傭兵会社アースラ━4
セロがイルミナに連れられてきたのは六階層。つまり『アースラ』に所属する指折りの実力者達の部屋があるフロアである。
六階層に延びる通路のちょうど真ん中あたりで、前を行くイルミナの足が止まった。
「じゃあ、今日からここが君の部屋ね」
彼女が指さす先にあるのは簡素な木製のドア。別にこの部屋の入り口だけがこうなのではなく、全て同じものだ。科学が発達していないため、当然この世界にはオートロック機能などない。
「よかったね。ここ、他と比べたら結構待遇良いよ」
「あぁ……そうだな」
その声に何かを察したのか、イルミナの視線が此方に向けられる。
「……何、不安?」
「いや、そうじゃなくて……本当にいいのか?」
セロの言葉に、呆れた、と溜め息を吐く少女。
「何よ、君がここで働くって言ったんでしょ?」
「あー、いや……そうじゃなくて」
どうやら彼女は自分の言葉の意味を、「本当に俺がここで働いてもいいのか」という風にとったらしい。
「そうじゃなくて……隣って、イルミナの部屋だろ?」
そう、セロの隣の部屋には「イルミナ=ルシタール」と表記されたプレートが下げられているのだ。
普通こういうところって男女分かれてるもんじゃないのか、というのがセロの意見だ。まぁこの世界の人間が特に気にしないのならいいのだが。
しかし、どうやらそこはセロの元々いたであろう世界と変わらなかったらしい。
あぁ、と納得した表情のイルミナ。ついで両手を腰に当て、悪戯っぽい笑みが浮かぶ顔をずいっ、とセロに近づけてくる。
「ふ~ん……君、何かいやらしいこと考えてない? まぁ、私みたいな可憐な女の子が隣じゃ仕方ないか。せいぜい喜びなさい」
「………」
――本ッ当に性格悪いな、コイツ。
一瞬本音が口をついて出そうになるが、なんとか堪える。
これからは一応隣室の住人ということだし、いろいろと教えてもらわねばならない。いきなり険悪な仲になるのは此方の望むところではない。
しかし何より腹が立つことが、イルミナ自身のいうことが正しく、実際に彼女がかなり整った容姿をしているということだ。多分本人は自覚して言っているのであろうから尚タチが悪い。
黙ってさえいれば絶対可愛いのになぁ、と思うのは高望みしすぎなのだろうか。
(……何を考えているんだ俺は!)
ブンブンと頭を振って煩悩を払ってから、そういえばまだイルミナの言葉に反応していなかったことを思い出す。
彼女はというと、何も言い返さないセロを若干不思議に思い始めているらしく、そのままの格好でこちらの顔を覗きこんでいた。
取りあえず彼女の近づけられたままの顔を押し戻してから、思いついた言葉をそのまま口に出す。
「……まぁ、例え俺が何かしたとしてもお前の強さなら大丈夫だ、な」
「ちょ……! まさか本当に……!?」
瞬時にセロから距離をとり、自分の体を守るかのように両手で抱くイルミナ。
どうやらまた誤解されているらしい。
セロが溜め息をつきつつ弁解しようとするが、それよりも彼女の反応の方が予想以上に早かった。
「変態!」
「ぐっはッ!?」
気が付いたときには頬をを紅潮させた彼女が肉薄し、そのつま先ががセロの鳩尾にめり込んでいた。
(このッ……やろ……!)
