまだ執筆段階には至っておりません。

 それでも、自分の中に長く居座ってくれてるキャラたちなので、いつか必ず形にしてあげたいと思っております。


 いつかこの子たちが、みなさんにまたお会いできますように。


   藍栖萌菜香



初稿(大昔 別名義で)

第2稿(2016/10/5 アルファポリスにて)

第3稿(2016/11/16 小説家になろうへも移植)

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