エンシャントラ王国━1
バスクとの模擬戦の後、セロは先ほどのトレーニングルームと同じフロアである六階層の医務室にいた。どうやら医務室も各フロアに設けられているようで、造りは昨日の五階層のものとまったく変わらない。
「それにしても一発も入れられなかった、ってのはへこむな……」
「そうか? 魔術もなしで、私とあれだけ戦えれば大したものだと思うが」
ベッドの上で横たわりながら溜め息交じりに漏らすセロに、そばに立つバスクが苦笑する。
「お前にはまだ未知の領域が存在する。いずれは俺もさっきのようにはいかなくなるだろう」
「……魔術、か」
セロは包帯でぐるぐる巻きにされた右手を見つめる。
もし昨日の推測が正しく、セロが滅んだという前文明の人間だったとしたら、バスクやイルミナと同じように魔術を行使することはできるのだろうか。
おそらく、可能性はほぼない。魔術ではなく科学で発達した文明の人間にはできるとは思えない。超能力という胡散臭い存在は聞いたことがあるが、どうやらそれらと魔術は別のものだと考えていいようだ。
今回の模擬戦では、バスクのような強者と渡り合うためには魔術は必要不可欠であると痛感させられた。
では、魔術が行使できないという弱点をどうカバーしていくのか。
それはこの世界の知識の会得と同じくらい優先すべき問題かもしれない。
「剣術だけじゃ限界があるうだろうしなー……」
「あぁ、剣と言えば……」
バスクがセロの言葉を聞いて思いついたかのような反応を見せる。
「よく早く躊躇なしに剣を振れたものだな。確かに遠慮するなとは言ったが、普通はそう簡単に、命を奪うかもしれない武器を扱えるものではないのだが」
「あー……言われてみればそうかもな。いや何か、カッとなったって言うかさ……」
「……感情に任せて剣を振るのはあまり褒められたことではないな」
ぎこちない説明に、バスクは額に手を当てやれやれというふうに首を振る。
一瞬「確かになぁ」と納得し、反省しようと思うセロ。しかし、あることに思い当たるとがばっ、と上体を起こした。
「ちょっと待て! そういうお前だって何回か俺のこと本気で殺しに来たじゃないか!?」
うっ、とバスクが一瞬身じろぎする。
「……寸止めにきまっているだろう」
「……おい、何で目逸らしてんだ」
なおも二人がコントじみたやり取りをしていると、医務室の入り口が開く。
「二人とも……医務室なんだから静かにしなさいよ」
そちらに顔を向けると、見慣れた金髪の少女が呆れ顔をして立っていた。
主人の言葉を聞いて急に真面目な表情に戻るバスクに一瞥くれてから、セロは後ろにもう一人の人物が見当たらないことに気づく。
「あれ? なぁ、エレナさんは?」
「あの人なら何か社長に呼ばれたとか言ってどっか行っちゃったよ」
イルミナはバスクの横に立ち、ちらっと包帯を巻かれているセロの横腹に目をやる。
「……傷、もういいんだ」
「へ? あぁ、治癒魔術をかけてもらったからな」
傷を受けた時の際の凄まじい痛みを思い出し、わずかに顔を顰めつつもポン、と包帯の上に手を置く。
「やっぱり骨が何本か折れてたみたいなんだけど、すごいよな。簡単に魔術で治っちゃうんだからさ」
「……治った? もう痛みがないってこと?」
信じられないというふうに目を大きくするイルミナ。
「いくら魔術と言えども、そんなに簡単には治らないわよ……」
「そうなのか? いや、でももう大丈夫だぞ?」
ほら、とその言葉を証明するかのようにセロはベッドから飛び降りた。ついでに軽く体を動かしてみせる。
尚も怪訝な目を向けるイルミナ。
確かに治癒魔術は即効性があり、ある程度の傷ならば一瞬のうちに直してしまう。だが骨折などの場合はどんなに早くとも数時間は完治に要するはずなのだ。現代の技術ではそれが限界と言われている。
『アースラ』でも骨折などは日常茶飯事だが、ここまで早く治った例は耳にしたことがない。
「あ、そうだ」
セロの視線がイルミナの方へと向く。
「今日ってイルミナかバスクのどっちか時間空いてないか? 町の案内とかしてもらいたいんだ。ほら、俺ここまで運ばれるとき意識なかったからさ」
とってつけたように「何か思い出すかもしれないし」と付け加える少年。
「悪いが、私は午後から依頼がある。イルミナ様は……」
「この格好のとおり、今日は特に何もないけど」
言われてみれば、とセロはイルミナの服に目をやる。
オレンジ色のパーカーにゆったりとしたズボン。至ってラフな格好だ。たしかに、とても今日これから仕事がある人物の格好とは思えない。
「じゃあ、頼むわ」
にっ、と笑いかけるセロ。
「……面倒くさいなぁ、もう」
イルミナはポケットに両手を突っ込み、渋々といった感じで了承する。
なんとなく嬉しいのは、最近依頼続きで暇な時間がなかったからだと自分に言い聞かせながら。