セロの体がゆっくりと傾いていく。
だんだんと薄れゆく意識の中、セロは目の前の美少女に性格の良さをトッピングし忘れた神を呪わずにはいられなかった。
■
しばらく後、セロは本日三度目になる目覚めを迎えた。当然、先ほどのベッドでの目覚めよりも幾分不快な目覚めだ。
視界に映るのは、呆れと心配が混じった顔でセロを見下ろす狼顔。
「……セロよ、まさかどこで寝ればいいのかまで忘れたわけじゃあるまいな」
「う……そんな訳あるかよ……」
辺りを見回すと、自分は現在先ほどの通路で壁にもたれかかった状態で寝ていたことが分かった。
「あいつ容赦ねぇな。放置かよ」
「……そのあいつとやらがイルミナ様以外のことを指していればいいんだが」
「残念だがそれはない」
セロの即答に、はぁ、と深いため息をつくバスク。
「……そういえば、なんでバスクはイルミナ様って呼ぶんだ? 偉いのか、あいつは」
「あぁ、それは……」
バスクはまるで幻視でもするかのように虚空を見上げる。
「あのお方に大恩がある身だからな。今の私があるのはイルミナ様のおかげだ」
「へぇ……」
セロはあえてその内容を詳しくは聞かない。バスクの表情に深い悲しみに似たものが窺えたからだ。
おそらく深く追求しないほうがいいことなのだろう。
(……本当に人間みたいだな)
人間と同じ言語を話し、同じように喜怒哀楽を示す生物。このような獣人とやらがたくさん町を闊歩している様を想像するだけで、奇妙な感覚を覚える。
立ち上がり、服に付いた埃を念入りに手で払う。硬質な通路で寝ていたために体の節々が痛い。
「俺も部屋に入るとするかな。まだ中を全然見てないんだ」
「と言っても、ベッドと物入れがあるだけだぞ」
苦笑するバスクが何やらセロに差し出す。その手には鍵らしきものが握られていた。
「部屋に入ったら鍵を掛けておけ。ここには盗みを働く奴もいないだろうが、一応な」
「お、サンキュ」
人型の動物にいろいろと教えてもらっている自分の姿は、元の世界の住人が見ればさぞかし奇妙に思う光景だろう。どうやら彼は見た目に反し、意外と細かいところに気が付く性分らしい。
「あぁ、それからもう一つだ」
セロに背を向けて進み始めていたバスクが、ぐるりと半身をこちらに向ける。にやりと笑うことで幾本も並んだ白く鋭い牙を見せて、一言。
「イルミナ様に手を出したら……覚悟しておけよ?」
セロの全身を悪寒が駆け抜け、ぶるり、と体を震わせる。そして反射的にコクコクと勢いよく頷く。
冗談であって欲しい。というかむしろ俺の方を心配してくれ。
切にそう願う。
バスクの視線から逃れるようにして自室となった部屋にそそくさと身を滑り込ませるセロ。
後ろ手に鍵を掛けてから、部屋を眺める。
入口の正面につけられた窓から月光が差し込んでいるおかげで、天井から吊るされている蝋燭を使わなくても周囲を見渡すことができた。
彼の言葉通り、狭苦しい部屋の中には小さな木製のベッドと、そのとなりに据えられた宝箱を彷彿とさせる収納ケース一つしかない。あとは自分で揃えろということなのだろう。
「って言っても金も持っていないしなぁ……まずこの世界の通貨ってどんなのだ? まさか物々交換じゃあるまいな……」
当然のごとく考えても答えは出ない。
簡素なベッドに潜り込むと、不思議と睡魔が押し寄せてくる。
明日は二人に外の世界の案内を頼んでみようかという考えを最後に、いつしか少年は眠りに就いていた。
その寝顔からは、この先の不安などは一切感じ取れないほど穏やかなものだった。
■
翌朝、セロは窓から差し込む日差しで目が覚めた。
起きた途端、凄まじい空腹感がセロを襲う。
「そういえば、いつから食べてないんだ?」
研究所で目覚めてからというもの、飲食をした記憶がない。おそらくカプセル内でつながれていたチューブが点滴の役割も果たしていたのだろう。胃には何も入っていないはずだ。
この世界の食事に胸を躍らせながら、セロは二階フロアにあるという食堂に向かった。
そこの広い空間には百人を超える社員が集っていた。カジュアルな格好をした者から、これから依頼があるのか、ごつい鎧を身に着けている者まで様々だ。どうやら服装に特に規則はないらしいが、昨日のイルミナの胸についていた、剣が書かれた紋章は全員が付けているようだ。例外は正式に入社していない自分くらいか。
その中でも闇を纏うかのような黒ずくめの自分はかなり浮いているようで、近くと通ると行くと大抵の者に凝視される。
(でも、なんかそれだけじゃないような……?)
しばらく凝視されるのはまぁ分かる。だが、時折こちらをみてひそひそと話をする者がいるのは何故か。
取りあえずは気にしないことにして、朝食を手早く受け取ることにする。
トレイを持っていくと、係の者がその時々の料理を配給してくれるらしい。列をなして並んでいる人に倣って、セロも最後尾に続く。
この日の朝食は黒パンが二つに、具のあまり入っていないスープと見たことのない野菜がふんだんに使われているサラダだった。
それらを受け取って適当に空いているテーブルを探していると、此方に向けて人懐っこそうな笑みを浮かべて手招きする女性が目に入った。当然セロが知らない人物だ。
年齢は二十歳前後くらいかだろうか。赤いフレームに丸型レンズの眼鏡をしており、流れるような紫紺色の髪は白いロングコートの腰のあたりまで届く。
ひょっとして呼ばれているのは自分ではないのか、と念のため後ろを振り返ってみるが、誰もいない。どうやら本当に自分を呼んでいるらしい。
四人掛けのテーブルに近づくと、彼女はその反対側に座るように促す。そのテーブルは彼女以外に誰も座っていなかった。
「はじめまして、私はエレナっていうんだ。そっちはセロ君だろ?」
「……何で俺のことを?」
フフッ、とエレナが小さく笑う。なんとなくだが嫌な予感がしてきた。
「噂になってるよ、君のこと。『イルミナさんが男を連れ帰ったぞー!』って」
「なっ!?」
見るまでもなく、今の自分は相当顔が引き攣っているだろう。その証拠にエレナがにやにやとした面白がるような顔を向けてくる。
(ひょっとして、さっきからじろじろ見られてるのは……そのせいか?)
