公式最強
つつがなく騎士育成学園に入学し見習い騎士となった俺の朝は早い。
日はまだ顔を覗かせず空がうっすらと白みがかってきたような早朝に起床する俺の一日は、まず、起きがけのジョギングに学園内を一周するところから始まる。
その後、生徒間で開放されている鍛練場に行き、たっぷりと身体を鍛える。勿論休憩は挟まない。
そうしてようやく一般生徒たちも疎らに姿を見せ始め太陽も高く昇り始めたという辺りで俺は鍛練場を後にすると食堂に行き、朝食を食べる。
その後午前の授業、午後の授業。昼食に合間の休憩時間に鍛練をしながらそれらを全うし自由時間になると鍛練場に行き日が沈むまで稽古する。
夕食を食べ、学内の大浴場で汗を流した後。自室で寝る前の筋トレをしたあとにベットで泥のように眠るのだ。
以上が俺の大まかな一日のスケジュールである。
これをこの学園に来てから毎日欠かさず続けている。
興味か好奇心か、最初の方は周囲からの耳目を集めた。恐らく『ベルトイア』という家名も一因にあったのだろう。曰く、貴族のお嬢様が何か妙なことをしていると。
だが、それも数ヶ月続けば興味が恐れに変化してきた。一年経った今では完璧な畏怖として周りの人間に恐れられる始末である。
先ほども廊下を歩いていてちょっとしたトラブルが起こったが、同じような出来事も一度や二度じゃない。ぶつかって謝ろうとしただけで白目を剥かれ、泡を吹かれる。落とした物を拾ってあげたら土下座され、命乞いをされる。全部日常茶飯事だ。さっきも訓練場から寮へ向かうだけであのザマである。――あいつらは人に出歩くなとでも言いたいのか。
薄暗い室内。生活するのに最低限の家具しか置かれていない質素な自室で鍛練で汗を吸った下着を脱ぎ捨てながら俺は一人ごちた。
稽古用の木剣は壁に立て掛け、続けてタンスから乱雑に取り出した無地のシャツに袖を通す。鍛練中に熱さで腰に巻いていた黒のブレザーを羽織ると俺は部屋を出て食堂に向かった。
* * *
学生が安価で大量に食事できるよう設けられた大食堂だが、昼間のピークを過ぎたのか室内はさほど混雑していなかった。それぞれ疎らに談話する学生たち――俺を見るや否や会話を止めて道脇にズレる――を通り抜け、この学園でも数少ない俺とまともな会話をしてくれる人物――食堂のおばちゃんに厚切りステーキと野菜のスープ、それから麦パンを三つ――どう考えても年若い少女が食べる量ではないが、これくらい食わないとやってられない――を注文してお盆に乗せると、食堂でも人が居ない一番隅のところで食事を始める。
「こんにちは」
一人静かで自由な孤独の食事を楽しんでいると、ふと呼びかけられた声。顔を上げるとサラサラとした銀髪が目についた。
くりっとした大きな青の眼がこちらを見据える。俺より頭一つぶん小さい身長に男女構わず庇護欲を誘うような小動物染みたかわいらしい美貌を持つ少女――にしか見えない少年。
学園序列第七位騎士『瞬光』ノエル・アルフォードはきらきらとした人懐っこい笑みを浮かべながら手に持ったお盆の料理を机に置くとごく自然な動作で俺の正面の席に腰かけた。
――ちなみに俺はここまで一言も発していない。
カチャカチャと皿を鳴らし、無言で食事を続ける俺に件のノエル少年は自らの皿に手を付けずにこにこと俺を眺めてる。
この一連の行動が最近の定期である。今から一ヶ月ほど前か、どういうわけかそれまで会話すら交わしたことがなかったはずなのにある日急に、目の前の少年が俺に昼食の同席を求めてきたのが始まりであった。正直、何が切っ掛けだったのか分からず俺は混乱していた。
何しろノエルといえば思いっきり原作の主要キャラである。今となっては、この学園に入学したときに主要キャラとの接触はなるべく避けようと色々気を遣っていたのが笑えてくるから止めてほしい。
「ねぇ、フィオレっていっつもお肉ばっかり食べてるよね。太らないの?」
唐突に言葉を発したノエルは屈託のない瞳で微笑しながら俺を眺めてくる。そこに悪意が含まれていないのが恐ろしい。
「……いや、うん。まぁ……」
無言も悪いかと曖昧な返事をするとノエルは「そうなんだ、すごいね」と言って手元にあった紅茶を一口啜った。……何だこいつ、と思ったが原作からこういう人柄だったので深く気に止めないでおく。
「……そういえば、さっき廊下で倒れてる生徒を見かけたよ。二人とも、口から泡を吹いてて面白かった」
「――――ぶっ」
思わず口に含んだ食材を吐き出しかけた。こいつどこから見てたんだよ……。と、半目になって軽く睨むとノエルはそのままからからと笑った。
「凄いなぁ……。この前は序列一位の人と引き分けたんでしょ? ホラ、あの化け物みたいな女の人」
しばらくしてこいつわざと言ってるんじゃないのかなと思ってきた。悪意はないが言葉を選ばないのがノエルという少年なのだ。公式の人物紹介にもそう書いてあった。
「あれ、僕も途中から見てたけど惜しかったよね。模擬戦だけど。最後に木剣が折れなかったらそのまま勢いで勝てたんじゃないかな? 向こうも油断してたみたいだし」
くるくるとティースプーンで紅茶の中身をかき回しながらノエルはそう言う。そして俺はこの会話がかの『戦乙女』の耳に入らないことを祈った。彼女自身に問題はないが、そのファンの信者は熱狂的なのである。
「――――あ、噂をすれば」
唐突にそう言って彼方を指さしたノエルに釣られ、俺もその方向に眼を向ける。――そこにあったのは果たして、腰まで伸びる艶やかな黒髪。厳格さを感じる切れ長の鋭い黒の瞳を持つ少し恐ろしくなるほど顔の整った少女が、隣に居ても色褪せない美貌を持つ栗色の髪の少女を追随させ、食事を乗せたトレイを持ってきょろきょろと辺りを見回している姿だった。
反射的に顔を背けようとするが、それより一瞬早く黒髪の美少女が俺を見た。互いに眼が合って、にこにことした笑みを浮かべながら大股でこちらに近づいてくる。……こっちにくるな……こっちにくるな……。
俺の祈りも空しく少女たちは俺の目の前で立ち止まった。
黒髪の美少女は、ぽんと俺の肩に手を置いて爽やかに笑いかけてくる。
「やぁ、丁度良かった。貴女を探していたんだ。ご飯、一緒にしても?」
そう言って気さくに笑う黒髪の美少女――――学園序列第一位騎士『戦乙女』エルメンヒルデ・ローデンヴァルト。
通称、公式最強が食堂に降臨した。