父の死2
父親の葬儀を終えてからも俺は千葉の実家にいた。沈痛な気持ちの母親を残し帰ることができず、実家から、東京の予備校に通う毎日だった。
そして暇があると父親の使い込まれた携帯をながめていた。俺は父親と中村そしてみゆきとの関係を知りたく、父親の携帯からみゆきに電話をした。
数回のコールのあと、みゆきはすんなり電話にでた。
「もしもし、みゆきさん?」
俺は尋ねるようにいった。
「村川さんね。お父さん亡くなったのね。」
二度目の電話だけあって、みゆきの話し方はよそよそしくなかった。
「はい。仕事中の事故で。でもなぜ、みゆきさんは知っていたんですか? 父とはどういうご関係なんですか?」
「村川さん。今度会って話さない? 」
俺は真相を知る絶好の機会と思い承諾した。
「是非。」
「じゃあ、来週の日曜日。場所は上野動物園の入口前で。時間は午前10時。」
「わかりました。」
「楽しみにしてるわ。じゃあね。」
電話は切れた。
なぜ会う場所が上野動物園なのかわからないが、俺はみゆきと直接話す機会ができたことに千載一遇のチャンスだと思っていた。
家に帰ると母が父親の遺品の整理をしていた。遺品といっても、衣類やアルバムなどで高価なものは父親が長年愛用していたラドーの腕時計くらいだった。ラドーの時計は父の心臓がまだ動いてるように時を刻む。
「これ、もらっていい?」
俺は母にいうと、母は軽く目を閉じうなずいた。
俺は父のアルバムをめくった。そこには若き日の父の姿があった。
そこには1960年代の安保闘争のど真ん中に父がいた。
「安保闘争」とは、サンフランシスコ 講和条約と同時に締結された日米安全保 障条約の改定等に反対して取り組まれた 闘争で、全国的に展開された社 会運動だった。
父の写真は過激さがなく、学生だった頃の若き父が笑顔でレンズを見つめる写真が多く、決まって三人の写真だった。若き日の父そして友人らしき男が一人、それをはさむように背丈が小さい女性が写っていた。その三人の写真が、なん十枚とあった。俺は三人でうつっている写真を一枚アルバムから抜き取りポケットにいれた。
みゆきと会う日はあっというまにきた。俺は千葉の実家から上野動物園にむかった。
腕には父親の時計を身につけ。