顔は動かさないようにして、周りのテーブルを窺う。
二人の会話に聞き耳をそばだてている者、恨めしそうにこちらを睨むもの、何故か親指をぐっと上に向けて意味深な笑みを向ける者等々。
イルミナがこれを知ったら自分は何をどうなってしまうのだろう。
先ほどの誤解の一件で気絶させられるレベルだ。ならばこれは……。
(……殺されるんじゃないか?)
いい意味にしろ悪い意味にしろ、これで一躍有名人になってしまったわけだ。
何とか生きていられますように、と祈りじみたことを呟きながらエレナの方に視線を戻す。
「まぁそっちの話も興味あるんだけどさ。君を呼んだのはちょっと違うんだなぁ」
これ以上まだ何かあるのか、とうんざりした気持ちになる。
どうやらそれが表情に出ていたらしく、エレナが苦笑しながら手を振った。
「いやいや、そんなに警戒しないでくれたまえよ少年君。ただ、聞くところによると君、結構強いらしいじゃないか」
「いや、強いかどうかは分かりませんけど……」
セロは首を傾げる。そこからどう話が流れていくのかが分からなかったからだ。
不意に、エレナが身を乗り出すようにして、ずい、と迫ってくる。
「私強いやつって大好きでさ! どう? 実戦練習として、私とバトってみないか」
「いや、それは、ちょっと……」
確かに自分の実力を確かめてみたいという気持ちはセロの中にある。
が、相手が今会ったばかりの女性となると話は別だ。
そして、彼女の目が何故か爛々と輝いているのが恐ろしい。完全に、自分の好みのスイーツを目の前にした女性のそれだ。
何というか、こう……怖い。
「えー、やろうよー。もし私に勝ったら付き合ってやっても――」
「――エレナさん」
突然、横から発せられた凛とした声がエレナの言葉を遮った。
セロはその方向に顔を向けると、思わず「げっ」と漏らしそうになった。
そこにはトレイの上にセロ達と同じ料理を並べたイルミナとバスクの姿があったのだ。
バスクは相変わらず胸と腰のあたりに頑丈そうな防護服を、イルミナはオレンジ色の薄手のパーカーとゆったりとしたつくりのズボンというカジュアルな格好だった。
エレナの顔に再びにやにや笑いが戻ってくるのが視界の端に映るが、努めて無視する。
「どうにかならないんですか? その新しく入ってきた隊員に模擬戦をふっかける癖」
溜め息交じりにセロ達と同じテーブルに座る二人。
イルミナがセロから見て右側、バスクが左側といった感じだ。
(あれ……? ひょっとして気づいてないのか)
セロから見る限り、イルミナが周りの隊員の中に流れている噂に気づいている素振りはない。
もし気づいていたらこの場で制裁が下されていただろう。
先ほどから自分の顔を窺っていることに気づいたのか、イルミナの訝しげな視線がセロを射る。
「……何よ? さっきからじろじろと」
「へ!? いや何でもない。何でもないぞ!」
自らの動揺を誤魔化すようにして、全く手を付けていなかった食事を始める。
未だに怪訝な表情をしてこちらを見てくるイルミナだったが、どうやら気にしないことにしてくれたらしい。彼女も箸を動かし始めた。
「まぁ、実戦練習はいいアイデアかもしれませんね」
「そうだろう、そうだろう? ほら見ろイルミナ。だから――」
「――まぁ、相手は私が務めさせていただきますが」
自分の思い通りになり嬉しそうな顔をするエレナの言葉は、バスクが発した予想外の言葉に遮られた。
「……へ?」
セロは食べる手を止め、白い狼型の獣人の方を向く。
「ちょっ……バスク、私が先に声かけたんだよー?」
「いえ、セロとは昨日から約束していたんですよ。なぁ?」
バスクがこちらを向き、セロにしか分からないようにウインクする。
(ば、バスク……! お前ってやつは……!)
「そ、そうだった! そういえばそんなことを言っていた気がするな、うん」
それを聞き、エレナが残念そうに口を尖らせる。
「なんだよー。じゃあ、次は私とだぞ?」
「は、はい……」
そんな会話をしながら、四人は食事を済ませるとトレーニングルームへと向かった。